ゆっくり行きましょう

気ままに生活してるシニアの残日録

蔵前で買い物とカフェ

2024年07月05日 | グルメ

今日は都内のかかりつけの眼医者で定期検診、若い時から近視で、パソコンの普及により仕事で一日中パソコンと睨めっこする時間が増え眼を酷使するようになり近視の度も進んだ。眼医者からは近視の強い人は定期的に検査をしたほうが良いとアドバイスされている

若いころは年に1回の検査でよかったが、最近は半年に1回となっている。そんな中での今日の定期検診、視力、眼圧、眼底、視神経などをチェック、特に異常もなくホッとした。次回は視野の検査も実施する。

さて、一安心したところで、今日は帰りに蔵前に寄って、買い物をしようと思った。先ずは蔵前駅のすぐ近くのカヌレ専門店、 KURAMAE CANNELE CAFEに行ってみた、初訪問。店に行ってみると、カヌレの販売をしている窓口があり、4個を購入、1個250円くらいだったか。

店の中にはタブレット端末があり、それで注文して、2階がカフェになっているようだ、1階もテーブルと椅子があり、イートインのような感じになっている、雰囲気はしゃれている。今日はこの後、ペリカンでパンを予約していたので、カフェに寄るのはやめにしたが、次回はカフェにも寄ってみたい。

この後、おなじみのパンのペリカンに行って、午前中に予約の電話をした食パン1斤を買った、500円。ここでは今までロールパンを買っていたが、今回は食パンにしてみた。ロールパンはもっちりしていて、パン生地の密度が高く、非常においしいパンだが、今回は普通の食パンに挑戦してみようと思った。買ってみると思っていたより小さく、普通にスーパーなどで売っている食パンよりも小ぶりだった。

そして、そのあとは、すぐ近くの系列のペリカンカフェに寄ってみた。いつもは混んでいて、店の外に行列ができていることもあるので敬遠していたが、今日は空いていたので、入ってみた、初訪問。一番窓側の席を指定され、腰掛ける。ここはパン屋さんが経営するカフェなので、コーヒー+トーストがお勧めだけど、今日は夕方であったのでブレンドコーヒー500円だけをたのんだ。

出てきたコーヒーカップにはペリカンの絵がかわいらしく描いてあり、飲み干したカップの底にはペリカンカフェと印字されていた。味は若干の酸味があるコーヒーであったがおいしかった。カップも大きめで、満足した。

ここは、以前テーブル席の間はパーティションを設置していたが、今日はすべて撤去してコロナ前の普通の状態に戻っていた、良いことである。

ゆっくり寛げました。

帰宅して、翌朝、さっそくペリカンの食パンを厚切りトーストにして食べてみたが、本当においしかった。パン生地の密度が高く、もっちりしている、素晴らしいパンだ。

蔵前は一昔前の下町の雰囲気と新しいトレンドとが併存するユニークな街になった、また来ます

 

 


NHK「歴史探検、日露戦争、知られざる開戦のメカニズム」を見る

2024年07月04日 | 日常生活の出来事

NHKで4月のはじめに放送していた「歴史探検、日露戦争、知られざる開戦のメカニズム」という番組に興味を持ち、録画しておいたが、しばらく見る機会がなかった。中村隆英教授の「昭和史」を読み終わったところで、同じ近現代史の日露戦争に関するこの番組も見ようと思った。

副題には「120年前に起きた日露戦争、なぜ戦いに至ったのか? ロシアのイメージが友好国から仮想敵国への変わるなかで起きていた両国のすれ違いと開戦を望む世論の誕生を調査する」とある。

番組の中で説明のあった開戦に至る日露両国の関係を時系列で整理すると以下のようになる(カッコ内は私が名付けたもの)

(衝突期)

  • 1806~7年、江戸時代の終わりにロシア艦隊が樺太や択捉を攻撃する事件が起こる
  • 1811年、ゴローウニン事件、ロシア役人ゴローウニンを幕府の役人が拘束する事件
  • 1861年、ロシア軍艦対馬占拠事件

(交流期)

  • その後、函館を起点に漁業を中心にロシアとの交流が始まる
  • 1884年(明治17年)には東京のニコライ堂が建造開始し、日本における日露の文化交流の拠点になった、東京外語大でもロシア語教育が開始される
  • 1891年(明治24年)、日本訪問中のロシアの皇太子ニコライに滋賀県警の巡査が切りつける事件(大津事件)が起こったが、皇室外交などにより大事には至らず
  • このころ日本でロシア文学ブーム、ロシアでは浮世絵ブーム

(環境激変期)

  • 1894年、日清戦争、ロシアなどによる三国干渉、遼東半島の返還、国民に怒りの声、1895年(明治28年)5月12日、大阪朝日新聞に初めて臥薪嘗胆の用語が出る、5月15日には新聞「日本」の論説に臥薪嘗胆を使いロシアへの復讐をあおる社説、さらに読売新聞は一面に毎日必ず臥薪嘗胆の文字を掲げるようになる、ロシアに対する負の感情が日本中に広まった
  • 1898年、遼東半島の旅順・大連をロシアが租借、1900年から1901年の北清事変でロシアは満州を軍事占領し、清への進出を本格化

(日英同盟締結期)

  • 1902年、日英同盟締結、英国から軍事技術を教わりロシアとの対抗上、大きな自信に、それを利用してロシアとの協商ヘの道を開き戦争回避の可能性を探る、ロシア軍は満州からの撤退を約束した

(世論沸騰期)

  • しかし、ロシア軍は約束を守らず、満州から撤兵しなかったため、開戦論が加速した、その大きな要因となったのは東京帝国大学の教授をはじめとした知識人たちが発表した「七博士の意見書」、彼らは1903年6月24日の東京日日新聞で、今こそロシアと戦う最後の好機だと主張し、国民の主戦論を押していった
  • さらに、国民を煽り立てた流行語として「恐露病」という言葉が出てきた、1903年(明治36年)9月27日の読売新聞では「いま日露戦争に反対するものは恐露病にかかった臆病者だ」として当時ロシアとの和平を模索していた伊藤博文らが批判された
  • これらによって戦争を回避すべきだとの声がかき消され、開戦一色になった

(開戦)

  • 1904年2月4日の御前会議、明治天皇は戦争回避を主張したが、伊藤らはもうその余裕はないとし、8日開戦した

こうしてみてくると、日露開戦を煽ったのは新聞、学者であるという指摘は物事の一面をとらえていると思う。

新聞などが世論を煽るのは今でもある、慰安婦問題、集団的自衛権の憲法解釈変更、森友問題、統一教会・・・新聞などが来る日も来る日も取り上げ、批判のオンパレード。うさん臭いと思わないか、こういう時には要注意であるのは歴史が証明しているだろう、また、大学教授が出す意見書だからと言ってすぐに信用してはいけないだろう、この番組はそういうことを教えていると思った


那須烏山市観光(2日目)

2024年07月03日 | 街歩き

さて、宿泊ゴルフ2日目、ゴルフが終了してゴルフ場を出たのが1時半くらいだったか、この日は那珂川町にある馬頭広重美術館に行ってみた、ここは2回目の訪問。入場料は500円、この美術館は2000年(平成12年)11月にオープン、隈研吾設計、美術館のホームページによれば、

「広重の芸術と伝統を表現する伝統的で落ち着きのある外観」をコンセプトとし、ゆったりとした平屋建てに切妻の大屋根を採用。美術館全体は、地元産の八溝杉による格子に包まれ、時間とともに移りゆく光によってさまざまな表情を見せます。内装にも地元の材を使い、壁は烏山和紙、床は芦野石でできています、としている。

阪神・淡路大震災で被災した青木藤作氏の遺族から、歌川広重の肉筆画を中心とするコレクション寄贈の申し出が馬頭町(現・那珂川町)にあったことが美術館設立のきっかけ。寄贈されたものは「青木コレクション」として同館所蔵品の中心作品となっている。館名の「広重」は、青木が広重の作品を好んだことによる。

葛飾北斎の作品展示を中心としたすみだ北斎美術館が2016年に東京の墨田区に開館したが、それよりはるか前に、遠く離れた馬頭の町に広重美術館ができていたとは。

北斎や広重のことはそんなに詳しく勉強したことがなかったが、最近、NHKドラマで「広重ぶるう」をやっていたのを偶然見て、少し広重に興味を持ったところだった。

今日の展示は、一つの展示室では広重作品を、その他の展示室では企画展として「もうひとつの源氏物語-偐紫田舎源氏(にせむらさき いなかげんじ)-」展を開催していた。いずれも写真撮影はOK、但し、フラッシュ禁止。

江戸時代に柳亭種彦が執筆し、ベストセラーとなった『偐紫田舎源氏』の挿絵を手掛けたのが三代歌川豊国(国貞)。本展覧会は『偐紫田舎源氏』やその続編をもとに描かれた浮世絵、三代歌川豊国による「今源氏錦絵合(いまげんじにしきえあわせ)」を中心に、江戸時代の『もうひとつの源氏物語』を紹介するもの

「偐(にせ)」とは“偽”の紫式部が作った話、あるいは『源氏物語』に“似せ”た話という意味で、登場人物の多くが『源氏物語』の人物に擬えて、似た名前が付けられたもの、展示室内には物語の筋に従って挿絵となった浮世絵が展示され、その場面の説明が簡単に書いてあるので参考になる。ただ、私は恥ずかしながら源氏物語を読んだことがないので、『偐紫田舎源氏』の面白さもピンとこなかった。いつか機会を見つけて口語訳の源氏物語に挑戦したいと思っている。

広重美術館を観た後、再び烏山市に戻り、これも以前一度訪問したことのある島崎酒造に行った。ここは地元の酒造で創業は嘉永二年(1849年)というから凄い。ここのブランドは東力士という日本酒だ、大吟醸や純米酒など東力士ブランドで何種類もの日本酒がある。東力士という酒名は、2代目の島崎熊吉が無類の相撲好きであったことに由来する。

この酒造が有名なのは、洞窟で日本酒を熟成していることだ。そして、この洞窟を見学することができるのである。土日は毎週、平日も前日までに申し込めば見学できる、一人200円。洞窟は車で10分くらい離れたところにある。

この洞窟は、第二次世界大戦末期に戦車を製造するために建造された地下工場跡地、戦後、何十年もの間放置されていたが平成19年から清酒の貯蔵庫として借り受けて使っている、年間平均気温は10度前後、日光がまったく差し込まない洞窟は、熟成酒を造り出すには最高の環境、内部には縦100メートル、横60メートル四方の区画に縦3列、横5列の回廊が掘られている。映画などの撮影、コンサート、落語などのイベント用にも使われているそうだ。

この日は、島崎酒造の方に中を案内してもらった。小高い丘の中腹に入口がありカギを開けて中に入ると驚きの連続だ、外からは全く想像できない別世界、気温が14度くらいだった、丘は砂岩でできており、戦時中に100人がかりで1か月で掘ったという。

「熟露枯(うろこ)」というのがここで長期間熟成された古酒のブランドで、熟成期間によって値段も異なるが、安くはない。

ここはテレビでの「居酒屋新幹線」という番組で取り上げられたことがあり、サラリーマン役の真島秀和がこの店を訪問し、この熟露枯大吟醸を買って出張帰りの新幹線で一杯やるというものだ。店内でその模様を録画で放映していた。

今日は、四合瓶の東力士純米生酒と爽快純吟酔夏を買って帰った、ともに1,760円。

買い物も済んで、一路自宅を目指して出発した。そして、帰宅してさっそく夕食で東力士純米吟醸を飲んだが、大変おいしかった。

また、この日は都知事選に関連してネットで話題の「岩下の新生姜」を買ってみた。この新生姜を細かく切ってきゅうりと和えて食べてみたがおいしかった。

お疲れ様でした

(完)


那須烏山市観光(初日)

2024年07月02日 | 街歩き

ゴルフで烏山城カントリーに宿泊で行った際、初夏の昼の時間の長さを利用して周辺の観光スポットなどに行ってみた。

まず、初日、ゴルフラウンドが終了したのが2時半、まだ夕食まで時間があるので烏山市内のどこかに行ってみようと思い、ネットで探してみると、龍門の滝、という名勝地があった、そしてその滝のすぐそばにカフェがあるという。まずはそのカフェに立ち寄りラウンドの疲れをいやそうと思った。

ゴルフ場から車で20分くらいだったか、場所はすぐに分かった。滝の入口近く、江川の川沿いの道路に面してカフェ「滝の茶屋ガパガポ商店」はあった。入ってみると先客が2名、店内はそんなに広くなく、奥の川沿いの席に座れた。ここはカフェの目の前に滝につながる江川が流れておりそれが見られる、テラス席もあるが、今日は室内で川を見下ろせる席に腰掛けた。

珈琲ゼリーと抹茶パフェをたのむ、待っている間に目の前の川の流れに見とれる。最高の雰囲気だ、自然の中のカフェという感じだ。店ではクッキーや甘味も販売していた。一番いい季節に来れた。ゆっくり珈琲ゼリーとパフェを頂いて、店を後にした。

そして、次は、すぐ近くの龍門の滝に、カフェから歩いて2、3分で到着、ここは以前1度来たことがあった。前日まで雨が降っていたせいか水量は多く、見物するにはちょうど良かった。この滝は、長さ65メートル、高さ20メートルあるそうだ。ここは昔、神通力を持った竜神様が棲み、村人たちの願いをかなえたと伝えられている、何人か見物している人がおり、その後も結構観光客が来ていた。

この滝の上部の後ろには道路が走り、その奥にはJR烏山線が通っており、1時間に1本か2本、通過する、その電車が走っているときに滝の写真を撮るのが良いそうだが、これはあらかじめ時間を調べてからでないと無理だ。

そのあとは、そのJR烏山線の烏山駅に行ってみた、初訪問。駅舎はユニークなデザインで目立つ、我々が行ったとき、ちょうど烏山線がホームに到着していたので写真をとれたのはラッキーだった、時刻表を見ると1時間に1本しか走っていない

ここ烏山駅は終点で、ここを出発して、反対側の終着駅は宝積寺とあるのを見て驚いた、2、3か月前にゴルフの帰りに立ち寄ったあの隈研吾が設計した宝積寺駅だ(その時のブログはこちら)。電車は確か3両編成で結構お客さんが乗っていた。


(ユニークな駅舎、斜めのラインが宝積寺駅に似ている)

(2日目に続く)


烏山城カントリーで宿泊ゴルフ

2024年07月01日 | ゴルフ

栃木県烏山市の烏山城カントリークラブでゴルフを楽しんだ、このコースに来るのは数年ぶり、家から距離があるので足が遠のいていたが、季節もよく絶好のゴルフ日和なので1泊して2プレーのゴルフを楽しもうと思った。

烏山城ゴルフクラブはゴルフファンには有名なコースで、あの井上誠一設計、過去日本女子オープンなど数々のビックトーナメントの会場となってきた。井上誠一設計のコースは全部で39コースがあり、そのうち10コース以上でプレーした、その中で一番素晴らしいコースがこの烏山城カントリーだと思う。

井上誠一のコース設計の特徴は二つ、ホールと隣接ホールを隔てる境目やグリーン周辺に女体を思わせる艶めかしい曲線美の丘陵があることと、もう一つは砲台グリーンだ。この特徴はどのコースでも出せるというものではなく、適度なアップダウンがある地形でないとだめだ。その意味で、平坦なコースでは氏の設計の特徴を出せない。烏山城カントリーはまさに絶好の地形を有しており、井上氏の設計思想を存分に発揮できる素材である

私がこのコースに初訪問したのは平成元年かその前年、ちょうどクラブハウスを作り直している時であった。その時の衝撃は忘れならない、もう別世界に来た雰囲気があり、優雅なコースの曲線美に打ちのめされた。それ以来、何度となく訪問している。最近では日帰りがつらいので宿泊ゴルフにしており、今回は4回目である。

このコースは、1974年10月(昭和49年)開場、27ホール、乗用カートでのプレー、結構アップダウンがあるが平坦なホールも多い。過去、平成14年5月に民事再生手続き開始を申請した歴史がある、現在の経営は不動産賃貸や医療施設・老人保健施設を営む(株)加山。

初日は晴れ時々曇り、朝、コースに8時半くらいに到着し、9時過ぎのスタート、ここ数日、この日と翌日は雨予報であったため予約はあまり入っていない模様で、すいすいとラウンドできた。初日は本丸、二の丸コースをラウンドし、存分に堪能した。上に記載したコースの特徴に加え、大きく深いバンカー、アンジュレーションのあるフェアウェイとグリーンに悩まされた。

ラウンド終了後はクラブハウスの浴場に行ったが、ここは温泉だ。ゆっくり温泉に浸かり、隣接するホテルにチェックイン、今回もツインルームを予約した、部屋は広く、ベッドも大きく、テレビ画面も大きくて見やすい、窓からはコースが見渡せてムード満点だ。

ここが良いのは夕食会場が敷地内にあるクラブハウスとは別の2つの一戸建ての食事処が有ることだ。一つは和食、もう一つは焼肉用のレストランになっている、今回は初めて焼肉用のレストラン「粋虎(すいこ)」を利用した。内部は広々していて、天井には建屋の梁がむき出しになっている。あらかじめ焼肉のコース料理を申し込んであったので、それをおいしく頂いた、シニア夫婦二人で多すぎるくらいの量であり、おいしかった。

ホテルに戻り、2時間は我慢して起きていたが、10時前には就寝。

翌日は、曇り時々晴れ、ホテルをチェックアウトし、クラブハウスのレストランで朝食、ここはレストランからコースを広々と見渡せるうまい設計、本丸と二の丸のスタートホールと最終ホール、三の丸のスタートホールが見渡せる最高の景色だ、ゴルフ場のレストランはこうでなければいけないという手本だ。

私は和定食、嫁さんは洋定食をたのんだ、おいしく頂いて、今日は三の丸、本丸の順でプレーした。混んでないのでハーフ2時間以内でラウンドできる、スループレーにしほしいとお願いするとOKとのこと、午前中に18ホールをラウンド終了して、レストランで昼食をとり、温泉のお風呂に浸かった。

久しぶりにラウンドして改めて素晴らしいコースであると感じた。遠路はるばる来る価値は十分にある。コースのメンテナンスやクラブハウスやホテルのメンテもそれなりに金をかけて十分していると感じた。ほかのコースでも別世界に来たような雰囲気のところはあるが、メンテナンスに金をかけないでだんだんと色あせてきて魅力がなくなるコースを見てきた、その中でここは別格であろう。

初日と2日目のラウンド後に周辺を観光したが、その時の模様は別投稿で紹介したい

なお、費用はゴルフ2プレーと宿泊代、初日の昼食、夕食、2日目の朝食、昼食を含めて二人合計で71千円だった、2月にここから近いサンヒルズCCで同じような1泊2プレーした時は53千円だったから、それに比べると高いでしょうが、サンヒルズが安すぎるのでしょう。

お疲れ様でした、また来ます