ゆっくり行きましょう

気ままに生活してるシニアの残日録

「名曲喫茶ライオン」に行く

2023年04月30日 | カフェ・喫茶店

根津美術館に寄ったあと、せっかく都心に出てきたのでどこかもう一つ寄ってみようと思い、渋谷の名曲喫茶ライオンを検索してみると直ぐ近くだとわかったので、行ってみた。10年以上行ってなかったが以前2、3回来たことがある。

半蔵門線の渋谷駅の一番先頭の方の出口から歩いて5分くらいで着く、道玄坂を右に曲がると坂道で、道頓堀劇場の前を通過し(この辺は場末感がある)、坂の頂上くらいのところにライオンはある。換気のため窓を少し開けているので中からクラシック音楽の音色が聞こえてきた。

中に入り1階の空いている座席に座る、何人かの客がいる、コーヒー650円を注文。店内は写真禁止の注意書きがある。座席は全部正面のスピーカーに向かっている。スピーカーのある壁にLPレコードやCDが収納されている、ステレオの装置も見える。スピーカーは2階席の正面くらいの位置にセットされており、左右同じ大きさではないのが興味深い。コンサートホールのパイプオルガンのようなイメージに見える。左右のスピーカーの下のところに扇風機が回っているのが目につく、目的が何なのかオーディオに詳しくないからわからない。コーヒーと一緒に1枚ものの4月のライオン・コンサートのプログラムと店の案内の書いたペーパーをくれる。

かかっている曲は最初はバッハとヘンデルのチェンバロ協奏曲であったが、これが終わるとモーツアルトのピアノ協奏曲20番(1956年ワルター指揮のライブ)がかかりうれしくなった。モーツアルトのピアノ協奏曲はどれも好きだ。短調の2つ、20番と24番、共に良い。ここは曲をかけるとき「今かかってた曲は何で、次にかかるレコードの曲目は何か」をマイクで放送してくれる。そして正面の壁に曲のアルバムが掲げられていた。

さて、久しぶりに来ての感想を若干述べておこう

  • 室内の雰囲気は最高だ、音量も適切だ、会話禁止とはなっていないようだが、皆黙って聞いている、この雰囲気がいい、窓から外の光が差し込むのも好きだ。地下より地上の店が好きだ。ここは名曲喫茶の王者という感じだ。
  • 店内は写真撮影禁止だがシャッター音が音楽鑑賞の邪魔になるからか? ある名曲喫茶で、写真撮るのはOKだが演奏の間にしてほしいと言われた。シャッター音のしない写真アプリもある。理由は別のことかもしれないが、検討してもらえないだろうか。
  • 店内の一部に蛍光灯が使われているが何か理由があるのだろうか、電球を使ったスタンドなど柔らかい灯りになればうれしい。

さて、モーツアルトの20番を聞き終わったところでちょうど1時間くらいの滞在になった、時間も夕方になったので帰ろうかと思ったら、次はフルトヴェングラー指揮ウィーンフィルのブラームス交響曲1番、と聞いて、これは聞いて帰らねばと思い、帰宅を思いとどまった。結局1時間45分くらい滞在して帰った。素晴らしい時間だった。

また来たい。


「濱田庄司記念益子参考館」に立ち寄る

2023年04月29日 | 美術

ゴルフの帰りに益子町にある「濱田庄司記念益子参考館」に立ち寄った。入場料は1,000円。

このユニークな名前の展示館は、陶芸家濱田庄司(人間国宝)が蒐集した陶磁器、漆器などを展示・公開するために自邸の一部を活用する形で1977年4月に開館したもの。濱田の蒐集は、日本国内にとどまらず、中国、朝鮮、台湾、太平洋諸国、中近東、ヨーロッパ、中米などの各地に広がり、時代的にも古代から近現代まで多岐にわたっている。その蒐集品は、自分の作品が負けたと感じたときの記念として、購入し諸品であり、これらは、濱田の眼を楽しませ、刺激し、制作の糧となったもので、身辺に間近くおいて親しんだもの。

(濱田の作品)

濱田庄司記念益子参考館は、濱田がそれらの品々から享受した喜びと思慮を、広く工芸家および一般の愛好者と共にしたい、また自身が制作の際に参考としたものを、一般の人たちにも「参考」としてほしい、との願いをもって設立された。この参考館は敷地内に展示館がいくつかあり、番号がついているので順番に見ていった。奥の方には濱田の制作場所の館や登窯などもあった。

(濱田の蒐集作品)

濱田庄司は、近現代の日本を代表する陶芸家の一人、1894年生まれ、東京府立一中時代に陶芸家の道を志し、その後、東京高等工業学校窯業科に進学し先輩の河井寛次郎と出会い、終生の友となる。卒業後は、河井も入所していた京都の陶磁器試験場に入り、技手として主に釉薬の研究・開発にあたりながら、自作の制作もスタートした。1920年にバーナード・リーチとともに渡英し、イギリスで陶芸家としての活動をスタートする。1923年に帰国し翌年に益子に移住した。益子では間借りの生活であったこともあり、沖縄にも長く滞在し、多くの作品を残した。

(蒐集作品、展示塔)

濱田の収集作品を観ると、いろんな国々の作品があり面白く、いいなーと感じた作品が多い、見る目があったのだろう。濱田自身の作品は地味な色合いのものが多いが、これは民芸品として日頃の生活で使うものを作っていたためであろう。よって素朴な味わいのある作品が多いと感じた。

(住居、アトリエ)

このあと、益子焼の販売所に行き、気に入った作品を買いたかったがゴルフの後で疲れていたし、時間もなかったので、他にはどこも立ち寄らないで帰った。外国人観光客なども来場しており、海外でも見る価値のある展示館として紹介されているのだろう。行ってよかった。


「芳賀カントリークラブ」でゴルフ、帰りに「益子参考館」に

2023年04月29日 | ゴルフ

栃木県芳賀郡の芳賀カントリークラブでゴルフをした。今まで何回もプレーしているお気に入りのコースだ、27ホールあり、リモコンカートでのラウンドがうれしい。

距離もたっぷりあり、適度なアップダウンがある飽きないコースレイアウト、グリーンは2グリーンの内のサブグリーンを潰して実質1グリーンで運営している。グリーンスピードは9.5ftでそこそこの早さ、コースの手入れも良い。そんなに混んでいないのでスムーズに回れた。これは大事なことだ。

食事は追加料金の必要なメニューが多いが、味は問題ない、今日はちゃんぽん麺を食べたがおいしかった。440円まで無料の1ドリンクサービスがあるのもうれしい。

天気もよく、暑すぎずちょうど良い陽気、風はほとんどない。本当に良い一日だった。費用は夫婦2人で14,500円だった。リーズナブルでうれしい。

また来ます。

早くラウンドアップしたので、帰りに陶芸家の濱田庄司氏の作品、アトリエ、収集品を集めた益子参考館に寄ってみた。その内容はこちらを参照。


シェイクスピア「コリオレイナス」を読む

2023年04月28日 | 読書

シェイクスピアの戯曲はほとんど読んだが、まだこの「コリオレイナス」は読んでなかった。本は新潮社のKindle版にした。シェイクスピアの作品はほとんど福田恆存氏の翻訳で読んでいるからだ。

この物語を簡単に述べれば

コリオレイナスはローマの武将、数々の戦果をあげローマを危機から何度も救ってきた、その功績を認められて執政官に登用されることになった。登用には民衆の前で演説し同意を得る必要があるが、日頃何もしない民衆を見下し、それを隠すことができない性格のコリオレイナス、彼に不満を持つ民衆代表の護民官が民衆を扇動しコリオレイナスをローマから追放する。怒ったコリオレイナスが敵のオーフィディアス軍に寝返りローマを攻めるが、陥落一歩手前でローマから派遣された母と妻の涙の説得に折れて和睦を提案したらオーフィディアスの軍から裏切り者として殺される。

この物語の示唆するもの(主題)は何か、例えば

  • 民衆は為政者に何を求めるべきか、能力か人格か、どちらか、両方か
  • 為政者はどう振る舞うべきか
  • 民衆の代表が民衆を策略で扇動するその危険さか、民衆の扇動されやすい愚かさか
  • 民主主義が良いのか貴族主義良いのか
  • 強い男も最後は母親の涙の説得には弱かった、これは立派なことか愚かなことか

巻末の解説を書いている翻訳を担当した福田恆存氏の説明では、シェイクスピア作品では他の作品と同様、主題を重視することは危険であり、コリオレイナスの行動力と筋の展開の力強さを見るべきである、と説く。

私はどちらかと言えば、コリオレイナスに同情する。戦いにはめっぽう強いが、おべっかを使えず、処世能力のなさ、母親や妻の哀願に弱い、この生き方が下手な人間くさい男に同情を感じるのだ。コリオレイナスの以下のような怒りもわからないわけではない。

  • 貴様たち民衆の人気を頼りに右往左往するのは槲(かしわ)で泳ぎ、細かい藺草で檞の大木を切り倒そうとするようなものだ。畜生め等! 貴様らを信じるだと? 猫の目の様に気が変り、今の今まで憎んでいた奴を褒めそやすかと思うと、檞の冠を戴いた勝利者を忽ち悪党呼ばわりする。一体、どうしたいと言うんだ、町中あちこちに群れをなし、元老に罵声を浴びせ掛けるとは、こともあろうに、神々の名により貴様らの心を鎮め、さもなくば直ぐにも敗れる治安を守ってくれる元老を責めるとは?
  • お気に入りの党派を強くするのには力を貸すが、虫の好かぬ党派ときたら、自分たちの破れ靴で踏みにじって顧みない。
  • 誰かいないか、不名誉よりは身を捨てることを選ぶ男は、卑劣を生きることより勇敢に死ぬことを選ぶ男は、自分自身より国を愛する男は
  • 母上、自分の生き方を守って大衆の従僕になりたいのです、大衆の流儀に寄り添ってその支配者になるよりは
  • そうです、ギリシャでは民衆にもっと大きな権力を持たせていたのだ、その結果、民衆は手に負えないものとなり、ついに国家の滅亡を招いたのだ
  • 一方は名分のもとに相手方を軽蔑し、他方は何らの理由なくして傲り高ぶる、これでは、身分、栄誉、分別を以てしても何の解決もできない、衆愚が否の応のと文句をつけるからだ、それでは緊急の場合、必要な対策は全く取れず、いたづらに時を空費し、些事に心を奪われて右往左往するばかりだ。どんな政策にも横やりが入り、一向成果は挙がらない、こうなったら、皆にお願いするしかない、智よりもむしろ勇なきを恐れる人たち、法の改正を躊躇(ためら)うよりは国体の大事を重んずる人たち、このままでは死を免れぬと思えば、どんな荒療治の危険の冒そうという人たち・・・構うことない、直ちにあの大衆の代弁者ずらをしている男たちの舌を引き抜いてしまうがいい

政治家や軍人には能力だけでなく高度な人格も求める、それは無い物ねだりというものだ、能力ベースで選ばないと国家は滅亡すらすると思う。確かに、そのだけでは国民の理解は得られない場合が多いだろうから理想を求め批判をするのは良いだろう、だが、程度はわきまえるべきだ。日本でも国会で議員のスキャンダル追及に時間をかけすぎるのは如何なものかと思う。

コリオレイナスは執政官などにならなくてもよかったのではないか、軍人として成果をあげ、軍神、守護神として民衆から崇められればそれで良かったのではないか、と思うがどうだろう。執政官への登用は彼が望んだものなのか、それはこの本ではハッキリしないと思うが。

さて、民衆を扇動した護民官のブルータス、シシーニアス。現代日本ではその役割を演じているのは誰だろう、それは間違いなく反安倍が社の方針だったと思われるあの(以下省略)。


「根津美術館 国宝・燕子花図屏風」を観に行く

2023年04月27日 | 美術

南青山の根津美術館で「特別展 国宝・燕子花図屏風」を開催されているので行ってきた。チケットは事前予約制で1,500円、日付確定で変更不可、あいにく今日は雨だが行くしかないと思い、行ってきた。皆さん同じ考えであろうか、雨にも負けず結構な人がきていた。平日のためか、展示作品の内容ゆえか、美術館自体が素晴らしいせいか、女性客、特に若い女性客が多かった。また、外国人も多かった。

この写真は美術館のエントランス

根津美術館は毎年、カキツバタが咲くこの時期に尾形光琳の燕子花図屏風を特別展示している、何年か前にも同じ時期にこの燕子花屏風図を見に来た。その時は尾形光琳・乾山兄弟をモデルにした小説「光琳ひと紋様」(高任和夫)を読んだので、その本の表紙にもなっている燕子花図屏風が観れるというので来たのだった。

今回の特別展示室に入って順路に従って観ていくと、やはりこの「燕子花図屏風」が圧巻だ。一番大きな展示スペースに展示されており、室も広く、ゆっくり鑑賞できる。同じ展示室に光琳の白楽天図屏風、夏草図屏風もあり贅沢な空間なっている。展示室の中央には長椅子もあり座ってゆっくり見ることもできるのは有難い配慮だ。

尾形光琳は江戸中期を代表する画家の1人で、この時期の有名な画家の生存期間を示せば以下の通りとなるが、いかに偉大な画家たちが続出した時代かわかる。

雪舟   (1420-1506)
長谷川等伯(1539-1610)
狩野永徳 (1543-1590)
俵屋宗達 (1570-1643)
狩野探幽 (1602-1674)
尾形光琳 (1658-1716)
伊藤若冲   (1716-1800)
円山応挙 (1733-1795)

今回の展示を観ての感想を若干述べる

  • 絵の説明の小さなパネルが以前と比べ格段に大きくなっているし明るい照明になっている、よって近視の人でも読みやすい、さらに燕子花図屏風のように大きな絵には絵の両サイドに同じ内容のパネルが設置してある、先日の国立近代美術館でも同様だったが、このような工夫は有難い
  • 一方、写真撮影禁止は残念だ
  • 燕子花図屏風以外で特に注意をひいたのは同じ展示室の①白楽天図屏風(光琳作)と次の展示室にある②伊勢神宮道中図屏風(作者不詳)だ。
  • ①は唐の詩人白楽天が航海と和歌を守護する住吉明神とその化身である漁師に和歌の偉大さを思い知らされ、神風によって乗ってた船が弓なりに反り、中国に追い返されてしまう図を描いたもの、当時の中国人が日本の和歌を賞賛するというのが興味をひかれる
  • ②はこの時代の京都から伊勢神宮までのお伊勢参りの道中を一つの屏風に描いた作品だ。非常に精巧に書かれており、各地の名所風俗を描き出し光琳の生きていた時代の雰囲気が伝わってくる。洛中洛外図屏風と構図がよく似ているが同じ時代のものみたいだ。

さて、根津美術館には庭園があり、その庭園の中心部には何とカキツバタがいっぱい植えてあり、ちょうどこの特別展を開催する時期に満開になる、というか満開になる時期に特別展を開催している。事前にホームページで確認すると今週は満開のようで、雨が降っていたが庭園を散策してカキツバタが咲いているのを楽しんだ。水中に咲く花なので晴天の時に見るよりむしろ雨の日に観るのがふさわしいのかもしれない、緑の葉と群青色の花のコントラストが大変きれいだ。一度は観る価値がある。光琳の絵を観た後だけに余計に感動する。

今回は午後1時から鑑賞することにした、国立近代美術館では午前中に鑑賞してエネルギー不足状態になったからだ、この点は成功だった。美術館に1時間半くらいいて帰路についた。


映画「シーモアさんと、大人のための人生入門」を観る

2023年04月26日 | 映画

自宅で「シーモアさんと、大人のための人生入門(原題:SEYMOUR: AN INTRODUCTION)」(2016年、米、イーサン・ホーク監督)を観た。監督のイーサン・ホークはビフォアシリーズがあるが、好きな俳優だ。彼と相手役の女性ジュリー・デルビーが出演した「ビフォア・サンライズ」はウィーンが舞台の良い映画だ。

そのイーサン・ホークが俳優としても映画監督としての一応の成功をし、人生の折り返し地点でスランプになったとき、87才のピアノ教師のシーモアさんに巡り会い、彼の話を聞いてその人に惚れて、彼のドキュメンタリー映画を作った。

シーモアさんはピアノ演奏家であったが50才になったときに引退し、以後の人生はピアノ教師として若い後進の指導に当たった。映画はそのシーモアさんが生徒を教えるシーンや教え子がピアニストになり成功した後シーモアさんに会ってインタビューするところなどを映す。その中でシーモアさんの考えなどが話されて、どういう人なのかがわかるようになる。

ピアノを弾けない人に取ってはハッキリ言ってちょっと退屈で、眠くなる。しかし、家で観るときのメリットとして眠くなりそうになると少し観るのを中断してお茶を飲んだり、ストレッチしたり、動いたりできることがある。そして最後まで全部見終わった。

邦題の「人生入門」というのも大げさなタイトルだと思うが、人生訓とでも言うものはいくつかあったので少し書いておこう

  • これはイーサン・ホークがシーモアさんに言ったのだが「金や物で幸せになった人はいない」と言っているところだ、「成功した作品はろくでもないものが多い」とも言っている、芸術的に高度なものは商業的には成功しない点にシーモアさんも同意している。ピアニストとして立派な技術があっても報酬は必ずしもそれに見合わないのが現実である、と言う話にもシーモアさんは同意している。
  • 偉大なプロピアニストでも公演の前は緊張する、演奏家にはつきものだ、評論家から高評価を得ても助けにはならない、あるときから恐怖から逃げずにそれに向き合おうと決意した、そうしないと人生のいろんな局面に対処できないとシーモアさんは言っている
  • 音楽で出世を目指すことは健全なことと思えない、成功した人は皆、苦しんでいる、成功した人は性格が悪い人が多い、芸術的なものと大衆が望む物が背反するから芸術家はノイローゼになりモンスターになる。これは以前も触れたが(こちらを参照)ピアニストの青柳いずみ子さんもその著作の中で指摘しているし、ミヒャエル・ハネケ監督、イザベル・ユペール主演の映画「ピアニスト」でも描かれている。
  • シーモアさんが50才で引退したのは、演奏家としての商業的側面と心労、創作がしたかったからの3つの理由

一回観ただけでは人生の教訓を学ぶのは無理で、AmazonPrimeで見て、何回か必要な部分を振り返る努力が必要だろう。

 


渡辺京二「逝きし世の面影」を読む

2023年04月25日 | 読書

前から読みたいと思っていた「逝(ゆ)きし世の面影」をKindleで読んだ、初版は1998年(昭和63年)、なぜ今まで手が出なかったのか、それは本の文字が小さくて読みづらいからだ。ところが調べてみるとKindle版が出ているではないか、Kindleは文字の大きさを調整できるのだ。早速注文して読んでみた。

著者はこの本をはじめ多くの著述を残して昨年12月25日に92才でなくなった。この著者が本の冒頭、述べているのは

  • 近代日本は明治以降、古い日本の文明を滅ばした上に構築されている、この古き文明とは江戸文明とか徳川文明とか俗称されているもの、18世紀初頭に確立し、19世紀を通じて存続した、文明とは歴史的個性としての生活総体のありようであり、文化とか民族の特性ではない、それらは今でも変容して存続している
  • 超高層のビルの屋上に稲荷が祀られている、羽根つきや凧は今でも正月になれば見られる、茶の湯や生け花の家元は今でも存在している、これらの文化は生き残るが古きよき文明は消滅した
  • 民族の特性とは、例えば、国家と君主に対する忠誠心、知的訓練を従順に受け入れる習性、付和雷同を主とする集団行動癖、外国を模範として真似するという国民性の根深い傾向など、これらはは少しも変化していない

著者は文明を、人々の陽気さ、簡素とゆたかさ、親和と礼節、雑多と充溢、労働と身体、自由と身分、裸体と性、女性の位相、子供の楽園、風景、生類、信仰と祭、心と垣根、など面から外国人が見て感じた所見を整理して紹介した

この本を読んで著者の特に強調していると思われる点

  • 近代社会を切り開いた日本において、場末から明治にかけて日本を訪問して滞在した諸外国の人から見た我が国の素晴らしい文明の数々の例を紹介すると、日本の知識人は拒絶反応を示し、そのような日本賛美を蔑み、見下す傾向があるが、このような姿勢は如何なものか、どの民族にも素晴らしい点とダークサイドがあるが、ことさら後者を強調し古き良き日本文明を批判しないではいられない知識人の心理がどこから生ずるのかが日本知識人論の一つのテーマである
  • 著者の意図するのは古きよき日本の愛惜でもなければ、それへの追慕でもない、意図はただ一つの滅んだ文明の諸相を追体験することだ

この本で書かれている外国人による日本文明への賞賛の数々を読んでいると、なんだかほっこりした気持ちになる、人は皆、自国のことを褒められ賞賛されればうれしくなり、誇りに思えるようになるものだ。これはちっとも悪いことではなく、むしろ、子供の教育、ひいては国民に必要なものだろう。

自国の文明や歴史を常に批判的にしか言えない人たちは、それが自分たちの存在意義、良心的態度だと思っているのだろうが、それは自分たちは先祖より優秀であるとの思い上がりであり、自分たちと異なる意見の人たちを見下す傲慢さの現れでもある。自分たちが常に注意を促さないと政治家や国民は思い上がり間違いを犯す、と考えているのかもしれないが、その批判の基準自体が主観的で恣意的なものである。

文明、文化や歴史を語るときに素晴らしい点に言及しないのはバランスを欠いており、偏狭な態度である、逆もしかり。文明や歴史に限らず、政治などもいろんな角度から見て検討、評価すべきである。物事には常にいろんな見方、考え方がある。そのような意味で、この本はもっと読まれるべきであろう。


オペレッタ「天国と地獄」を観る

2023年04月24日 | オペラ・バレエ

2019年のザルツブルク音楽祭で上演されたオッフェンバックの「天国と地獄」の自分で録画してDVDに保存して持っていたことに偶然気づいた。まだ観た記憶がないので観ることにした。

オッフェンバックはオペラのホフマン物語で有名であるが、実はオペレッタを多く作曲した、この「天国と地獄」はその中でも最大のヒット作だ。今回の公演はオッフェンバック生誕200年を記念したもの。「天国と地獄」はギリシャ神話を基にしたグルックのオペラ「オルフェオとエウリディーチェ」をパロディーにしたオペレッタだ。あらすじなどは前に「天国と地獄」を観た時のブログ(こちら)を参照。

今回上演されたこの作品を観て感じたことなどを記してみよう

  • バリー・コスキーの演出は面白く、色彩豊かで退屈しない。ハチャメチャな演出などと書かれてもいるけれど、私は良いと思った。オペラは時間も長く退屈になりがちであるので、観客を飽きさせない演出は少しくらい奇抜な、と言われようが良いと思う。
  • 一方で、舞台で男女のセックスを意味するエロチック演出が何回かあったのは好きになれない、奇抜な中にも最低限の品位は必要なのではないか、ザルツブルグの観客も呆れて眉を顰めていた雰囲気を感じた
  • このオペレッタの演出で変っているなと思ったのはプリュトンの召使いマックス・ホップ(ジョン・ステュクス)だ、冒頭から登場し、全員のセリフ、擬音語も一人で行い、他の登場人物は口パクだったのではないか。こんな演出は初めてだ。
  • 主人公の1人、オルフェの妻役のキャスリーン・リーウィックは初めて見た歌手だが、コミカルでコケティッシュな振る舞いでかわいらしい、時にふてぶてしく、浮気している妻の役を面白おかしく演じていた。体格もずんぐりして、役柄の設定にピッタリの演技をしていた、これが彼女の地なのか演技なのかわからないが演技だとしたらたいしたものだ。もちろん彼女の歌唱力も素晴らしかった。
  • このオペレッタの面白いところは「世論」という役があることだ、これは面白い、この台本を考えた人(エクトル・クレミュー、リュドヴィク・アレヴィ)はさすがだ。ただ、私は新聞社などが実施する「世論調査」という名の「世論誘導」、「世論操作」は大嫌いだ。誰かそれを茶化す面白いオペレッタを作ってくれないか。

【出演】
アンネ・ソフィー・フォン・オッター(世論、スウェーデン、67)
ホエル・プリエト(オルフェ)
キャスリーン・リーウェック(ウリディス、オルフェの妻)
マルセル・ビークマン(アリステ/プリュトン、羊飼い/地獄の王)
マックス・ホップ(ジョン・ステュクス、プリュトンの召使い)
マルティン・ヴィンクラー(ジュピテル、神々の王)
フランシス・パパス(ジュノン、ジュピテルの妻)

ナディーネ・ヴァイスマン(キュピドン、恋の神)
レア・ドゥサンドル(ヴェニュス)
ラファウ・パウヌク(マルス)
ヴァシリーサ・ベルザンスカヤ(ディアヌ)
ペーター・レンツ(メルキュール)

指揮:エンリケ・マッツォーラ
管弦楽:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
演出:バリー・コスキー(豪、56)


「大和」で佐野ラーメンを食べる

2023年04月23日 | グルメ

足利フラワーパークの帰り、遅くなったので15分くらいで行ける佐野でラーメンを食べたくなった。佐野ラーメンは今まで食べたことがなかった。どこにしようかと思ったがラーメン店は結構早い時間に営業が終了する店が多い、フラワーパークのお土産の売店に大和のラーメンがたくさん積んであったのを見てGoogleMapで検索してみると8時まで営業していると言う、間に合うので行ってみた。

店はできたばかりようできれいだった。店の入口に受付の機械があり先ず受付して番号を取得、その後、メニューを見て機械で注文する、それを定員に渡して食事スペースに入店。昼間は結構混んでいる人気店のようだ、待ち時間の間に楽しめる付近の施設の説明書きが入口にあった。

メニューのところには当店メニューランキングの表が貼ってあり、一番人気はチャーシュー麺なのでそれと、5番人気くらいだった味玉ラーメンを注文した。値段は2人分で2,110円。

食べてみると、面は太め、青竹手打ち麺でこしがある、スープは醤油を注文したが味は濃くも薄くもなくちょうど良い、非常にオードドックスな味、メンマとネギがの乗せてある。チャーシューは柔らかく味がしみておいしかった。癖のない味で何回も食べたくなる感じた。流行っているのもわかる気がする。客はもっぱら若者だ。女性客も多く、餃子をたのんでいる人も多かった。

ごちそう様でした。


「足利フラワーパーク」に行く

2023年04月22日 | 街歩き・国内旅行

栃木県足利市の「足利フラワーパーク」に行ってきた。前に一度行ったことがあったがその時は昼間に行った。今回は夕方5時半以降に入場する夜のコース、1人1,900円。嫁さんが夜の公園の写真を撮りたいと希望したからだ。

時間少し前に行ってみると西口近くの駐車場は埋まっているがちょっと離れているところはがら空きで平日はそんなに混んでいないようだ。西口のすぐ近くに鉄道の駅があるので電車で来る人も便利だ。今の時期は日暮れが6時15分くらいのため暗くなるまでには時間があるが、パーク内をぶらぶらした。時間とともに入場者も増えてきて外国人観光客も目立った。週末はさぞかし混むことだろう。

パークの外周を囲むようにつづじの花が満開に咲いており、中心部分には池と藤の花が咲き誇っていた。大藤という大きな幹と広く広がった枝から出て垂れ下がった藤の花が満開で圧巻である。この大藤が4本くらいあったか。パーク内の至る所で「きれい」という感嘆の言葉が聞こえるが本当にきれいだ。手入れもかなり行き届いている。関係者はさぞかし苦労をして手入れをしているのだろう。ゴミもほとんど落ちていない。

ここからは日が落ちてライトアップされてからの写真、これがまたきれいだ、三脚を持ち込んで写真を撮るのもOKのようだ。暗くなってからの見物の前に腹ごしらえする人もいるがパーク内のレストランは少し行列ができていた、持ち込んでパーク内のベンチで食べることもできるのかもしれない。

本当にきれいだ、夜のフラワーパークも良いものだ。一度行く価値は十分にあると思う。