ゆっくり行きましょう

気ままに生活してるシニアの残日録

劇団文化座公演167「紙の旗」を観劇

2024年10月31日 | 演劇

劇団文化座公演167「紙の旗」を観劇した、場所は文化座アトリエ田端、午後2時開演、3時50分終演、途中休憩なし、この日は千秋楽、150人程度収容する小さなアトリエ、座席は満席に見えた、来ているのは中高年が圧倒的だった、チケット販売や誘導などをしている劇団スタッフは若い人が多く、演劇を目指す若い人が多いのかと頼もしく思った、どの職業でも若い人が集まってこない仕事は発展しないでしょう

劇団文化座(代表:佐々木愛)は戦時下の1942年2月、井上正夫演劇道場のメンバーであった演出家の佐々木隆、女優の鈴木光枝らによって結成され、同年4月第1回公演梅本重信作「武蔵野」で旗揚げした劇団

この日にもらったプログラムの佐々木代表のあいさつによれば、この日の演目の「紙の旗」は、私達の日常生活に点在する本の小さな選択と意志が描かれているとのこと、我々の日ごろの生活における小さな選択と小さな意志がいまほど大切に思われる時はない気がしている、としている

「紙の旗」の作/演出は内藤裕子氏

内藤裕子氏は埼玉県生まれの劇作家、演出家で演劇集団円(えん)所属、2014年演劇集団円『初萩ノ花』(作・演出)にて読売演劇大賞作品賞受賞、2022年演劇集団円『ソハ、福ノ倚ルトコロ』(作・演出)にて紀伊國屋演劇賞個人賞受賞、2023年エーシーオー沖縄・名取事務所共同制作『カタブイ、1972』(作・演出)にて第10回ハヤカワ「悲劇喜劇」賞、第26回鶴屋南北戯曲賞受賞

キャスト

鈴木和則(共立党)・・・津田二朗
岡野義明(民自党議員)・・・青木和宣
斉藤康彦(民自党議員)・・・鳴海宏明
駒井 茂(議会事務局長)・・・沖永正志
矢島博信(無所属・改新クラブ)・・・藤原章寛
宮崎いく子(公友党議員)・・・瀧澤まどか
相田 透(みらい市民フォーラム)・・・井田雄大
星野伸一(議会事務局職員)・・・早苗翔太郎
神谷あやね(議会事務局職員)・・・若林築未
石川陽子(みらい市民フォーラム)・・・深沢 樹
萩原智子(記者)・・・神﨑七重

あらすじは、

ある地方議会でのこと、新人女性議員が育児休暇について「だから私たち若い世代が言わなきゃオッサン議員たちは気がつかない」とブログに書いたところ、議会は大紛糾、政治に対する諦めや、無力感が覆う空気の中で、その事に抗い、何かを良くしようと奮闘する人々の悲喜交々のある一日の物語

あらすじの補足や、観劇した感想などを述べてみたい

  • 結論から言えば、大変面白かったし、いい演劇だと思った、内藤裕子氏の作品や演出は大したものだと思った
  • やはり演劇は大きな劇場で見るよりもアングラ劇場的な小さな劇場で、俳優と近い位置で見るのが一番だと思った、俳優の声の出し方などが自然であり、演技っぽくないところが良かった
  • 昨年読んだ福田恒存氏の「演劇入門」によれば(その時のブログはこちら)、劇が映画と本質的に異なるところは舞台と観客席との交流ということである、舞台においては役者は終始、観客の緊張度に支配されている、聴き手が熱心に聴いてくれなければ、張り合いぬけがして、話し続ける気をなくしてしまうが、聴き手が身を乗り出し、相槌を打って話し手と無言の対話をすれば、役者はそれに力づけられ、それに反応し自分の演技に酔うことができる、と述べている、こうなるためには舞台と客席は近くないといけないと思った、この日はまさにそんな感じの役者と観客の無言の対話ができていたように感じた
  • 場面転換が何回かあったが、いずれもマンボのような楽しい音楽が流れ、椅子や机などの舞台道具を動かす音や俳優の足音を消しておりうまいと思った
  • あらすじにある通り、ある市議会において女性議員の育児休暇の是非について議論になり、議会与党の代表が「育児を替われる人はいるが議員は代替がきかないことをよく考えるべきだと」と発言し、事実上育児休暇を認めない決定をしたことに憤りを感じた若手女性議員が自身のブログに「議員のオッサンたちは育児の重要性がわかっていない」と書いたから大騒動になり、議会各党の代表者会議が開かれて、その女性議員を呼び出して議論が喧々諤々されるのがこの物語である
  • 呼び出された女性議員は、議会の各党の偉い人たちから、事実誤認があるとか、先輩議員に対するリスペクトがないとか、謝罪してブログを削除せよとか言われるが、毅然として拒否するから、話はどんどんこじれていく・・・
  • 代表者会議は議長と各党代表5名の6名、休暇の是非について議論するが、与党と革新クラブ代表の矢島議員が県議会議員への立候補を認めるというエサを与えられ反対し、その他の野党が賛成する、その議論はなかなか面白かった
  • その代表者会議に、事務方の3名と傍聴の記者が絡み、さらに劇を面白くしていた
  • この演劇は、議会与党や年長者議員の旧態依然とした実態を批判的に描く、という単純なものでもない、プログラム・ノートに書かれた内藤氏の解説を読むと、氏は祖父が市議会議員、祖母が選挙運動をやっていたので、議員と実際に会って話を聞き、議会を傍聴し、議会の仕事の面白さや議員の人たちが真面目に仕事をしているのに気付き、この演目を作ろうと決心したと書いてある
  • そして、若手女性議員の育児休暇の可否は市政にとって必ずしも重大な問題ではないが、与野党・ベテランと若手が自分の意見を臆することなく主張して衝突しながらも、お互いの意見を知り、自身の至らないところを認識し、少しでも前進することの大切さを学んでいく、そういうことを言いたかったのかな、と感じた
  • この日演じた俳優たちはいずれも良い演技をしていた、若手から中堅、ベテランに至るまで、それぞれの役柄をしっかりと演じていたと思う、大したものだと感心した

良い演劇でした

この日は観劇後、駒込の駅まで歩いたが、まだ時間が早かったので、駅の反対側のある商店街を歩いてみた、昭和のムードが残る個人商店中心の商店街であり、良いところだと思った


足底腱膜炎になる

2024年10月30日 | その他いろいろ

足底腱膜炎(足底筋膜炎)という病気があるが、それになった

ここ1か月くらい、朝起きて裸足で床を歩き始めたときなどに、左足の踵に「ちっく」という痛みを感じることがあったがスリッパをはいて歩き始めると何でもなく、痛いと感じたことなど忘れてしまっていた

ところが先日、ゴルフをしている途中で左足の踵に痛みを感じたため、帰宅してからネットで調べてみると、足底腱膜炎らしいと分かった

足底腱膜炎とは、足の裏のかかとから足指の付け根をつなぐ「足底腱膜」が炎症を起こして痛みが生じる疾患で足底筋膜炎とも呼ばれる

マラソンやジョギングなどを特にアスファルト舗装された硬い道を走っている人や、長時間の立ち仕事も疲労の蓄積によって足底腱膜への負荷が大きくなる、また、加齢や肥満でも足底腱膜にかかる負担が大きくなり、足底腱膜炎になるという

自分の場合、40才ころから週に一回、約1時間程度のランニングをしていた、ランニングと言っても早く走ることが目的ではなく、心身の健康維持のためであり、1キロ7分から8分のゆっくりペースのゆっくりランニングだが舗装道路を走っていた、また加齢もある、なるべくして発症したということか

整形外科に行って診断してもらうとやはり足底腱膜炎とのこと、激しい運動はしないで、安静にしていなさい、足を適当にマッサージしなさいとのこと、歩くのは仕方ないが足を労わりなさい、と言われる

マッサージは整骨院に行った方が良いかと聞いたら、まだいいとのこと、痛みが強くなった時のため湿布を処方するのでそれを貼りなさいとロキソニンテープ14日分を処方してくれた

マッサージと言っても整形外科では指導してくれないのでYouTubeで整骨院の先生が投稿している「これをやれば足底腱膜は治る」という動画を探し、視聴数が多い先生の動画を3つくらい見てやり始めた、こういう動画がいっぱいあるのは本当に助かる

その後、ゴルフをやった後や朝から夕方まで出かけた後などにはやはり鈍い痛みを感じるが、風呂に入って多少のマッサージをすれば痛みは無くなり悪化はしていないような気がするので、当面、ランニングは中止し、様子を見るしかないと思っている

30年近くランニングをして、風邪などひいた記憶がないくらい健康体を維持していたが、今回足底腱膜炎になった、何事も加齢を認識して年相応にアジャストできない人は、健康のためにやっていることが実は体に悪かったという笑い話になりかねない

腱鞘炎など腱の痛みの解消は時間がかかるので、歩きすぎに注意し、医師の指導のとおり足を労わり、気長に直していくしかないですね


「築地小劇場100年―新劇の20世紀―」展を観に行く

2024年10月29日 | 演劇

ここ数年、演劇に興味を持ちだし、テレビで観たり公演を観に行ったりしているが、最近、「築地小劇場100年―新劇の20世紀―」展が開催中なのを知って行ってみたくなった、場所は早稲田大学演劇博物館、大学内で何度か見たことがある建物だが入るのは初めて、入場は無料、写真撮影禁止

新劇とは、日本の近代において西欧の影響を受けて生まれた演劇ジャンルであり、台詞による表現と思想に重きを置いた演劇。明治末に誕生し、大正期には時代の最先端の演劇の潮流を形成、戦後に黄金時代を迎えた。いま、通常「演劇」と言えばこの新劇のことを指すと思うが、広く演劇といった場合、歌舞伎、新派、ミュージカルなどを含めたものである

大正13年(1924)6月、演劇の拠点、築地小劇場が誕生した。新劇初の本格的な常設の専用劇場であり、同劇場の専属の劇団名でもあった。新劇の父ともよばれる小山内薫を軸に生まれたこの劇団は、実験的な公演を次々に手掛け、数々の優れた作品を世に送り出した。築地小劇場からは、戦前から戦後の演劇界を支えた俳優や劇作家、スタッフなど多くの人材が輩出されていいる。

築地小劇場創設100年にあたる今年、演劇博物館所蔵の新劇関連資料を一堂に展示し、新劇とはどのような演劇だったのか、その長い歴史を振り返りつつ、「新劇の20世紀」を改めて考える契機としたいというのが主催者の思いのようだ

早大の演劇博物館に入り、順路と出ていたのでそれに従い展示作品などを見て行った、展示は時代順になっており、一つ一つの説明を見ていくと日本における演劇の発展段階がわかるようになっていた、そしてそれぞれの時代の演劇のポスターや台本、舞台の設定記録、写真や映像、音声、衣装などいろんな資料が展示してあり参考になった

展覧会の展示リストの余白などに鉛筆で簡単に歴史をメモして、帰宅して思い出しながら100年の新劇の歴史のキーワードだけを時系列に書いてみると、

  • 演劇と言えば歌舞伎だけだったが、そこから新派が分離し、もう一つ近代劇(新劇)ができた、新劇は翻訳もので、西洋の自由主義や個人主義を演ずる最先端なものだった
  • 川上音二郎が新劇の先駆者となった
  • 島村抱月や坪内逍遥が中心となって文芸協会や芸術座ができた
  • 自由劇場ができる、これは二代目市川左團次と小山内薫が作った
  • 多様な新劇運動が起こり、歌舞伎役者中心にいろんな劇団ができた、前進座、本郷座、有楽座、浪花座など
  • 新劇を上演する劇場もいろいろできた、大規模な商業主義の劇場と小規模の非商業的な劇場があった
  • これらの劇場は大正12年の関東大震災で倒壊した
  • 大正13年(1924年)に築地小劇場ができた、1928年に小山内薫が亡くなるまでの間に90以上の前衛的な演劇の上演をした
  • 小山内亡き後、築地小劇場という劇団は分裂していったが劇場施設は途中名前を変え1945年に空襲で焼けるまで存続した
  • 大正デモクラシーにより左翼活動家の左翼劇場、新築地劇場などのプロレタリア演劇が盛んになった
  • 左翼から一線を画した築地座も1937年にできて後に文学座になる、1904年には俳優座ができる、一方、プロレタリア演劇は治安維持法により解散させられた
  • 戦後は劇団民藝などいろんな劇団ができた、三島由紀夫、木下順二、福田恒存、安部公房などが劇作家や翻訳などで活躍し、小規模なアングラ劇場もできた

展示室内に劇団の設立と分裂、統廃合などの年表の図が大きく出ていたが、それを見ると、築地小劇場が日本の新劇界に与えた影響の大きさというものが良く理解できる、時系列の一番最初の方に築地小劇場があり、その参加者がいくつにも分裂して、統廃合を繰り返し、今ある文学座、俳優座、劇団民藝などの劇団につながっていく

1時間以上、じっくりと勉強して有意義だった、勉強になりました

さて、じっくり立ちながら勉強して疲れたので、博物館のすぐ前にある国際文学館村上春樹ライブラリーにあるカフェ「橙子猫-ORANGE CAT-」に立ち寄り、コーヒー500円を注文してしばしくつろいだ、このライブラリーは誰でも見学できるのでざっと見て回った、村上春樹の小説は若いころいくつか読んだが最近はどうも手が伸びずにいる、氏がクラシック音楽やジャズに造詣が深く、英語にも堪能なところには惹かれている

これでこの日はおしまい、ということで早稲田駅に向かいキャンパスを歩いていると、大きな立て看板があるのに目が行った、「11.10怒りの大集会、改憲・日米安保強化に反対」とか「石破政権による改憲・大軍拡を阻止しよう」などと書いてある

前者の集会の呼びかけ人に池辺晋一郎氏の名前があるのを見てがっかりした、むかしNHKのクラシック音楽番組に檀ふみと一緒に案内役をして軽妙洒脱なところを見せていたのに・・・

安保闘争時代とあまり考え方が変っていない人が多いのが大学とマスコミではないか、そこに目をつけているのがわが国周辺の全体主義国家だろう


人形町「谷や」で讃岐うどん

2024年10月28日 | グルメ

人形町で昼食を食べようと思い、讃岐うどんの「谷や」に行ってみた、テレビでも紹介されていたので混んでいるかなと思って少し時間をずらし、12時半過ぎに行ってみると店の前に3、4人が並んでいる、店内を見ると入口近くのカウンター席の後ろにも行列が・・・これはダメだと思い、人形町の街をブラブラ歩いてから再度行こうと思った

歩いていると、立ち食いうどんの「おにやんま」があることを見つけて驚いた、「おにやんま」は五反田の駅前に本店があり、新橋には支店もあり、よく食べに行ったものだ、人形町に進出していたとは知らなかった、安くてうまいうどんやで、ネットで調べたらもう10店舗くらい出しているようだ

さて、1時頃に再び行ってみると店内に5、6人の行列があったが回転は早いだろうと思い並ぶと、5分も経たないうちにカウンター席に案内された、店は手前にカウンター席が20席くらいあり奥はテーブル席になっている、結構収容力がある、若い人、女性客も多い、外人さんも来ている

注文は「かしわ天うどん(冷)」1,200円と決めていた、この店の一番の売り物である、うどんの量が並、中、大のどれを選んでも追加料金なしと言われ、思わず中と答えた

カウンターの目の前がちょうど天ぷらを揚げている場所だったので待っている間にずっと見ていた、料理をするところを見るのは子供のころから好きで、いい年になっても変わらない、入口近くではうどんを機械で切っているところか、結構派手な演出で楽しませていた

10分以上は待っただろうか、料理が出てきた、うどんの上にはかしわ天が3つ、野菜天ぷら3種(茄子、人参、青じそ)、きざみ葱、大根おろしとカットレモンがのっている、レモンを絞って食べると、コシがあって食べ応えがある、レモンの味がアクセントになってうどんと意外と合う、つけ汁はいりこ、昆布、割り節などを使い、毎日4時間以上かけて丁寧に作っているという、うどんを浸けて食べると直ぐに出汁の香りがして、美味かった

うどんの量が多すぎるかなと思ったが、難なく食べれた、おいしかった、値段的には高いほうだが繁盛じている理由もわかるような気がした、会計をして店を出るときにも行列ができて店外にあふれ出ていた

ご馳走様でした

さて、人形町に来た時はいつも京菓子司寿堂の黄金芋を買って帰る、この日も寿堂に寄って黄金芋を6つ買って帰った、これは本当においしいくて好きなお菓子だ

この日は上野から日比谷線に乗って人形町に移動したが、日比谷線上野駅のホームが随分洒落ているのに気づいた、柱のデザインや壁にずいぶんとお金をかけて目立たないがよく見ると実は非常にセンスのいいものになっている、こういうさりげないところに凝るのが日本人の良いところだろう

ネットでちょっと調べてみると、AIの回答として次のものが出てきた

「東京メトロ日比谷線上野駅のデザインは、現代的でモダンな美術館空間をコンセプトとしています。上野駅は「美術館のある街」をコンセプトにリニューアルされており、銀座線ホームは歴史にフォーカスした重厚な美術館空間をイメージしています」

なるほどその通りだなと思った、銀座線上野駅も同様らしい、このリニューアルは2017年に行われたようだ


A Random Walk Down Wall Streetを読む

2024年10月27日 | 読書

A Random Walk Down Wall Street(The Best Investment Guide That Money Can Buy) (13th Edition, Bruton G. Malkiel)をKindleで読んでみた、邦訳は「ウォール街のランダムウォーカー」、2百万部を売ったというミリオンセラー

著者は、1932年生まれ、プリンストン大学経済学博士、同大学経済学部長、大統領経済諮問委員会委員、エール大学ビジネススクール学部長、アメリカン証券取引所理事などを歴任、世界的な投信会社バンガードの社外取締役としても活躍した人だ

株式投資関係ではかなり有名な本で、内容はいろんな人が紹介しているので知っていたが英語版で読んでみた、英語のレベルは初級から中級で、金融や投資、税金などの専門用語もありわかりにくいところもあったが、Kindle翻訳の助けを借りながらも、それでもわからないところは読み飛ばして、とにかく最後まで読んだ

この本は初版は1973年、50年前だが、読んだのは最新の13改訂版である、最近のデータや事象なども織り込んでいるので古い本とは思えない

ランダムウォークの意味するところは、株価の短期的な先行きはいかなる理論を駆使しても、専門家ですら、予測できない、というものだ

この本で著者が主張していることは極めて簡単で、次のことに尽きると思う

  1. 金融資産の運用をするなら個別の銘柄を選ばずに、コアな部分はS&P500などの広範囲に分散したインデックスファンドに投資する
  2. 投資はタイミングを計らず、今すぐ積み立て投資を開始し、長期間保有する

この結論が正しいことを証明するためにデータを示し、株式投資の理論を批判し、著者提言の方法以外では継続して市場に勝ち続けることは「まれ」であることを説明しているのが本書である

著者の主張に同意する、この市場平均インデックスの投信ができたおかげで運用の素人でも長期間積み立て投資したり、一括投資をして、長期間保有できればかなりの確率で良い運用成果を得られるようになった、私も実践している

若い人ほど、給与天引きのようにS&P500(あるいは全世界株式投信)を毎月定額、積み立てすべきでしょう、それが生活防衛となり、将来のリタイアライフを豊かにしてくれるでしょう

結論は簡単だが、それを証明するのに膨大な量の記述があるのが本書であり、興味がある人は読んでも良いでしょうが、現役で働く忙しい人は結論だけ知れば十分でしょう

将来、金の心配をせずに済むように、特に若い人たちが知るべき知識だと思う、また、定年退職して退職金や貯金で投資を始めようとする人が損をしないために読むべき本だと思う


上野 de クラシック Vol.99 黒田祐貴(バリトン)を聴きに行く

2024年10月26日 | クラシック音楽

東京文化会館小ホールに上野 de クラシック Vol.99 黒田祐貴(バリトン)を聴きに行った、11時開演、12時終演、座席は7割くらい埋まっていたか、女性が多かった

出演

バリトン:黒田祐貴
ピアノ:木邨清華(きむら さやか)

黒田祐貴は、1992年生れ、東京藝術大学卒業、同大学院修了、イタリアやドイツで研鑽を積み第87回日本音楽コンクール第2位、第20回東京音楽コンクール第3位。オペラ歌手として活躍するのみならず、ドイツリートの研究にも取り組んでおり、木邨清華氏とのリートデュオでセイジ・オザワ松本フェスティバル、東京やベルリンでのリサイタルなどに出演している、この二人は大学の同窓生

彼の父親は名バリトン歌手・黒田博、親子でバリトン歌手だ、黒田博は一時期NHKのクラシック音楽番組の案内役を務めていたので知っていた、あとを継ぐ立派な息子さんがいたとは知らなかった

ピアノの木邨清華は、東京藝術大学音楽学部器楽科ピアノ専攻卒業、第15回大阪国際音楽コンクールAge-G第2位、第4回せんがわピアノオーディション優良賞及び坂井千春賞、第5回Euregio piano award国際コンクール(ドイツ)カテゴリーC第1位、第9回岐阜国際音楽祭コンクール第1位、及び審査員特別賞などの受賞歴がある

曲目

山田耕筰:

  • かやの木山の
  • 鐘が鳴ります

ヴォーン・ウィリアムズ:『旅の歌』より

  • 第1曲 「さすらい人」
  • 第7曲 「私はどこへさすらうか」

コルンゴルト:6つの簡素な歌 Op.9より

  • 第2曲 「夜のさすらい人」
  • 第3曲 「セレナーデ」

:オペラ『死の都』より

  • 「我が憧れ、我が幻想」(ピエロの歌)

マーラー:『さすらう若人の歌』

第1曲 「最愛の人が結婚式を挙げるとき」
第2曲 「野原を今朝通ったら」
第3曲 「私は燃え盛る短剣を持っている」
第4曲 「最愛の人の二つの青い目」

(アンコール)
R.シュトラウス作曲「万霊節 Op.10-8」

最近鑑賞した東京文化会館での公演では、公演終了後にアンコール曲の紹介が無いことを指摘したが、今回の公演終了後には「Xで紹介する」と掲示が出ていた、改善されていたのは評価できる

鑑賞した感想を述べたい

  • 今日の公演ではそれぞれの曲の終了後に黒田氏のトークがあり、選曲の理由や曲の内容、曲に対する想いなどを話してくれて非常に良かった
  • 最近NHKのクラシック音楽番組で、このブログでも紹介したロシアの若手ピアニスト、ダニール・トリフォノフのドキュメンタリーをやっていたが、その中で、トリフォノフは「自分の公演ではピアノを弾く前にはトークはやらない、それは曲に集中できなくなるからだ」と述べていた、それはそれで良いと思う、演奏家それぞれで構わないと思うが、その場合でも演奏終了後、アンコールの前にでも一言語ってもらいたいというのが私の音楽ファンとしての希望である
  • 黒田氏は今日初めて見たが、背が高く、スリムな体形で、素晴らしい音声であった、そしてトークの際はユーモアも交えて話ができ、話し慣れているなと感じた、それは良いことだと思う、これからの時代は話もできてSNSなどで発信もできなければ、良い才能を持っているが一生埋もれることにもなりかねないと思う、若手はあらゆるチャンスを利用すべきでしょう

  • この日の公演のプログラム・ノートを見ると、「演奏中はお静かにお願いします、咳やくしゃみをする場合、エチケットとしてハンカチなどで口元をおおうことで音量が軽減されます」と出ていた、このような注意書きを見たのは初めてだが、大変いいことだと思う、口元をおおわずに大きな咳ばらいをしている人が少なくないためだ
  • さらに、「演奏者は、曲の最後の余韻が完全に消えるまで集中しています、また、お客様にも演奏の余韻をお楽しみいただくため、拍手、ブラボーの掛け声は、曲の余韻が消えるまでお控えください」と書いてあった、これも大変よい注意だと思う、この日は皆さんこの注意をしっかりと守って鑑賞していたと思う
  • 上記の2つの注意は演奏前の館内放送でも注意してほしい
  • この日の公演は入場料が1,100円と大変お手頃価格である、これでは満員になっても赤字でしょう、プログラム・ノートには助成として文化庁芸術振興費補助金と独立行政法人日本芸術文化振興会と出ているので、赤字のかなりの部分はこの助成で補填されるのでしょう、このシリーズは若手が多く出演しているようだから、若い芸術家を育成するということでしょうか、いいことだと思う、出演の二人は今後とも努力を重ね、このホールを満員にできるようになってもらいたいし、チケット代ももっと取れるようになってもらいたいと願っている

この日の公演で黒田氏が話してくれたことのうち、記憶に残っているものから少し書いてみたい

  • コルンゴルトはオーストリア出身の作曲家で1897年生まれだが、戦時中にアメリカに亡命した、クラシック音楽から始めて、後に映画音楽でも名声を得る
  • コルンゴルトのセレナーデついて、セレナーデと言えばシューベルトが有名で、恋する女性の住む家の窓の下で愛をささやく歌だ、ところがコルンゴルトのセレナーデは男の思いを激しく吠える歌だ
  • コルンゴルトのオペラ「死の都」の「我が憧れ、我が幻想」は自分が東京音楽コンクールで歌ったアリアだが、来年3月にびわ湖ホールで「死の都」に出演することになった
  • マーラーは大好きなので今日もマーラーの曲を選んだ

木邨清華のピアノ演奏も素晴らしかった

楽しめました

さて、今日の公演の前に東京文化会館の入口を入り、小ホールに向かう上り傾斜の通路のころでふと左側の壁を観ると、前回訪問した時に見た特徴ある外壁と同じような壁があることに気付いて「あっ!」と思った

さらに、右側の大ホールの入口を仕切る大きな壁や小ホールのチケットチェックの場所を通過して右側の女性トイレに降りる階段につながる壁なども同じ壁だった

今まで全然気にしなかったが、新たな発見に驚いた


桜の宮ゴルフ倶楽部でゴルフ

2024年10月25日 | ゴルフ

茨城県笠間市の桜の宮ゴルフ倶楽部でゴルフをした、天気は曇り、最高気温は25度とこの時期にしては高く、半袖でプレーした

前日の天気予報では午後1時くらいから雨になる予報だったので当初9時スタートで予約したが、急遽8時スタートに変更した結果、ほとんど雨には降られなかった

このコースは、1963年4月(昭和38年)開場と歴史がある、当初、和尚塚CCの名称でスタートしたが、湯本スプリングスCCを経営する緑化開発(株)に経営交替し桜の宮GCと改めた。その後、積極的にコース改造を行い、経営姿勢も前向きと評価されるようになった。桜の時期にはコース内の多くの桜が咲き誇り人気がある、我々夫婦も毎年桜の開花時期にラウンドしている

コースは27ホールだが、昨年、開業60周年を記念して1年間限定で18ホールの運営にした、これの評価が高く、当面18ホールの運営にするようだ、東コースは従来通りだが、西コースと南コースから9ホール厳選して残し、新・西コースとした、従来の西コースと南コースは距離が短く、アップダウンがきつく、あまりいいコースとは言えなかっただけに、その両コースから良いホールだけ選んで新西コースとしてからは格段に良いコースになったと思う、なお、使っていないホールはいつでも再開できるようにメンテナンスはしているそうだ

距離はバックティで6,500ヤードと短めだからアスリート系の若い人は来ないが、アップダウンや見た目のプレッシャーなどで難しくなっており、アベレージゴルファーやシニアであれば十分楽しめる、グリーンはワングリーン、カートは乗用式でナビ付き、グリーンスピードは9ftと出ていた

プレーの進行は前半は2時間と快適だったが、後半は2時間半以上かかりマーシャルも来ていなかった、運営面で改善を要する、コースの手入れはよくできていた、ディボット跡やグリーンのボールマークもひどくはなく少し目立った程度だった

来ている客層はシニア層が圧倒的だ、地元のゴルフ好きのシニアの遊び場と言ったところか、午前のラウンドが終わってレストランに行くとまだ午前10時というのに満席に近く、仲間通しで大声を出して談笑しているシニア族が多かった、まあ、家に閉じこもって新聞やテレビばかり見ているよりも年をとってもゴルフを一緒に楽しめる友達がいて元気にラウンドしてもらった方が家族も喜ぶでしょう、値段もそんなに高くない

クラブハウスは何年か前にリニューアルしたようで非常にきれいで好印象である、ハウスがある場所がコース内で一番高い場所であり、レストランからは水戸の街とコースの一部が見下ろせる開放感がある、食事はまあまあであった

楽しめました、帰りに近くの常陸国出雲大社に寄っていこうと思ったが、雨が降り出したので次の機会にした、そして、谷和原インターから高速に入り、守谷サービスエリアで茨城県産の物産の中から、アド街で紹介されたと宣伝されていた舟の形をした藁に包まれている舟納豆270円を買って帰った、嫁さんの話だと納豆はスーパーでこれより全然安い値段で売っているとのこと


高階秀爾「カラー版名画を見る眼Ⅰ(油彩画誕生からマネまで)」を読む(追記あり)

2024年10月24日 | 読書

2024/10/24 追記

本日の新聞で高階秀爾氏が92才で亡くなったことを知った、テレビにお元気な姿で出演しているところを見たばかりであるというのに残念である、ご冥福をお祈りします

新聞のニュースはこちら

2024/6/9 追記

本日のNHK「日曜美術館」で、高階秀爾氏の「カラー版名画を見る眼」を取り上げ、氏がこの本について語る番組をやっていた、氏がどういう人かテレビで見る貴重な機会となり有意義だった。来週の日曜日に再放送があるし、NHK+(プラス)でも見れるので、興味がある方はご覧ください

2024/3/15 当初投稿

高階秀爾「カラー版名画を見る眼Ⅰ(油彩画誕生からマネまで)」を読んだ。昨年、同じ本のⅡ(印象派からピカソまで)を読んでよかったのでⅠの方も読んでみたくなった(Ⅱの読書感想ブログはこちら)。著者の説明によれば、この本を2冊に分けたのは、歴史的に見てファン・アイクからマネまでの400年のあいだに、西欧絵画はその輝かしい歴史のひとつのサイクルが新しく始まって、そして終わったと言いえるように思われたからであり、マネの後、19世紀後半から、また新しい別のサイクルが始まって今日に至っているからだという。

高階氏は昭和7年生まれ、大学で美術史を研究し、パリに留学、文部技官、東大教授、国立西洋美術館館長などを経て、現在、大原美術館館長となっている。

Ⅰの時と同じように、本書で取り上げている15名の画家の名前と生国、年令、生きた期間を書いておこう。国は現在の国に置き換えているものもある。

  1. ファン・アイク(フランドル地方、1390-1441、51才)
  2. ボッティチェルリ(伊、1444-1510、66才)
  3. レオナルド・ダ・ビンチ(伊、1452-1519、67才)
  4. ラファエルロ(伊、1483-1520、37才)
  5. デューラー(独、1471-1528、57才)
  6. ベラスケス(スペイン、1599-1660、61才)
  7. レンブラント(蘭、1606-1669、63才)
  8. プーサン(仏、1594-1665、71才)
  9. フェルメール(蘭、1632-1675、43才)
  10. ワトー(仏、1684-1721、37才)
  11. ゴヤ(スペイン、1746-1828、82才)
  12. ドラクロワ(仏、1798-1863、65才)
  13. ターナー(英、1775-1851、76才)
  14. クールベ(仏、1819-1877、58才)
  15. マネ(仏、1832-1883、51才)

本書を読み終わって改めて高階氏の絵画に関する見識に感心した。本書は新書版のわずか200ページちょっとのボリュームであるけど、氏が選んだ15名の画家たちが描いた絵の専門的なポイント、歴史的背景などを簡潔にわかりやすく説明されていて非常に勉強になった。次からまた絵を観るのが楽しみになった。

難しいこともわかりやすく説明できてこそ本当の専門家だと思う。難しいことを難しくしか説明できない人は、その難しいことを本当は理解していないからだろう。そういう意味で本書での高階氏の説明に改めて感心した。

さて、今回は、氏の解説で参考になった点からいくつか取り上げて以下に書いてみた。

ラファエルロ

聖母マリアの服装は、教義上特別な意味がある場合を除き、普通は赤い上衣に青いマントを羽織ることになっている

デューラー

人間の身体の四性論、人間の身体の中には血液、胆汁、粘液、黒胆汁の四種類の液体が流れており、黒胆汁の多い人は憂鬱質になり、内向的、消極的で孤独を好むあまり歓迎されない性質とされていた。それが15世紀後半から大きく変わって、多くの優れた人間はみな憂鬱質であるとされるようになった。少なくとも知的活動や芸術的創造に向いていると考えられるようになった。ただ、社交的で活発な多血質と正反対の性格である憂鬱質の人間に世俗的な成功は望めない、人々には認められずに、ただ一人、自己の創造の道を歩むというのが創造的芸術家の運命である。ミケランジェロは「憂鬱こそはわが心の友」と言っている。

レンブラント

彼の人生は明暗ふたつの部分にはっきりと分けられる、地位も名声もあった華やかな前半と失意と貧困の後半、彼の絵もそれに応じて著しく変化した

ゴヤ

彼は1792年ころから次第に聴力を失い、遂には完全に耳が聞こえなくなってしまった。それまで外面的なものに向けられてきたゴヤの目が、人間の心の内部に向けられるようになったのは、それからのことである。

ドラクロワ

彼はロマン派絵画の代表的存在とみなされ、当時新古典派主義の理想美を追求するため先例の模倣のみをこととする形式的な「アカデミズム」から激しい非難や攻撃を受けた。彼が正式にアカデミーの会員になったのは十数年も待たされた挙句、死のわずか5年前であった、しかし歴史の歩みは個性美を主張したドラクロワの美学の勝利を語っている。

クールベ

クールベの作品は当時の市民社会を告発するような社会主義的作品であり、思想的に急進派であったが、画家としてはルネサンス以来の絵画の表現技法を集大成してそれを徹底的に応用した伝統派であった。

マネ

彼の「オランピア」はルネサンス以来の西洋絵画に真っ向から疑問を突き付けた、すなわち西洋400年の歴史に対する反逆だった、彼の絵は全く平面的な装飾性を持ったトランプの絵模様みたいで、この二次元的表現は、対象の奥行や厚み、丸みを表そうとしたルネサンス以来の写実主義的表現と正反対のものであった、それでいて絵に立体感があるのは彼の鋭い色彩感覚のため、マネ以降、近代絵画は三次元的表現の否定と平面性の強調という方向に進む

とても勉強になった。


川越「山崎美術館」に行く

2024年10月24日 | 美術

川越に行った際、嫁さんが前から訪問したいと言っていた山崎美術館に初めて行ってみた、場所は蔵造りの町並みの入口・仲町交差点にある、私はどんな美術館か何も知らずに入った

前回川越を訪問したときに昼食をとった鰻の小川藤の方から歩いていくとメインストリートに差しかかるところに山崎美術館の看板が見えてきたので、そこから中に入ると、受付があり、入場料500円を払う、館内は撮影禁止

蔵造りの建物があり、一番手前に和菓子作りの木型が飾ってある建物となっている、先ずはそこを見学、お茶席などで出される色彩豊かで複雑な造形の和菓子の木型がいろいろ飾ってあり、興味深く鑑賞した

そこを出て奥に行くと直ぐに美術館の本館とでも言うべき建物があり、靴を脱いで中に入ると、そこには橋本雅邦画伯らの日本画が展示してあった

美術館の説明では、「橋本雅邦画伯は、川越藩のお抱え絵師橋本晴園養師の子息にて、明治時代における我が国画壇の最長老。郷土川越の有志が集まり、明治32年に画宝会を結成し、雅邦の力作の頒布を受ける。山崎家4代目故山崎豊は、同会の幹事として画伯から受けた作品をすべて大切に保管し、これを子孫に伝承させたが、その後社会公益の為、雅邦画伯の誕生150年を記念し、昭和57年文化の日に山崎美術館を発足した」とある、美術館は公益財団法人となっている

雅邦は、

  • 狩野派絵師として腕を磨き、その腕前は狩野芳崖とともに、門下の二神足と讃えられた。
  • その後、フェノロサと岡倉天心との出会いが大きな転機なり、日本画に西洋の空間表現、光の効果、構図の要素を取り入れ、狩野芳崖と共に画壇の中心となる。
  • 明治22年に東京美術学校が開校したとき、日本画の主任教授となる。生徒の個性を尊重したとされ、横山大観、下村観山、菱田春草などが雅邦のもとから巣立っていった。また、若かりし川合玉堂も、雅邦の門下となり指導を受けている。

先日読んだ「日本の近代美術」(土方定一著)でも橋本雅邦のことが多く取り上げられていた、ただ、土方氏は雅邦の日本画を必ずしも評価してないようだが。

展示室は一部屋だけであり、展示作品もそれほど多くないが、これだけの作品をきちんと保存して公共の用に供しているとはすごいものだと感心した。

展示室を出ると座るところがあり、お茶と最中のサービスがあった、嫁さんと座っておいしく頂いているとき、係りの人と雑談になり、壁に山崎家の歴代の当主の名前などが書いてあったので、「山崎家というのは今は何をやっているのか」と聞いてみると、何と川越の有名な和菓子屋の「龜屋」の当主であるというから驚いた、知らなかった、出された最中も龜屋の亀の形をした最中だった

龜屋は天明三年(1783)の創業より 代々川越藩御用達の和菓子屋であり、最中やこがね芋が有名である。私も何回か買って帰ったことがある。係りの人に、龜屋に寄るならその狭い通路を行くと店に出ます、と言われ行ってみると、何とそこは仲町交差点にある龜屋本店の店舗であった、聞いてみると店舗奥の美術館は昔は菓子工場であったとのこと、それで和菓子の木型が展示してあったのかと合点した

明日から川越祭りなので紅白の幕が町全体の商店街にかかっていた、せっかく店舗にでたので、亀の形をしたどら焼きとこがね芋、豆大福を買って帰った

お疲れ様でした、勉強になりました


川越「ぽんぽこ亭」で鰻重

2024年10月23日 | グルメ

川越に用事があり、そこで昼食をとることにした、川越と言えば鰻か武蔵野うどんだ、この日はうなぎを食べたくなった、どの店に行こうか探してみると、川越中心部からはちょっと離れているが、川越市藤間の「ぽんぽこ亭」という面白い名前の鰻屋さんがあるのを見つけ、行ってみた

この店の名前は一度どこかで聞いたことがあるが思い出せない、テレビにでも出ていたのかもしれない、ネットの情報では、1972年の創業、50年以上の歴史がある店のようだ

週末は結構混むようだが、この日は平日、混んでいることはないだろうと思いつつも車で開店時間の11時過ぎに行ってみた、川越街道(254号線)沿いに店はあり、駐車場は広い

店の玄関には「本日のうなぎは宮崎県産」と書いてある、ここは国産鰻を備長炭で焼いて出すようである

席はカウンターと座敷、テーブル席とがあり、どちらが良いか聞かれたので、テーブル席を選び、メニューを見ると鰻重は、普通の鰻重と、上鰻重、特上鰻重の3種類あり、普通の鰻重3,740円を選ぶ、肝吸い385円をつける

20分弱待って鰻重が到着した、ふたを開けてみると、うなぎの大きさがちょっと小さいかなと感じたが、一番下のものなので仕方ないでしょうし、特上などを食べたら一日中うなぎのげっぷが出て苦しいので、シニア夫婦はこれで十分だと思った

うなぎの料理は関東風の焼きと蒸しの併用で、やわらかくふっくらしたおいしい味であった、肝吸いもお新香もおいしかった、店員さんたちのサービスもよかった

我々が入店してからも、結構お客さんが入ってきた、人気店なのでしょう

ご馳走様でした