ゆっくり行きましょう

気ままに生活してるシニアの残日録

吉祥寺でランチと買い物、井の頭公園の紅葉

2024年12月02日 | 街歩き・国内旅行

午前中に中央線沿線で用事があり、それを済ませて吉祥寺で昼食

北口を降りて先ずはハーモニカ横丁に入り餃子のみんみんへ、平日だというのに店の前には行列が、そこに入るのは直ぐにあきらめ、持ち帰り用の生餃子1パックを買う

人気店は行列ができているのでパスして、東急の裏あたりをブラブラ歩きながら店を探し、「スペイン料理びいどろ」に入ってみた

直ぐ席に案内され、ランチメニューからバレンシアパエリア1,980円を選ぶ、前菜と飲み物付き、ここはシェフが国際コンクールで優勝したほどの腕前、パエリアが売物のようだ

前菜もおいしかったし、パエリアもまあまあだと思った、店内の雰囲気、店員のサービスもよかった

近くのリベルテ・パティスリー・ブーランジェリー 東京でフランスパンのミニバゲット270円を買う、明日の朝食用

次に、東急の地下に行き、キャピタルコーヒーでいつものコーヒー豆を買い、ヨックモックでクリスマスシーズン特別の缶入り詰め合わせ2,700円を買う

さて、その後は、吉祥寺からすぐ近くの井の頭公園に行ってみた

焼き鳥のいせや総本店の前を通り、公園につながる下り坂を降りて公園に入る、井の頭池を周回する散策ルールをゆっくり歩き、色づいた木々の葉を見る、平日の午後1時過ぎ、そんなに混んでいない

神宮外苑や昭和記念公園のイチョウ並木のような写真映えする場所はないが、その分、控えめな自然な紅葉が楽しめた

その後、吉祥寺駅に戻る途中の丸井の中にドーナッツのクリスピークリームドードーナッツが見えたので店に入ってみた、このチェーン店は一時期一部の店舗を閉鎖して苦労したが、最近また盛り返してきているようだ、ロンドンでも結構見た

ここでもクリスマスシーズン用のドーナッツが並んでおり、3個選んで箱に入れてもらう、1,020円

すぐ隣にはロンドン発祥のコーヒーチェーン店COSTAがあった、COSTAもロンドンでよく見たが、近年日本進出して店舗を拡大しているようだ

まだまだ買いたいものがあるがもうこれ以上持てないので、今日はここまでにした


自由学園明日館に行く

2024年11月02日 | 街歩き・国内旅行

豊島区西池袋にある自由学園明日館と講堂を見学に行ってきた、以前、テレビ番組で紹介されていたのを見て行ってみたいと思っていた、池袋駅西口から徒歩10分もかからない

受付で500円の入場料を払って順番に見学した、明日館の敷地内は外からも見え、建物の前は芝生がきれいに刈り込んである上品な前庭になっている、平日にもかかわらず見学者が多く来ていたのには驚いた

自由学園明日館は1921年(大正10)、羽仁もと子(1857、83才没)、吉一(1955、75才没)夫妻が創立した女学校自由学園の元校舎、帝国ホテル設計のため来日していたフランク・ロイド・ライトが設計、ライトを羽仁夫妻に推薦したのはライトの弟子であった遠藤新、ライトは夫妻の目指す教育理念に共鳴し「簡素な外形のなかにすぐれた思いを充たしめたい」という夫妻の希いを基調とし設計した

さらに、1927年(昭和2年)には遠藤新の設計で講堂が建てられた、自由学園は生徒数の増大により1934年(昭和9年)に東久留米に移転したが、施設はそのまま残された

東久留米に移転後、羽仁夫妻が自由学園と日本の教育の明日を託して残された施設を「明日館(みょうにちかん)」と命名し、卒業生の諸活動の拠点とした

その後、関東大震災や世界大戦の被害を免れ、1977年(平成9年)には国の重要文化財に指定され、国等の補助により保存修理事業を行い、2017年(平成29年)に完了した、明日館の建物は使ってこそ維持保存ができると考え、「動態保存」のモデルとして運営されている

現在の明日館の事業は会館事業(結婚式、懇親会など)、公開講座、JMショップなどが行われているそうだ、明日館の建物としての特徴は

  • 軒高を低く抑え水平線を強調した立面(ただ、湿気の多い日本では傷みやすいため維持修繕が大変)
  • 大谷石が多用された

羽仁夫妻はともに報知新聞社の記者であり、1901年に出会い結婚、1903年(明治36年)に「婦人之友」前身の「家庭之友」を創刊、とも子は書き、吉一が経営をした、その後、三女が小学生の時に良い学校がほしいと思うようになり自由学園を創設した

さて、見学であるが

門から入ると正面右側に婦人之友社展示室がある、これは羽仁夫妻が婦人の支援をしたいと思い創刊した「婦人之友」を発行をする婦人之友社の記録を展示する部屋である、現在、婦人之友社は自由学園の隣にある

次に学園の会議室がある

次は大教室

次は建物の中心部のホール、幾何学模様の大きな窓が特徴、椅子のデザインも独特、当時は毎朝の礼拝をしていた部屋

壁面には卒業生が描いたという大きな旧約聖書「出エジプト記」の一節の壁画がある

背面には大谷石でできた暖炉がある

2階に上がると食堂がある、外光を巧みに取り入れ、幾何学的な装飾を用いて変化を持たせてある


照明はライト自身がデザインした

2階からはホールが見下ろせる

下に降りるとまた教室がある、窓の形が独特

いったん外に出て、向かいの講堂に入る


(正面が講堂の舞台)


(講堂の壇上から聴衆側を見おろす)

楽しめました


ゴルフ帰りに「岩下の新生姜ミュージアム」に行く

2024年10月22日 | 街歩き・国内旅行

鹿沼市でゴルフをした帰りに、栃木市にある「岩下の新生姜ミュージアム」に行ってみた

岩下食品の新生姜とは、「若掘りの生姜」の意味の“新生姜”に加え、1978年に当時の社長が台湾を訪れた際、現地で食されていた生姜のおいしさに感銘をうけ、何とか日本で紹介できないかと研究を続けた結果、商品化することに成功し、それまで日本になかった「全く新しいタイプの生姜漬け」として名付けられたもの

この岩下の新生姜は全く知らなかったが、今年の東京都知事選でこの会社の岩下社長がある候補者への支持をSNSで表明したところ、左翼界隈から因縁をつけられ、不買運動を起こされるなどひどいことをされて騒ぎとなった、それを偶然知って、日ごろから左翼の言論に対する実力行使やそれを批判しないメディアを快く思っていなかったため応援したくなり、しばしばコンビニやスーパーで買い求めた

岩下食品の本社と本社工場は栃木市にあり、さらに岩下の新生姜をテーマにした展示・アトラクションが楽しめるミュージアムがあると知り、一度訪問してみたいと思っていた、この日はたまたま栃木市のすぐ近くの鹿沼市でゴルフをしたので、帰る途中で寄ってみようと思ったわけである

車を駐車場に入れて、ミュージアムの入口から中に入ると入場料無料、中に入っていくと、エントランス・イベントステージがあり、岩下の新生姜の巨大パッケージと世界で1台の新生姜色のグランドピアノがお出迎え、そこでは音楽がかかっており、「あれっ!?」と思った、ベートーヴェンの「英雄」だ、帰るときもまだかかっていた、なぜ「英雄」なのか、いつもそうなのか、このミュージアムとイメージが重ならないところが面白かった、きっと社長の趣味でしょう

そして、中を進んでいくといくつもの展示場所があり、大きな生姜のオブジェクトとか、大きなスクリーンで子供が遊べる場所とか、ここを訪れた芸能人などの色紙や新生姜を使った料理を出しているレストランとのコラボメニューの写真など、いろんな展示があり、オブジェや壁紙などは全て新生姜のピンク色になっている、そういえば、岩下社長もピンクの背広を着て会社のPRを自らやっている

子供を連れてきたらきっと喜ぶようなミュージアムだと思った、また、若い女性のお客さんお多かった、結構な人が訪れていた、繁盛しているところを見てうれしくなった

そして、ミュージアム内には岩下の新生姜や、新生姜味のお菓子などが売っているショップがあり、そこを見ていたら、何と、缶チューハイの寶酒造とコラボした「缶チューハイ新生姜割り」が売っているではないか

少し前に東京の立石に行ったときに有名な居酒屋である宇ち多゛監修の「焼酎ハイボールうめ割り風」が販売されているのを見つけたが、今回もこんな掘り出し物が見つかるなんて、うれしくなって2つ購入した、東京では買えないそうだ、それ以外にも入場券代代わりにいくつかのお菓子を買った

ミュージアム内にはフード、ドリンク、スイーツまで、すべてのメニューに「岩下の新生姜」を使用したカフェ・ニュージンジャーがあったが、寶の缶チューハイに気をとられて、そこでソフトクリームを食べるのを忘れてしまった、残念

楽しめました

帰宅してさっそく新生姜味の缶チューハイを飲んだらおいしかった

 


巾着田曼殊沙華まつりに行く

2024年10月09日 | 街歩き・国内旅行

秩父観光が終わった後、埼玉県日高市で開催中の巾着田曼殊沙華まつりに行ってみたくなった、テレビで何度か紹介されていたので、一度行ってみたいと思っていたところである

秩父の駅前から車で1時間弱だったろうか、299号線を走って巾着田(きんちゃくだ)に到着した、秩父からの道はずっと下り坂であり、秩父の標高はずいぶん高かったのだなと気付いた、気温も秩父は22度、巾着田は30度であった

ここは巾着田曼殊沙華公園となっている、もらったパンフレットによれば、昭和40年代後半に日高市が取得して整備を始めると9月頃に一斉に曼殊沙華が咲き出した、これはおそらく河川の増水等により流れてきた漂流物の中に混じってきた球根が根付いたものと考えられるとのこと、500万本もあるというから驚きだ、曼殊沙華はちょうど彼岸の頃に咲くのでヒガンバナとも言う

曼殊沙華まつりは9月10日から10月15日まで開催されており、この日は「見ごろ」と看板に表示されていた、平日だったため駐車場もそれほど混んでなく、直ぐに入れた、入場料は500円

ここが巾着田というのは、この付近で高麗川が蛇行しており、その蛇行の形が巾着のようになっており、その巾着の中の部分の土地に曼殊沙華が咲いているからである、散策マップを観るとまさに巾着のような形になっていた

ここには平成29年に上皇上皇后陛下もお見えになり、満開の曼殊沙華をご覧になったという

この日は3番入口から入り、川沿いに咲いている曼殊沙華をゆっくり鑑賞した、先ずは上流エリアに、こちらは早咲きの曼殊沙華があり、少し枯れだしているものもあった

次に下流エリアに行き、同じように川沿いに咲いている曼殊沙華を見て歩いた、公園内はそれなりの人通りで、土日には大変な混雑だろうと想像できる

曼殊沙華は赤色が大部分だが、ところどころに白い花があり目立っていた、約1か月くらい咲いているので多くの人が楽しめる

2、3年前に春日部の権現堂堤に咲いている曼殊沙華を観に行ったことがある、こちらの方も多くの曼殊沙華が咲いていたので観る価値はあるでしょう

楽しめました


秩父観光

2024年10月08日 | 街歩き・国内旅行

テレビで「新美の巨人たち」という番組があり、2022年10月に「秩父アート巡り」というテーマの放送があり、秩父の街を紹介していたのを見て、行ってみたいと思っていた、秩父はゴルフでしか来たことがない街だ

テレビで紹介していたのは、美しき森の都の秩父のアート巡り、具体的には

  • アニメの舞台になりアニメファン巡礼の地になっているいくつかの場所
  • この地域の伝承の美(秩父夜祭、小鹿野歌舞伎、秩父銘仙)
  • レトロな町

車生活になれているので、愛車を使って日帰りで行くことにした、Googleマップで調べると自宅から2時間半と出たので、朝は6時に出発して、家の近くのコンビニで朝食を買って車中で食べ、8時40分過ぎに西武秩父駅に到着した、この駅もアニメ巡礼地だ

近くのコンビニで買い物をして、西武秩父駅の駅前を散策、バス乗り場には三峯神社に行く人の大行列ができていた、車でさらに1時間かかるので、我々は今回はあきらめた、もう3時間近くも運転していたので

9時に駅前の秩父観光情報館に寄り、アニメの舞台探訪マップなどを入手、これが3種類ありややこしい、「心が叫びたがっているんだ」、「空の青さを知る人よ」と「めんまのおねがいさがし」というアニメらしい、知らんけど

西武秩父駅から少し離れたところの有料駐車場に車を停める、300円だった、そこから番場通りに入る、レトロな店が並ぶ観光メインストリートとでもいう道

番場通り

都会では見れないハイヤーの乗り場

スーパーのベルク東町店(アニメ巡礼地)

小池煙草店、重要有形文化財、今はホテルに改造されている

秩父神社に、ここも巡礼地

秩父神社の本殿

本殿東側は「つなぎの龍」、北側は「北辰の梟」、南側は「お元気三猿」(よく見、よく聞いて、よく話そう)、正面には「子宝・子育ての虎」の極彩色の彫刻の飾りがある


近くの札所の池に住み着いた龍が暴れたとき、この彫刻の龍を鎖でつなぎ留めたら龍は現れなくなった、髭のように見えるのが鎖

次に、神社のすぐ近くの「秩父まつり会館」に、入場料500円

そこから歩いてすぐの秩父線の秩父駅、地場産業センターのビル(アニメ巡礼地)に

お土産に「秩父自慢」(八幡屋本店)を買う、690円

さらに歩いて、武甲酒造に

純米大吟醸1,100円を1本買う、酒蔵見学は10人以上の団体の事前申込のみ可能とのことで諦める、後日飲んだら非常にうまかった

さて、ここで11時15分くらい、疲れてきた、雨もパラパラ降ってきた、駅前のメインストリートの299号線を歩いて先ほどの番場通りの小池煙草店の向かいにある洋食屋パリーで昼食を取ると決める

メインストリー沿いに松竹のレトロな建物、秩父国際劇場とあるが、あとで調べてみると昭和58年まで稼働していた元映画館、リノベーションして現在はカジュアルイタリアンレストランTRAGHETTOになっている

パリーに到着、ちょうど開店時間だ

私はラーメンとソースかつ丼セット、嫁さんはオムライスとクリームソーダセット、店内はすぐに満員になった

食後は、歩くのはもうつらいので、車に乗って町はずれの旧秩父橋(アニメ巡礼地)に行ってみる、車を停めるところが無さそうなのでゆっくり通過して嫁さんに写真を撮ってもらう、やはり歩きでは無理な距離だった

さて、これで1時くらいになったか、まだ羊山公園見晴しの丘、定林寺、道の駅、ちちぶ銘仙館など、いくつか見ても良いと思うところがあったが、もうこんなもんで良いかと、との結論になり、東京方面に帰る道を往路とは変えて、299号線を下り、正丸峠を通過し、日高市にある巾着田曼殊沙華公園で満開の曼殊沙華を見て帰ることにした、その模様は別投稿で

結構遠かった、電車が良いかもしれない、所沢から急行で1時間だ

お疲れ様でした


京成立石駅周辺を歩く(2024/8/21追記)

2024年08月21日 | 街歩き・国内旅行

2024/8/21 追記

偶然、宇ち多゛監修の寶の「焼酎ハイボールうめ割り風」が販売されているのを見つけた、私の好きな寶が宇ち多゛とコラボしたハイボールを販売するとはうれしいではないか、さっそくスーパーの酒売り場で買い求め(151円)、晩酌で味わった

宇ち多゛では炭酸の入っている焼酎は出していないが、店で飲む有名なうめシロップ入りの焼酎の雰囲気は味わえるのではないか

2024/8/19 当初投稿

下町の情緒が残る街、呑兵衛の聖地、京成立石に行ってみた、ここに来るのは2度目だ

前回訪問したのはずいぶん前だ、その後、立石駅前の再開発が行われると聞いて、駅前商店街や呑み屋街が無くなってしまうのかと思い、再訪してみたいと思っていた。

立石は、安い居酒屋の生み出す「せんべろ」のまちという側面と古い街並みが生み出す昭和レトロ感のある街という側面が合わさってテレビにも度々取り上げられることがあり、最近は訪れる若い人も増えたという。この街並みは第二次世界大戦後に生まれた闇市から発展したものだ

事前に調べてみると、駅の北側の再開発は既に始まっており、工事現場の白い囲いが広範囲に設けられていた。南側も再開発の話が進行しているという、昔の面影が見れるのも今のうちだ。

再開発の目的は、安心して住み続けられる環境づくりにあるという。立石駅周辺は木造建築が密集しているため、地震があった際の建物の倒壊危険度や火災危険度が極めて高くなっているからだ

開発には賛成派と反対派がいるようだ、賛成派は、再開発が決まったなら早くやってほしい、地元の人は、地元の居酒屋で飲まないし、他所から来ている人が寂しいと言っているだけ、商店街を歩くのは高齢者ばかりで若い人はあまりいない、再開発できれいにしてほしいという。

一方、反対派は、立石のような「第一種市街地再開発」では、組合員(=地権者)が共同で事業のリスクを負う形になり、事業がうまくいかなければ破産を申し立てなければならない事態にまで追い込まれる可能性もあり、そういう事例もあるという

こう考えてみると地権者のリスクは高いだろう、自分が当事者だったら悩むと思う、私はてっきり、開発は三井不動産などの大手のデベロッパーがやり、地権者は再開発前と同じくらいの時価相当のスペースを交換で与えられる、とばかり思っていた

立石駅で降りて、駅周辺を見渡す、北口の再開発は既に着工されているのが駅の踏切のところからも直ぐに見える、最初はそちらの方を少し歩いてみた、こちらは踏切を横切る道を挟んで大きなビルが2つできるようだ

再開発に伴い、踏切が多い駅周辺も高架線になるようで既に工事が進んでいて高架線や駅舎の一部ができていた。

次に南口に移動し、駅前の「立石駅通り商店街」をブラブラ歩いてみる、この商店街はアーケードがあり涼しい、店は地元の店もあるが大部分が大手資本の牛丼屋や居酒屋、コンビニとかだった。

この商店街と並行に走る商店街が仲見世商店街だ、ここは戦災で家を焼かれた浅草の飲食業者が疎開してきて露店を始めたところ、「仲見世」という名前は浅草を偲んで命名されたという。こちらは地元の店が多いみたいだ、と言うのもここを訪問したのがお盆休みの最中、どの店も16日ころまでは休みますと張り紙がしてあり、シャッターが下りていたからだ。

この仲見世商店街の中に呑兵衛に有名なもつ焼きや「宇ち多゛」がある、ここは午後2時開店だが12時ころから行列ができるほどの人気店、行列の並び方、席の座り方、注文の仕方などいくつものルールがあり、知らないと注意される、初心者は常連を探して連れてきてもらうのが良いだろう、私は入ったことはないが

いつまでこの街並みが見れるだろうか、時代には抗しきれないだろうが、何とか共存できる方法はないものだろうか、私がよく行く吉祥寺は駅周辺に商業ビルも多く建ったが昔からの雑然としたハモニカ横丁一帯はそのまま残っている、うまく共存できている例ではないだろうか。

確かに火災や地震の時は危ないだろう、ちょっと前に小倉の旦過市場という有名な飲食店街が火災になって消防車も入りにくく多くの被害を出したことがあった、ここも再開発の話が進んでいた矢先の火事だったようだ、私は偶然、火災があった日(夜中から明け方)の前日の夕方に旦過市場を見物に訪れていた、翌朝、そのニュースを聞いてびっくりしたものだ

お盆休み明けに来た方が良かったかな、と思ったが、人がほとんどいない仲見世商店街もめったに見れないと思い、これで良いと思った

昭和生まれのオヤジとしては、昭和の面影が次々と亡くなっていくのは寂しいものだ、と感じた一日だった


清澄白河でカフェ、蔵前で買い物

2024年08月18日 | 街歩き・国内旅行

清澄白河にあるブルーボトルコーヒー清澄白河フラッグシップカフェを訪問した、2度目、1度目は近くの東京都現代美術館に行った帰りに、清澄白河をブラブラして偶然見つけた、その時の印象が良かったのでもう一度行ってみたいと思っていた

今日は門前仲町駅から歩いて行った、15分弱かかった、猛暑でつらかったが、最近男性用の日傘を使っており、これで結構直射日光を遮ることができる、今年はこれが売れていると新聞に出ていた

到着してドアを開けると、係りの女性がいて、ちょうど満席になった所なので待つかどうか聞かれ、待ちます、と回答。10分弱待ってOKとなった、先ずはレジで注文して支払いも済ませる、空いてる席に番号札をもって座り待つ、今日は暑いのでアイスアメリカンコーヒー577円を注文

ここは倉庫として使っていた建屋を改造したのだろうか、天井が高く、前面が全部ガラス窓、右側の側面もガラス窓が大きく、外光がふんだんに入ってくる、読書するには絶好の環境、注文があってから珈琲豆を挽いて抽出しているのが見える、フロアスタッフは全員女性だと思う、客は圧倒的に若いカップルか女性グループだが、店内はそんなに騒々しくない

アイスコーヒーを飲みながらゆっくり30分くらい読書をして店を後にした、ご馳走様でした

次は、清澄白河駅まで歩き、そこから大江戸線で蔵前に行き、シノノメ製パンに行ってみた、初訪問、from afarと同じグループだ、この日は食パンを買っみた、ペリカンの食パンと同様、スーパーなどで売っている食パンよりもサイズが小さい、これを一つ400円で買った、焼きあがる時間が決まっており、売り切れる時もあるので事前に時間を確認したほうが良いだろう

そして、最後はすぐ近くの菓子屋シノノメに行き、焼菓子を何種類か買う、2,050円、マドレーヌは翌日中に食べてくれ、とのことなので帰宅してさっそく嫁さんとお茶にして食べた。

食パンは翌日の朝食でトーストにして食べたが、大変おいしかった、厚切りにしたトーストをかじるとパンの香りが強烈にして食欲をそそった

ところで、私の贔屓にしていた蔵前のカフェfrom afarだが、建物の老朽化などの理由により墨田区の東向島へ引っ越しするそうだ、そのため8月は閉店とのこと、驚いた、東向島とはかなりディープなところだ、今までと同じイメージの店になるのだろうか、新装オープンしたら訪問してみたい

 


「江戸東京たてもの園、下町夕涼み」に行ってきた

2024年08月08日 | 街歩き・国内旅行

東京都小金井市にある「江戸東京たてもの園」に行ってきた、初訪問、ちょうど「夜間特別開園、たてもの園、下町夕涼み(2024年)」というイベントが8月3日、4日の土日に開催中だった。入園料は一般400円、大学生320円、中高生200円、65才以上200円、私も半額だったが、年寄りの一律優遇はやめるべきでしょう。

ここは、敷地面積約7ha、東京都が1993年(平成5)、東京都江戸東京博物館の分館として開園し、現地保存が不可能な文化的価値の高い歴史的建造物を移築し、復元・保存・展示するとともに、貴重な文化遺産として次代に継承することを目指したもの、場所は小金井公園の敷地の中にある。

「下町夕涼み」はは、通常は17時半までの開園時間を20時半まで延長し、夏の夕べの過ごし方を体感できるイベント、今年で20回目というから凄い。東ゾーン(入口入って右側)の下町中通りでは、灯りがともる復元建造物の商店や提灯が、夏の風情を感じさせ、西ゾーンの伝統的な日本の民家では、夕べの涼やかな風を感じながら過ごせる、と説明されている。

夕涼みなのでイベントは16時からだが、それ以前にも入園できる。この日は夕方18時過ぎくらいに到着し、予めネットで購入したチケットを提示して入園した、当日券を購入する人たちの長い行列ができていたので、事前購入は正解だった。

園内に入り、先ずは西ゾーンの移築した古い時代の建物がいくつもあるところを順番に見て回った。ここには江戸時代の農家などの建物もあるが、明治や大正時代の洋風建築もある、三井八郎右衛門邸など。各建物の中には靴を脱いで入る、冷房がないので夕方に来るのが正解だと思った。

これらの建物では寄席や縁台将棋、ちびっこ縁日が行われており、また、外では阿波踊りが行われていた。

そのあと、少し薄暗くなり灯りがともるころになってから東ゾーンの方に行ってみた。こちらは移築建物の高橋是清邸などもあるが、奥の方には昔の乾物屋や旅館、荒物屋、銭湯、居酒屋、仕立屋、醤油店などが軒を連ねていた。レトロムードたっぷりでみんな写真を撮っていた。こちらのゾーンでもちびっこ縁日やこども神輿、むかしの文具や江戸切子などの販売も行っていた。

小さな子供を連れたファミリーが圧倒的に多かった、子供が喜びそうなものが多かった、むかしはこんな風だったと子供に教える教育的効果もあろう、例えば、旅館の部屋には蚊帳が吊ってあり、「むかしは蚊取り線香を焚いて、蚊帳を吊って寝たんだ」と言えば、子供たちは「へえー」となるだろう。

19時過ぎまで滞在して、楽しんだ。愛知県犬山市にある明治村みたいなものだと思った。

さて、この日はこの公園のすぐ近くに見かけた「肉の万世」で夕食を食べて帰ることにした。たてもの園から車で2、3分の所、外観に高級感があるので、付近の高級住宅街に合わせて高級路線にしているのかなと思いつつ中に入る。

今年のはじめだったか万世の秋葉原本店が閉店になると聞いて久しぶりにに行ってみて、好きだったパーコー麺を食べたので(その時のブログはこちら)、またそれを食べようと思ったがメニューを見るとステーキ、ハンバーグなどご飯ものの肉料理ばかりラーメンがない。

値段も安いものでも2千円、大部分は3千円以上の高めのもの、私の万世に対するイメージは完全に崩れた。帰宅して調べると、もう万世ではラーメンは扱っていないようだ、ガッカリ。

仕方ないので、この日は、二人でハンバーグとステーキを一つずつ注文したが食べてみると大変おいしかった。店内はそれほど混んではいなかった。ステーキレストランになって店舗も高級感を出していのかと納得した。

ご馳走様でした。

 


日本橋を歩き、買い物

2024年07月24日 | 街歩き・国内旅行

片岡シェフのイタリアン・レストランで食事をして、そのあとちょっと歩いて室町にある映画館で映画を観て、再び日本橋高島屋に戻り、買い物をした。

最初、片岡シェフの店で食事を済ませ、デパ地下をちょっと見て、そのあと映画を観に室町方面に歩き、日本橋のふもとに来て、先日テレビで広重を取り上げた番組で、あの有名な「東海道五拾三次 日本橋 朝之景」の中に小さく描かれている「高札場」(江戸時代の掲示板)が今でも形を変えて存在するという、その場所を確認したりした。

そして、ふと横を見ると建築中の大きなビルがあるのが目についた、かなり大きなビルだ。いつの間にこんなに大きなビルが建ったのだろうか。

ネットで調べてみると、ここは日本橋一丁目中地区第一種市街地再開発事業のようで、三井不動産、野村不動産が事業主となり2026年3月完成予定、総事業費3,200億円という大プロジェクトだ。

そして、日本橋を渡り、三越側に出て、ふと振り返って日本橋を見てびっくりした。日本橋の上に建築中のさっきのビルが高々とそびえて見える、見た瞬間、昨年アーティゾン美術館で開催された展覧会「ジャム・セッション 石橋財団コレクション×山口晃 ここへきて やむに止まれぬ サンサシオン」で見た山口氏の、趣都日本橋編「月刊モーニング・ツー」という作品の雰囲気を思いだした(その時のブログはこちら)、山口氏の作品とは意味するところが違うが、日本橋の背後の大きな建築中のビルがまるで日本橋に襲いかかろうとしているように見えた、この景色を見て山口氏がどう感じるのか知りたいものだ

さて、映画を観終わった後、再び高島屋に戻り、午前中に見ておいたメゾンカイザーに行き、明日の朝食用のパンを買った、今日はクロワッサンとスコーン、食パン四分の一斤を買う、合計で768円。メゾンカイザーはJALのファーストクラスの機内食やラウンジで使われていると以前雑誌か何かで見たことがある、今はどうか知らないが、おいしいのでたまに買って帰りリッチな気分なって食べている。

そのあと、高島屋デパ地下の洋菓子で有名な尾山台のAU BON VIEUX TEMPS(オーボンビュータン)の出店があるので洋菓子缶を買おうと思ったら売り切れだった、やはり映画に行く前に残っていたのでその時に買っておくべきだった。

今日はこれでおしまいにして帰宅した


浅草アンダーグラウンドに行く

2024年07月16日 | 街歩き・国内旅行

浅草は何度も行っているが、最近NHKテレビで「浅草アンダーグラウンド」という番組を見て、そこに是非行ってみたいと思った。長年浅草に行っているのにその存在を知らなかったからだ。

テレビでは、「浅草の地下に“日本最古”と言われる不思議な地下商店街がある。階段を下りていくと、そこはまるで別世界。69年前に出来たという、その古びた地下街にはユニークなお店がいっぱいある。60年近く営業してきたという焼きそば屋さんや、占い、理髪店など。老舗がある一方で、若い店主が開いた新しいお店もある。観光客でにぎわう地上のけん騒を離れて、どんな人が地下へとやってくるのだろう。地下の世界に3日間、潜ってみた。」という内容。

麻布台ヒルズから地下鉄を乗り継ぎ、銀座線の終点、浅草で降り、一番先頭の改札を出ると、通常はそのまままっすぐ、松屋と東武浅草駅の方に向かうが、改札を出てすぐに左に折れると、そこに浅草アンダーグラウンドはある、日本最古の地下街とも言われているところだ

全長40メートルくらいか、突き当りのちょっと前を左に曲がると、地上に出る階段があり、新仲見世通りに出る。

また、先ほどの地下鉄の改札を出たすぐのところに、アンダーグラウンドと改札を直進する道を結ぶ通路があり、その角には立ち食い蕎麦屋があるが、その後ろにも地上に出る階段がある。そこを上がると雷門通りから浅草駅に向かってきて東武浅草駅に入るために信号を渡ったところだ。

アンダーグラウンドの通りの両側には昭和の時代を思わせる店がびっしりと並んでいるが、この日は12時を過ぎて、オープンしている店は半分もなかった。場末感満載、ディープすぎる。見ていると結構、地元の人や観光客が通る。店に入る人はほとんどいない、みんなどこかに行く近道として利用しているような感じに見える。

知らなかった、こんなところが浅草にあったとは、感動しました、また来ます

さて、この後帰宅するのだが、その前に松屋浅草店で言問団子3個入750円を買って帰った。

お疲れ様でした。