ゆっくり行きましょう

気ままに生活してるシニアの残日録

Jonathan Haidt著「The Anxious Generation」を読む(1/2)、追記あり

2024年07月31日 | 読書

Jonathan Haidt著「The Anxious Generation: How the Great Rewiring of Childhood Is Causing an Epidemic of Mental Illness」をKindleで読んだ、日本語翻訳版はまだ出てないようだ。著者はアメリカの社会心理学者。

英語の勉強のためにアマゾン洋書のところを探していたら、この本のレビュー数が2000と多く、内容的にも面白そうなので、読んでみようと思った。

著者の主張しているコアな部分は非常にシンプルだが、それだけをリストアップしても今一つ、問題点に対する印象が薄いので、ここではもう少し詳しい要約を試みた、時間と興味がある人はじっくりと読んで事態の深刻さを感じてほしい

序章 

  • この本はジェネレーションZの深刻な問題を記述した本である、この世代は1995年以降に生まれた世代で、ミレニアル世代(1981から1995年生まれ)の次の世代である、そしてその特徴は「不安世代」である、時代背景としてSNSが急速に発展した時代である、スマホがZ世代を不安世代にしている
  • 1980年代後半は、子供の過ごし方が、「外で遊ぶ時代」から「スマホで遊ぶ時代」に変わり始めた時代であったが、2010年代半ばまではその移行が完成されていなかった
  • スマホ世代は、現実世界とのやり取りの経験不足、仮想空間でのやり取りへの無警戒により、不安が増大した
  • スマホ世代の問題は、メンタル的な不健康、社会的な孤立、深刻な不幸せだ。
  • 大人は現実世界のリスクから子供を過度に守りすぎた一方、バーチャル世界には無警戒すぎた
  • それを改革する手段として提案したのは、高校生まではネットアクセスを限定的な利用にとどめる、16歳までのSNS禁止、高校生までは学校でスマホ使用を禁止、監視されない状況での子供の自立心の養成である

パート1 被害の大波

  • 2010年以降、ティーンエイジャーが何らかの不安を感じている割合が著しく増えた、あらゆる人種、所得層で。そして女子のほうが著しい、不安の内容は、心配、恐怖、悲しみ、希望のなさ、など内面的な秩序崩壊だ、一方、対外的な不安として、他人に対する怒り、暴力、過大なリスクをとる行動がある
  • これらの状況はZ世代に最も顕著にみられる、ミレニアル世代の最後のほうの若者も含まれる、ほかの年代の人には見られない
  • 2010年代の最初のほうで青少年に影響を与える大きな変化があった、それは2007年にスマホが普及し始めたことだ、そして2012年か2013年にはスマホとSNSが急速に普及しだした、その時がまさに10代のメンタルヘルスが悪化した時だ、ガラケーと違い、スマホは常時、家の外にいるときでも、多数の人とやり取りできることだ、これは破壊的な進歩である。
  • アメリカの2010年から2015年に起こった青少年の不安心理の急増は「スマホベースの幼年時代」の始まりと、「遊びベースの幼年時代」の終焉の始まりであった、それを“Great Rewiring of Childhood”と呼ぼう、スマホを通じて自分と他の人の比較が容易になった
  • 論者によっては、この時期は世界が劇的に変わった時代であったとも指摘する、9.11、アフガン戦争とイラク戦争、金融危機、学校での銃撃事件、不平等、かつてない学生ローン残高などだが、これはZ世代の不安急増、特に女子の不安増大の原因としては説明できない
  • 孤独感が急増した2012年から2015年は他の西洋諸国でも同様であったが、アジアなどは顕著な変化はなかった
  • 2010年以降、アメリカの少年、少女のメンタル病は増加した、不安、憂鬱、疎外感、自傷行為が急激に、特に女子で増加した

パート2 この事態に至る歴史(Play-Based Childhoodの衰退)

第2章 子供が幼年期にすべきこと

  • 幼年期の少年少女が外で遊びたい3つの動機は、子供どうしの遊び(free play)、協調(attunement)、社会勉強だ
  • スマホの使用により子供が親や周りの人たちと一緒に行動をしなくなった、協調、儀式、顔を突き合わせての会話などをしなくなり、またはスマホで妨げられるようになった、これらの共同行動は子供の健全な成長に欠かせないため、その欠落は疎外感につながっている
  • SNSインフルエンサーが若者世代に多大な影響を与え、彼らが学ぶべき現実世界の人との交流の機会をなくした、若者世代は特定の影響力の強いインフルエンサーに感化されたが、そのインフルエンサーの主張は現実世界には適用不可能な考えであった
  • 子供は適切な時期に、適切な順番で、適切な方法で、適切な者から、言葉などの基本的なサバイバルの知識を学ぶ
  • 日本人の研究者Yasuko Minouraの研究によればこの微妙な期間は14歳か15歳までだという、ということはそれ以前にスマホを与え、スマホ世界に入った若者の思考やフィーリングはどうなるか、大人の世界の情報も無秩序に子供に入ってしまう、これがZ世代のメンタルに悪影響を与えた

第3章 さらなる発見と危ない経験の必要性

  • 子供時代にはいろんな危険がある、暴力、ドラッグ、ポルノ、犯罪など、それらを遠ざけ、自然と危険を避ける能力を身に付けるのは子供どうしの遊びだ、これにより子供にはdiscover modeができるが、この遊びをしないとdefend modeになる
  • ディスカバー・モードは危険が少ない環境下の人間がなり、ディフェンド・モードはその反対である、前者は社交的で、新しいことに積極的である一方、後者は常に防衛的であり、いつも不安があり、新しいことや人に対していつも警戒的である。
  • ディスカバー・モードは学びと成長をもたらすため、子供の生活を豊かにしたいならディスカバー・モードに誘導すべきである、ディフェンド・モードはその逆である
  • 大学に入学した新人のモードを調べるとZ世代から明確にディフェンド・モードの生徒が増加した
  • 外で遊ばない子供は危険察知能力が育たず、友人ができず、大人になった時のより大きな危機に対する備えができなくなる
  • アメリカ人の子育ては1990年から変化した、親が忙しいにも関わらず、子供と一緒にいる時間が増え、子供にとっては外で遊ぶ時間が減った、これは外で遊ぶ子供が虐待の犠牲になる事件が多く発生して親が防御的になったからだ、イギリスも同様
  • このころ、安全の概念が拡大していった、物理的な安全だけでなく、感情的・精神的安全が叫ばれるようになった、すなわち精神的にも傷つかないこと、という考えを含むようになった、これを「safetyism」という
  • 遊び場でも、子供どうしの遊びは、除外される子供や、争いが起こると困るので、親の監視下でしか遊んではいけない、というルールを作るようになった
  • Attachment systemという言葉がある、生まれたばかりの時は親の庇護が必要だが、やがて子供は自分で動き出す、そして危険に遭遇すれば親のところに帰ってくるか叫んで親を呼ぶ、そしてだんだん賢くなり、安全に生きていくノウハウを身に着けていく、これをアタッチメント・システムというが、これがZ世代に欠落している

第4章 思春期と大人への移行の阻止

  • 青年期は大事な期間、脳が柔軟になる可能性がある時期だから、この時期にいろんなことを経験させないとダメだ
  • それを阻害するのが安全志向Safetyismとスマホだ
  • 子供は何事も恐れない逞しさがある、その時期にいろんなことを経験させることが大事
  • 米英、カナダは1980年代から、大人や学校が、子供を物理的、精神的リスクから遮断することを始めた、それが子供のメンタルヘルスにマイナスの影響を大きく与えたのがZ世代であった
  • そこにさらにスマホが出てきた
  • 子供から大人への通過儀礼がなくなりつつある、年齢に応じて車を運転する、たばこや酒を買う、選挙権を持つなどの儀式を通じて大人の仲間入りし、責任と自覚が芽生えるが、18歳の時のこれらの経験をしたことのある比率は年々下がってきている

(続く→こちら)


吉祥寺ピワン(piwang)でカレーを食べる

2024年07月30日 | グルメ

吉祥寺の近くに用事があって出かけたとき、ランチをどこで食べようか事前に探し、この店でカレーを食べてみようと思い、行ってみた、初訪問。このpiwangをGoogle翻訳に入れると、「静けさ」という訳が出た。場所は吉祥寺東急の後ろ側の通りを少し歩いたところの住宅街の中にある低層階のビルの地下。

階段を降りていくと、店の入口近くにはいろんなパンフレットが置いてあり、何となくアンティークな感じ、木製のドアを開けるとすぐ前はカフェスペースになっており、左に入っていったところがレストランになっている。最初に奥のカウンターでメニューを見て注文して支払いも済ませる方式。

メニューを見て、「2種盛りカレー」という2種類のカレーを一つの皿に盛りつけた料理があり、そのカレーの種類の組み合わせが3通りあり、そこからCを選んだ、1,380円、チキンカレーとキーマカレーの組み合わせだ。これ以外に副菜と飲み物があるが、今日はカレーだけでの注文にした。「1種盛り」というメニューもある。

店内は広く、座席も多い、好きな席に腰掛けてよいとのことなので、座って待つ、床やテーブルなどは木製であり、ガラス張りの壁からは地上につながる階段がよく見える、しばし待った後、番号を呼ばれ、取りに行く。見ると大変ユニークな盛り付けで面白い、しかもカラフルであり美的センスも最高だ

木製のスプーンでまずはチキンカレーから食べる、大きなチキンのブロックがいくつか入っており、スプーンで小さく切れるほど煮込んでやわらかい、カレーもスパイスが強烈に効いており、おいしい。

次にキーマカレーを食べる、これもおいしい、パクチーがカレーの上にのせてあり、カレーと良い組み合わせになっている。こちらはチキンカレーほどのスパイスの強烈さはないが、ちょうどいい。

おいしく頂きました。店内には10名ほどの客がいただろうか、落ち着いて食べれた。良い雰囲気とおいしいカレーがゆっくりと味わえて、来てよかったと思った。

ご馳走様でした

 


歌劇「トゥーランドット」をテレビで鑑賞する

2024年07月29日 | オペラ・バレエ

テレビの録画で歌劇「トゥーランドット」を観た、2023年12月7・8・13日、ウィーン国立歌劇場での公演

作曲:プッチーニ (1858年~1924年、65才没)
台本:ジュゼッペ・アダミ、レナート・シモーニ(イタリア語)
原作:カルロ・ゴッツィの寓話劇『トゥーランドット』
初演:1926年4月、ミラノ・スカラ座、トスカニーニ指揮

出演:

トゥーランドット:アスミク・グリゴリアン(1981、リトアニア)
皇帝:イェルク・シュナイダー
ティムール:ダン・パウル・ドゥミトレスク
カラフ:ヨナス・カウフマン
リュー:クリスティーナ・ムヒタリヤン

大官:アッティラ・モクス
ピン:マルティン・ヘスラー
パン:ノルベルト・エルンスト
ポン:尼子 広志(1992年)

管弦楽:ウィーン国立歌劇場管弦楽団
指揮:マルコ・アルミリアート
演出:クラウス・グート

この作品は普段あまり鑑賞したことがなく、詳しいことは知らなかったので、今回は鑑賞の前にネットである程度の予習をした、その中からいくつか述べたい

  • 作曲はプッチーニであるが、今年は彼の没後100年のアニバーサリー・イヤーである
  • このオペラはプッチーニの最後のオペラだが未完に終わった、彼の死後、第3幕ラストのトゥーランドットとカラフの二重唱からは、プッチーニが残したスケッチを弟子のアルファーノが補筆し完成させた。
  • このオペラの初演を指揮したトスカニーニは、二重唱の前のリューの死の場面が終わると指揮棒を置き、「作曲者はここのところで亡くなりました」と言って演奏を中断し、全曲演奏は翌日に持ち越された
  • トスカニーニとプッチーニは第一次世界大戦時からの政治的対立(プッチーニは親ドイツ、トスカニーニは嫌独派)もあり数年間冷却関係だったが、その後、友好関係を取り戻した、そして、トスカニーニに宛て「この作品をやる時には、完成直前に作曲家は亡くなったのだと伝えて欲しい」という手紙を残していた

  • プッチーニの死後、補作を巡っての混乱があった。まずトスカニーニがザンドナーイの起用を主張したが、プッチーニの版権相続者となった息子トニオはそれに難色を示し、かわりにトニオが推したのがフランコ・アルファーノであった、当時プッチーニの後継第一人者を自他共に任じていたザンドナーイが、プッチーニの意図を離れたオリジナルなものを創作してしまうことへの懸念があったものとみられる。より中庸温厚な性格のアルファーノならプッチーニの構想により敬意を払ってくれるであろうとの期待、また東洋的な題材を扱ったオペラ『サクーンタラ』( 1921年)が成功していたことも理由であった
  • アルファーノは1926年1月に総譜を完成、それはまずトスカニーニの許へと送られた。ところがトスカニーニは「余りにオリジナル過ぎる」と評して、400小節弱の補作中100小節以上をカット。これは、ザンドナーイ起用案が退けられたことへの意趣返しなど様々の意図が込められていた行為とされている。アルファーノはこのカットに対して激怒したが結局は削除を呑まざるを得なかった
  • 今まではこの初演時のカット版が演奏されることがほとんどであったが、今回の公演では完全版による上演となった
  • 初演はイタリアにとっての国家的イベントと見做され、当初はオペラ愛好家でもあるムッソリーニ首相も臨席する予定であったが、当時国家元首の臨席時に演奏されるファシスト党の党歌の演奏をトスカニーニが拒絶したことから、ムッソリーニの出席は取止めとなった、優柔不断なフルトヴェングラーはナチにうまく利用されたが、トスカニーニは常にイエス・ノーをはっきり言える人間だったのだろう

さて、今回の公演は新制作である、演出はクラウス・グート(1964、独)、彼の演出について少し述べたい

  • 彼は、ワーグナーとR・シュトラウスの作品のオペラ制作で特に知られている、また、現代オペラにも力を入れている
  • 番組の説明では、今回の演出は、初演当時のヨーロッパの政治情勢から、舞台から中国趣味を排除し、カフカとジャック・タチ「プレイタイム」をヒントにスタイリッシュな不条理空間を創造した、とある
  • 主役以外の出演者は浅葱色のスーツや眼鏡、ネクタイをするなど現代風の衣装であり、その解釈がわからないところが多かった
  • 例えば、最初にコーラスの1列目(浅葱色スーツとメガネ集団)が登場して座ると舞台が開いてその後ろに同じく浅葱色スーツのメガネ集団がずらりと座っている、最後の場面でもこの眼鏡集団がずらりと並ぶが、その意味が分からなかった(これは民衆を表しているのかもしれないが)、また、この集団が座っている真ん中に時計があり、針が動いている、その意味も分からなかった

さて、出演者であるが

  • 通常、主役はタイトル・ロールを務める歌手であろうが、今回はトゥーランドット姫のグリゴリアンではなく、カラフ役のヨナス・カウフマンであった、そのイケメンぶりと歌唱力が素晴らしく、他の出演者を圧倒していた
  • タイトル・ロールのグリゴリアンだが、昨年テレビ鑑賞した2023年ザルツブルク音楽祭「マクベス」でマクベス夫人を務めていたあのグリゴリアンだ(その時のブログはこちら)、なかなか美人で歌唱力もあると思ったが、今回も美しい容姿、風貌で、歌唱力もあるところを見せつけてくれた、今回はカツラをかぶっていたのでマクベス夫人の時とはイメージが違っていたので彼女の別の面を観た思いがした、前回よりも若く感じた
  • このオペラに詳しくないので、トゥーランドットがどういう性格の女性なのか分からない、よって、グリゴリアンがトゥーランドットの役柄に合っていたのか判断できないが、見たところ、オペラの中ではトゥーランドットはかなり暗い過去のある女として描かれていたので、グリゴリアンの印象はそれにピッタリであった

  • ピン・ポン・パンのポンは日本人の尼子広志が勤めていて結構出番が多かった。尼子氏は1992年に日本人の父親と、英国人(ウェールズ)の母親の間に生まれ、英国で育った日系英国人テノール歌手、英国のloyal college of musicで学び2018-19シーズンからハンブルク歌劇場のメンバーとなり、現在はウィーン国立歌劇場のメンバーとなっている人だ
  • オペラの中で重要な役割が与えられているリューのクリスティーナ・ムヒタリヤン(Kristina Mkhitaryan、ロシア、ソプラノ)も良い演技をしていたと思うし、歌唱力もあると思った、彼女はタイトル・ロールが務まると思った

楽しめました

 

 


サザコーヒー本店を再び訪問する

2024年07月28日 | カフェ・喫茶店

勝田ゴルフ倶楽部でゴルフをした後、車で10分くらいで行ける勝田駅近くにあるサザコーヒー本店に行ってみた、ここは今年の春、ひたち海浜公園に来た際、初訪問したところ、大変いい雰囲気のところなのでまた来たくなった

店に隣接するところに広い駐車場があり、そこに入れれば無料、店に入ると結構混んでいたが席はいつくか空いていて、奥の方に腰掛けた。

今日は炎天下でのゴルフのあとだったので冷たいものを飲みたいと思い、アイスコーヒーと嫁さんはアイスティー、あと二人でケーキ1個たのんだ、値段は高めで、800円から1,000円くらいの価格設定、それなのに結構混んでいるのは、雰囲気が良い、長時間いられる、日立城下町で比較的経済的に恵まれている人が多い、ことなどが影響しているのではないか。

ここは庭もあり、テラス席もあるが、今日はさすがに暑いので皆、室内で楽しんでいた、室内は比較的広く、結構な収容力がある、庭の緑も見える、室内には熱帯地方の大きなワニのようなものが飾ってあり、熱帯雨林の中のカフェという感じを出している、天井は高く、大きな梁が見えるのも洒落ている

出てきたコーヒーは酸味が強いので私の好みではないが、アイスコーヒーではそれがあまり感じないので良かった、ケーキもおいしかった、入口の方にはショップもありコーヒーに関連したいろんなものを販売している。

ゆっくりくつろげました、ゴルフで火照った体を冷やして、一息つきました。

この後、近くにあるスーパーで買い物をして帰宅したが、ここは那珂湊の近くでもあり、春に来た時に那珂湊のわたなべ製麺所の焼きそばを買って帰っておいしかったので(その時のブログはこちら)、今回はスーパーでわたなべ製麺所の焼きそばを2つ買って帰った。

ゴルフの翌日、さっそく焼きそばを作ってみたが、前回と微妙に味が違った、よく袋を見ると同じわたなべ製麺所の焼きそばだけど、袋のデザインが違うし、中に入っている麺以外の添付品が違う、今回は粉末ソースだけだが前回はラード、生姜もついていた。前回のものの方がうまかったと思うが嫁さんはそうでもないと言う

ご馳走様でした

 

 


勝田ゴルフ倶楽部でゴルフ

2024年07月27日 | ゴルフ

茨城県ひたちなか市のPGM勝田ゴルフ倶楽部でプレーしてきた、初訪問、費用は二人で16,900円、これにはクールカート代2,000円、カートのフェアウェイ乗り入れ代1,000円が含まれる。この日は晴天、日中の最高気温は34度と出ていた。東京は37度だったからそれよりはマシか

このコースは、1979年10月(昭和54年)開場、設計は大久保晶、18ホール、ワングリーン、6870ヤード、アップダウンはあまりない。このコースは、平成18年9月にPGMが当時ジャスダック上場のイマジニア(株)から勝田GCの事業及び資産を譲り受ける決議をしたと発表したこと以外には情報がないので過去の経緯は不明である。

コースはひたち海浜公園のすぐそば、海が近いので、この辺の気温は内陸より3度以上は低いことが多いので、一度来てみようと思ったが、今日は海風が全然なく、蒸し暑く感じた。PGMが盛んに宣伝しているクールカートを初めて使ってみたが、あまり涼しくは感じなかった、これは送風だけであり、送風機の音が大きくうるさい、カートに乗り込むときによくこの送風機に頭がぶつかった。

コースの特徴はティーショットにあまりプレッシャーがないが、グリーン周りが全部OBになっているホールがいくつかあり、それが相当なプレッシャーになった、距離がない分、そういうところで難しくしているのでしょう。バンカーも大きいのが多かったが砂が堅かった。

ほとんどのホールでスコアカードの距離通りの場所にティーマークがあり、これは評価できる、ただ、フェアウェイにはディボット跡が多く、グリーン上もボールマークが直していないところが散見され、客のマナーは良くないでしょう、昼休みにレストランで来ている客を観ると結構年配の人が多いのにマナーがなっていないのにはがっかりだ。

また、プレーの進行が悪く、毎ホール待たされた、これは2サムと4サムが混ざってラウンドしていること、指定されたスタート時間前でも前の組がセカンドショットを打ち終わるとスタートしてしまうことなども影響しているだろうが、ストレスがたまった。猛暑のゴルフ場にハーフで20分から30分余分にコースに出ているのは結構大変だ。

クラブハウスは立派で、むかしは相当豪華な接待コースだったのではないか、レストランからはコースのスタートホールや最終ホールが一望でき、素晴らしいと思った、その意味で良いクラブハウスだと思う。

炎天下でのラウンド、熱中症にならずに無事終了できたのは何より、暑さ対策をばっちりして、フェアウェイ乗り入れ可能なコースであれば夏場でもラウンドできる、が、いつまでこんな危険なことやっていられるか、ゴルフ場は結構混んでいた、元気な人が多い。

先日も炎天下の中の釣り堀でパラソルをして釣りを楽しんでいる人が何人もいたのを見たが、釣りであれゴルフであれ、好きなことは猛暑であろうと極寒であろうとやるものなのでしょう、熱中症で倒れれば「そんなバカなことやるからだ」と言われる

楽しめました


映画「ビリーブ 未来への大逆転」を観た

2024年07月26日 | 映画

アマゾンで映画「ビリーブ 未来への大逆転」を観た、追加料金なし。2018年、120分、アメリカ、監督ミミ・レダー、原題On the Basis of Sex

映画の冒頭、この映画は実話に基づくと出る、ルース・ギンズバーグ(フェリシティ・ジョーンズ)は、貧しいユダヤ人家庭に生まれ、努力の末に名門ハーバード法科大学院に入学する。当時(1956年)のハーバードは500人の生徒のうち女性は9人で、女子トイレすらなかった、同じハーバードの学生である夫のマーティンが家事も育児も分担し、彼女は大学院を首席で卒業、弁護士になりたかったが女性であることを理由に雇い入れる法律事務所はどこにもなかった。

やっとのことで大学教授になったギンズバーグは、男女平等の講義に力を入れながらも、弁護士への夢を捨てきれずにいた。ある時、マーティンがある訴訟の記録を見せる。ギンズバーグはその訴訟が、男女平等に関する歴史を変える裁判になることを信じ、自ら弁護を買って出るのだが・・・

この映画の主役、ギンズバーグは1993年にクリントン大統領に指名されてから2020年9月に病気で死去するまで27年間にわたって連邦最高裁判事の座にあり、特に性差別の撤廃などを求めるリベラル派判事の代表的存在として大きな影響力を持った人であった。

このことに関連して、彼女が亡くなるまで最高裁判事の職にあったのは、2017年にトランプ政権になってから最高裁判事に任命された2人がいずれも保守派であったため、彼女が病気で辞任すれば保守派優位の状況が続いてしまうからと言われている、そして彼女亡き後、11月に保守派と言われるエイミー・コニー・バレットが判事に任命された。

トランプが判事に指名したエイミー・バレットとブレッド・キャバノの任命時の民主党代議士、メディアの醜いばかりの候補者いじめはひどかった、嘘をでっちあげても批判していた、まるでどこかの国の左派新聞と同じだ、こういった対応をギンズバーグは苦々しく見ていたのではないか、と思いたいが・・・

映画を観た感想を述べてみたい

  • この映画の劇場公開日は2019年3月22日であり彼女がまだ存命の時だ、その段階でこのような映画が制作されるというのはまれであろう、それだけすごい人だったと言えるのでしょうが、映画が政治的な宣伝に使われた面はないのか、映画界は民主党支持なので
  • 日本ではいま、朝ドラ「虎に翼」でまさに日本初の女性弁護士・判事・裁判所所長となった三淵嘉子さんをモデルにしたドラマが放映されていることの偶然に驚いた、そして、朝ドラの寅子とこの映画のギンズバーグの性格がそっくりなことにまた驚いた、そうでなければ男優位の社会ではやっていけなかったのでしょうが
  • ギンズバーグの父親はオデッサ出身のユダヤ系ウクライナ人移民である、ギンズバーグはロシアのウクライナ侵略が起こる少し前に亡くなったが、父親の故郷が侵略されたのを天国で見てさぞかし嘆き、ロシアに対して怒りを感じていることでしょう、ただ、彼女の母親は彼女に「自分の感情をコントロールし、怒り、悔恨、ねたみに流されるな、こういった感情は徐々に力を奪うものでしかない」と教えていたそうだ

  • この映画で印象に残ったのは、ギンズバーグが思春期の娘と口論になり、娘が自室の閉じこもった際、夫のマーティンが娘のところに行き、「おばあちゃんはママがお前くらいの年に亡くなったが、亡くなる直前までママと本を読んで討論していた、すべてに疑問を持てと、ママは意地悪じゃない、お前に自信を持たせないのだ」と諭すところだ。
  • 父親が思春期の娘にこんな対応ができるなんて、という驚きと、「すべてに疑問を持て」というおばあちゃんの言葉に「然り」と思った。メディアがトランプ批判ばかり、などは寅子のように「はて?」と思わないといけないでしょう
  • ギンズバーグの夫マーティンは優秀な法律家であると同時に、結婚してまだ子供が小さいころ、精巣ガンになり医者から助かる確率は10%だと言われ、新しい治療法を試そうと言われた、それほど絶望的な状況から治癒したというのがすごいし、家事への協力というのがまたすごい、こんなことができる男はいまのアメリカでもまだ少ないのではないか

世の中の常識を変えるというのは大変なことだ


筑波学園ゴルフ倶楽部でゴルフ、帰りにサロンドカフェよしだ

2024年07月25日 | ゴルフ

茨城県桜川市の筑波学園ゴルフ倶楽部に行ってきた、費用は二人で10,500円の激安。天気は晴れ、最高気温は30度くらいか。

このコースは、昭和48年に坂戸城CCで発足したがオイルショックで挫折し、その後大日本土木の全面支援で筑波学園GCとして昭和60年に開発許認可を取得。だが、平成22年7月に民事再生法の適用を申請、その後認可決定を受け、平成28年1月に 再生手続終結決定を受けた。御多分に漏れず、このコースも紆余曲折があったようだ。

コースは18ホール、ワングリーンの丘陵コース、6,700ヤードと距離はそれほど長くないが、谷越えや崖、OBなど見た目のプレッシャーでコースが難しく感じるようになっているのでラウンドして結構面白い。ただ、グリーンのスピードは遅く、多分8ftくらいではないか。ラウンドはナビ付カートでリモコン付きだから楽だった。

今日のラウンドは進行が悪く、毎ホール待たされ、後ろの組からは追いつかれ、ストレスがたまるラウンドになった、マーシャルがプレーの遅い組に注意していることもなかったので、この点が大きな問題だと思う。遅れを生じさせている組にはナビ画面に警告を出すなどの対応も必要だろう。

昼食は追加料金のあるものも多かったが、おいしかった。梅雨時だけど、雨にも降られず、一日楽しめました。

さて、今日は早い時間に終わったので、ゴルフ帰りの途中で守谷の「サロンドカフェよしだ」に立ち寄り、ケーキセットで一息ついた、今日は結構混んでいた。ここは雰囲気も良く、ケーキやコーヒーもおいしく、1,000円しない値段でくつろげるのがありがたい。

ご馳走様でした。


日本橋を歩き、買い物

2024年07月24日 | 街歩き・国内旅行

片岡シェフのイタリアン・レストランで食事をして、そのあとちょっと歩いて室町にある映画館で映画を観て、再び日本橋高島屋に戻り、買い物をした。

最初、片岡シェフの店で食事を済ませ、デパ地下をちょっと見て、そのあと映画を観に室町方面に歩き、日本橋のふもとに来て、先日テレビで広重を取り上げた番組で、あの有名な「東海道五拾三次 日本橋 朝之景」の中に小さく描かれている「高札場」(江戸時代の掲示板)が今でも形を変えて存在するという、その場所を確認したりした。

そして、ふと横を見ると建築中の大きなビルがあるのが目についた、かなり大きなビルだ。いつの間にこんなに大きなビルが建ったのだろうか。

ネットで調べてみると、ここは日本橋一丁目中地区第一種市街地再開発事業のようで、三井不動産、野村不動産が事業主となり2026年3月完成予定、総事業費3,200億円という大プロジェクトだ。

そして、日本橋を渡り、三越側に出て、ふと振り返って日本橋を見てびっくりした。日本橋の上に建築中のさっきのビルが高々とそびえて見える、見た瞬間、昨年アーティゾン美術館で開催された展覧会「ジャム・セッション 石橋財団コレクション×山口晃 ここへきて やむに止まれぬ サンサシオン」で見た山口氏の、趣都日本橋編「月刊モーニング・ツー」という作品の雰囲気を思いだした(その時のブログはこちら)、山口氏の作品とは意味するところが違うが、日本橋の背後の大きな建築中のビルがまるで日本橋に襲いかかろうとしているように見えた、この景色を見て山口氏がどう感じるのか知りたいものだ

さて、映画を観終わった後、再び高島屋に戻り、午前中に見ておいたメゾンカイザーに行き、明日の朝食用のパンを買った、今日はクロワッサンとスコーン、食パン四分の一斤を買う、合計で768円。メゾンカイザーはJALのファーストクラスの機内食やラウンジで使われていると以前雑誌か何かで見たことがある、今はどうか知らないが、おいしいのでたまに買って帰りリッチな気分なって食べている。

そのあと、高島屋デパ地下の洋菓子で有名な尾山台のAU BON VIEUX TEMPS(オーボンビュータン)の出店があるので洋菓子缶を買おうと思ったら売り切れだった、やはり映画に行く前に残っていたのでその時に買っておくべきだった。

今日はこれでおしまいにして帰宅した


映画「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」を観た

2024年07月23日 | 映画

映画「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」を観た、2024年、132分、アメリカ、監督グレッグ・バーランティ、原題Fly Me to the Moon

TOHOシネマズ日本橋で観たが、今日が封切初日、昼過ぎの放映だが結構お客さんは入っていた、中高年が多いが若い人もいた、シニア料金で1,300円

1969年、アメリカ。人類初の月面着陸を目指す国家的プロジェクト「アポロ計画」の開始から8年が過ぎ、失敗続きのNASAに対して国民の関心は薄れつつあった。ニクソン大統領の側近モー(ウディ・ハレルソン)は悲惨な状況を打開するべく、PRマーケティングのプロであるケリー(スカーレット・ヨハンソン、1984年生れ)をNASAに雇用させ、彼女のアイディアで次々と思い切った宣伝施策を実行していく。

真面目なNASAの発射責任者コール(チャニング・テイタム、1980年生れ)はそんな彼女のやり方に反発するが、更に驚天動地の施策が計画され・・・

以下、ネタバレ注意

ケリーの指示で実施された施策の中には、とんでもないものもあるが、いつまでも成功しないアポロ計画の予算を削減して他に振り向けると主張する議員をうまく説得して逆に恩を売るなどの立派な施策もある。

そして、失敗した場合に備えて、月面着陸の大規模な模擬セットを作り、そこで撮影技術を駆使して着陸のフェイク画像を放映する準備をする、というとんでもない施策が出てくる

この映画を観た感想を述べてみよう

  • この映画は、半分実話、半分フィクションである、そして性格が正反対なケリーとコールのラブ・ストーリーであり、また、コメディーの要素もある映画である。このコメディーというのは、例えば、劇中頻繁に出てくるコールが毛嫌いしていた黒ネコが最後に面白おかしく大活躍するからだ
  • アポロ月面着陸がフェイクだったという陰謀論は前からあったそうだが、知らなかった
  • この映画で取り上げたのはアポロ11号であり、人類は歴史上初めて地球以外の天体の上に降り立ち、船長ニール・アームストロングは「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である(That's one small step for [a] man, one giant leap for mankind)」という有名な言葉を残した、この映画の中でも出てくるが、確かに感動する名文句であった、よくこんな素晴らしいフレーズがとっさに出てくるものだと感心する、ただ、事前に用意していたとの話もある
  • コールを演じたチャニング・テイタムは知らない俳優だったが、ケリーを演じたスカーレット・ヨハンソンはだいぶ前に東京を舞台にしたロスト・イン・トランスレーション(2003、米)やマッチポイント(2005、英)を観て知っていて好きな女優だ、今回久しぶりに彼女の映画を観た、今回は、彼女のグラマーなスタイルがやたらに強調されるコスチュームで見ている男性陣を大いに刺激したと思う

  • 映画の前半は退屈で眠くなった、何とか我慢していたら、後半が面白かったので何とか2時間ちょっと寝ないで済んだ。
  • 最後は万々歳で終わるところがいかにもという感じ、月面着陸は成功、陰謀論は真実に負ける、これがアメリカなのでしょう、単純と言えば単純だ

楽しめた映画でした


日本橋高島屋アルポルト・カフェでランチ

2024年07月22日 | グルメ

日本橋に映画を観に行ったとき、映画の前に高島屋でランチをとった、今回は高島屋本館地下のアルポルト・カフェに行ってみた。

11時から開店なので、ちょうどその時間に行ってみると、ウェイティングの行列はなし、すぐに入れた。人気シェフなので行列ができていたら8階の特別食堂の野田岩にでも行こうかと考えていたが杞憂に終わった。

このレストランは、東京西麻布「アルポルト」オーナーシェフであり、イタリア料理界の重鎮、片岡護シェフが経営するレストラン、2002年開店のようだ、西麻布の方は高いかもしれないが、高島屋の方はリーズナブルな価格設定だ。片岡シェフはメディアにもよく取り上げられている人なので名前は知っていたが、片岡シェフのレストランに行くのは初めてだ。

店のwebページによれば、片岡シェフは、少食な日本人向けに開発した「懐石風イタリアンコース」のコ ンセプトが多くのお客様に支持され、TV番組や著書も多く、本場イタリア料理を日本に広めた 立役者の一人として有名、とある。

店内は64席あるようで結構広く感じた、中ほどの場所の二人掛けのテーブル席に案内されて座る。メニューを見て、ランチコースもあったが後に映画が控えているので、今月のパスタ「緑黄色野菜たっぷりの菜園風ソースパスタセット(パンとサラダ付き)」2,090円を注文した、最近行った池袋西武の落合務シェフのイタリアン・レストランで食べたペペロンチーノと比べてみようと思ってペペロンチーノを探したら、ここではなかったのが残念だ。

私が入店した後も若干のお客さんが来店したが座席に余裕があるため店内は静かで、クラシック音楽が流れていた。

料理が出てきてさっそくいただいてみると、パスタは細麺、ソースはトマトソース、確かに細かく刻んだ野菜が入っていた、また、パスタの上には粉チーズがかかっていた。パンも野菜サラダもおいしく、じっくり味わって頂きました。

おいしかった、ご馳走様でした。なお、30分ちょっと滞在したが、店は満席ではなく、店を出るときにも外に行列はできてなかった。