棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

t科学-37愛欲曼荼羅

2008-12-10 09:01:03 | 大人の童話
学の進歩は日進月歩。尊師様は現代科学に注目をしているようにと、常々おっしゃっておられる。
宗教が思弁的(理屈的にかたよる)になりすぎると、狂信的・蒙昧で過激宗教集団になってしまい、本来の目的を見失ってしまう。
其の点は、先のカール・セーガン博士と同じようなご意見だ。

話は少し古いが、天動説に対しガリレオは地動説を唱えた。
皆が知っているようにその結果、宗教裁判にかけられてしまった。
近年になって、ようやく彼の説を認めた、という愚かな教団のありかたは、己たちの権威の保持・独占欲の権化のような振る舞いだ。
自分たちの教理や信念・価値観を犯される恐怖は、争いごとにまで発展していくことは、先に「戦う本能について」語ったごとく、歴史が語っている。

教は科学的に説こうが形而上一本やりであろうが、人間を幸せにすることにあるのだ。
自分たちの教理・主義を専横するために、生命をないがしろにする行為など、絶対にゆるしてはならないのだ!!!

蕎麦は気難しい

2008-12-09 17:30:11 | 山郷の暮し
暖かで雨がふってきました。土日のあの冷え込みがウソみたいですが、身を切るような寒さは確実にやってきます。
昨日の記事は、蕎麦宴会のことで、そばがつながらず30人分はダメにした、と書きました。
ベテランの打ち手(私ではアリマセン)としては、なんとしても納得がいかず、粉屋に確かめたそうです。
それによると、ふるいを間違えてしまい、そば粉100%ではつながりにくいメッシュだったそうです。
「オレはつなぎを入れずに打つのを知っているくせに、粉屋のオヤジはぼけた!」
とぼやきの電話をくれました。つなぎをいれると、それは美味い蕎麦になるとか。
そばがきには荒めの粉がよく、美味かったわけでした。
蕎麦と言うのはまったく気難しいものですねー。

科学について-36愛欲曼荼羅

2008-12-09 09:01:13 | 大人の童話
師は形而上的な思考だけであってはならない。
筋道の通った、数学的・客観的に物事の真理を見なければならないとおっしゃっておられる。
現代は科学的万能時代といへ、一見科学的であれば、いかにも真実を追究したごとき錯覚をおこさせてしてしまう。
注意してくれヨ。ワシは科学的と言っているのであって、科学と言っていないのだ。つまり、科学的ってやつは実に都合のいい言い回しで、多くが似非科学とも言える。
そこで、天文学者カール・セーガンの意見を拝聴しよう。
非科学は、科学的な方法や科学の知見を装ってはいるけれど、その実、科学の大切な部分をないがしろにする。
というのも、不十分な証拠だけでどんどん話を進めたり、他の可能性を示すてかがかりに目をつむったりしがちだからだ。似非科学は、人々の軽信をくすぐる」

さらに、似非科学の代表例として、迷信・占い・心霊術・先祖崇拝・超越瞑想法などを否定している。
「似非科学の中には、精神的な飢えを満たし、病気を治してやろうなどといい、死は一巻の終わりではない などと約束をしたりしている。
人間は、宇宙の中心などと馬鹿げたことを言っている。
とんでもない。私カール・セーガンにとって、現代宇宙物理学がもたらした驚くべき発見より、深遠な宇宙的つながりがあるとは思えない」

いやいや、黒板に書かれた数字を見るような気がするが、納得もいくが・・・。
カール・セーガンにしたら、科学の進歩こそ、人類がダイナミックに行き続けて行けると信じていたのであろう。
言い換えれば、「現代科学教の教祖」のごときだ。
だかな、彼の信じた科学こそ、不確定なものだ。この世の全てのものは、在ると思うから在る。無いとしたら無い。ワシはインドの考え方を信じているのだ。
学の道を少し進むと、神から離れるが、更に極めればこれに回帰する」
ルイ・パスツールの言ったことに、深遠な精神世界の真理を見い出せる。

新そば。うまかったー

2008-12-08 17:14:25 | 山郷の暮し
昨日は20年以上続いてきた「新そば宴会」を友人宅で行った。
この宴会のスタートは我が家からで、山仲間があつまって無節操に飲む。ひたすら飲むがもっとうであった。
庭先では焚き火を囲み飲んでいる者、室内ではラジュースでスルメをあぶりながら飲んでいる者。寝袋に入って飲んでいる者。
みんな若く、キャンプそのままの宴会であった。最高30人近い者たちによるバカ騒ぎであったが・・・。

蕎麦宴会となったのは、休耕田を借りて「蕎麦」を収穫しようとなってから。
仲間が寄り合い、栽培しての蕎麦宴会は、3回ほどだったか。
作るよりも「美味いそば粉を買おう」となり、信州の最上級のものと、打ち手もベテランが仲間入り。
私の年末の最大の楽しみとしておこなってきたが、メンバーも変わってきたり、我が家の都合もあり、会場は友人宅に移って10年ほど。
若さに溢れたキャンプ並みの宴会ではなくなってしまったが、蕎麦粉100% の一級品の田舎蕎麦だ。

昨日のそば粉は、木曽は開田村の最上級のもの。
打ち手はプロ級のベテランなのだが(私は打てません)、其の粉がどうしてもつながらない。
そんなことは初めてで、原因がさっぱりわからない。早朝4時から100人分を打たなければならず、一時は蕎麦なしの宴会になってしまうのかも・・と。
急きょ別なそば粉に切り替えたと言う。
開田村産のそば粉の「そばがき」は、そりゃーーうまかった。
今朝は、いただいてきたどろりとした蕎麦湯でお腹ポンポン。昼飯はおかゆにしよう。

国家の欺瞞-35愛欲曼荼羅

2008-12-08 09:27:47 | 大人の童話
シリーズとして多くの作品があるのだが、みんなは紹介しきれない。
悲しいことだが、人間は戦う本能がDNAに組み込まれている、ということがわかったであろう。
権力者や組織が、そのことを巧みに利用してきたことを認識してほしい。
其れが国家やそれに類する権力の手によると「平和維持とか国家の利益」という大義名分をつけ、人殺しは正当化されてしまう。つまり、戦争だ。
早い話、国家の制服を着た殺し合いは、国家に貢献していると言うのだ

我が教団の芸術家による作品の紹介を「戦う本能-戦争」をテーマーにしたものだったが、最後に観てほしい作品がある。

作品は「国家の欺瞞またはピエタの欺瞞」
死せし兵士は、嘆き悲しむピエタと妖艶に微笑むピエタに抱かれている。
国家の欺瞞を暗示しているのだ。
国連旗も裏面であることは、その役目を果たしていないことを示している。
一見なんでもない作品だが、実に辛らつな現代風刺が込められているのだ。



人類の歴史-33愛欲曼荼羅

2008-12-06 08:54:32 | 大人の童話
墟と化した人々の暮らしの上に、重層的に歴史は重なってきた。
繁栄の陰に幾多の罪無き人々が死んできた。
銃殺場にも花が咲き、子供たちが遊んでいた。
芸術家は その事実を冷静に描くことによって、絶対にしてはならないことを表している。
実に悲しい作品だが、ワシはこの絵が好きだ。

政治哲学がネーのか麻生さん

2008-12-05 18:09:56 | チョット一言
朝日が我が家にまだ射しこまぬころ、お隣からけたたましい響き。
漬物たるが吹き飛ばされ、転げまわっている。
山おろしが止まると、天高く舞い上がった木の葉が群れ踊り、てふてふのようだ。
まだ着地せぬまに、裏山の木々がうなりだし、急速に迫ってくる。
昨日掃き寄せたカレッパ(枯葉)が、きりきり舞いし玄関に飛び込んできた。
宮沢賢治の森の話が思い浮かぶ。
妙に生暖かい風である。9:00 記

予報の通りに雨が降り出し、夕刻には止んでくれ、まだ寒気を感じるほどではアリマセン。
それよりも、多少期待を持っていた麻生総理はどうにもなりませんねー。
今日の国会中継をみてもなんだかがっかりさせられ、11-25に投稿した記事のままなのですが、再び投稿させていただきます。

麻生総理は海外に行くとバカに威勢が良くなる。
江戸っ子的歯切れのよさだと評されて、人気があったが、どうも違うと思う。
当然報道でしか判らない範囲だが、彼は決して庶民派でもなく、あっ気らかんで気さくな人物ではない。むしろその逆で、自分が一番と、人を食ったところが見え隠れする。
いわゆる良家でだいじだいじと、わがままいっぱいに育ったままの人生観だ。
ヨイショした言い方をすれば「帝王学」的な幼児教育の元に育ったのであろう。
それ故に、怖い者しらず、人にこびる必要も無いから、海外では受ける要素がある。つまり、言いたいことは其のままいい、通ってきた人生である。
思い立ったことは即可能であったし、出来なくともケツを拭くのは自分でなくていいいのだ。
細やかな配慮などの気配りとは無縁の、必要性の無い生き方なのだ。
以前にも殿様総理(細川)から安部・福田と、タイプは全く違いますが、共通点があるのです。

国民への ばらまきおこずかいにしろ、道路税のことにしろ、どこか思いつき的だ。
わがままに育っている子が「ほしいほしい」と、ばたばたしている情景が見えてくる。取巻きはたまったもんではあるまい。内部崩壊の兆しが見える。
三つ子の魂百までも のことわざではないが、こんな政治家が増えてくることは決してよくない。
最近の麻生総理を見ていると、北朝鮮のトッチャンボウヤのバカ長男と良く似ている気がします。

人類の歴史-32愛欲曼荼羅

2008-12-05 08:22:58 | 大人の童話
世紀、人間がしでかしていることをシリーズとして描き出している一つだ。
これから何世紀か後、現代のこの地を発掘したとき、人間の行ってきたことは、戦争と自然破壊だった。
人間が人間をゴミのごとくにした、自己破壊時代だったとなる。
ワダチが十字形になっているのが意味深長だ。
芸術家は作品を持って、そお予告・警告しているのだ。
蛇足ジャが、写真では判りにくいが、画面には様々な顔が描かれている。サイズF50(90-110)

雪虫

2008-12-04 17:47:46 | 山郷の暮し
昨日より更に暖かで、上着を脱いでしまった。
夕刻うすく雲が広がり、窓から写真のような空が一瞬見えました。
天気予報の通り、天気は下り坂になるのでしょうか。
オッ月様がくっきりと見えますが・・・。

晩秋の暖かな日、フワフワと雪のようなゴミのような白いものが流れてくると
「嗚呼 もうじき雪がふってくるんだなー」とおもってしまう。
なんとなく雪虫と呼んでいましたが、検索してみると「アブラムシ目」の虫。
どうも北海道では大量発生するようですね。
チョット面白い記事に、観光客が雪と思って大喜びするとか、自転車などで走ると服にいっぱいついてしまうらしい。
この谷ではそれほど飛び交ってはいませんが、頼りない飛び方に虫のはかなさを感じてしまう。
今年の晩秋は、野沢菜の取り入れや冬支度、そして、雪虫の飛び交う前に里雪が降ってしまった。
まーーこのまま冬に突入するとも思えませんが、まだ薪の一つも出来ていません。
蛇足ながら、やっぱり雪虫でよく、子どものときに覚えたのでしょうか。
先日FMで「わらべ歌特集」を長時間放送していました。
正式に習い歌った記憶は全くありませんが、新旧ほとんど聴き覚えがあり、いつの間にか唱和している自分でした。
子どもの頃の体験は 一生もの だとつくづくかんじました。

ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本