ゆっくり行きましょう

気ままに生活してるシニアの残日録

半藤一利「昭和史1926-1945」を読む(その3)

2024年03月31日 | 読書

(承前)

  • 昭和4年のウォール街の暴落以降、不景気が国中を覆っていました、世の中に失業者があふれていました、早くその不景気から脱したいという思いが戦争景気への期待を高めたのだと思います
    (コメント)
    この世界恐慌により列強は自国及びその植民地を束ねたブロック経済に移行し自国ファーストの政策を急激に進め、資源を持たない日本やドイツ、イタリアは経済的に大きく追い詰められ、大不況に見舞われた。満洲への期待はふくらみ、日本は満洲を自国の経済ブロックと考えるようになる、これを批判するなら列強のブロック経済についても強く非難すべきではないか
  • 本書では満州事変は北一輝の思想に影響された石原莞爾が世界戦争に備え満洲を手に入れ日本の国力、軍事力育成の大基盤として利用するために考え、実行されたものと説明している
    (コメント)
    そのような面もあるだろうが、それは一面であって、事変に至までに日本が正当に獲得した満洲の権益について、中国が革命外交などにより無効化し、日本人入植者、居住民に対する日常的な嫌がらせ、虐殺など(南京事件、済南事件など)で多くの犠牲が出たにもかかわらず何の対抗措置をとらない日本政府(幣原外相)に現地の日本人は見放された思いをした。その日本政府に中国は感謝するどころか見下すようになり、その後さらに中国全域で日本人に対するテロ、殺人事件が急増し、満洲でも同様であった、それでも日本政府は善隣外交路線を変えず現地の訴えを黙殺した、このため現地人は満洲の治安維持をしている関東軍に訴えるようになった、リットン報告書でも満洲における日本権益の正当性や、その権益を中華民国が組織的に不法行為を含む行いによって脅かしていることを認定している、本書は事変に至るこういった経緯についてほとんど触れていない
  • 天皇機関説問題は、天皇を守っている穏健平和派である宮中の重臣達と、それを潰そうとする平沼騏一郎を旗頭とする強硬路線の面々があり、これに軍部が結びつこうとして言い出した権力闘争である、天皇機関説は、天皇は統治するけど議会や内閣の主体的な判断により国を運営していこう立憲自由主義的考えで、これを天皇の力を弱めようとするものだと批判したのが天皇機関説問題である
    (コメント)
    天皇機関説問題とはどういうことか理解してなかったので勉強になった
  • 2.26事件後、広田内閣が誕生した、城山三郎は小説「落日燃ゆる」で広田を非常に持ち上げているため大変立派な人と思われているが、この広田内閣がやったことは全部、とんでもないことばかりです。軍部大臣現役武官制の復活、日独防共協定締結、北守南進政策の策定、不穏文書取締法の策定など軍部が誤った方向に暴走することを許した
    (コメント)
    その通りだと思う、半藤氏が文民宰相であった広田を強く批判しているのは評価できる
  • 昭和11年2月14日の永井荷風の日記には「現代日本の禍根は政党の腐敗と軍人の過激思想と国民の自覚なきことの3つなり、個人の覚醒は将来に置いてもこれは到底望むべからざる事なるべし」と紹介している
    (コメント)
    このような事を紹介するのは碩学の半藤氏ならではであり、大変参考になる、そして、今日でもお粗末な国会議員の振る舞いを見ていると、「この国民にして、この政治あり」(藤原正彦教授)と思わざるを得ない、その政治家を選んでいる国民にこそ政治家の資質について大きな責任があり、政治家を非難しその政治家を選んだ国民を非難しないマスコミも許せない
  • 南京で日本軍による大量の虐殺と各種の非行事件の起きたことは動かせない事実であり、日本人のひとりとして、中国国民に心からお詫びしたいと思うのです
    (コメント)
    半藤氏がそのように思うのは自由だが、私は藤原正彦教授の「私は大虐殺の決定的証拠が一つでも出てくる日までは、大虐殺は原爆投下を正当化したいというアメリカの絶望的動機が創作し、利益のためなら何でも主張するという中国の慣習が存続させている悪質かつ卑劣な作り話であり、実際には通常の攻略と掃討作戦が行われただけと信ずることにしています」(「日本人の誇り」p120)という見解を支持する
  • 昭和13年1月、国家総動員法が議会に提出された、民政党や政友会は懸命に、何とか制限を加えようと頑張っていたのですが、何と左翼の社会大衆党が何度も賛成論をぶったのです。法案が国家社会主義的なものだったからでしょう
  • 昭和14年12月26日、日本は朝鮮に対し合併以来、日本人として暮らす朝鮮人に「創氏改名」を押し付けました、朝鮮の文化そのものを真っ向から破壊するとんでもない政策でした
    (コメント) 
    昭和15年3月6日の朝日新聞には、「氏の創設は自由、強制と誤解するな、総督から注意を促す」という見出しの記事がある

(その4・完に続く)


赤坂「御菓子司 塩野」の桜餅を買う

2024年03月31日 | グルメ

今日は都心で眼の定期健診があるので、少し早めに家を出て、赤坂にやってきた。季節の生菓子桜餅を買いたいと思ったからだ。最近、新聞で赤坂の「御菓子司 塩野」の桜餅を紹介していたので買ってみたくなった。

ここの桜餅は2種類ある。もともと桜葉の塩漬けを考案したのは東京の向島の長命寺の門番を務めていた山本新八という人物、先日行った長命寺のさくら餅だ(こちら参照)。塩漬けした桜の葉っぱで包まれた和菓子、これが関東風の桜餅の発祥といわれているようだ。今から300年前のこと。ほどなくこのアイディアは京都に伝わった。

ところが、関東の桜餅は小麦粉を溶かして作った生地で餡を包むが、関西では蒸したもち米を干して砕いた道明寺粉を使った餅で餡をくるむ方式となり違いが出た。こんなこと知らなかった。

塩野では関東風の桜餅は「桜餅」、関西風の桜餅を「道明寺製桜餅」として販売している。どちらも一つ500円だ。嫁さんの分とそれぞれ二つずつ全部で四つ購入した、2,000円。

帰宅して夕食後のデザートとして食べてみた。その味わいは、関東風は生地が何となくぱさぱさした感じがし、関西風はもちもちした感じがした。普段よく食べているのは関西風なのだと思った。新聞でも最近は関西風が関東風を駆逐しつつあると書いてある。個人的な好みも関西風の方がしっくりときた。


(上が道明寺製の関西風、下が関東風)

ただ、先日食べた長命寺のさくら餅は小麦粉で作った生地で餡を包んでいたが、しっとりとしていたように感じた。同じ関東風でも食感はかなり違うなと感じたが、これは多分、長命寺のさくら餅は一つの餅に塩漬けの桜葉を3枚で包んでいたので、水分が多くもちもち感が出ていたのかなと思う、想像だけど。


(関西風の道明寺製桜餅)

いずれにしてもおいしく頂きましたし勉強になりました。


半藤一利「昭和史1926-1945」を読む(その2)

2024年03月30日 | 読書

(承前)

  • 満洲での自分たちの権利をしっかり守り、うまく利用するために、明治43年(1910年)に間にある朝鮮を併合してしまうと言う強硬手段に出たのです
    (コメント)
    あまりに乱暴な書き方である
  • 張作霖爆破事件による昭和4年の田中義一内閣崩壊により「沈黙の天皇」を作り、翌年ロンドン海軍軍縮条約に関し「統帥権干犯」問題により海軍の良識派(条約派)が駆逐され強硬派が主流になり、昭和の日本は対米強硬路線に動いていった
    (コメント)
    半藤氏は本書の中で昭和天皇の決断について批判的に記述しているが如何なものか、昭和天皇は内閣の決定事項について拒否権発動が常態化すれば専制君主国になってしまうことを恐れた、半藤氏はそれではダメだと言いたいのか、天皇機関説問題のところでこのような天皇のお考えも明治憲法の解釈としてありうると書いている、それを軍部が批判し天皇の権限は絶対的なものだと解釈した、半藤氏の「沈黙の天皇」批判は軍部の憲法解釈が正しいと言っていることと同じにならないか
  • 参謀本部は昭和6年6月「満蒙問題解決方策大綱」を作るが、その中で注目すべきはその終わりの方に、この大方針を実行するには内外の理解が必要であると述べていることである。その「内」とはマスコミのことをさす、この辺からマスコミが軍の政策に協力しないと、つまり、国民にうまく宣伝してもらわなければ成功しないと言うことを軍部は意識し始める。張作霖事件以降の陸軍の目論見が全部パーになったのは反対に回ったマスコミにあおられた国民が「陸軍はけしからん」と思ってしまったのが原因だと大変反省したからです。
    (コメント)
    今と同様、政府も軍部も世論に反したことはなかなかできない、だからこそマスコミの役割が大事になる、戦前の日本を軍国主義と言うなら、その軍国主義なるものを支持し政府や軍部、国民を煽ったマスコミはもっと非難されるべきだろう
  • 1931年9月18日に満州事変が発生したが、新聞はそれまで軍の満蒙問題については非常に厳しい論調だったのが、20日の朝刊からあっという間にひっくり返った。世論操縦に積極的な軍部以上に、朝日、毎日の大新聞を先頭に、マスコミは競って世論の先取りに狂奔し、かつ熱心きわまりなかった。そして満洲国独立案、関東軍の猛進撃、国連の抗議などと新生面が開かれるたびに、新聞は軍部の動きを全面的にバックアップしていき、民衆はそれに煽られてまたたく間に好戦的になっていく、「各紙とも軍部側の純然たる宣伝機関と化したといっても大過ない」という状況だった
    (コメント)
    半藤氏がこのようなマスコミの汚点をキチンと紙幅を費やして書いていることは高く評価できる、新聞がいかに国民や政府、軍部をミスリードしていたのか日本人はもっと知るべきである、その意味で本書は大変価値があると思う、こういう事実も歴史教科書に書き子供にも教えるべきでしょう
  • 事変発生後の10月2日、関東軍は「満蒙問題解決案」を決める、それは満洲を傀儡国家とする方針だ、この方針でうまく国民をリードするには例によって新聞を徹底的に利用しようと考えた、戦争は新聞を儲けさせる最大の武器、だから新聞もまた、この戦争を煽りながら部数を増やしていこうと軍の思惑通りの動きをした。事変の本格的な報道は10月から始まるが、朝日と毎日は競って大宣伝を重ね、号外も乱発した、当時の毎日新聞論説委員が自嘲的に「事変の起ったあと、社内で口の悪いのが自嘲的に“毎日新聞後援・関東軍主催・満洲戦争”などと言っていましたよ。それだけではなく、新聞社の幹部も星ヶ丘茶寮や日比谷のうなぎ屋などで陸軍機密費でご馳走になっておだをあげていたようだ。
    (コメント)
    呆れてものが言えない
  • これだけではない新聞の不都合な真実
    ・松岡外相が満州事変後の国連総会でリットン報告書に反対して退席し、日本に帰国したとき、新聞は松岡を礼賛し、これほどの英雄はいないと持ち上げた
    ・ノモンハン事件の最中に、反米・反英感情が増大する天津事件が起り、新聞が7月15日に英国けしからんという強硬な共同声明を出した、そういったこともあってイギリスは日本の主張を受入れたが、その直後の7月27日にアメリカは日米通商航海条約の廃棄を通知し、これ以降日本に対し強硬路線をあわらにするようになった
    ・これ以外も記載があるが省略

(続く)


千駄木「Books &Café Bousingot(ブーザンゴ)」に入る

2024年03月30日 | カフェ・喫茶店

東京文化会館で東京・春・音楽祭の公演を観た後、千駄木の駅の近くの喫茶店で休憩した。付近をブラブラ歩いて適当に探していたら、不忍通りに面したところに良い雰囲気の店を見つけた。

Books & Café Bousingot(ブーザンゴ)という店、古本屋とカフェが一緒になったユニークな店だ。外から店内も見られて初訪問でも安心感がある。中に入ると先客はひとりだけなので、2人掛けのテーブルの椅子に座る。

室内の半分はカフェ、もう半分は古本が置いてある。メニューを見ると飲み物は基本的にエスプレッソ・コーヒーと紅茶のようだ。今日はカフェ&クリーム550円というのを注文した。普通のエスプレッソは量が少なめだが、これは普通のコーヒーカップの大きさのようだから、これを選んで見た。

コーヒーを淹れている間に本を見る、いろんなジャンルがあったが、差別や権力闘争といった類いの本も目立った。階級闘争史観的なものは好きではないが、そっち系の信奉者も一定数はいるのだろう。本を見ながらコーヒーを飲んでもいいのか聞かなかったが、蔦屋などそういう雰囲気の店が多いので、そのスタイルは好きだ。

店内に流れている音楽は何となくレゲエや中南米系的な音楽のようだが詳しくないので、さっそく例のShazamを使って何曲か調べてみたら、こんな曲であった。

  • Benny, Adios(Los Munequitos de Matanzas)
  • Oyelos de Nuevo(Los Munequitos de Matanzas)
  • La Plegaria(Los Munequitos de Matanzas)

Los Munequitos de Matanzas(ロスムニェキトスデマタンサス)は、マタンサス市のキューバのルンバアンサンブルのようだ。

さて、出てきたコーヒーは表面にコーヒーアートとでもいうのだろうか、クリームの素敵な模様が書いてあった。飲んでみるとおいしい。エスプレッソは強すぎるがミルクを入れるとちょうど良い。量も申し分ない。席から不忍通りの往来もよく見えて開放感がありくつろげた。店内が明るいのも本を読んで休むにはちょうど良いでしょう。

ゆっくりくつろいで店をあとにした。ごちそうさまでした。


半藤一利「昭和史1926-1945」を読む(その1)

2024年03月29日 | 読書

半藤一利「昭和史1926-1945」(平凡社)をKindleで読んだ。半藤氏(2021年、90才没)のこの本は書店で一時期多く平積みされており、目立っていたし、Amazonを見ても多くのレビューコメントがついており、いつか読むべきだと思っていた。

半藤氏は文藝春秋の編集長を務められるなど知識産業の要職にあったが同時にプライベートでも歴史研究を地道にされていたのだろう。本書以外にも多くの近現代史に関する本を出筆されており、既にお亡くなりになっているが現代における代表的知識人の1人と言えよう。奥さんは夏目漱石のお孫さんである。

この時代を説明した書籍には、近現代史専攻の大学教授のものも当然あるが、一般に広く読まれているのは半藤一利氏や渡部昇一氏など本職が歴史研究の専門家(大学教授)ではない人の書いたものが圧倒的に多いのは皮肉であろう、しかしその道の専門家顔負けの読書量などを背景に実によく勉強して書いていると思われる。

さて、それでは本書を読んだ感想を書いてみよう。先ず最初に全般的読後感だが、大変勉強になった。読んでみればわかるが半藤氏はよく勉強されており、また、元軍人などにもインタビューされており、他の書物では触れられていないような参考になる内容も多かった。本書が広く読まれているのもさもありなんと思った。

それでは本書の具体的な記載内容について勉強になった点、評価できる点、逆に同意できなかった点などについて書いていこう。

  • 日本は明治維新後40年をかけて近代国家になったが、その後、大正、昭和になると自分たちは強国などだといい気になり、自惚れ、のぼせ、世界中を相手にするような戦争をはじめ、明治の父祖が一所懸命作った国を滅ぼしてしまう結果になる
    (コメント)
    半藤氏のこのような歴史観は戦勝国から押し付けられた彼らに都合の良い歴史解釈と同じではないか。日本に大きな影響を与えた世界情勢、周辺環境、列強の悪意についてもっと語ってほしかった。例えば、半藤氏はコミンテルンの活動や、世界恐慌後の列強のブロック経済についても触れていない。日本の第2の敗戦は、戦後にこういった歴史観を信じ込まされたことではないか。
  • 張作霖爆破事件(1928年、昭和3年)前の満洲の状況の説明において、日本が人口増への対応として満洲への移民を行い、現地で日本人による昔から満洲にいた満州人、或は蒙古人、朝鮮人といった人たちが開拓して住んでいた土地を強制的に奪う、またはものすごく安い金で買い取ったりして、恨みを買うことになった、と記載
    (コメント)
    当時満洲を支配していた張作霖はもと馬賊で、日露戦争後に関東軍と手を結び、軍閥を組織し、徴収した金をすべて自分のものにしていた、そのような現地住民を搾取する軍閥に住民は苦しめられていた点についても触れてほしかった、日本が満州権益を獲得後、多額の投資をし、地域を豊かにし、それゆえ中国から多くの移民が増加し人口も著しく増加したことも書いてほしかった
  • 1914年(大正3年)ヨーロッパで第1次世界大戦が起きてしまいます、アジアの国々はあまり関係ありませんでしたが、日本はこれをチャンスと考えました、1915年、まだ弱体な中華民国政府に対して強引な要求をつきつけます、これを「対華21か条の要求」といいます
    (コメント)
    21か条要求(大隈内閣、加藤高明外務大臣)についてはいろんな研究がある、日本が半藤氏の言う強引な要求をつきつけたとは必ずしも言えないのでは、とも感じる、例えば
    ・日本が一方的に押し付けたのではなく4か月に及ぶ交渉を経て決着した
    ・交渉では中国の要求を受け入れた部分も多く、中国の意思を束縛してない
    ・最後通牒が強引さを印象付けたが、袁世凱からそうしてくれと言われた
    ・もう最期通牒を出せと新聞が煽った、吉野作造も最後通牒しかないと断じた
    ・要求内容は中国には厳しいものだが、当時の国際情勢では普通の要求
    ・日華条約として合意したが、袁世凱から要求の形にしてくれと要請された
    ・条約の一部は公表しないと合意したのにそれを破り日本の横暴と宣伝された
    そう単純なことでもない、袁世凱にしてやられた日本外交の失敗であろう、陸奥宗光「蹇蹇録」の中で伊藤博文が「清国は常に孤立と猜疑とを以てその政策となす。故に外交上の関係において善隣の道に必要とするところの公明真実を欠くなり」と述べていたが、大正時代のリーダーたちは先人のこの観察眼を欠いていたのでしょう

(続く)


外食チェーン店2食

2024年03月29日 | グルメ

最近食べた外食チェーン店の食事から、2つを。

先ず、最初は丸亀製麺、かの有名なうどん屋さん、好きな店である。ただ、最近はあまり来なくなっていた、うどんには塩分が多く含まれているし、めんつゆにも塩分が多いからだ。しかしたまにはいいでしょう。


(うどんが全く見えないくらい牛すきとごぼ天がのっている)

この店の良いのは「打ち立て、生」のうどんを揚げたての天ぷらと一緒に食べられるところである。このビジネスモデルでやり始めたのはここが最初でしょう、素晴らしい。

うどんはもちろんうまいし、コシがある、うどんつゆもうまい、そして何と言っても揚げたての天ぷらをうどんにのせて食べられるのが良い。いつもは暖かいかけうどん+天ぷらで食するのだけど、今日はなぜか季節のメニューとして宣伝しているものの中から、春の新作「焼きたて牛すきごぼ天ぶっかけ」890円を選んだ。暖かいぶっかけうどんの上にたっぷりの牛すき肉とごぼうの薄切りの天ぷらがのって、さらに生卵が一つ落としてある。たっぷり感満載だ。

食べてみるとおいしい、牛すき肉もごぼう天もうまい、最後の方で玉子を箸で割ってぶっかけうどん絡めて食べるとこれがまたおいしかった。他の人が同じ春限定メニューの「山盛りあさりうどん」を食べていたが、こっちもおいしそうだった。確かにアサリがたっぷりうどんにのっていた。

次に、吉野家の丼ものの中から、「ヤンニョムから揚げ丼」655円を食べた。店の説明では、肉厚のから揚げに、コチュジャンと醤油、にんにくを効かせた甘辛味のヤンニョムソースがよく合い、ご飯がすすみます、とある。韓国料理は詳しくないが、食べてみると鶏唐揚げにヤムニュヨンソースがよく合う、甘辛なソースと唐揚げが絡んで大変おいしい。

本当はW定食(牛皿・鉄板牛焼肉定食)908円が食べたかったのだが、調べてみると塩分が7.5グラムと多いので敬遠した。ヤムニュヨン唐揚げ丼は3.3グラム、健康第一だから仕方ない。

おいしく頂きました。本当に日本の外食チェーン店の実力はすごいよ。

ご馳走様でした。


谷中で買い物(すし乃池の穴子寿司と菊見せんべい)

2024年03月28日 | グルメ

東京文化会館に東京・春・音楽祭の公演を観に行った時、前から食べたいと思っていた谷中(千駄木駅近く)の「すし乃池」の「穴子寿司折り詰め」2,900円を買おうと思った。公演が始まる前に団子坂沿いにある店に寄り注文しておき、公演終了後の夕方の開店時間17時に受取に来る。

以前から買いたいと思っていたが、通りがかるときには店の休日だったり、営業時間外の時刻だったりしてうまくいかなかった。

そして、公演終了後、受取に行き、自宅で嫁さんと一緒に食べた。折り詰めには穴子寿司が8貫入っているため、二つ買うとちょっと多すぎるので一人前を2人で分けて食べて、あとはおかずを多めにすれば大丈夫だろうと計算した。

味はさすがにおいしかった、穴子が柔らかく、しかししっかりしており、素晴らしい味だった。今度機会があればまた買って帰りたいし、店で食べてみたい。店主の話だと結構お土産用の折り詰めの注文が入っているとのこと、分かるような気がする。

さて、穴子寿司を受け取った帰りに、同じ団子坂通りにある「菊見せんべい総本店」に立ち寄り、普通の醤油せんべい、甘せんべい、茶せんべいを2枚ずつ注文した、値段は忘れたが1枚120円くらいだったか。

菊見せんべい総本店は、店のHPによれば、「明治八年(1875年)東京文京区は団子坂の麓に創業されました。看板商品のせんべいは、「天円地方」(天は円く、地は方形である)という概念から、地に住まう人々に愛されるようにと、創業当時より珍しい正方形の形が特徴です。日本人がこよなく愛する米菓を、厳選された材料と、伝統の技で一世紀を越えて作り続けております)となっている。また「米は厳選された国産米を使用し、醤油は千葉県銚子にて創業400年を越える醤油会社の醤油を使用しております」とある。

店構えは老舗の風格が充分あり、1枚だけ買うのもOKなので観光客などが1枚だけ買って店の前の椅子に腰かけて食べていた。

帰宅してさっそく食後に食べてみると、おいしい。確かに四角い形がユニークで、どの種類を食べてもおいしかった。最近はせんべいを食べる機会も無かったのでちょうどよかった。


東京・春・音楽祭「中野りな&ルゥォ・ジャチン」を聴きに行ってきた

2024年03月27日 | クラシック音楽

東京・春・音楽祭の「中野りな(ヴァイオリン)&ルゥォ・ジャチン(ピアノ)」に行ってきた。場所は旧東京音楽大学奏楽堂、4,500円、7割か8割方埋まっていたか、中高年の人が多かった。14時開演、15時45分終演。今日の公演はライブ配信するとのアナウンスがあった。

この奏楽堂はたまたま昨年、偶然見つけて内部を見学したところだった(その時のブログはこちら)。この施設は台東区の所有になっている重要文化財であるが、大ホールは今でも演奏会などに利用されていると説明されていて驚いた記憶がある。

それが今回、東京・春・音楽祭で、しかも、先日目黒パーシモンホールで観たばかりの中野りなが出演する公演で使われているなんて、なんていう偶然だろうか。今日は楽しみにして来た。

出演

ヴァイオリン:中野りな
ピアノ:ルゥォ・ジャチン

ルゥォ・ジャチンは1999年、中国・湖南省生まれの25才。2011年、武漢音楽学院附属中学校に入学し、フー・ヤンに師事。卒業後渡米し、オバーリン音楽院でロバート・シャノンに師事。現在、ニューイングランド音楽院でダン・タイ・ソンに師事している。既に、2022年、第8回仙台国際音楽コンクールピアノ部門で第1位など数々のコンクールで入賞している新進気鋭の若手ピアニストだ。

曲目

シューマン:ヴァイオリン・ソナタ 第1番 イ短調 op.105
パガニーニ:「こんなに胸騒ぎが」による序奏と変奏曲 イ長調 op.13(ロッシーニの歌劇《タンクレディ》より)
パガニーニ:24のカプリース op.1 より
 第4番 ハ短調
 第24番 イ短調
ショパン:スケルツォ 第2番 変ロ短調 op.31
サン=サーンス:ヴァイオリン・ソナタ 第1番 ニ短調 op.75

[ アンコール曲 ]
クライスラー:ウィーン奇想曲 op.2

今日は何と言っても先日観て感動した中野りなのヴァイオリンの演奏に注目した。今日の中野は薄いピンクのドレスに身を包み、シューマン、パガニーニ、サン=サーンスの各曲のヴァイオリンを演奏してくれた。今日は彼女を真正面の席から観られたので演奏中の彼女の表情がよくわかった。彼女は演奏中、演奏の内容に合わせて朗らかな顔をしたり深刻そうな真剣な顔をしたり結構表情豊かであった、体も曲の調子に合わせて先日よりは前後左右に動かしているように見えたがそんなに大げさな動きではないところが上品だ。

今日彼女が弾いた曲では、パガニーニの「こんな胸騒ぎが」と「24のカプリース作品1の24番」(先日のアンコールで弾いた曲でもある)がよかった、この二つの曲はいろんなバイオリンの弾き方すべてが演奏中に出てくる曲だと思う、それを中野は実にうまく弾いていたように感じた、若いのに結構技巧派ではないかと思った。弾いている姿を見ると、パガニーニの24番の作品24は得意な、あるいは好きな曲なのではないかと感じた。

今日は昼過ぎから雨の天気予報で、開演直前からパラパラ降ってきた。ところが終演間近になると奏楽堂の窓に春の日差しが差し込んできた、太陽もこの二人の演奏に感動して顔を出したと思えた。

今日もホール外の廊下で中野の2枚のCDの販売をしていた、どんな曲を演奏しているのかちょっとのぞいてみると、モーツアルト、バルトーク、ゴダーイ、リヒャルト・シュトラウスなどだった、これに先日のシベリウス、今日のシューマン、パガニーニ、サン=サーンスを加えると、既に幅広いレパートリーを持っているのだなと感心した。

このままいい指導者のもとで研鑽を積み、実戦経験を積んでいけば、きっと歴史に名を残す素晴らしいヴァイオリニストになるでしょう、また、海外でも活躍できるでしょう、というかそうなって欲しい。今後の彼女の成長を見守りたい。

ピアノのルゥォ・ジャチンももちろん素晴らしかった、特に彼の独奏のショパンのスケルツォ 第2番が熱が入っていてすごい演奏だと思った。

充分満足した公演でした。


演劇「マクベスの妻と呼ばれた女」を観た

2024年03月26日 | 演劇

青年劇場の演劇「マクベスの妻と呼ばれた女」を観てきた。場所は新宿御苑前にある青年劇場スタジオ結(ゆい)、自由席で5,000円。篠原久美子作、五戸真理枝(文学座)演出、開演14時、終演16時。スタジオ結はそんなに大きくなく、ざっと数えて150席くらいしかない小劇場だが、その分、観客と舞台の距離感が近く、迫力ある演技が身近で観られてよかった。

この公演は青年劇場創立60周年、築地小劇場会場100周年記念公演の第1弾で、青年劇場はこれまで原作の篠原久美子氏の4作品を上演していているという。

この演目は全公演完売という人気だそうだ、今日も満員で、年配者が目立ったのはこの劇場が歴史のある劇団で、古くからの固定客が多いからなのか。

「マクベスの妻と呼ばれた女」はマクベスではなく、その妻や女中達に焦点を当て、女性への差別や偏見に対する怒りや、いまだに紛争の絶えない世界に対する憤りを訴えるものである。演劇界でも女性が活躍する時代になったとは言え、まだまだその場は限られている、そこで演出に文学座の五戸真理枝を初めて起用して、出演者をはじめスタッフもほとんどが女性という演劇を考えたとある。

出演

松永亜規子(マクベス夫人)、武田史江(デスデモナ)、竹森琴美(オフェーリア)、福原美佳(女中頭)、江原朱美(ケイト)、蒔田祐子(クイックリー)、八代名菜子(ボーシャ)、秋山亜紀子(ロザライン)、広田明花里(シーリア)、島野仲代(ジュリエット、ロミオ声)

場所はマクベスの城、マクベス夫人と女中たちは、フォレスの戦いで英雄となったマクベスからの手紙に浮き立つ、そこに突然国王が今夜城にやってくるという連絡が入る。城で働く女中たちは、国王一行をもてなすためにてんやわんや、一行が到着し、無事に一夜を明けるもつかの間、殺された国王が発見される、そして、女中たちが国王殺しの犯人捜しが始まるが・・・

  • 女中たちにはそれぞれシェイクスピアの他の演目に出てくる女性の名前が与えられているし、話の中で、その他の演目の中での話しも出てくるところが面白い演出だ
  • 国王が殺されたあと、誰が犯人かを女中たちが詮索し始めてから俄然、進行が面白くなる、女中頭のヘカティが中心になり、ひとりひとり女中たちが気になっていることをしゃべり出す、それを女中頭がうまくまとめていき、話を進めていく、うまい脚本だと思った
  • 観ていて、戦争への憤りよりも女性の役割、生き方、というものに対する問題提起の方にこの演劇の大きな主張があるように思えた、そしてその大きなポイントについて実にうまく話を進めて観る人を飽きさせない工夫があったと思う
  • その女性の生き方についての葛藤が頂点に達するのが最後にマクベス夫人が自死しようとする場面である、シェイクスピアの原作ではマクベス夫人はその犯した罪の大きさにおののき、迫り来る恐怖に精神の錯乱をきたして狂死するが、この物語ではそこを大胆にアレンジして、自分は殺された夫である国王を尊敬し、国王亡き後、もはや自分の生きる意味がないので辱めを受ける前に自死を決意する、が、そこに女中頭のヘカティが表れ、あなたが女としてやりたいことは何か、古いしきたりに従って考えるのではなくひとりの女性として好きな生き方をすべきではないか、などと叫ぶ。これに夫人も戸惑う、このやりとりが迫力あり見応えがあった
  • ではヘカティが主張する、良い娘、良い奥さん、良い王妃ではない生き方とは何か、それは観る人が考えて、ということだろうが、演出の五戸真理枝はその点について「さて、では自分は何を目指して生きていきましょうか。生きてるだけで良いんだよ、誰しもその命をそう寿ぐことができるような社会があればいいのにな、と私はいつも思います」と当日配布されたプログラムで述べていたる。
  • この五戸の考えを私はなかなか理解できないが否定はしない。常々ものごとは一つの考え方しかないわけではないと思っているので、今までの私たちの親や、先祖が持っていた価値観、それは著しい男女格差がある社会環境にもめげず、いい娘、いい奥さんであろうとする健気で高潔な精神性が国や家庭を支えていた、そういう価値観を否定する必要はなく、それが良いと言う女性がいても全く問題ないと思うし、それこそ生き方や考え方の多様性であろう、それを古い考えだといって否定し、批判する人は全体主義信奉者であろう。
  • 出演した女優たちは皆素晴らしい演技だった、それぞれが持ち味を活かして演じていたと思う、今日初舞台のシーリア役の広田明花里(あかり)も初々しい演技で素晴らしかった。

楽しめました。


ダイヤグリーン倶楽部でゴルフ

2024年03月25日 | ゴルフ

茨城県鉾田市にあるダイヤグリーン倶楽部に行ってきた。おなじみのゴルフ場であるが今年初訪問。費用は2人で14,000円。2サム割増しを取るようになった。場所が結構不便なところで、常磐高速の桜土浦インターで降りて、50分くらい一般道を走りコースへ到着。

名前からわかるように、このコースは三菱系の石油会社が昭和50年(1975年)に作り、会員も三菱系会社勤務の人が多かった。その後、平成14年に民事再生法を申請、翌15年に計画が承認、以後現在に至る。アコーディアゴルフ等に買収されずに運営ができているのは立派だ、固定客をつかんでいるのだろう。

コースは丘陵コース、かつ、林間コース。適度なアップダウンがあり飽きないレイアウト。ティーショット250ヤード飛ばす人には物足りないだろうが、一般のゴルファーには充分楽しめる。400ヤードを越えるミドルが3つあり、また、グリーンも小さいので、そんなに簡単ではない。リモコンカート、2グリーン、グリーンスピードも9ftはあった感じでまあまあ。今日はAグリーン。コース内のディボット、グリーンのボールマークの修復はそれほどひどくはない。プレーの進行は若干遅れ気味、ハーフで2時間20分くらいかかった。

クラブハウスは古くなっているが、手入れはキチンとされている。食堂の食事もおいしかった。ソフトドリンク飲み放題だった。

来ている人を見ると、ほとんど顔なじみという感じの人たちで、中高年が多く、若い人はほとんどいない。だから落ち着いた雰囲気だ。それも良いだろう。天気は晴れで風が少し強かったが全然問題ない。1日ゆっくり楽しめました。