ゆっくり行きましょう

気ままに生活してるシニアの残日録

健診後、浅草でランチと買い物

2024年05月31日 | 街歩き・国内旅行

午前中に健康診断を受け、そのあと、浅草に行ってみようと思った、朝10時半から営業しているてんぷらの天藤(てんとう)があるからだ。

TXの浅草で降りて、天藤に向かう、ちょうど開店時間だ、普段ならまだランチには早いが、この日は健診のため朝食を抜いているのでおなかが減っていた。

この店は何回か来ている店で気にいっている、開店直後で客は私一人、いつもの天ぷら定食2,700円をたのむ、前回来たときは確か2,300円だったが、ここも値上げか。それでもまだ良心的な価格設定だろう。

ここの天ぷら定食は大きなエビ1尾、小さなエビ2尾、白身魚、シシトウ、茄子、小柱のかき揚げの組み合わせ。出来立ての天ぷらをおいしく頂きました。味はもっと高い高級天ぷら店にも決して負けないと思う。

さて、食事をした後であるが、近くのセキネでシューマイを買うことにした。しばらく買ってなかった、セキネは大正10年創業の肉まん・シューマイに特化したテイクアウト専門店、今日は特大シューマイ10個入り(1,200円だったか)を買った。いつもは普通の大きさのシューマイ10個入り(500円くらい)を買うのだが、今日はなぜか大きなほうを食べたくなった。

この日は帰宅して、夕食にさっそくシューマイをいただいた、小さいシューマイより大きなシューマイのほうがおいしいと思った

次は少し疲れたので一休みしたくなり、浅草で休む時の行きつけ、新仲見世の舟和本店2階の喫茶室に行ってみた。ここはいつもそんなに混んでいないので穴場である。2階に上がり、席が空いていたのですぐに座れた、今日は抹茶セット(芋)を注文した、客が入ってくるが満席にはならない、中高年の方が多いので落ち着いている。

最後は、雷門通りに面した肉屋の松喜でハンバーグ用の肉300gを買う、値段は忘れたが、100g230円だったか330円だったか。ハンバーグ用の肉は松喜か浅草松屋に入っている日山の肉を買っていくことにしている、日山は3種類くらい用意されているが、松喜は1種類だけだ。ただ、ハンバーグ用の肉は値段が高ければうまいというわけでもないというのが私の感覚だ。

ハンバーグと言えば、ちょっと前にNHKの料理教室で、昔の再放送をやっていた、帝国ホテル料理長の村上信夫氏がハンバーグの焼き方を教えているものだ、村上氏のことは以前読んだ本「フランス料理二大巨匠物語」で知っていたが、テレビで見るのは初めてだった。見ていると実に人なつっこい方で、説明がうまいし、細かいことまで詳しく手に取るように教えていた


(右側が村上信夫氏)

こんなに偉い人が家庭の主婦を相手にした料理番組で説明をするとは驚いた、しかも、いろんな知恵を惜しげもなく出し、実演して見せていた。これこそ本物のプロだと思った。プロとは難しいことを誰にでも理解できるように簡単に説明して、やって見せることができる人だと思う。これは学問の世界でも同じで、難しいことを難しくしか説明できない人は本当はわかっていないのだと思う。その村上氏は、実演しながら、「ハンバーグとはドイツのハンブルグ発祥の料理で、ハンブルグがなまってハンバーグになったのです」などとさりげなく説明していて本当に感心した。

この日の翌日、嫁さんに松喜の肉でハンバーグを作ってもらったが、これもおいしかった。私は家でハンバーグを食べるときは、おろしポン酢をかけた和風ハンバーグとして食べている。

ご馳走様でした。

浅草に来た時の行動パターンも毎回同じようになってきたが、それも良いでしょう、まだ行きたいところがあったが、今日は健診で気疲れしたので、これで帰宅することにした

 


映画「ありふれた教室」を観る

2024年05月29日 | 映画

映画「ありふれた教室」を観てきた、2022年製作、99分、独、監督イルケル・チャタク(1984、独)、原題Das Lehrerzimmer(先生の部屋)、シニア料金1,200円

仕事熱心で正義感の強い若手教師のカーラ・ノヴァク(レオニー・ベネシュ、独、1991)は、新たに赴任した中学校で1年生のクラスを受け持っていたところ、校内で盗難事件が相次ぎ、カーラの教え子が犯人として疑われる。

校長らが生徒たちに、周りでおかしな生徒がいないか答えさせるなどの強引な調査をしたことに反発したカーラは、独自に犯人捜しを始めるが、カーラのやり方や学校側の対応は、やがて保護者の批判や生徒の反発、同僚教師との対立といった事態を招いてしまう。後戻りのできないカーラは、次第に孤立無援の窮地に追い込まれていき・・・・

興味深い映画だった、考えさせられる映画だった、有りそうなストーリーの設定で現実味があった、こういう映画こそヨーロッパ映画の真骨頂であろう。いくつか感じたことなどを書いてみたい

  • 映画では最初に、校長らが生徒から聞き出した問題児はトルコ系移民の家庭だった、決定的な証拠がない中で親と学校でひと悶着起こる、これは移民問題がドイツ社会でいわれなき差別を招いているということを示唆しているのだろうか、監督のイルケル・チャタクもトルコ系移民の息子としてベルリンに生まれるという経歴の持ち主だ
  • 映画の中でこの学校の運営方針は非寛容主義(no tolerance)だと校長が言う、校則違反や犯罪行為には厳格に対応するという意味だと思うが、そうせざるを得ない状況が学校に発生しているのだろう
  • カーラは、職員室の自分の椅子に掛けた上着のポケットに財布を入れ、机の上にあるパソコンのカメラをオンにして離席し、隠し撮りしたら、校内で事務をしている中年女性のブラウスが映り、上着のポケットをいじっている場面が録画されていた、その人の子供はカーラの受け持ちの生徒だった
  • カーラがすぐにその女性に話に行ってしまってトラブルになるが、やはりその行動は軽率だったと感じた、録画には犯人の顔が映っていないし、財布が盗まれたかどうかもはっきり映っていない(ように見えた)、事実、映画では最後まで真犯人は明らかにされない、また、隠し撮りもやりすぎだと思った
  • 容疑をかけられた女性が反発し、その息子も母が先生から疑われていることを知ると学校や先生に敵意を見せてきて、そのいざこざが生徒たちにも伝わり、生徒もカーラたちに不信感を持って授業ボイコットなどをし、保護者会でも突き上げを受け、カーラは追い詰められる、同僚の教師たちも自分たちが隠し撮り対象になっていることから態度を硬化する

 

  • カーラが追い詰められていくところは真に迫っていた、だれでも仕事をしていれば、自分のちょっとした手違いや対応の間違えで大変な事態を招く経験の一つや二つはあるだろう、そういうときの心労は並大抵のものではなく、自分に落ち度があるだけに、ノイローゼなどになってしまう人もいるだろう、そんな場面がよく描かれていると思った
  • 生徒たちは中学1年生だが、もうすでに人権意識や差別意識、教師による事実の隠蔽などに対する批判能力を有しているように描かれている、また、親も教師たちに対して非常に厳しく対峙するところが描かれている、生徒たちはジャーナリスト気取りでカーラにインタビューし、学級新聞にカーラの不適切な対応を書いて校内で売ることまでやっている、こんなことがドイツで起こっているのだろうかと思った、まさに誰もが非寛容だ
  • そして、最後の結末だが救いがない(と、私は思う)、例えば日本的な感覚だと騒ぎを起こし、保護者や生徒たちからも問題視されたカーラが責められ、生徒は被害者とされがちだが、この映画では・・・・
  • 救いのない結末を観た人がそれを批判するなら、どうしたらいいのか考えろ、ということだろう
  • この映画は1回観ただけでは監督の言わんとするところや事実関係がよく理解できない部分もある、しかし、大局的には十分物語は伝わり、理解できるので特に予習してなくても大丈夫だろう

主役のレオニー・ベネシュはよく真に迫った教師役を演じていたと思う。彼女は、ドイツ・ハンブルクで生まれ、ロンドンにあるギルドホール音楽演劇学校で学び、ドイツで最も引く手あまたの若い俳優の一人として知られているそうだ。カンヌ国際映画祭でパルムドールに輝いたミヒャエル・ハネケ監督の長編映画『白いリボン』(2010年)の主演でブレイクしたそうだが知らなかった、ハネケ監督の作品は好きだが、『白いリボン』は観たことがなかったので今度観てみたい。美人で知性的な雰囲気もあり良い女優だと思った、今後の活躍に期待したい


茨城ゴルフ倶楽部でゴルフ

2024年05月28日 | ゴルフ

茨城県つくばみらい市の茨城ゴルフ倶楽部でゴルフをしてきた、費用は二人分合計で47,000円と高め、名門といわれるところなのでこのくらいするでしょう。天気は曇りのち晴れ、最高の気象コンディションだった。

平日だったが、大きなコンペがいくつか入っていた、こんなに値段の高いゴルフ場で平日コンペをやるなんて、日本は景気が良いのでしょう。しかし、聞かれると、「景気が良い」とは答えないのが日本人だ、景気は気からだ、良いときは良いと言ったほうが好循環になると思うが。


このコースは1962年9月(昭和37年)開場の歴史のあるコース、東コースと西コースの合計36ホール、ゴルフ場の設計・造成を手掛ける安達建設グループが作って運営している、コースの設計は上田治、今まで数々のゴルフトーナメントを開催してきて、かつ、交通の便もよい。

この日は、先日、女子プロのトーナメントが開催され観戦した時と同じ東コースでのプレーであった。コースは乗用カートでキャディ付きラウンド、適度なアップダウンがある、ワングリーン、池がところどころに絡む、大きなガードバンカーが口を開けているホールが多い。広々した林間コースで上品な感じがする。

クラブハウスは1階建てで、レストランの前はコースが見渡せるように開けており、うまい設計である。メニューの値段もそんなに高くなく良心的である。ただ、浴場の脱衣所は若干狭く感じた。

この日のプレーの進行は少し詰まり気味であり、ほぼ毎ホールでティーショットを待たされた、また、フロントティーの位置がスコアカードの距離より短いホールがいくつかあった

一日ゆっくり楽しんでコースを後にした、年に1回は来たいコースだ。

さて、この日は帰りには守谷で喫茶店に寄って休んでいこうと思い、事前に探しておいた。この日は、「カフェ・ド・ラパン(Cafe du Lapin)」に寄ってみた、初訪問

谷和原インターの近く、守谷市百合ヶ丘というしゃれた地名にあり、駐車場も広く、中に入るとアンティークっぽい内装、付近の守谷の奥様方がお見えになって談笑されている雰囲気。座れる席がまだあったので4人掛けのテーブル席に着いた。

今日はアイスカフェラテとガトーショコラをたのんでみた、いずれもおいしかった。その後もどんどん客が入ってくる、人気店なのでしょう。ここはカフェだけでなく、ランチなどのメニューが充実して、レストランとしても人気があるようだ。

ご馳走様でした


映画「関心領域」を観た

2024年05月27日 | 映画

近くのシネコンで映画「関心領域」を封切初日に観てきた、今日は6回見れば1回無料の権利を得ていたので無料であった。結構観客が入っていた。2023年、アメリカ・イギリス・ポーランド、105分、監督ジョナサン・グレイザー、原題:The Zone of Interest

ジョナサン・グレイザー監督がイギリスの作家マーティン・エイミスの同名小説を原案に手がけた作品で、2023年の第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門でグランプリ、第96回アカデミー賞で国際長編映画賞を受賞

タイトルの「The Zone of Interest」は、第2次世界大戦中、ナチス親衛隊がポーランドの郊外にあるアウシュビッツ強制収容所群を取り囲む40㎡の地域を表現するために使った言葉で、映画では強制収容所と壁一枚隔てた屋敷に住む収容所の所長ルドルフ・ヘスとその家族の平和な暮らしを描き、観る人に何かを考えさせる映画

空は青く、誰もが笑顔で、子どもたちの楽しげな声が聞こえてくる。1945年、アウシュビッツ収容所の隣で幸せに暮らす収容所長の家族、しかし、隣接するアウシュビッツ収容所からは銃声などの音、建物からあがる煙、その他の気配から、不気味な雰囲気が伝わってくる、そのコントラストから観ている人は何を考えるべきか

ジョナサン・グレイザー監督は「この作品では加害者側の視点で見えるものを描ければと思いました。この作品で訴えたいことは『我々は何も学んでこなかったのか?』、『なぜ同じ過ちを繰り返すのか?』ということです。現代とは関係のない80年前を描いた歴史映画を見せるつもりは一切なく、いまの時代に訴えかける作品にすべくフレーミングした結果、こういう作品ができました」と語っている。

映画を観た感想などを書いてみたい

  • 従来にない「ナチもの」であり、非常にユニークなアプローチを考えたと感心した
  • 音と暗闇を効果的に使っていると思った、映画の冒頭、タイトルの文字と不気味な音が観客を圧倒し、その文字がだんだん音とともに深海に沈んでいくように消えていく、そして小鳥のさえずりが聞こえてきて、収容所の隣家の平和な暮らしが描かれ始める、うまい演出だ
  • 収容所所長の家族にとっては、この家は贅沢で住み心地がよく、隣の収容所で何が行われているが薄々わかっているが、そんなことはどうでもよい、現実の生活を前にして人間とは弱い生き物だ、ただ、同居していた妻の母はある日、手紙を書き残し出て行ってしまう、その手紙を見て焼いてしまう娘である所長の妻、母のほうが歴史の批判に耐えられる行いをした
  • 所長の妻の役を演じていたのは、あの「落下の解剖学」で観たザンドラ・ヒュラー(1978年、独)だ、今回もなかなかいい役を演じていた
  • 所長のルドルフは成績優秀で効率的に仕事を行い、上層部から評価される、それで他の場所に栄転が決定するが、妻は隣家を離れたくないと言う、仕方なく上層部に単身赴任を申し出て認められる、家族の強い要望に弱い小人物が重大犯罪を実行する滑稽
  • 夜、暗闇の中でルドルフの娘がカゴにリンゴを入れて収容所に入り込み、土塁のようなところに一個ずつ埋め込む、それが何を意味しているのか分からなかった
  • また、最後のほうでルドルフが病院のベッドに横たわり、先生からの問診に答え、医者から腹部の触診をされる、その後、軍の建物の中で一人階段を下りているときに吐き気を催す、これが何を意味しているのかも分からなかった
  • 最後の終わり方が何となく拍子抜けするような感じがした、突然、テレビのスイッチを切られたような感じがした

国家の命令、組織の命令であればどんな犯罪でもやってしまう人間の弱さ、いい暮らしのためには本当は問題ある行為をしていても、正当化してしまう、程度の差こそあれ、現代でも十分起こりうることでしょう

同じ状況になったら自分はどうするか、あまりにも重い問題だから簡単には言えない、命令に反すれば自分や家族の命にかかわる

もう少し身近な問題でなら考えられるかもしれない、最近、NHKで不正等の内部通報制度の問題点を取り上げた番組をやっていた、組織内の不正を目にして内部告発をした正義感ある通報者がバカを見て、被害を被る事例だ

超一流会社でも不正が起こっている、有名電気メーカー、自動車メーカー、損害保険会社などなど、社員たちが不正を正当化する理由はいっぱいある、ジャニーズ問題も同じだ、不都合な事実は黙認する、同じことが他にもあるだろうと容易に想像できる

いずれにしても問題が大きすぎる、重大な危険を察知したら逃げる、クラシック音楽の世界でもナチの迫害を恐れて欧州から逃げ出した指揮者、作曲家などはいっぱいいた、しかし、現実問題、そんなことができるか

監督はこれから本作に触れる日本の観客に向けて「我々は、黙認や共犯関係を拒絶する力を持っているということをお伝えしたいと思います」と訴えたそうだが、それは場合によっては命がけだということでしょう、考えさせる映画だけど、もやもや感は残った

 

 


Bill Perkins「Die with Zero」を読む

2024年05月26日 | 読書

Kindleで「Die with Zero」(Bill Perkins)を読んだ、今回は英語の勉強もかねて、原書で読んでみた。Kindleで読めば、わからない英単語や文章は該当部分を指でタッチしたり範囲指定すればたちどころに翻訳してくれるので大いに助かる。英語は大部分が初級英語程度で読みやすかった。

この本は人生をどう考えて生きるべきか、特にお金の使い方に焦点を当てて書いたものである、アマゾンのレビュー数も多いし、書店でも日本語に翻訳をしたものが山積みされているので結構人気があるのでしょう、そんなこともあって読んでみようと思った。

著者がこの本を通じて主張していることは、

  • 本のタイトル通り、死ぬ時までには全部のお金を使え、ということだ、お金を使うとは、何らかの体験をするということだ、それは自分の人生に意味をもたらし、素晴らしい思い出を作る、死の間際に自分の人生は素晴らしかったと振り返ることができるということだ
  • 一方、死んでお金をいっぱい残すということは、自分のエネルギーの使い方を間違えた、必要以上に働きすぎた、時間の使い方を間違えたということだ

こう言われると、人々はいろんな疑問がわいてくるだろう、主な疑問とそれについて著者の回答を要約すると次のようになる

  • 人々は老後に金が枯渇することを恐れて長く働き、多めに貯金をする、そのお金が枯渇するリスクにどう対応するのか
    著者の助言
    それが心配なら生存生命保険(income annuities)に加入する、長生きしたら保険金が出る生命保険だ
  • 死んで子供に金を残してやりたい
    著者の助言
    子供には彼らが本当に必要とするときに金を贈与すべきだ、あなたが死んでからでは遅い
  • 死んで有意義な寄付をしたい
    著者の助言
    寄付をしたいなら今すぐ寄付をすべきだ、金を必要としている人に今、寄付すべきだ

これ以外にもいろんな関連する助言があるので読んでいて面白い。あなたの貯金や投資残高のピークはリタイア前であり、あなたの健康のピークもリタイア前である、あなたの健康状態や財政状態、仕事とのバランスを常に考えて、人生の行動の判断をすべきだ、リタイアしてから人生楽しみたいと考えても往々にして遅い、それゆえお金を多く残して死ぬことになる、それは自分の時間の浪費であり、有意義で楽しい体験をする機会の放棄である

なかなかユニークな考えだと思ったが、自分はこれを半分くらいは実践できているとも思った。そして本書を読んで驚いたのは、著者が多分アメリカの例だと思うが、死んで多くのお金を残す人が多く、働きすぎの人が多いという指摘だ

一般に米人は借金をしてでも消費している人が多い、リタイアしたら仕事はしない、というイメージがあるが、本書を読む限り、ほとんど日本人と同じメンタリティを持っているということだ、本でも新聞でも日本人の書いたものだけ読んでいてはだめだ、翻訳でも不都合な部分を除外している例もあるから要注意だ

読む価値はある本だと思った

なお、著者のウィリアム・O・パーキンス3世(1969年2月、米国生まれ)は、本書の中で自分の経歴も書いているが、Wikipediaによれば、アメリカのヘッジファンドマネージャー、映画プロデューサー、作家、ハイステークスポーカープレイヤー。 2023年時点で約5億ドルの資産を運用するエネルギー取引ヘッジファンド、スカイラーキャピタルを運用、と出ている

 


演劇「ハムレット」を観る

2024年05月25日 | 演劇

彩の国シェイクスピア・シリーズ2nd Vol.1『ハムレット』を観に行った、S席、9,300円、14時開演、上演時間は休憩を含み3時間35分(一幕 1時間45分/休憩15分/二幕 1時間35分)、場所は彩の国さいたま芸術劇場の大ホール(収容人数776席)、ここは初訪問

彩の国さいたま芸術劇場リニューアルオープン&開館30周年イヤーの今年、彩の国シェイクスピア・シリーズ芸術監督吉田鋼太郎による新シリーズ「彩の国シェイクスピア・シリーズ2nd」の第一作として『ハムレット』を上演すると知り、行きたくなった。

この芸術劇場は、1994年10月に開館し、本年、リニューアルオープンした。蜷川幸雄前芸術監督の後を引き継ぐ新しい劇場のリーダーとして、2021年4月から舞踊家の近藤良平氏が次期芸術監督に就任した。ここは蜷川幸雄が手がける演劇公演を数多く上演した劇場

今日はほとんど女性客で占められていた、ほぼ満員の盛況だった

演出・上演台本    吉田鋼太郎

出演
ハムレット:柿澤勇人
オフィーリア(恋人):北 香那
ホレーシオ(親友):白洲 迅
レアティーズ(オフィーリアの兄):渡部豪太
ポローニアス(デンマーク王の顧問官、オフィーリアらの父) ほか:正名僕蔵
ガートルード(母):高橋ひとみ
クローディアス(叔父)/亡霊:吉田鋼太郎

フォーティンブラス(ノルウェー王子)ほか:豊田裕大
オズリック ほか:櫻井章喜
マーセラス ほか:原 慎一郎
ローゼンクランツ ほか:山本直寛
ギルデンスターン ほか:松尾竜兵
黙劇役者 ほか:いいむろなおき
フランシスコー ほか:松本こうせい
ヴォルティマンド ほか:斉藤莉生

演出、台本、出演者の吉田鋼太郎(1959生まれ)はあまり知らなかったが、2018年5月の日生劇場での演劇「シラノ・ド・ベルジュラック」の演技をテレビで見て、感動し、好きになった、大した役者だと思った。その後、機会があれば彼の手掛ける演劇は観るようになった。昨年も彼の演出、台本によるシェークスピア「ジョン王」を観た(その時のブログはこちら)

今日の吉田の演技はさすがベテランの味を出していたと思う、演技に余裕が感じられた、そして彼の演出だが、まずまずだと思った、ホールの後方から舞台に向かって2つの通路があるが、その通路を歌舞伎の花道のようにうまく使って臨場感を出すなどの工夫があった、また台本だが、最後のほうでハムレットに「自分はオフィーリアを愛していた」と言わせる独自解釈もしていた、私とほぼ同年代、これからもどんどん頑張ってほしい

今日の主役はタイトルロールの柿澤勇人だろう、1987生まれ、祖父の清元榮三郎は三味線奏者、曾祖父の清元志寿太夫は浄瑠璃の語り手で、ともに人間国宝、兄嫁は村主(すぐり)千香、千香の姉が村主章枝、両者とも元スケート選手、すごい家系だ。初めて観る俳優だが、熱演していた、最初のうちは結構怒鳴り気味の大声で話していてぎこちなさを感じたが、後半はだいぶ良くなったように思う、やはり日常の会話のように話す技術が大事だと思う

それ以外では、ハムレットの恋人オフィーリア役の北香那(1997生まれ)が良い演技をしていた、吉田の指導が大きいのかもしれないが、父をハムレットに誤って殺され、自分もハムレットから尼寺に行けと言われて気がふれてしまうところの演技が真に迫って非常に良かった。

ハムレットの母ガートルード役に高橋ひとみ(1961生まれ)もいい演技をしていた、ただ、これは吉田に指摘すべきことかもしれないが、ガートルードはもっと色っぽく、セクシーで大胆によろめく熟女というか半分悪女のように振る舞い、服装なども工夫してほしかった、そうでなければ先夫が亡くなって直ぐに先夫の弟と結婚したりしないのではないか、高橋は十分そういうイメージを出せる女優だと思うが、今日の高橋の衣装はそれとは逆の清楚で上品な感じだったので、私が抱くガートルードのイメージから少しずれていると思った、

今日の公演だが、終演になると観客席はすぐにほぼ全員スタンディング・オベーションになった、純粋に演劇が素晴らしかったとしてそうなったのか、吉田がご婦人たちから人気があるためか、主役の柿澤の人気なのかわからないが、圧倒された、演劇公演でこんなことがあるのは初めてだ、宝塚とあまり変わらないイメージで演劇を見ているのでしょう、と言ったら怒られるか

さて、今日は劇場に行くため埼京線の与野本町の駅に降りると、駅前のかなり広いスペースをとってバラが植わっており、満開の花を咲かせていた、大変きれいであり目の保養になった

お疲れ様でした

 

 


信楽のMIHO MUSEUMに行く

2024年05月24日 | 美術

京都旅行に行ったとき、滋賀県甲賀市信楽町にあるMIHO MUSEUMに行ってみた、前から行きたいと思っていた美術館だ、美術館を紹介する雑誌や本に、必ず紹介されている美術館だからだ。ただ、場所が不便なところで、車で行かないと時間がかかるし、閉館している期間も長いためで、なかなか都合が合わなかった。


(両手付小壺、東地中海地域、前2-前1世紀)

今回、京都旅行を計画し、その時期を5月にしたのも、その時期は開館していることと、美術館が森の中に位置しており、新緑のときに訪問するのが良いと思ったからだ。

京都旅行の2日目、朝食を食べて、車でホテルを出発、高速道路を使用して約1時間程度で到着した、近くのインターを降りてから結構走ったので、本当にこんな山中に美術館があるのだろうかと、そういう雰囲気のところだ。


(レセプション棟を出たところ、この先のトンネルに続く道)

MIHO MUSEUMは、1997年に開館。ルーブル美術館ガラスのピラミッドで知られる中国系アメリカ人のI.M.ペイによって設計され、中国の詩人、陶淵明の『桃花源記』に描かれた理想郷である桃源郷をモチーフにした、敷地面積は100万㎡とあるから驚きだ、18ホールのゴルフ場で大体50万㎡から100万㎡の間だから、その広さがイメージできよう


駐車場からレセプション棟に入り、チケット1,300円を買い、アプローチロードをいくとトンネルが出てくる、そしてトンネルを出ると吊り橋があり、その先に美術館棟が見えてくる

ここでは環境を保護するため美術館全体の80%が地中に埋設され、山に溶け込んでいる、同じような発想の美術館が箱根にあるポーラ美術館であろう。

美術館棟に入ると、正面に広いロビーがあり、そこはガラスの屋根から降り注ぐ光とベージュ色のライムストーンの壁面で包み込まれ、彼方まで穏やかな山々が連なる大空間となっている、窓外の山林の景色が借景になって目の前に広がっている

写真をご覧いただければわかる通り、このロビーはルーブル美術館のガラスのビラミッドの規模を大きくしたような感じだ。

この日の企画展は北館全部を使って「古代ガラス-輝く意匠と技法」が開催されていた、ガラスが宝石であった時代の貴重な作品が展示されており、ファラオ頭部、獅子頭形杯、古代地中海のコアガラス香油瓶やビーズの数々、繊細の極致であるモザイクガラス、色とりどりに銀化したローマンガラス、正倉院にも伝わったカットガラス、中国で瑠璃や玻璃と呼ばれた玉類などが展示されていた、きれいなものが多く、また、古代にこんなに精巧なものが作られていたことに驚く

館内は写真撮影禁止だが、企画展の一部の作品のみ撮影可能だった。
(アラバスター文壺、東地中海地域あるいはイタリア、1世紀)


(碗、東地中海地域、前2-前1世紀)


(円筒形容器、ササン朝ペルシア、7世紀)

南館は展示室がいくつかあり、エジプト、西アジアとギリシア・ローマ、南アジア、古代中国、ペルシャなどの古代美術作品(像、彫、リュトン、鉢、モザイク画、フレスコ画など)が展示してあった。

展示作品はいずれも古代のもので、日ごろあまり鑑賞することがないので、興味を持って観られた。個人的な好みは16世紀以降の絵画にあるので、作品としてどうしても観たかったものが観られたということはなかったが、美術館自体が一つの美術作品となっているので、そこを訪問して鑑賞できたということだけで満足だ。

さて、この美術館については、詳しいことはあまり調べないで来たが、実際に鑑賞してみて、その広さ、豪華さ、雄大さなどに驚き、いったいこの美術館の所有者は誰だろう、と思った。入口を入ったところのロビーから見える信楽の森林の少し先に、何か大きな建物と塔のようなものがくっきりと見える、あれは何ですか、とスタッフの方に聞くと、「あれはこの美術館のオーナーの作った宗教団体の本殿とベルタワーである」とのこと。

ネットで調べると、この宗教団体とは、神慈秀明会(しんじしゅうめいかい)、教祖は、世界救世教の教祖である故岡田茂吉氏であり、この教団の立教者(開祖)は、世界救世教秀明教会の会長であった小山美秀子(みほこ)氏である。この教団は、世界救世教の分派教団の中では最大規模の団体であり、公称信者数は35万人とされている、そして小山美秀子はこの美術館の創立者である

どうりで金があるわけだ、ロビーから見える本殿は富士山をイメージした屋根で、霊峰富士の景色が美術館の借景としてロビーから見えるというわけだ、美術館のほうが後からできたそうで、こう見えるように美術館を設計したようだ

しかし、宗教団体がこんなすごい財産を持っているとは、いやはや・・・そういえば、創価学会も東京の八王子に東京富士美術館を持っている

複雑な気持ちになって美術館を後にした


2024京都旅行(その5・完)

2024年05月23日 | 街歩き・国内旅行

さて、今日は最終日、天気は晴れ。まず朝食だがノダコーヒ本店に、朝7時開店のため、少し早めに到着。ここは開店前だが客が店先に並ぶと店の中に入れてくれるので好きな席に座って備え付けの新聞を読みながら7時を待つ。

もう結構先客が入っていたが、奥の広い庭園が見える席が空いていたので、そこに座る。今朝の注文は、昨日食べ過ぎたので、トーストとコーヒーのみとした、二人合計で2,000円くらいか。

ここはコーヒーにクリームと砂糖をあらかじめ入れて提供する方式、私はブラックを飲むのでそう言えば対応してくれる。ここは、1940年に猪田七郎氏が海外産コーヒーの卸売を始め、1947年にコーヒーショップを開いたのが創業である。この時、客が会話に夢中になってコーヒーが冷め、砂糖とミルクがうまく混ざらなかった事がきっかけとなり、初めから砂糖とミルクを入れた状態でのコーヒーの提供が始められた

イノダコーヒも京都府内に何店舗があり、東京の大丸にも出店しているが拡大主義ではない。近くに三条店もあり、そこも大変しゃれているが現在改装中。私はこの本店が好きだ、庭が見えて、天井も高く、開放感があって上品な感じがして落ち着くのだ。

2022年9月に後継者不在を理由に事業承継を目的とした投資ファンド「アント・キャピタル・パートナーズ」が運営するファンドへの株式譲渡を発表し、ショックを受けた。

朝食後、今日は車で貴船(きぶね)に行くことにした。30分で到着する、市内よりは高地にあるため涼しい、9時前に到着して、運よく駐車場が空いていたのでそこに駐車し、貴船川沿いに歩いて貴船(きふね)神社本宮に向かう、地名の貴船は濁るが、神社の貴船は濁らない、これは、貴船神社は水の神様のため濁ってはいけないため。

貴船神社の入口の鳥居をくぐると本宮に続く階段があり、そこが写真の名所なっている。階段を昇って本殿に到着すると、本殿から上の山には木々のほかに水草、シダやツタのような水源の地によく生えている草ゝが鬱蒼と茂っていた、そして上のほうから水がしたたり落ちてきていた。

貴船神社は、全国に約500社ある貴船神社の総本宮、本宮の横に「由緒」が掲示されており、神社の始まりは不詳だが、第18代天皇の御代に奥宮の社殿を建てた記録があるので、日本でも指折りの古社に数えられる、とある。すごいところだ。

さらに、そこから奥に500メートルくらい歩くと奥宮があるので行ってみた。この本宮から奥宮までの川沿いには川床料理の料理屋がびっしりと並んでおり、もうすでに営業していた、道路沿いにはメニューが出ている店も多く、料理の値段はピンキリだが、5,000円くらいから利用できるようだ。

奥宮に参拝し、同じ道を歩いてまた駐車場のところまで戻った、奥宮にも駐車場があったが、ここは本宮の入口近くの駐車場に入れて、奥宮まで歩いたほうが新緑の景色をゆっくり楽しめるので良かったと感じた。

この後、すぐ近くの鞍馬に行ってみた、鞍馬駅前に駐車して駅の大きな天狗や駅舎内や叡山電車が到着するのを見た、この鞍馬が終点だ。電車から多くの観光客が降りてきた。

そのあと、鞍馬寺がすぐ横なので行ってみた、寺の山門を見上げる階段の入口がやはり観光ガイドブックによく出てくる景色である、何枚か写真を撮ったが、あとの予定も控えているので、それ以上は中に入らなかった

さて、貴船と鞍馬で午前の予定は終わり、次は昼食の予約を取ってある旧三井家下賀茂別邸に向かう、場所は下賀茂神社の一番南側、出町柳駅のすぐそばだ、そこに市営駐車場があるので車を停めて、別邸に向かう。

この別邸には誰でも入れる、もとは隣接する家庭裁判所も含めて三井家の財産だったが財閥解体で国の所有になり、家庭裁判所とその裁判所長の宿舎として利用されることになった、ただ、その宿舎は利用勝手が悪く、宿舎だけは何年か前から観光用の施設として民間に運営委託されていると説明してくれた。したがって、家庭裁判所は今でもあるし、財産は国の所有物だ。

この別邸では見学だけでなく、抹茶プランやランチプランがあり、お屋敷内の部屋で楽しめる。今回は初夏のランチプランを予約しておいた、見学だけの人は入れない2階のお座敷で京都の有名な仕出し料理屋「三友居」のお弁当を楽しむプランだ。


(庭園がよく見える大きなガラス窓が特徴)

時間が来ると2階に案内され、若干の説明の後、ゆっくりと庭園を見下ろしながら三友居のお弁当をいただいた、ビールなどお酒もオプションである

食後には、ガイドの男性と3階の望楼に昇った、この日の参加者は7名、望楼に入り景色を楽しみガイドの方のいろんな説明を聞き、写真を撮って楽しんだ。望楼からは大文字焼きの山や比叡山、別邸の庭園などが眺められ、天気も良かったので楽しめた。このガイドの方から、昨日行った真如寺は三井家の菩提寺だと教えてもらってびっくりした。

さて、また2階の部屋に戻り、今度は食後の茶菓が用意されていた、茶道のお茶碗に入れられた薄茶と鶴屋吉信のきれいでかわいらしい和菓子だ。

このランチプランは7,500円と少し高めだが、なかなか来られるところでもないので、払う価値は十分あると思った、観光客や外人さんが殺到しないことを祈りたい

別邸を後にしたのが午後2時過ぎ、飛行機の時間を考慮すると京都出発は4時少し前、そうすると観光できるのはあと1か所、出町柳の駅前で阿闍梨餅を買って、あとは車を停めたまま、バスで三条のカフェ、Tribute Coffee、に行くことにした。ここは比較的新しい店だと思う。

三条の交差点からすぐだが、ビルの3階にあるので少し不便だ、しかしテレビなどに出たため結構客が来ている、すぐに座れたので、アイスオレとプリンをたのんだ、若者が多いが、中高年の客も来ている。店はそれほど広くなく、店主と奥さんの二人でやっている感じで、忙しそうだ。

コーヒーを飲みながらこれから出町柳に戻り、車で伊丹空港までにどのくらい時間がかかるかGoogleマップで確認し、そのあと店を出た。

これで今回の京都の旅は終わりだが、計画したけど行けないところもあった、それは次回以降のお楽しみに取っておこう、京都は年に1回は訪問したい

(完)

 


2024京都旅行(その4)

2024年05月22日 | 街歩き・国内旅行

さて、3日目の夕方、夕食前に真古館(しんこかん)という喫茶店で過ごそうとあらかじめ予約しておいた、ここは完全予約制、時間は17時から。


(入っていいのかな、と思わせる吉田山荘の門構え)

この真古館は吉田山荘の敷地内にある。吉田山荘は、東山三十六峰の一つ、吉田山の中腹に位置し、昭和天皇の義理の弟君、東伏見宮家の別邸として昭和7年に建てられた。戦後は料理旅館となり、宿泊や宴席ができる施設になり、さらにお茶をお楽しめるようカフェ真古館を作り、季節ごとのイベントなど、文化的な催しも多数行っている。


(右奥の建物が真古館、左の建物は吉田山荘入口)

近くのコインパーキングに車を停めて、吉田山荘の前に来ると、その立派な門構えにびっくり、さすが皇室ゆかりの宿だ、こんなところに入っていいのかなと思いつつ、門から山荘の入口につながる道を登っていくと、すぐに吉田山荘と真古館が見えてきた。

真古館のドアを開けて入ると1階はお土産の店舗とレジなどになっており、2階に案内される。混んでいるのかと思ったら、まさかの我々1組のみ、テーブルがいくつも置いてあり、好きな席にどうぞと言われ、吉田山荘の玄関が見える窓側の席に腰掛ける。

メニューは珈琲+お菓子のセット1,800円で、ケーキ等は別料金、値段は高めだが、由緒ある場所で、雰囲気のいい場所なので納得。クラシック音楽も流れている。

2階からは敷地内の新緑の木々がよく見え、また、室内は蛍光灯ではなく、ランプ等で明かりをとっており、上品な感じが良かった。ゆっくり寛げました

さて、これから夕食の予約をした店に行こうとパーキングに戻ると、真正極楽寺真如堂というお寺がすぐ横にあったので、参拝していくことにした。本堂横には三重の塔もあり、立派なお寺だ。永観2年(984年)に戒算上人が開創した、比叡山延暦寺を本山とする天台宗のお寺であるが、翌日になって、このお寺は三井家ゆかりの寺だということが分かった、三井家の家祖三井高利夫妻の墓所になっており、それを機に三井家の菩提寺となっているとこと。

その後、車で京都で最古の花街、上七軒の近くにある中華料理店「伯楽家常菜」に、中国吉林省長春出身のシェフ夫妻が営む店、屋号の「伯楽=才能を見抜き引き出せる人」の「家常菜=家庭ごはん」が店のコンセプト。高級でなく上質に、家常菜を提供する店として人気があるようだ。

予約のあることを告げ、カウンター席に案内される。注文はコース料理ではなく、アラカルトにして、まずは生ビールをたのみ、食べ物は、前菜盛り合わせ、点心(春巻き)をたのみ、その後はメインディッシュとして黒須酢豚、そして最後は〆のご飯ものはチャーハンをたのんだ。ほかにもう一皿食べたような気がするが写真を撮り忘れたか、ビールの後は紹興酒1合を飲んだ、いずれもおいしかった、春巻きは形が独特で、味も普通の春巻きとは違い、家庭で作る春巻きに近い味付けだったのが面白いと思ったし、チャーハンもおいしかった。

店は満員の盛況ぶりであったが、厨房には店主ともう一人、息子さんか、二人で料理を作っているため、注文してから料理が提供されるまでそんなに待たされることがなく、ストレスがたまらなかった。

おいしく頂いて店を後にした、値段は全部で8,000円くらいと良心的価格設定だった。ご馳走様でした。

さあ、今夜はもう少し頑張って、平安神宮近くの京都のジャズ喫茶・バーで有名な「ジャズスポット ヤマトヤ」に行った。一度テレビに出たのを見て、行ってみたくなった。夜の8時半くらいだったか、先客のカップルが1組、どこでも好きな場所に座ってください、とのことなのでカウンター向かいの二つの大きなスピーカーに挟まれたテーブル席に座った。

私はジントニックを、嫁さんはソフトドリンクをたのんだ。つまみで出してくれたミックスナッツを食べながらジャズのナンバーをじっくりと聞いた、かかっている曲はレコードプレーヤーのそばにアルバムが提示されおり、ジョン・コルトレーンのアルバムだった。

店内は撮影OKとのことなので遠慮なく撮影させてもらう、店内を見まわしてみると奥のスペースの壁にはLPのアルバムがびっしりと収納してあった。店内はトイレも含めて、とてもきれいで清潔感があり、かつ、シックだった。

帰りがけに店主とちょっと話をすると、京都ではもうジャズ喫茶やジャスバーは殆どなくなった、とのこと、若者がジャズを聴かなくなったのが大きい、と仰っていた。そうかもしれない。東京のほうがまだましだなと思ったが、全体としてはマイナーな分野になったのだろう、何とか頑張ってもらいたい、一人でも若手のスターが出れば状況はガラッと変わるのだが。

2日目は盛りだくさんで張り切りすぎた

(その5)3日目に続く

 

 


2024京都旅行(その3)

2024年05月21日 | 街歩き・国内旅行

さて、2日目の昼食、市内中心部に行くと混んでいるし、車を停めるのに一苦労するので、今出川の同志社大学の学生食堂で食べようと思いついた

この今出川キャンパスには重要文化財の建物が5つあるというのをテレビで見たことがあり、その見物もかねて行ってみようと思った。

キャンパスには誰でも入れて、学食も利用できる。昼時の学食は学生で混んでいるので、先に校内を歩き、建築物を見学した。ほとんどの建屋がレンガ造りのしゃれた感じ。この日は、重要文化財となっているハリス理化学館が開放されており、中を見学していたら、係りの人から重要文化財のクラーク記念館と同志社礼拝堂(チャペル)も昼の30分だけ開放されておりぜひ見ていってくれと言われたので見学してみた、写真撮影も自由だった、いいものを見せてもらった。

その後、学食へ、トレーをもって自分が食べたい食事があるカウンターに行って注文、多くのメニューがあった、副菜も豊富だ、スイーツもある。その後レジで代金を支払い、テーブル席に。嫁さんと2人分で1,100円くらいだったが、おいしかった。

腹ごしらえした後は、今宮神社に行ってみた、神社の参道にある「あぶり餅」という名物を食べてみたかった。駐車場に車を停めると、短い参道があり、その両脇にあぶり餅の店が2軒ある、「一文字屋和輔」と「かざりや」だ、一文字屋の創業は平安時代、かざりやは江戸時代創業と歴史がある老舗だ。

売っているものは同じあぶり餅だが、二つの店が向かい合っている、両方とも同じくらい客が入っている、多分味付けなどが異なるのでしょう。

先に参拝を済ませ、一文字屋に入って1人前600円のあぶり餅をたのんだ。注文を受けてからすぐ近くの見えるとこで焼いている、煙が風情をそそる、きな粉をまぶしたお餅を親指サイズに千切って竹串に刺し、炭火であぶって香ばしい焦げ目をつけ、白みそだれを絡めて仕上げる

食べてみると、昼食直後だったが、あっという間に完食できた、おいしかった。

さて、この後は、それほど離れていない光悦寺に行ってみた、江戸初期の文化人・本阿弥光悦が1615年(元和1)徳川家康から与えられたこの地に草庵を結び、法華題目堂を建てたのが起こり、光悦の死後、寺(日蓮宗)となった。

境内には、大虚庵など7つの茶室があり、茶室大虚庵を囲むユニークな竹垣は「光悦垣」と呼ばれる有名なものだからぜひ見たいと思っていた

光悦がここに来た頃は、この場所は京都の洛外と呼ばれ、流浪の地と呼ばれてもおかしくないような寂し場所だった、その証拠にここの手前には御土居跡がある。この土居は秀吉が長い戦乱で荒れ果てた京都の都市改造の一環として外敵の来襲に備える防塁と,鴨川の氾濫から市街を守る堤防として築いた土塁である(写真を撮り忘れた)、 土塁の内側を洛中,外側を洛外と呼ぶ

光悦は、この付近にさまざまな分野の、町衆の文化人や職人、芸術家たちを集めて、独自の文化を築きあげたというからすごいものだ。本阿弥家は代々刀剣の鑑定と刀研ぎの仕事に従事していたが光悦はさらに書、絵画、工芸、陶芸などの創作にも従事していたようだ

入場料を払って中に入っていくと、いろんな樹木が植えてあり新緑がまぶしい、その木々の中に草庵が点在している、非常に落ち着いた雰囲気だ、順路をたどっていくと、京都市内が見渡せる場所があり、また、鷹ヶ峰、鷲ヶ峰が見えるいい場所がある、そして光悦垣の美しさに目を奪われた、写真で何回も見たところだが、ついに実物が見られるとは。


(光悦垣)

なお、光悦がここに移り住む前の京屋敷は、現在の上京区実相院町にあったとされ、そこには記念の石碑が建っている、そこは2、3年前に旅行に行ったときに偶然見つけて写真を撮ってあった、場所は楽美術館の近くだ

この後、次の予定まで時間があったので、寺町通の洋菓子店、村上開新堂に行ってみた、何度か来たことがある。

訪ねてみると先客はおらず、ロシアケーキ10個詰めを購入した、値段は忘れたが3,000円くらいか。缶入りクッキーが人気で、予約制、1か月以上前に電話で確認したら1年半先まで予約が入っていると聞いて、あきらめた。


(日本橋高島屋の諸国名品売場で売っているのを見たことがある)

ここには喫茶室があるが現在改装中、この後、続々と客が入ってきた、いいタイミングで買い物ができた、以前はこんなに混むことはなかったと思うが、また、村上開新堂は東京の半蔵門にもあるが、興味のある方は以前の投稿(こちら)をご覧ください

(その4)2日目の夕方から夜に続く