ゆっくり行きましょう

気ままに生活してるシニアの残日録

明治座 十一月花形歌舞伎(昼の部)を観劇

2024年11月30日 | 歌舞伎

今月は明治座 十一月花形歌舞伎(昼の部)を観劇した、3階の右側の席で3,000円、座席前の手すりが視線に入って見にくかった、明治座は初めてだからよく見える席がわからなかった、11時開演、15時20分終演、ほぼ満席だった

この日は2階席のほぼ全部を貸し切り、東京のある名のとおった女子高の生徒たちが観劇に来ていた、良家の子女という感じの賢そうなお嬢さん方で観劇マナーもよかった、高校生に日本の伝統芸能を鑑賞させるのは良いことでしょう、また、今日の演目も学生の鑑賞に適したものだと思った

『車引』(菅原伝授手習鑑)、30分

松王丸/坂東彦三郎(1976、音羽屋、楽善の息子、亀蔵は実弟)
梅王丸/中村橋之助(1995、成駒屋、芝翫長男)
桜丸/中村鶴松
藤原時平/坂東楽善(1943、音羽屋)

梅王丸、松王丸、桜丸は三兄弟、実在しない人物、松王丸は藤原時平、梅王丸は右大臣菅丞相(菅原道真)の牛飼い舎人、桜丸は斎世親王の家来。時平はある出来事をきっかけに、菅丞相を陥れて流罪にしたため三つ子は、松王丸(時平側)×梅王丸・桜丸(道真・斎世親王側)と図らずも敵対関係になってしまう

京都の吉田神社の近くで梅王丸と桜丸が遭遇し、お互いの立場を嘆きあっているところに時平が牛車で参詣に訪れる、梅王丸と桜丸は参詣を妨害して文句を言うと、松王丸も出てきて兄弟三人で争いになり牛車を引き合う、何か言ったりやるたびに見得を切り、見得の切りあいに、最後に時平が登場して梅王丸と桜丸は逃げ出して終わり

歌舞伎の様式美、衣装の派手さ華やかさ、退場時の飛び六法というところが見どころ

(感想)

梨園の血統のない鶴松が活躍しているのがうれしい、演目はそれなりに楽しめた

『一本刀土俵入』、1時間半

駒形茂兵衛/中村勘九郎
お蔦/中村七之助
堀下根吉/中村橋之助
若船頭/中村鶴松
酌婦お松/中村梅花(1950、京扇屋)
波一里儀十/喜多村緑郎
船印彫師辰三郎/坂東彦三郎
老船頭/市川男女

相撲の親方に見放され一文無しの駒形茂兵衛は取手の宿で親切な酌婦のお蔦から櫛簪や持ち金すべてを恵んでもらい「必ず横綱になる」と誓い、立ち去る、お蔦が口ずさんだ故郷の「おわら節」が茂兵衛の心に残る。十年後、相撲取りにはなれず、渡世人となった茂兵衛だが、お蔦への恩義を持ち続けていいる。今は娘と二人で侘しく暮らしているお蔦の元へ茂兵衛が訪ねてくると、お蔦の夫が帰って来て、いかさま賭博に手を出して悪党たちに追われているという、茂兵衛はこれぞまさしく10年前の恩返し、迫り来る猛者どもを蹴散らかし、その親分をも相撲で鍛えた力で見事にねじ伏せるた、横綱になれなかった彼の精一杯の土俵入りだった

この演目の作者は長谷川伸(1963年、79才没)、イヤホンガイドによれば、この作品は長谷川の体験がもとになっているとのこと、長谷川家は伸が幼少の時没落し、伸は品川の遊郭で出前持ちをするなどして苦しい生活をしていたところ、ある遊女から金銭的に助けてもらい、そのおかげで何とかなり、その恩を一生忘れなかった、というようなことを解説していた、また、作家の池波正太郎は長谷川伸の弟子になる

題名の一本刀とは、武士が大刀・小刀の2本を腰に差したのに対して、侠客 は長脇差1本であるところから 一本差しと呼ばれたことによる

(感想)

七之助のお蔦が良かった、特に最初の方の取手の宿の酌婦を演じていた時の艶めかしさが何とも言えない良さがあった、演技力が上がったのではないか、茂兵衛を演じた勘九郎であるが、演技中にふと見せる横顔が勘三郎にそっくりになってきた、ただ、茂兵衛は勘九郎に似合った役かというとそうでもないなと感じた、勘九郎は何か必死になって演じるような役が一番似合うと思う

『藤娘』20分

藤の精/中村米吉(1993、播磨屋)

藤娘は、大津絵の「かつぎ娘」に題をとった長唄による歌舞伎舞踊の演目、六世尾上菊五郎が昭和12年に藤の精が娘姿で踊る演出に改め好評を博し、以来たびたび上演されてきた女方舞踊の人気作

藤の花が咲き誇る中、塗笠をかぶり藤の枝を担いだ娘が現れる。この可憐な娘は藤の精。恋する切なさを嘆き、恋人を松に見立てて酒を飲み交わすうちにほろ酔いとなり、賑やかな踊りを見せるが、やがて日暮れとともに姿を消す

(感想)

私の贔屓にしている米吉が一人で舞台を務める姿を見れたのがうれしい、現在の若手女形でナンバー1だと思う

今日の幕間の食事は明治座で買った弁当にした、おいしかった


山本文緒「無人島のふたり」を読む

2024年11月29日 | 読書

他の方のブログを読んで山本文緒著「無人島のふたり(120日以上生きなくちゃ日記)」(新潮社、2022年10月刊)という本があることを知り読んでみた、ページ数が少ないので2時間くらいで読了できる

本の題名は著者が夫君と一緒に闘病中の自分たちがまるで無人島で暮らしている感じがしたことによるもの、また、120日は余命宣告された日数である

女性作家の山本文緒さん(2001年「プラナリア」 で直木賞受賞受賞)は2021年4月に膵臓がんと診断され、その時既にステージ4bだった、治療方法はなく、抗がん剤で進行を遅らせることしかできない状態になり、余命4か月と言われる

本書は著者がこのような状況で作家として出版を前提に5月24日から亡くなる直前の10月4日までの日々を綴った記録(小説)であり、読者に対するお別れの挨拶である

著者は2006年に軽井沢に引っ越して夫君と一緒に暮らしていた、東京で暮らしていた時と比べ健康的でストレスのない生活、酒もたばこもやらないのに「何で私が?」の思いがあるだろう、しかも母親はまだご存命中だ

病気になった方の闘病記などはあまり読む気がしてこなかった、読めば自分の体の諸症状がすべて悪い病気ではないかと心配になってくるし、暗い気持ちになるからだが、わずかに「わたし、ガンです、ある精神科医の耐病気」(頼藤和寛、文藝春秋)、「がんと闘った科学者の記録」(戸塚洋二、文藝春秋)の2冊だけ読んで良い本だと思った

今回、なぜ山本さんの本を読む気になったのかはっきり思い出せないが、自分がシニア世代になり、いつ同じ境遇になってもおかしくないという思いがあったのかもしれないし、その時の心構えも必要だと思ったのかもしれない

3冊目となる体験記であるが、いずれの本も死を前にしてきちんと記録を残すということができる凄さにただただ感銘するだけである、本だけではなくブログなどで同じようなことをしている普通の人々も少なくないだろうが本当の頭が下がる

本書を読んでわずかな救いは、著者には支えてくれる夫君がいたことだ、これは大きいと思う

山本文緒さんは2021年10月13日に軽井沢の自宅で永眠された、享年58才、安らかにお眠りください


「ドン・ジョヴァンニ」を無料ストリーミングで鑑賞

2024年11月28日 | オペラ・バレエ

新国立劇場のオペラ「ドン・ジョヴァンニ」を無料配信サービスで鑑賞した、配信期間は2025年1月10日まで、収録日は2022年12月8日、イタリア語上演/日本語及び英語字幕付

こういう粋な取り扱いは有難い、地方に住んでいて新国立劇場になかなか来れない人もいるので、是非継続してもらいたい

作曲:ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
指揮:パオロ・オルミ
演出:グリシャ・アサガロフ

出演

ドン・ジョヴァンニ:シモーネ・アルベルギーニ
騎士長:河野鉄平
レポレッロ:レナート・ドルチーニ
ドンナ・アンナ:ミルト・パパタナシュ
ドン・オッターヴィオ:レオナルド・コルテッラッツィ
ドンナ・エルヴィーラ:セレーナ・マルフィ
マゼット:近藤 圭
ツェルリーナ:石橋栄実

合唱:新国立劇場合唱団
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

指揮者のパオロ・オルミはプロフィールを見ると、イタリアで修業し、欧州を中心に活躍している指揮者で、新国立劇場には99年『仮面舞踏会』、01年『ナブッコ』、 02年『ルチア』、10年『愛の妙薬』を指揮して以来の登場、結構来日しているようだ

家のパソコンをテレビにつないだ鑑賞では実際の音とあまりに異なるので彼の指揮やオーケストラの演奏の論評はできないと思った

演出のグリシャ・アサガロフはドイツ生まれ、82年からチューリヒ歌劇場、86年からウィーン国立歌劇場首席演出家、2012年までチューリヒ歌劇場芸術監督、新国立劇場では04年『カヴァレリア・ルスティカーナ/道化師』、06年『イドメネオ』、08年『ドン・ジョヴァンニ』の演出を手がけるほか、09年ポネル演出の『チェネレントラ』の再演演出および演技指導で参加しており、この人も結構来日しているようだ

彼の演出は奇抜なところがなく、オーソドックスな演出だった、劇場の説明では主人公を18世紀に実在した色男カサノヴァになぞらえ、舞台をヴェネツィアにしているとのこと、確かにヴェネチアの運河が出ていた、合格点の演出だと思った

タイトルロールのシモーネ・アルベルギーニ(バス・バリトン)は1973年、イタリアのボローニャ生まれ、実績からしてもう第一人者なのだろう、新国立には初登場、見た目は役柄にピッタリの風貌だった、歌もまあまあだと思った、劇場のプロフィールを見ると結構この役が得意な人のようだ、なお、彼はアンナ・ ネトレプコのパートナーだった(1999–2007)

レポレッロのレナート・ドルチーニ(バリトン)は、新国立劇場初登場、1985年ミラノ生れで、既に数々の作品に出演していおり、特にバロック作品やモーツァルトで活躍とある、歌はまあまあだと思ったが、役柄に合っているのかとちょっと疑問に感じた、レポレッロはもう少しおっちょこちょいなところもある人間なのではないかと思うが、そういうイメージではなかった

ドンナ・アンナのミルト・パパタナシュ(ソプラノ)は、ギリシャ出身で2007 年にローマ歌劇場へ『椿姫』ヴィオレッタでデビューを飾って以降、世界で活躍しているとプロフィールにある、太ってなくて美女で、声量もそれなりにある歌手なので、美人の主役級の役がぴったりはまる人だと思った、今回もまさにそれだと思った、新国立劇場では『フィガロの結婚』伯爵夫人、『椿姫』ヴィオレッタに出演しているそうだ

ドン・オッターヴィオのレオナルド・コルテッラッツィ(テノール)は、新国立劇場初登場、ドンナ・アンナからドン・ジョヴァンニが地獄に落ちた後も結婚を1年待ってと言われてしぶしぶ引き下がるダメ男のようなイメージがあるが、見た目も立派で歌がうまいせいかしっかりした男という印象を持った、主役級の役ができるのではないか

ドンナ・エルヴィーラのセレーナ・マルフィ(メゾソプラノ)は、イタリア生まれ、新国立劇場初登場、むかしドン・ジョバンニに振られたがまだ未練がある難しい役柄だが、何となくそのイメージに合ったメイクをしていた、もう数々の実績があり、主役級の役も務まると思った

ツェルリーナの石橋栄実(ソプラノ)は役柄にピッタリだと思った、声量もあり町娘の愛嬌と亭主を尻に引くようなしっかりした女であり、ドン・ジョバンニに誘惑されかけマゼッタに拗ねられたが、よりを戻そうとすり寄る仕草とかがうまいと思った、一癖ある『こうもり』アデーレなどの役がピッタリの歌手だと思った

マゼットの近藤圭(バリトン)は、もう既に十分な実績のある歌手で、主役級の役もわき役もどちらもうまうこなせる歌手だと思った

ドン・ジョバンニは何と言っても以前よくNHKで放送していた1954年10月 ザルツブルク音楽祭でのフルトヴェングラー指揮、ウィーン・フィルの演奏があまりに強烈で、これこそが私にとって基準となる存在

これと比較するとどのドン・ジョバンニも霞んで見える、今やこの演奏もYouTubeで無料で見れるから有難い、パソコンで聴いてもその迫力は十分伝わる、指揮者、役者、演出、すべて良い

そういう意味で、今回のストリーミングサービスのドン・ジョバンニの演奏は評価不可能と上で書いたが、正直に言うと少し物足りないと感じる、パンチ力が足りないと感じた、フルトヴェングラーと比較するのはかわいそうだけど

十分楽しめました

ここまで書いて、この日のドン・ジョバンニは見たことがあるかもしれないと思い観劇ノートを見たら確かに観劇していた、その時の感想メモを見ると「指揮、管弦楽は良かった、演出もだいたいOKだが、最後の地獄に落ちる前後のところがイマイチ迫力がない、全体としてはカラフルで良い」と書いてあった


半蔵門「プティフ・ア・ラ・カンパーニュ」で欧風カレー

2024年11月27日 | グルメ

半蔵門に用事があった際、ランチで訪れた、初訪問、番地としては半蔵門ではなく千代田区一番町

Googleマップでで検索して行ってみるとマンションの1階に店はあり、道路からちょっと奥に入ったところが入口、開店時間の11時半頃に入店、既に何人か先客がいた

一番奥の大きなテーブル席に案内された、メニューを見てミックス野菜カレー中辛を選ぶ、1,650円だった、ミックスミートカレーや普通のポーク、ビーフ、エビ、アサリなどのカレーがあった

店内は落ち着いた雰囲気、欧風カレーなので欧州を意識したインテリアで洒落た感じを出しているように思えた、来ている人は女性客が多かったが男性も何人かいた

ところで、欧風カレーとは何だろうか、スマトラカレーとかインドカレーならわかるが、そもそも欧州にカレーが普及しているのだろうか、そんな疑問をいつも持っているが、欧風カレーを名乗っている店は神保町にもボンディやガヴィアルなどの有名店がある

ChatGPTで質問してみると、日本人が西洋料理の一部として考え出したもので、シチューのような洋食の要素を取り入れた日本独自のカレーとのこと

やはりそうだったかと納得したが、だからと言って悪いということではない、洋食カレーとでもいうものだが欧州カレーと言った方がイメージが良いからそう名のっているだけで、何も問題ないと思う

料理を待っていると先ず最初に蒸かしたイモがバターと一緒に出てきた、これも欧州カレー店の特徴ではないか、ドイツ料理をイメージさせる工夫か

そしてカレーが出てくる、エビやマッシュルームなどの野菜が見える、食べてみると中辛でうまい、味に目立った特徴はなく、クセがない、最近はスパイスを強調した味付けがはやっているが、それとは一線を画しているのだろう、それはそれでいいと思う

女性客を意識しているのだろう、ご飯の量もそんなに多くなく、シニアにとっても健康的でよかった

この店のカレーはS&Bが噂の名店シーシリーズの一つとして「 当店監修 欧州ビーフカレー」として販売しているようだ、「じっくり炒めた玉ねぎ、バターが織り成す極上のコクと、とろけるようなビーフはまさに逸品。一之瀬シェフ入魂の味わいをお楽しみください」と商品にパックに書いてある

人気店なのでしょう、店を出ると外まで行列ができていた

ご馳走様でした


半蔵門「カフェテラス壱番館」に行く

2024年11月26日 | カフェ・喫茶店

半蔵門に行ったときに、カフェテラス壱番館に入って休憩した

この辺りは何回か通ったことがあり、この喫茶店があることは気付いていたが、入る機会がなかった、少し前にテレビの「ずん喫茶」という番組でこの店を取り上げていたのを偶然見て、行ってみたいと思っていたところだ

ここはカフェであるとともにレストランでもある、ランチメニューも魅力的なものが用意されているようだが、この日は喫茶で訪れた

半蔵門の駅から歩いて5分もかからないだろうか、以前行ったカフェのTiMi(その時のブログ)のすぐ近く

11時ころ店に入ると、それなりの広さがあり、先客はわずか、窓側の4人掛けのテーブル席に案内されコーヒー500円を注文

店内は2方向に向かって大きな窓があり外光が存分に入ってくる明るい雰囲気、店外から見ると古くからあるレトロ喫茶店のイメージだが、店内のテーブルや椅子、その他の調度品もよく磨き上げられており、清潔感があり、くたびれた感じはせず、観葉植物も置いてあり、品位のある室内で非常に好印象だった

コーヒーをゆっくり頂いていると11時半近くになり人が続々と入ってきた、ランチ時になったからであろう、4人掛け座席をいつまでも一人で占領していてはいけないと思い、店を後にした

ご馳走様でした

さて、その後いつものル・グルニエ・ア・パンに寄りバケット1本とカヌレ2つを買って帰った、1,148円

バケットはこの日の夕食を洋食にしてもらい食べてみたがおいしかった

 


2024年ロンドン旅行(最終日)

2024年11月25日 | 2024年ロンドン旅行

最終日は帰国便のフライトのみ、朝早く起きて6時前にホテルをチェックアウト、第4ターミナル経由で第3ターミナルに行き、JALのカウンターでチェックイン、これで日本に帰れる

その後、出発ロビーをブラブラしてお土産を物色し、ラウンジに行く、英国航空のラウンジと共同利用、混み具合は普通で、座席を見つけ朝食を食べた

時間になり飛行機に乗り、滑走路に行く途中で突然の機長のアナウンス「出発前の点検でスポイラーという大事な機器の異常が見つかり、駐機場に引き返し修理をする、時間は1時間半くらいかかる」

駐機場に着くと修理の人が何人も乗り込んできて異常な雰囲気に、結局、修理と修理後の燃料補給、離陸順番待ちなどで3時間近くかかり、11時半に出発した、この程度で済んでよかったと思わなければいけないでしょう

離陸後、上空で安定飛行に移ると、直ぐに昼食となった、帰りの食事は洋食を選んだ

帰国便は来た時と違い、南回りだった、ウクライナの下の方を通り、韓国を通過して日本に入った、CAに聞くと風向きなどの気象条件により使い分けているとのこと

さて、これで今回のロンドン旅行記は終了、お付き合いいただきありがとうございました。最後に今回の旅行で感じたことや、お役立ち情報などを書いてみたい

  • 海外旅行では現地の人が過ごすように自分たちも過ごしたいと思っている、公共交通機関を使い、デパートやスーパー、コンビニ、ガイドブックに出ていないレストランに行き当たりばったりで入るなど、こういった体験は今回も面白かった

  • 公共交通機関を使うと結構歩くことになる、毎日平均1万5千歩は歩いた、一日中観光しているのでそのくらいになってしまう、よって夏場は無理だと思う、また、今回は足底腱膜炎できつかったが何とか歩けた
  • シニアになると一日中観光は無理だ、中心部に近いところのホテルを取り、3時くらいには一回ホテルに戻って休まないと歩けなくなる、ホテル代が高くなっても仕方ないと思う
  • パスポートについて、今回からJTBのスキミング防止機能と盗難・紛失防止のための紐とフック付きのケースを購入してズボンのポケットに入れ、ベルトループにつなげて使った

  • スマホのひったくりが多いので、首掛けのスマホストラップを購入して使った、Googleマップを見ながら道を歩くことが多く、ひったくりのリスクは高いのでそれに対する抑止力になると思った

  • クラシック音楽の公演については3か月前になれば予約できる劇場が多いので、行きたいオペラ劇場などの公演カレンダーを確認して希望する席を確保したい
  • 欧州の劇場などではチケット代金の5%位の保険料を払うとチケットの払い戻しや日程変更をしてくれるところがあるので、事前によく確認したい、私は今回これの恩恵を受けた
  • オペラ鑑賞などの時は服装を気にする人もいると思うが、事前に劇場などのドレスコードを確認することを勧めたい、私の経験だと正装や背広・ドレスなどを必須と定めているところはないが、どの程度まで許されるのかなどが書いてある(ジーンズでもOKかなど)

  • 今回の旅行でイギリスサッカーを観戦したかったが無理だった、プレミア・リーグは会員になることが最低限必要で会費の支払いが必要だ、その下のリーグはチケットが取れる試合もあるが、今回は日程が合わなかった、ロンドンの試合は意外と少なかった
  • 欧州の都市間を結ぶ鉄道の旅をしたい人は、鉄道会社のwebサイトや予約専門のアプリで予約が簡単にできるので挑戦してはどうか、欧州では国境をまたぐ移動も可能なので、旅行中に隣国の都市に簡単に行くことができるのがうれしい
  • 旅行の計画や現地に行ってからの目的地への行き方などは地図アプリが役立った、私はGoogleマップのみで十分であった、Googleマップのおかげで旅行が非常に効率的になった

  • ブログでも述べたが、欧州の都市鉄道は電車の発車ホーム番号が発車10分前くらいにならないと表示されない、初めての方は出発駅の下見をしたほうが良いかもしれない
  • 電車は日本と違い、発車時間になると突然走り出す、「まもなく発車します」のアナウンスはないし、ベルやチャイムもならないので注意が必要、また、途中の駅に到着するときも何にも案内がない、私はそれで前回の乗り過ごした
  • ロンドンの地下鉄、バスは料金キャップのあるオイスターカードという便利なものがあるが、最近はタッチ方式のクレジットカード、デビットカードで何の手続きもなくオイスターカードと同じように使えるようになって非常に便利になった

  • コロナ以降、美術館や博物館などの観光施設でも事前予約が要請されているところもあるので、事前にネットでよく確認したい

この旅行記が皆様の旅行に少しでも役立てば幸いです

(完)


2024年ロンドン旅行(8日目)

2024年11月24日 | 2024年ロンドン旅行

この日は事実上の最終日、天気は晴れ、朝ホテルをチェックアウトし、ロンドンで観光して、夕方にヒースロー空港隣接のホテルに移動して明日の早朝便に備える予定

朝、いつものようにホテルで朝食をとり、チェックアウト、荷物をクロークで預かってもらい身軽になり観光にでかけた

この日はシティを散策した、先ずホテルから見て一番手前にあるセント・ポール大聖堂に行ってみた、まだ来たことがなかった

セント・ポール大聖堂が最初にできたのは607年、その後何度も火災や焼き討ちにあい、現在の建物は1710年に再設計されたもの

この聖堂は、王族とのつながりというより、市民の祈りの場として、大戦でのイギリスの勝利を祝う場、また偉人や著名人が埋葬される場として使われ続けてきた、画家のターナー、彫刻家のヘンリー・ムーアも埋葬されている

入場料を払うと、日本語対応したヘッドホン付きガイド機器が借りれる、中に入るとその空間の広さ、天井の高さ、豪華さに圧倒された

昨日のカンタベリー大聖堂よりもインパクトがあったと感じたが嫁さんはそうでもないと言う、写真撮影は一定の時間を除きOK、中はそんなに混んでいなかった、30分くらい滞在してシティ中心部に向かった

次に現在ロンドンで一番高い展望台Horizon22を目指す、ここは昨年オープンしたばかり、観光ガイドブックにはまだ展望台としてWalkie Talkieのスカイ・ガーデンが出ているが、そこよりはるかに高い


(スマホのパノラマで撮影、正面の高いビルの最上階にHrizon22がある)

入場料は無料だが事前に予約する必要があり、朝10時の予約を取った、専用のエレベーターで一気に展望台に上がる


(Walkie Talkieが見える、その先には三角のシャードが見える)

展望台は広く180度以上見える、ロンドンの中心部は全てカバーしているので壮観だ


(パノラマ撮影したが大きなサイズで貼り付ける知識がなく横長の写真となった)

天気が良かったので朝日を浴びて左半分が逆光になり、写真を撮ってもうまくいかなかったのが残念だった、しかし嫁さんはそれも良いという

そのあと、近くのレドンホールマーケットに行ってみた、ここは14世紀にさかのぼる歴史があり、ビクトリア様式の建築やガラスと鉄細工でできたアーケード、石畳の通りが一際目をひく景観でさまざまな映画のワンシーンでも採用されてきた、有名なのはハリーポッターだそうだ

行ってみると、ガイドブックやネットで事前に見ていた写真と実際のイメージはかなり違うと感じた、11時ちょっと前でまだオープンしてない店があり人も少ないからかもしれないが、かなりアーケードや建物などがくたびれた感じがした

そのあとは地下鉄バンク駅のすぐ前、王立取引所に行く、ここは旧証券取引所の建物だが現在は高級ブティックや飲食店が入るショッピングセンターのロイヤル・エクスチェンジとなっている

中に入ると先ず目に入るのが大ホールの真ん中にあるフォートナム&メイソンのカフェ・レストランだ

そのフォートナム&メイソンの周りを店舗やレストランなどが取り囲んでいる、ただ、レストランのメニューを見るとそんなに高くはない

我々は内部を見て、写真を撮るだけにした

さて、ここで昼時になり、ランチをどこで取ろうかと思ったが、ビジネス街よりも午後に行こうと思っていたナショナル・ギャラリー近くの繁華街のほうが良いと思い、チャリングクロス駅に向かうバスに乗った

これが失敗だった、道が大渋滞しており、30分くらいかかった、地下鉄なら5分くらいだろう

もう1時過ぎていたと思うが、バス停から少し歩いたところにパブが見えた、ガラス越しに中をのぞくとそんなに混んでいないので、そこに入った

食事は2階だと言われ、行ってみると客はほとんどいない、広い席に腰かけ、せっかくなのでビールとフィッシュ&チップスをたのんだ

あとから客がけっこう入ってきたのでいいタイミングだった

さて、午後は1か所だけしか行けないと思い、まだ観たい絵が全部観れてないナショナル・ギャラリーに行くことにした


(先日亡くなった高階秀爾氏の本で取り上げていたファン・アイクの絵も再確認できた)

行ってみるとまた行列、先日来た時の行列より長いが並ぶと10分くらいで入れた

事前に調べた観たい絵をリストアップした紙を持ちながら歩き回ったが全部は観れなかった、中が広すぎることと場所が分散していること、疲れていることなど

ナショナル・ギャラリーを終わるともう3時ころだった、ホテルに戻り、荷物を受け取り、ヒースローまでのタクシーをたのむ

私は電車で行きたかったが、嫁さんが到着した日に、帰りはもう重いトランクを持ちながらの電車は無理だ、と言うのでタクシーにしたがこれは失敗だった、夕方の道が渋滞しており、時間と金が想定外にかかった

ヒースロー空港のホテルに到着し、チェックイン

このホテルは空港第4ターミナルに隣接しており、帰国便は第3ターミナルなので、第4ターミナルへの接続、そこから第3ターミナルに移動する方法をホテルで聞き、実際に第4ターミナルまで行って確認した

第4ターミナルにあった日本では見ないカフェ、Caffe Neroでコーヒーとパンを買い簡単な夕食にした、ロンドンではけっこう見た店だ(英国の会社だそうだ)

夜は明日の準備をして早めに就寝した、明日の帰国便は8時半頃出発、朝6時からJALのチェックインカウンターがオープンするとのメール連絡が来た

何とか大きなトラブルもなく、ここまで来れて一安心、明日は第3ターミナルに移動しJALのカウンターでチェックインできればもう大丈夫だ

(続く)


2024年ロンドン旅行(7日目、カンタベリー)

2024年11月23日 | 2024年ロンドン旅行

今日は7日目、今日の天気はロンドンに来てから初めての晴れ、この日はロンドンの東南に位置するカンタベリーに日帰り観光、カンタベリーへは電車で1時間

電車はセント・パンクラス駅から8時40分発、今回もOmioで切符は予約済みだがオックスフォードの時と違い、座席は指定されていないので空いてる席に腰かける

出発間際になり車掌が来て「カンタベリー」と大きな声を出している、何を言っているのかはっきり聞き取れなかったが、他の人が動きだしたので車掌に確認してみると、座った車両はカンタベリー駅では降りれないので、前の方の車両に移動しろと言っているようだ、慌てて他の客と一緒に前の方の座席に移動した、ぼけっとしていたら大変なことになっていた

カンタベリーまでは車窓の景色を見て楽しんだが、鉄道沿いに木が多く茂っており、景色はあまり見えなかったし、見えてもオックスフォードに行くときに見た広大なイギリスの田舎の景色という感じではなかった

カンタベリー西駅に9時30分に到着、カンタベリーの街も観光スポットは駅から徒歩で行ける範囲にある、駅を出てからゆっくりと中心街に向かって歩くとウエストゲート・タワーが見えてきた

そこを過ぎると商店街に、西駅の近くは古い町並みだが奥の東駅に近づくと近代的なビルがでてくる、このメインストリートがけっこう長く、意外と大きな町なのかなと感じた


(これは東駅近くの方)

メインストリートからちょっと左に入ったところに世界遺産のカンタベリー大聖堂への入口があった、チケットセンターでチケットを買う、一人17£、10時ころだったがほとんど観光客はおらず拍子抜けした

カンタベリー大聖堂は、597 年に聖アウグスティヌスによって建立された英国国教会の母教会、1170 年 12 月に教会の独立を守るためヘンリー2世と対立したトーマス・ ベケット大司教の殉教により中世キリスト教世界で最も重要な場所の 1 つにまで昇格した

彼は殉教者となり、彼の墓を訪れた人々が病気の治癒や他の奇跡を体験したと語り始め、これらの話は広まり、彼の墓が奇跡を起こす場所として多くの巡礼者が訪れるようになった

私はキリスト教の歴史や関連知識などはほとんど持っていないので、トーマス・ベケット大司教の話を聴いても「へえー、そうですか」という感じ

1時間くらい大聖堂内を見物して外に出た、11時過ぎだったか、出口付近には観光客がいっぱい来ていた、早く来てよかった

さて、メイン観光目的をあっさり達成してしまったが帰りの電車は4時21分で時間がありすぎる、キャンセル不能の切符を買ったので予定変更はできない、カンタベリーの街中をブラブラ歩いて4時まで時間をつぶすのはもったいない

そこで、事前に少し考えておいたドーバー海峡にバスで行ってみることにした、歩きも入れて1時間ちょっとあれば海の見えるところまで行け、3時までにはカンタベリーに帰ってこれると考えた、そこにはホワイト・クリフという観光スポットもある

バスはカンタベリー東駅近くのバスターミナルから出発する、そこまで15分くらい歩いて行った、ドーバー行きのバスバスに乗り込むとそんなに客はいない、2階席の一番前に陣取った、片道2£

ドーバーまではほとんど直線道路、最初カンタベリーの街中を走り、その後高速に入り、途中から高速を降りて街中の停車駅にいくつか停まって12時半頃ドーバーのバスターミナルに着いた、そこからは小高い丘の上にドーバー城が見えた

街中を少しブラブラ歩いて探索し、昼食はFastfood店を見つけてピザとコーヒーを買って歩きながら食べた、ロンドンもそうだが市内にはごみ箱が置いてあるのでごみの処分の心配はない

さて、先ずは海の見えるところに行かなければならない、ナショナル・トラスト(自然保護団体)の観光施設が歩いて20分くらいのホワイト・クリフの上にあるようなので、そこを目指して歩き始める、バスはないので歩くしかない

Googleマップと睨めっこしながらゆっくり歩くと海岸線に出て、振り返ると確かに海岸沿いの小高い山肌が白くなっている、これが結構続いているようだから壮観であり、奇観でもある、対岸のフランスのカレー(34キロ先)からも見えるときがあるそうだ

そこからが上り坂になり、足底腱膜炎の痛みを我慢しながら歩き、ホワイト・クリフの頂上付近のビューポイントに到達した、目的地はもう少し先だが、疲れてもう無理だと思いここで良いと思った

幸い天気は晴れで、ドーバー海峡は良く見えたし、ホワイト・クリフもよく見え、展望は抜群だった、ただ、対岸の欧州大陸は霞んで見えなかった

そこにいると何人かが登ってきた、こんな辺鄙なところだけど来る人がいるんだと思った、景色を堪能した後、再びドーバーの街中のバス停まで歩いて戻った

カンタベリー行きのバスに乗り込むと、疲れたせいか途中で寝てしまった、カンタベリーに戻ったのは3時ころだった

バスから降りて、カンタベリー西駅を目指してゆっくり歩き、途中でCOSTAに入り一休みした

休んだ後は再び西駅に戻る道をぶらぶら歩く、帰りの電車は予定通り到着し、今度はオックスフォードの時とは違い、空席があり、そこに座ってセント・パンクラス駅まで無事に帰れた

さて、今夜はロンドン最後の夜、ホテル近くのパブに行くことにした、Googleマップで検索して、行き当たりばったりで、人気がありそうな店に入ってみた

先ずは1階のカウンターでハッピーアワーのお得なビールを注文、カウンターの店員につまみはないのかと聞くと2階だと言われてビールを持って2階に行く

2階はテーブル席のみ、大きなテレビスクリーンがあり、サッカーの試合を流していた、テーブルにはメニューがあり、QRコードを読み込ませてスマホで注文しカード決済、テーブル番号を入力すると持ってきてくれた

2階は半分くらい埋まっていたが、客同士の間隔が広く、ウイルス感染を恐れるような感じではなかった、客は意外にも若い女性が多かった、友達同士、あるいは一人で来てハッピーアワーの安いドリンクを楽しんでいるようだ

7日目にして初めてロンドンらしい夜を楽しんだ

(続く)

 


2024年ロンドン旅行(6日目:2/2)

2024年11月22日 | 2024年ロンドン旅行

(承前)

RAHの見学ツアーが終わるともう昼時を過ぎていた、近くのサウス・ケンジントンでレストランを探すのも時間がかかるので、ちょうどRAHにカフェ・バーがあったので、そこで昼食をとることにした

コーヒーとパイに肉の詰まったパンなどを食べたが、おいしかった、シニア夫婦は二人でこのくらいの量でOK

この後、午後は地下鉄で近くのスローンスクエア駅に行き、そこからスローンストリートをナイツブリッジのハーベイ・ニコルズまで歩いてみた、ガイドブックによればこの通りは高級ブティックが並ぶハイソな通り

途中でCadogan Hallを偶然見つけた、ここもクラシック音楽の演奏ホールである、次回来た時は公演を聴いてみたい

通りから少し入ったところにスーパーのWaitroseがあったので寄ってみた、おやつの菓子を買った

ロンドンに来てからはMarks & Spencer(M&S)にはよく入ったが、ここも似たようなスーパーだった、M&Sよりは店舗数が少ない

さて、時間はもう3時ころ、この後はナショナル・ギャラリーに行ってまた絵を見ようと思い、ナイツブリッジのバス停からナショナル・ギャラリー方面行きのバスに乗った

中心部に向かう道路は近づくに従い渋滞が激しくなり、バスがピカデリーサーカスに差しかかると大規模なデモが

黄色い旗を持っている人々、その旗にはひげ面の人の顔がある、イスラム系移民のデモか、付近はすごい人ごみだ、バスが数珠つなぎになってストップしていた、10分以上停まっていただろうか、運転手が「今日はこんな状態だから降りてくれ」と言ってきた

バスの中から周囲の喧騒を見ているとなんだか怖くなってきた、警察官がいっぱいいるので大丈夫だとは思うが、人が密集するところはリスクが高いので、直ぐに地下鉄の駅に飛び込み逃げるようにして現場を離れた


(セント・パンクラス駅、カンタベリー方面の電車の発車ホーム)

そのあと、時間ができたので、ホテルに帰る前に明日のカンタベリー行きの電車の始発駅となるセント・パンクラス駅に行き、駅の改札の位置や発車する電車の情報が出る掲示板の位置などを確認した、一昨日、この駅に来たのだけどその確認を忘れていたので、当日混乱しないために念を入れた、来てよくわかり良かった

この日は夜にまたクラシック音楽の公演を観に行くので、食事はマックのテイクアウトでホテルで済ませていくことにした、我々は食事にはあまりこだわらない、地元の料理はなるべく食べるようにするが、レストランやパブに入ると時間がかかり観光や観劇にかける時間が減るし、高い

さて、今夜は7時半からオックスフォードサーカスから歩いて10分くらいのWigmore Hallで弦楽四重奏の公演を聴く、Wigmore Hallは室内楽のコンサートホール

オックスフォードサーカス駅を降りると付近はイルミネーションで派手に飾ってあり、人も多かったが、先ほどのピカデリーサーカスのようにデモもなく、怖くはなかった

7時ちょっと前に到着し、開場までホール入口前のロビーで待つ、地下がカフェになっているので、そちらにも行ってみた

今夜の公演はパヴェル・ハース四重奏団によるモーツアルトやチャイコフスキーの弦楽四重奏曲の演奏


(建物に入ってホールの入口前のスペース)


(地下のバー・カフェ、この反対側にもある)

来ているのは白人ばかりだった、座席は後ろの方の少し空いている席を予約した、満席ではなく、6割か7割くらいの入り具合だった

この公演の模様も別投稿でもう少し詳しく紹介したい

(続く)


2024年ロンドン旅行(6日目:1/2)

2024年11月21日 | 2024年ロンドン旅行

今日は6日目、天気は相変わらず曇り

この日は前日がROHでのバレエ観劇で遅くなったので、朝はホテルでゆっくりした、朝から夕方まで歩き回り、夜は観劇の連続ではきつい、特に私は最近左足に足底腱膜炎を発症して歩きすぎると足底が痛くなるし、今夜も音楽鑑賞がある

この日の午前中はロイヤル・アルバート・ホール(RAH)に行くことにしている、ただ、大ホールでやる公演ではなく、エルガールームという小さい部屋で11時から行われる1時間のクラシックコーヒーモーニングというコンサートだ、「ロンドン王立音楽大学の優秀な若手アーティストをフィーチャー」とうたっている

これは共に10代のヴァイオリニストのピーター・ライアン と フィン・ケアガードが、ピアニストのクレイグ・ホワイトの伴奏で、ストラヴィンスキー、ラロ、クライスラー、ドビュッシーの曲を含む幅広いレパートリーを演奏するもの。チケット料金にはホットドリンクとペストリーが含まれている、ロンドン王立音楽大学との提携

10時半くらいに部屋に案内されて入ると、結構小さな子供連れの参加者も多いようだ、演奏家育成の一環のコンサートであり、この日は日曜日でもあるからだろう、また、東洋人と思われる人はいなかった

10代の2人の男性バイオリニストが順番に登場して、一人30分ずつピアノ伴奏つきの演奏を披露してくれた、私たちは一番前の席に座ってじっくり鑑賞したが結構技術力はあると思った


(RAHのホームページから拝借)

日本で最近20才過ぎの中野りなのバイオリンを聴いて若いのにすごいものだと感心したが、ここイギリスでもすごい若手がいるものだと感心した、二人の両親も一番前の席で見ていたようだ

このコンサートが終了した後、続いてコンサートとセットでRAHの見学ツアーを申し込んでいた、費用はコーヒーモーニングも含めて二人合計で48.5£

コーヒーモーニングだけで帰る人が多く、ツアーに参加したのは10人くらい、コーヒーモーニングに参加したのが地元の英国人が多く観光客は少なかったためではないかと思った、コンサート終了後、ガイドの男性が来てくれて集合し、順次RAHの中を案内してくれた

先ず、最初にこのエルガールームは、イギリス最高の作曲家エルガーにちなんで名付けられたものだと説明してくれた、また、部屋にある赤いピアノはRAHでエルトンジョンが演奏したピアノであるとのこと

次に、RAHの中を順次案内してくれ、ある部屋から見えるアルバート公の記念碑、そう、3日目にケンジントン・ガーデンズに来た時に見たあの記念碑、が見えるところに案内してくれて、アルバート公とRAHに因んだ話をしてくれた

曰く、RAHはアルバート公が芸術・文化・科学に熱心で、1851年のロンドン万博を主導し、その利益も利用して1871年に建設された、一方、アルバート公は完成前の1861年に早世し妻のヴィクトリア女王の命により1872年に記念碑が建設された


(窓外に見えるのがアルバート公記念碑、左の男性がガイド氏、はっきりした発音で聞き取りやすかった)

この記念碑とRAHは、互いに向き合うように配置され、アルバート公を記念する一対のモニュメントとなっているとのこと


(ヴィクトリア女王の絵、と説明されたと思うが記憶があいまい)

RAHの建設費用は20万ポンド、それより全然小さい記念碑は金箔を多く使ったため12万ポンドもかかったという、金に困った政府はRAH座席の99年の占有権を販売して調達し、皇室も多く引き受けたとのこと

勉強になった

次に、大ホール(オーデトリアム)に案内される、写真で見たことがあるが実際に入ってみるとそのスケールの大きさと豪華さに驚かされる

ここで開催される公演では、毎年夏に開催される「BBCプロムス(The Proms)」が最も有名で、1895年以来続く伝統的なクラシック音楽の祭典

クラシック音楽だけではなくビートルズ、ローリング・ストーンズ、エルトン・ジョンなどの大物アーティストの公演も開催された、日本の相撲場所もここで開催された、映画も上映するという

今回、滞在中に観劇できる何か適当な公演が無いかと調べたがなかったので先ほどのコーヒーモーニングとこの見学ツアーの参加とした、クラシック音楽の公演をここで聴きたいものだと思うが、あまりに広すぎて難しいのではないかと感じた、収容人数が確か4000人とか、拡声器などを使わないと演奏は聞こえないでしょう

(続く)