ゆっくり行きましょう

気ままに生活してるシニアの残日録

映画「侍タイムスリッパ―」を観る

2024年11月01日 | 映画

映画「侍タイムスリッパ―」を観た、2024年、131分、監督・脚本:安田淳一(1967年京都生まれ)、10名たらずの超低予算自主映画のロケ隊が時代劇の本家、東映京都の支援でで撮影を敢行するいう前代未聞の作品、8月に都内1館のみの公開から全国100館以上での公開になっていったヒット作品

監督はじめスタッフが一人何役も務めて完成させた映画というからすごい、知っている俳優が誰もいない、何年か前の「カメラを止めるな!」と同じだ、あの映画も面白かった

現代の時代劇撮影所にタイムスリップした幕末の侍が時代劇の斬られ役として奮闘する姿を描いた時代劇コメディであり人間ドラマでもある

  • 幕末の京都、会津藩士の高坂新左衛門(山口馬木也)は家老から長州藩士の風見恭一郎(冨家ノリマサ)を討つよう密命を受けるが、風見と刃を交えた瞬間、落雷によって気を失ってしまう
  • 目を覚ますと、そこは現代の時代劇撮影所だった、新左衛門は時代劇撮影所で出演者と間違えられ現場を混乱させ、撮影所を出た後、長州藩士討ち入りの現場となった寺の門前で寝ているところを住職夫妻に助けられる、そして江戸幕府が140年前に滅んだことを知りがく然とする
  • 一度は死を覚悟する新左衛門だったが、住職夫妻やその夫妻と懇意にしていた撮影所の助監督の山本優子(沙倉ゆうの)などに助けられ、生きる気力を取り戻していく。やがて彼は「我が身を立てられるのはこれのみ」と磨き上げた剣の腕を頼りに撮影所の門を叩き、斬られ役として生きていくことを決意する

面白い映画だと思った、感想などを少し述べたい(一部ネタバレあり)

  • 最初は、突然150年前から現代にタイムスリップしたので、この先一体どういうストーリー展開にしていくのかな、と心配しながら見ていたが、途中で新左衛門と刃を交え一緒に気絶した風見恭一郎も同じようにタイムスリップしたいたことがわか、話が面白くなってきたと思った
  • 新左衛門はタイムスリップした現代を見て、最初は時代劇撮影現場だからそれほど驚かなかったが、撮影所の外に出ると、そこは自動車が走り、ビルが立ち並ぶ現代の町、普通は何が何だか分からなくなると思うが、それがあまり出てなかったのが不自然と思った
  • 時代劇撮影の助監督の山本優子は優しいキャラクターで好感を持った、撮影現場で助監督としてこまめに働き、新左衛門にも優しく接する彼女の存在感は非常に大きかったと思う、彼女(沙倉ゆうの)は実際のこの映画の撮影でも助監督、制作、小道具などスタッフとしても八面六臂の活躍したそうだというから驚いた、映画とリアルが同じというユニークさがこの映画の特徴だ
  • 新左衛門が撮影所で切られ役として生きていくという設定がユニークで、この映画の一つのポイントであろう、斬られ方の上手・下手があるとは今まで全然注目が行かなかったところだ、そして、撮影所内で切られ役の指導をする殺陣師関本(峰 蘭太郎)がうまく絡んで話に幅を持たせていたのはうまい展開だと思った、この峰も現実世界で「斬られ役」として活躍する傍ら殺陣技術集団・東映剣会の役員・会長を歴任してきた経歴というから驚いた、ここも映画とリアルの一致がある
  • この映画は、時代劇がかつての輝きを失い、上演本数も激減している現状を打破するため、迫力ある時代劇を作ろうとする撮影現場が舞台である、その映画の最後のクライマックスを盛り上げるため、新左衛門は「風見恭一郎との決闘の場面を真剣でやろう」と監督に提案し実行する、実際には有り得ない設定だが、この真剣勝負は確かに見ごたえがあった

時代劇と言えば、かつて黒沢映画が世界の映画界に大きな影響を与えたが、最近でも真田広之の「SHOGUN 将軍」がエミー賞の作品賞、主演男優賞などを受賞した、この映画のように時代劇も作り方によってはまだまだ捨てたものではないと思った

面白い映画でした

さて、昨夜はハロウィン祭りの夜、我が家のささやかなハロウィンはCrispy Kremeのハロウィンボックスだった


映画「ビバ・マエストロ!指揮者ドゥダメルの挑戦」を観る

2024年10月12日 | 映画

映画「ビバ・マエストロ!指揮者ドゥダメルの挑戦」を観に行ってみた、2022年、103分、アメリカ、監督テッド・ブラウン、原題Viva Maestro!

1981年ベネズエラで生まれ、10代の頃から天才指揮者として巨匠たちの薫陶を受けてきたグスターボ・ドゥダメル、ベネズエラを代表する音楽教育プログラム「エル・システマ」の責任者であり、音楽で子どもたちを救う夢を追い母国の若手音楽家からなるシモン・ボリバル・ユースオーケストラを率いて活動し、2004年「第1回グスタフ・マーラー国際指揮者コンクール」に優勝、2009年には28歳にしてロサンゼルス・フィルの音楽監督に就任した。

しかし2017年、ベネズエラの反政府デモに参加した若き音楽家が殺害された事態を受け、音楽教育者としてマドゥロ政権批判を新聞に展開、大統領府と対立したことでユースオーケストラとのツアーは中止に追い込まれ、祖国へ足を踏み入れることすら禁じられてしまう・・・・

観た感想などを述べると

  • ドゥダメルはテレビで何度か見た指揮者で、その存在は知っていたが、彼がベネズエラ人というのも忘れていたし、祖国の暴政と戦っているとは知らなかった、ベネズエラという国のことも政情不安定というのは知っていたが、それ以上知らなかった
  • 彼は2004年のマーラー指揮者コンクールで優勝したが、その時に3位に入賞したのがウクライナ人の女性指揮者オクサーナ・リーニフ(Oksana Lyniv、1978年生れ)だった、彼女もNHKBSのクラシック音楽番組で何回か見たことがある、彼女は2021年に女性で初めてバイロイト音楽祭の指揮台に立つほどの指揮者(24年まで4年連続で登場)、その彼女の祖国もあんなことになるとは本当に大変だ、彼女の方はWikipediaによれば2024年いっぱいはボローニャ市立歌劇場の音楽監督にあるようだ
  • この映画では実在の人物が出るのでいろいろ興味深い、サイモンラトル、ロサンゼルス・フィル、ベルリン・フィルなどのメンバーも出てくるので面白かった、ベルリン・フィルのホルン奏者サラ・ウィルスも出ていたのでうれしくなった

  • 映画の中で演奏される曲もベートーヴェンの「運命」やプロコフィエフ「ロミオとジュリエット」、ドヴォルザークの「新世界」、チャイコフスキー4番、マーラーの5番など知っている曲も多くて良かった
  • ドゥダメルがベネズエラに帰れなくなってからは祖国のオーケストラを指導するのはZoomのようなPCの画面で祖国とつなぎ、演奏を聴いて指示を出すなど、ITの進化のおかげで従来では考えられないようなことができるようになったんだなと驚いた
  • 彼が、祖国の音楽教育プログラム「エル・システマ」について、エル・システマは音楽を通じて社会を改革するプログラムであり、音楽には人々を団結させる力があると信じていると語っているところが印象的だ、また、芸術は人々を楽しませるだけではなく、社会を癒し、人々の魂を癒すとも言っている、不要不急のものではないということでしょう
  • オクサーナ・リーニフも、昨年来日したときのインタビューで「アルメニアとウクライナの両親を持つ私は、大きな苦しみを感じています。ただ、いま起こっている悲惨なことだけを見るのではなく、芸術を大切にしてほしい。世界で血が流れ続けている恐ろしい時代ですが、舞台を成功させてそれを世界に運び、魂の喜びを分かち合う活動は非常に重要です。なぜなら『音楽をしよう、戦争ではなく』というメッセージを伝えられると思うからです」と述べている、皆さん同じ気持ちなのでしょう
  • 映画の中に頻繁に出てくるベネズエラの黄・青・赤の3色の国旗の色が頭に焼き付いた、ポスターにもその三色が使われていた

なお、ドゥダメルは2026年にラテン系指揮者で初のニューヨーク・フィルの音楽監督就任が決定している

クラシック音楽好きの人は見る価値があるでしょう


映画「タイムリミット見知らぬ影」を観る

2024年09月19日 | 映画

映画「タイムリミット見知らぬ影」をアマゾンプライムで観た、2018年、109分、ドイツ、監督クリスチャン・アルバート、原題Steig. Nicht. Aus!(外に出るな!)

久しぶりにドイツ映画を観てみようと思ってアマゾンプライムで探したら、いくつか興味が持てそうな映画があり、そのうちの一つを選択した、アクション・サスペンス・ドラマとなっている

ベルリンの不動産会社で大規模な建築プロジェクトに携わるやり手のカール(ボータン・ビルケ・メーリング、1967年)は、仕事熱心なあまり、妻ジモーネとうまくいっていない、実は妻は浮気をしていた、ある月曜日の朝、父親に関心を示そうとしない娘と息子を車に乗せて学校に送り届けようとしている最中に、正体不明の男からの脅迫電話を受ける

男はカールたちが座席を離れると爆発する爆弾を座席下に仕掛けたと言い、巨額の金を支払うよう要求してくる。同じ犯人に脅迫された上司夫妻が男の指示に従わずに車を降りて車が爆発して殺されるところを見たカールは、やむを得ず要求に従おうとする

爆発の際に破片を浴びて息子が重傷を負い、病院に運ぶために必死に車を運転していると、妻の浮気相手から、「貯金を全部降ろせ」などのカールのおかしな言動を警察に通報され、警察に追跡される羽目に、そして、ついにカールが上司への不満のため車を爆破して殺害し、不仲の妻への復讐のため子どもたちを人質にとり、破れかぶれの行動に走っていると決め付けられ、パトカー包囲されてしまうと・・・

映画を観た感想を述べよう

  • 最初のうちは、朝、子供を乗せて学校まで運転してるとき、突然、爆弾が仕掛けられていると知り、それを信じて必死に犯人が要求する金を調達すべく奮闘するという、あまり現実には有り得ない設定で面白くないな、と思っていたが、だんだんと物語が進んでいくにしたがって面白くなってきて、最後の最後までハラハラするうまい映画だと思った
  • カールは、巨額の金を払えと爆弾で脅迫される言わば被害者なのに会社の上司に逆恨みして爆殺した犯人にされるという逆転が生じ、話が面白くなってくる

  • カールは仕事熱心なあまり家族を顧みず、妻や息子と不和となるが、車の中に長い時間座ったまま犯人の要求に答えなければならないカールと子供二人が、息子のけが、父の必死の犯人との交渉と息子を助けるべく奮闘する姿を見た子供たちの心の変化、そして警察が父を犯人と誤解し、射殺さえしかねない状況を理解した時に娘が取った行動、だんだんと家族愛が復活していく様子がうまく描かれていたと思った
  • 警察の通常の捜査官たちと指揮命令系統が別の爆発物処理班との確執、主導権争いが物語を面白くしている、ドラッヘ警部がカールを犯人と決めつけ、抵抗すれば射殺しかねない勢いのところ、爆弾処理班のツァッハが冷静に事態を把握して、もしかしたらカールは脅迫されているかもしれないと判断したところあたりが、「そうだ」と応援したくなる筋書きのうまさがあった
  • 最後にカールと共に死ぬ覚悟をした犯人が車に乗り込んできて、爆発までの間の束の間の会話があるが、そこでカールは自分の強引な仕事の進め方を詫び、犯人に同情を寄せる、そして爆発の間一髪で彼が取った行動が・・・、とてもとっさには思いつかない通常は有り得えない方法だが映画だからそこは許されるでしょう

  • この映画は強引な地上げによる大規模不動産開発を批判する意味もあるのだろう、犯人はその犠牲者だ、犠牲者が復讐のため開発担当者であったカールの家族に同じ苦しみを味わせるための犯行だ、カールも最後は犯人に謝罪する
  • 事件がすべて終わった後、警察の取り調べが終わってカールが建物から出てくるところに家族3人が出迎えに行く、そこでまずは子供2人と抱き合い、最後に妻と無言で抱き合う、その姿を子供二人が嬉しそうに眺めている・・・この終わり方に少し違和感を抱いた、妻の浮気は自分のせいで自分が悪かった、だから浮気も許す、ということでしょうが、カールからも妻から何も言葉がなかったのが何かしっくりと行かなかった、私だったら妻を許せるかな・・・

楽しめたドイツ映画でした

 


映画「めまい」を観た

2024年09月06日 | 映画

映画「めまい」をアマゾンプライムで観た、無料、1958年、128分、アメリカ、監督ヒッチコック、原題:Vertigo(めまい)

ずいぶん古い映画だけどカラー映像、ヒッチコックの名作らしいので観ようと思った、ヒッチコックの作品はいくつか見ているが結構良い映画だと思っている。

刑事ジョン・スコティ・ファーガソン(ジェームズ・スチュワート)は、逃走する犯人を追撃中に屋根から落ちそうになる。そんな自分を助けようとした同僚が誤って転落死してしまったことにショックを受け、高いところに立つとめまいに襲われる高所恐怖症になってしまう。そのことが原因で警察を辞めたジョンの前にある日、旧友のエルスター(トム・ヘルモア)が現れる。エルスターは自分の妻マデリン(キム・ノバク)の素行を調査してほしいと依頼。マデリンは曾祖母の亡霊にとり憑かれ、不審な行動を繰り返しているという。ジョンはマデリンの尾行を開始するが、そんな彼の見ている前でマデリンは・・・

ミステリーであり、ラブロマンスでもある

映画を鑑賞した感想を書いてみたい(ネタバレあり)

  • 刑事ジョン・スコティ役のジェームズ・スチュアートは同じヒッチコック監督の「裏窓」(1955年)にも出演していたのを観て、いい俳優だと思った、1908年生まれだからこの本映画出演時は46才くらいである、今から60年以上前の46才は結構年寄りだったろうが、若々しさがあって良かった、アメリカのいろんな映画に出演した当時の大スターだったのでしょう、わかるような気がした
  • また、彼は、私の好きな同じような時期に上演された映画「マイ・フェア・レディー」(1964年)にヒギンズ教授役で出演していたレックス・ハリソンと何となくイメージが似ていると思った、このレックス・ハリソンはジェームス・スチュアートと同じ1908年生れというからその偶然に驚いた

  • エルスターの妻で、かつ、謎の女ジュディとのダブルキャストになるキム・ノバク(1933年)は名前から言って韓国系アメリカ人かと思ったら、チェコ系アメリカ人である、美人でスタイルもよく、陰のある女性役をうまく演じていると思った
  • サスペンス部分のストーリーについては、ジョンのめまいと、それを利用したエルスターの妻殺しの策略など、うまく考えたなと思った、そして、エルスターの妻殺害計画の唯一の想定外は、妻になりすましたジュディとジョンが愛し合ってしまうという点も面白いと思った

  • エルスターの妻マデリンとそのよく似た謎の女ジュディの演じ分け、どの場面が本物でどの場面が偽物か、がわからなかったが、実は最初から最後までマデリンは一回も登場しないでジュディがマデリンを演じていたということでしょうか、終盤でジュディが「マデリンは田舎にいてここにはいないから、なりすましができた」と言っている
  • 最後にジョンはジュディと愛し合うようになったが、ジュディは妻殺しのエルスターの共犯ではないのか、そういう女と恋に落ちるのか、釈然としなかった
  • そのジュディも最後は教会の塔の上から飛び降り自殺するが、それがどうしてなのか、ジョンは最後にエルスターがどうやって妻のマデリンを殺したのか突き止めたが、その結果、恋に落ちたジュディが殺人の共犯者だと分かった、ジュディは共犯者の自分と元刑事との愛は成り立たないと思い、最後は自分で命を絶ったということか

  • エルスターが妻を殺害する動機だが、ジュディと愛人関係にあったから、ということなのか、妻と外見がよく似ている女に興味がわくものだろうかと思った、そして、殺害実行後、エルスターはジュディを捨てて別の女と付き合っている、というのも変な感じがしたが、実はその別の女と一緒になるのが彼の本当の目的で、ジョディとジョンはそれに利用されたということか
  • ジュディが自殺して映画は終わっているが、映画の中でジョンが警察を辞めてから仕事場にしている事務所でむかしの婚約者がデザイナーの仕事をしている、その彼女はジョンにまだ惚れているように描かれている、学生時代にジョンと婚約までして3週間で彼女の方から解消している仲だ、最後は彼女とよりを戻すのではないかと想像したがそこまでいかずに映画は終わった、そこは想像してくれということでしょうか

楽しめました

 


映画「エターナルメモリー」を観た

2024年08月30日 | 映画

映画「エターナルメモリー」を観た、シニア料金1,300円、小さな部屋だったが満席に近い盛況ぶりだった、観に来ているのはやはり中高年だった、2023年、85分、チリ、原題La memoria infinita(永遠の記憶)、監督マイテ・アルベルディ

本作は、アルツハイマーを患った夫アウグストと、困難に直面しながらも彼との生活を慈しみ彼を支える妻パウリナの幸せにあふれる暮らしと、ふたりの愛と癒しに満ちた日々を記録したドキュメンタリー、すなわち実話である

著名なジャーナリストである夫アウグスト・ゴンゴラ(1952年生れ)と、国民的女優でありチリで最初の文化大臣となった妻パウリナ(1969年生れ)は20年以上に渡って深い愛情で結ばれ、読書や散歩を楽しみ、日々を丁寧に生きていたが、ある時、アウグストがアルツハイマーを患い、少しずつ記憶を失い、最愛の妻パウリナとの思い出さえも消えはじめると・・・

鑑賞後の感想を書いてみたい

  • 夫がアルツハイマーになってからも妻のパウリナは働き続け、彼女の職場に夫を同伴することもあった、それは彼女の仕事の効率を落とすことになるが、それを問題だと思ったり、夫を恥じたりしなかったのは立派だと思った
  • 夫のアウグストは、ジャーナリストだった。独裁政権時代、主要メディアが事実を報じなかった時に、国内の出来事を内密で扱うニュース報道「テレアナリシス」の一員として、重要な役割を果たし、仲間のジャーナリストと街に出て、起きていることすべてを記録しながら、人々にインタビューし、テープを配布したりした、都合の悪い事実を見て見ぬふりをする日本のジャーナリストは見習うべきでしょう
  • 妻のパウリナは、演劇、映画、テレビで活躍した女優として有名で、彼女の名前はよく知られており、政治活動でも認知されている女性とのこと。チリの文化省が設立されたとき、最初の大臣になったそうだが、夫婦そろってすごい人たちだと思った
  • 配偶者がアルツハイマーになったら、実際の生活は大変で、映画では描かれてない悲惨な場面が多くあったと思う、普通は介護施設に入ってもらわないと共倒れにもなりかねないが、夫婦が大物すぎたので美しい愛情物語にしたのではないかと感じた
  • 映画のパンフレットを見ると、「ドクトル・ジバゴ」、「カサブランカ」、「愛、アムール」・・・どんな名作ラブストーリーもこの真実の愛の物語には適わない、と書いてある、このうち「愛、アムール」はミヒャエル・ハネケ監督が老夫婦の奥さんの方がぼけてしまうという老々介護をテーマにした映画であり、私も観たことがある、私はハネケ監督の映画はアルツハイマーをこの映画のように美談には描いていないところが真に迫っていると思うがどうであろうか、最後があまりにも衝撃的だ、ちなみに「愛 アムール」はアマゾンプライムで検索しても出てこないが、「ピアニスト」見れるようになったようだ

高齢化社会を反映して、このような映画は今後もどんどん出てくるのではないかと思った


映画「箱男」を観る(2024/8/27追記あり)

2024年08月27日 | 映画

2024/8/27 追記

昨日、吉祥寺のUPLINK吉祥という映画館で映画を観た際、映画館のロビーで先日観たばかりの「箱男」のプロモーションであろうか、本物そっくりの段ボール箱が飾ってあり、しかも、映画のようにそれをかぶってよいというサービスをしていた、その場にいた人は次々と面白がって「箱男」、「箱女」になって写真を撮ってもらっていた

また、映画館は地下2階だが、そのエレベーターのドアにも「箱男」が描かれていた

2024/8/24 当初投稿

封切直後の映画「箱男」を観た、シニア料金1,300円、120分、監督石井岳龍、比較的広い部屋だったが30人くらいが来ていた

作家・安部公房が1973年に発表した同名の小説を映画化したもの、この映画は1986年に石井監督が安部公房から映画化を託され、1997年に製作が正式に決定、スタッフ・キャストが撮影地のドイツ・ハンブルクに渡るも、クランクイン前日に撮影が突如頓挫、幻の企画となってしまった経緯がある

今回、悲劇から27年経って、奇しくも安部公房生誕100年にあたる2024年、石井監督は遂に「箱男」を完成させた

映画のパンフレットには、「箱男」それは人間が望む最終形態、ヒーローかアンチヒーローか、とある

ストーリーは、オフィシャルサイトによれば、

「ダンボールを頭からすっぽりと被り、街中に存在し、一方的に世界を覗き見る『箱男』。カメラマンである“わたし”(永瀬正敏、1966年生れ)は、偶然目にした箱男に心を奪われ、自らもダンボールをかぶり、遂に箱男としての一歩を踏み出すことに。しかし、本物の『箱男』になる道は険しく、数々の試練と危険が襲いかかる。存在を乗っ取ろうとするニセ箱男(浅野忠信、1973年生れ)、完全犯罪に利用しようと企む軍医(佐藤浩市、1960年生れ)、 “わたし”を誘惑する謎の女・葉子(白本彩奈、2002年生れ)・・・果たして“わたし”は本物の『箱男』になれるのか・・・)」

鑑賞した感想を述べてみたい

  • 安部公房の小説は「砂の女」だけは読んだこともあるし、その同名の映画を観たこともあり、面白い作家だなと思っていたところだ
  • 何も予習しないで観に行ったら、ストーリーがよくわからなかった、帰宅後、オフィシャルサイトやレビューコメントを見て、「ああ、そういうことなのか」と何となくわかった
  • アマゾン(本)の「箱男」の説明の中に、本の解説を書いた平岡篤頼氏(文芸評論家)の解説が載っており、そこに「箱男」の狙いのようなことが書いてあるので引用してみると、
    「考えてみればわれわれ現代人は、隅々まで約束事や習慣や流行や打算に支配され、その上、この小説の主人公がかつてそうであったように、「ひどいニュース中毒」に罹っている。「自分で自分の意志の弱さに腹を立てながら、それでも泣く泣くラジオやテレビから離れられない。」もしもそういうものをすべかなぐり捨てたら、世界はどう見え、われわれはどんな存在になるだろうか。風景が均質になり、いままで大切に思っていたものも、無価値と思って無視してきたものも、同等の価値をもって目にはいって来る。それと同時に、こちらの方向感覚、時間感覚も麻痺し、われわれ自身でなくなって、「贋のぼく」が現われる」
  • なんだか難しいが、そんなことを描こうとした映画なのかと、理解したが、実際の映画では前後関係が時系列では描かれないので、ストーリーがわかりにくいのだと思った
  • 結局、この箱男というのは、安部公房の時代では、ラジオやテレビから離れられない「ひどいニュース中毒」になっている人、現代では、スマホ/SNS、ネットから離れられない生活をしている孤独な、匿名な存在の人たちである、ということなのでしょうか、この先、AIやロボットが発達してきたら一体どういう「箱男」、「箱女」が出現するだろうか

  • 映画では冒頭に箱男を、完全な孤立、完全な匿名性な存在であり、一方的にお前たちを覗く、と説明されている、この箱男には孤独で匿名なスマホ中毒という面と、箱の窓から外界を覗き見、という要素がある、そして主人公の本物の箱男は元カメラマンだから覗いて写真を撮ったり絵を描いたりしている、本作はラストで、実は「箱男はあなたです」と言い、社会はその箱の窓からお前(視聴者)を覗いていたのだ、という逆説が強烈なパンチとして効いてくるというオチがあったように感じた、違うかもしれないが
  • 安部公房の問題提起自体は深刻だろうが、映画では本物の箱男と偽物の箱男の戦いなど、滑稽な場面や謎の女のエロスなどもあり楽しめるところもある映画だった
  • 映画のエンドロールの中で、音楽「マーラー交響曲第5番アダージェット」と出ており、エンドロールの時にそのアダージェットがピアノ独奏でが流れていたように思われた、普段聴くオーケストラの音楽とだいぶ違って聴こえたので勘違いかもしれないが(映画の途中で流れていたとすれば、気付かなかった)、なぜマーラーなのかはわからなかった

難解な映画でした


映画「たそがれ清兵衛」をテレビで観た

2024年08月22日 | 映画

テレビで映画「たそがれ清兵衛」を放送していたので録画して観た、2002年、129分、監督山田洋次、原作は言わずと知れた藤沢周平の小説

明治維新の直前の幕末、庄内・海坂藩の下級武士である井口清兵衛(真田広之)は妻を病気で亡くし、幼い娘2人や年老いた母と貧しくも幸せな日々を送っていた。家族の世話や借金返済の内職に追われる彼は、御蔵役の勤めを夕方に終えると同僚の誘いを断ってすぐに帰宅してしまうため、“たそがれ清兵衛”と陰口を叩かれていた。ある日、清兵衛はかつて思いを寄せていた幼なじみの朋江(宮沢りえ)を酒乱の元の夫の嫌がらせから救ったことから剣の腕が立つと噂になり、上意討ちの討手に選ばれてしまう・・・

藤沢周平は好きな作家である、と言っても熱烈な藤沢ファンのように彼の小説を全部読んだわけではない、「蝉しぐれ」や「三屋清左衛門残日録」、「隠し剣秋風抄」、「用心棒日月抄 」などいくつかの小説を読んだだけである、この程度読んだだけで彼の作品の論評はできないが、読んでさわやかな感動を覚える小説だとの印象がある。今回もそういう感動を与えてくれるだろうと期待して観た、ただ原作は読んでいない

観た感想を少し述べたい

  • 期待にたがわず良い映画であった、良い物語であった
  • 清兵衛は妻を病気で亡くしたが、結婚中も朋江のことは忘れたことはなかったと朋江に告白する、これは50石取りの下級武士の清兵衛に150石取りの家から嫁に来た先妻が苦しい生活になじめず、夫婦仲は良くなかったことも原因かと想像したがどうだろうか

  • 清兵衛は普段は下城してからも内職をやって糊口をしのぐ生活をしていたが、実は剣の達人であったという設定に無理があるような気がする、毎日剣の稽古をしているわけでもないが凄腕は変わっていないところに違和感を覚えた、ただ、そこは小説だから良いのでしょう
  • 清兵衛は同僚の武士である朋江の兄から、「いまは時代の転換期だから京都に出てチャンスを掴め」と言われると、「自分は武士が無くなっても百姓をやって暮らす」と言う、この時代にこういう性格の武士も珍しいのだろうが、司馬遼太郎の歴史小説に出てくる主人公とは正反対の日陰の存在に光を当てて描くのが藤沢小説なのでしょう

  • 朋江役の宮沢りえ(1973年生れ)の演技が素晴らしかった、美人過ぎて清兵衛と全然釣り合っていないし、武家の娘であるにも関わらず家事をテキパキこなすなど有り得ない設定だが、これも許されるでしょう。ただ、朋江は清兵衛の子供たちを町人の祭りにも連れて行き、兄はいつも武士の給金は百姓たちの働きによって賄われていると、子供たちに説明しているところを見ると、実は武家であってももう昔のような生活はできない家だったのかもしれない、宮沢りえの出演した映画「紙の月」(2014年)を昨年のちょうど今頃観たが、この映画は「たそがれ清兵衛」からだいぶ後の映画だ(その時のブログはこちら)
  • 本当は惚れていたけど好きだとは言えずに長い間、別の道を歩んだ二人が再び出会って愛を告白しあう、と言うこの筋は「蝉しぐれ」と同じではないかと思った

良い映画でした


映画「対峙」を観る

2024年08月14日 | 映画

映画「対峙」をアマゾンプライムで観た、追加料金440円、2021年、111分、アメリカ、原題:Mass、監督フラン・クランツ、高校銃乱射事件の被害者家族と加害者家族による対話を描いたドラマ。

原題のMassはラテン語だと Missaミサ、キリスト教の典礼で、この映画の舞台は教会の会議室、最後に教会の聖歌隊の練習が流れ、癒しが演出される

主演、加害者の両親はリード・バーニー(1954年、米)、アン・ダウド(1956年、米)、被害者の両親はジェイソン・アイザックス(1963年、英)、マーサ・プリンプトン(1970年、米)

アメリカの高校で、生徒による銃乱射事件が発生、多くの生徒が殺害され、犯人の少年も校内で自ら命を絶った。事件から6年。息子の死を受け入れられずにいるペリー夫妻は、セラピストの勧めで、加害者の両親と会って話をすることに。教会の奥の小さな個室で立会人もなく顔を合わせた4人はぎこちなく挨拶を交わし、対話を始めるが・・・

最近のアメリカ映画では珍しいストーリーで見せる映画、舞台はほぼ室内の一室のみ、登場人物の二組の夫婦の会話のみの勝負、いかに盛り上げて手に汗握らせるような映画にするか、監督や脚本家の腕が試される映画だった

映画が始まる時点で何の話だか全く分からない、二組の中年夫婦が教会の一室に案内され、会話を始める、最初はぎこちない、しかし、だんだん話の内容からこの二組はある事件の加害者と被害者であることがわかってくる、そして、それは当人たちではなく、彼らの子供たちのことだとわかってくる・・・

ストーリーの補足と併せて映画を観た感想を述べたい

  • この映画はある学校で、一人の生徒が突然、銃を乱射して周りの生徒を殺害して、自らも自殺した、被害者の一人の親が登場人物の一組の夫婦であるが、話し合いの最初の方で、自分たちは訴訟を起こすつもりはない、何らかの賠償を請求するつもりはないことがわかる、このような心境になるまでには相当な心の葛藤と、事件の結果を受け入れる時間が必要であっただろう
  • 被害者の両親が加害者の両親に聞きたかったのは、子供がそんな行動をどうして起こしたのか事前にわからなかったのか、ということだ、加害者の両親がいろいろ子供の日ごろの行動を説明していくと、どうも加害者は孤独で友達も作れず、家の自室にこもりがちで、孤独をパソコンのゲームなどで癒していたことがわかってくる、親がいくら言っても心を開かない子供だったことが明らかになる
  • そんな子供を相手にどうしたらいいかわからない両親の苦悩がだんだんわかってくる、被害者は別に学校の成績が悪いわけではないが社会性に欠けているのだ、そして両親が心配して話しをすると「うるせーな」という感じで干渉をかたくなに拒否する子供だったことがわかる
  • ここまで来て、先日読んだアメリカの本、Jonathan Haidt著「The Anxious Generation」を思い出した、アメリカをはじめアングロサクソンの国々ではZ世代のメンタルヘルスがスマホとSNSの普及で急速に悪化し、子供の不安、憂鬱、孤立、不健康、時に凶暴性な行動が急激に増えていることが指摘されているのだ、この映画の加害者の少年もまさにこの不安世代であり、社会的順応性を喪失した世代であることが伺える、この子供の不安と銃社会が結合するととんでもない結果を招来することがこの映画で描かれているのだろう

  • 一番最後に加害者の母は、子供と話をして、勉強をしなさい、そうでないと幸せになれないわよ、と言うと、子供は幸せになりたくない、いい成績はいらない、と言う、なぜとと問い詰めると言い争いになる、あとは喚くだけ、「出ていけ!殴るぞ」と言われ怖くなった、と言う・・・まさに「The Anxious Generation」で描かれていた世界そのものだと感じた、この本では、ある両親がスマホとSNSに一日中没頭する子供を見て、「子供をスマホに奪われたような気がする」というコメントが紹介されている、まさにその世界だと思った
  • スマホの害悪は結構あるだろう、子供もそうだが大人もだ、私はLINEはやらないがLINEをやっている人を見るとしょっちゅうスマホの着信と返信を繰り返しており、落ち着かない、便利になったが失ったものも大きいでしょう、むかしが全部よかったわけではないが、新しい時代に親も子供もどう生きていくのか、もっと議論があってよいだろう
  • その点、この映画では最後の場面で、キリスト教の聖歌隊の聖歌の練習が聞こえてきて、その歌の内容に解決策があるような感じを受ける、だから原題はMassとなったのだろう(邦題は物語の現象面を重視した訳だろう)、この点、「The Anxious Generation」とは違う解決の方向性だが、解決策は一つではないでしょう

映画の最後に予想もしないようなどんでん返しがあるわけではない、その点、少し不満は残るが、観る価値はある映画だと思った


映画「日本のいちばん長い日」を観た

2024年08月12日 | 映画

今年も終戦記念日が近づいてきた、そんな時期に、映画「日本のいちばん長い日」をアマゾンプライムで鑑賞した、追加料金300円、1967年(昭和42年)、157分

1945年8月14日正午のポツダム宣言受諾決定から、翌日正午の昭和天皇による玉音放送までの激動の24時間を描いたドラマ。大宅壮一名義で出版された半藤一利氏の同名ノンフィクションを原作に、橋本忍が脚色、監督は岡本喜八

原作は半藤一利氏による「日本のいちばん長い日 運命の八月十五日」、1965年(昭和40年)の初版刊行時は文藝春秋新社から大宅壮一編として発売され、1995年(平成7年)6月に文藝春秋から半藤氏名義で『日本のいちばん長い日 運命の八月十五日 決定版』として再版された。

キャストには阿南惟幾陸軍大臣役の三船敏郎をはじめ当時の日本映画界を代表する俳優陣が集結した

主なキャスト

(閣僚)

鈴木貫太郎総理大臣:笠智衆
東郷茂徳外務大臣:宮口精二
米内光政海軍大臣:山村聡

(軍人)

田中静壱大将(東軍司令官):石山健二郎
森赳(たけし)中将(近衛師団第一師団長):島田正吾
畑中健二少佐: 黒沢年男
椎崎二郎中佐: 中丸忠雄
竹下正彦中佐: 井上孝雄
井田正孝中佐: 高橋悦史

(役人)

松本俊一外務次官:戸浦六宏
徳川義寛侍従:小林桂樹

(その他)

館野守男(日本放送協会放送員):加山雄三

昭和20年7月26日、ポツダム宣言が日本に対して提示された後、これを受諾するか否か内閣や軍部で議論が重ねられていた時、受諾を催促するように広島・長崎へ原爆が投下され、日本の敗戦が決定的となり、ついに8月14日の御前会議でポツダム宣言の受諾が決定した。

政府は天皇による玉音放送を閣議決定し準備を進めていくが、その一方で敗戦を認めようとしない陸軍中堅将校たちがクーデターを画策、皇居を占拠し、玉音放送を阻止するべく動き出し、陸軍大臣や東軍司令官、近衛師団長に蹶起を迫るが・・・

このポツダム宣言受諾決定後の陸軍中堅将校による宮城占領、天皇軟禁、本土決戦決行というとんでもないクーデター未遂事件(宮城事件)があったと言う驚きの事実を恥ずかしながら今まで知らなかった。これを知ったのはつい最近読んだ中村隆英教授著の「昭和史(上)」を読んだからであった、その時のブログはこちら

映画を観る前に再度中村教授の昭和史の該当部分を読み直し、主要人物をリストアップして予習をしたため、映画の内容にスムーズに入っていけた、何も知識がない人が予習なしでこの映画を観てもよくわからない点が多いだろう

それでは、映画を観た感想を述べてみたい

  • クーデター首謀者である軍の中堅将校、畑中健二少佐などの言動を見ていると、組織の論理に洗脳されやすく、一度思い込むと周囲が見えなくなり、科学的・合理的判断に欠け、精神論に傾倒し、一直線に突き進むという、今に続く日本人の悪癖ともいえる一面を見る思いがする、それを黒沢年男が実にうまく演じていた
  • つくづく思い込みというのは怖いものだと感じる、戦後の平和主義や最近の脱炭素絶対主義とでもいう思い込みも国を危うくすると思う、戦争は嫌だ、戦争は二度としたくない、平和憲法や平和主義があったから戦後は戦争がなかったと、これ一途なところが怖い。思考の柔軟性がなく、都合の悪い事実に目をつむる、マスコミの論調に影響されやすく、「ちょっと待てよ」と自分の頭で考える知的態度がない、戦前と現在の日本人は何も変わっていないのではないか、三島由紀夫は「戦時中の現象(一億総玉砕)は、あたかも陰画と陽画のように、戦後思想(無抵抗平和主義)へ伝承されている」と述べている(こちら参照)
  • 畑中少佐を見て、西南戦争の時に西郷隆盛に蹶起を促した桐野利秋らを思い出した、畑中と桐野らの一途さがそっくりに見える、新政府による西郷暗殺計画が露呈すると私学校幹部らで大評議が行われ、諸策百出して紛糾したが、座長格の篠原国幹が「議を言うな」と一同を黙らせ、最後に桐野が「断の一字あるのみ」と決戦を決定した、理屈ではないのだ、一直線で深慮遠謀など全然ない、西郷は郷土の中堅や若手からの突き上げに抗しきれず、神輿に担がれてしまった、その点、この映画で蹶起の要求に最後まで抗し、畑中らに惨殺された森赳師団長は立派だったし、毅然と反乱軍の鎮圧を指揮した東軍司令官の田中静壱大将は立派だった

  • 5・15事件、2・26事件の時は軍の青年将校が、敗戦の時は中堅将校が暴発した、これはボトムアップ型で中堅層に優秀な人材のいる日本の統治でなければ起こりえないのではないか、トップダウン型のアメリカなどではこういうことは起こりえないのではないかと思ったがどうであろうか
  • 8月15日の昭和天皇による玉音放送は、前日の夜に録音されたテープを当日正午に流したものであるということをこの映画で初めて知った、このテープが翌日放送になればもう反乱はできなくなるため、その録音テープを反乱軍の畑中らが宮城から奪い取る計画を立てた、この時、万が一に備えて慎重にテープを保管した徳川義寛侍従の対応は素晴らしかったし、放送局で畑中から拳銃を突き付けられ、今から国民に反乱軍の意向を放送させよと迫られたにもかかわらず拒否した館野守男日本放送協会放送員の対応も素晴らしかった
  • 阿南陸軍大臣がポツダム宣言受諾決定後、自宅に戻り、自死の覚悟を決めていた時、反乱軍の井田正孝中佐らが蹶起を促しに押しかけたが、阿南は拒否し、敗戦後について、「生き残った人が懸命に努力すれば日本は再建はできる、そして、それだけではなく、二度とこのようなみじめな日を迎えないような日本に再建してもらいたい」と述べて切腹した、戦後GHQから信じ込まされた彼らに都合の良い「二度と戦争は起こさない国にする」と述べたのではない

  • この映画を観終わった後で、レビューコメントを読むと、こういうコメントがあり驚いた、「畑中健二少佐及び椎崎二郎中佐が自決したのに、彼らの上官竹下正彦中佐(クーデターの元となる兵力使用計画を起草、原作者のネタ元らしい)は自衛隊幹部として大出世(陸将)し、映画で事件の首謀者に見えた井田正孝中佐が戰後も生き残り電通関連会社の常務として出世するのが、何とも日本的で悲しい」
  • 調べてみると竹下は、昭和54年に勲三等瑞宝章となっている、竹下は宮城事件の顛末を含む1945年8月9日から15日までの動静を『大本営機密日誌』として執筆、半藤一利に閲覧を許可し、半藤はこれをベースとして『日本のいちばん長い日』で宮城事件を描いたとあるからこの映画の制作には貢献した
  • 同じようなことはまだほかにもあった、日米開戦の攻撃30分前に交渉打ち切りの最後通牒が手渡されることになっていたが、大使館外交員の怠慢で通告が1時間遅れとなった、これが日本の名誉を著しく棄損し、今でもアメリカにだまし討ちと言われる大失策になったにも関わらず、戦後この日本大使館のキャリア外交官たちが公職追放された来栖三郎以外ほとんど出世した

勉強になりました、良い映画だと思った、なお、配給収入は4億4195万円あったというから当時としてはヒット作であろう、また、昭和天皇はこの映画を公開年の12月29日に家族とともに鑑賞したとある


映画「ビリーブ 未来への大逆転」を観た

2024年07月26日 | 映画

アマゾンで映画「ビリーブ 未来への大逆転」を観た、追加料金なし。2018年、120分、アメリカ、監督ミミ・レダー、原題On the Basis of Sex

映画の冒頭、この映画は実話に基づくと出る、ルース・ギンズバーグ(フェリシティ・ジョーンズ)は、貧しいユダヤ人家庭に生まれ、努力の末に名門ハーバード法科大学院に入学する。当時(1956年)のハーバードは500人の生徒のうち女性は9人で、女子トイレすらなかった、同じハーバードの学生である夫のマーティンが家事も育児も分担し、彼女は大学院を首席で卒業、弁護士になりたかったが女性であることを理由に雇い入れる法律事務所はどこにもなかった。

やっとのことで大学教授になったギンズバーグは、男女平等の講義に力を入れながらも、弁護士への夢を捨てきれずにいた。ある時、マーティンがある訴訟の記録を見せる。ギンズバーグはその訴訟が、男女平等に関する歴史を変える裁判になることを信じ、自ら弁護を買って出るのだが・・・

この映画の主役、ギンズバーグは1993年にクリントン大統領に指名されてから2020年9月に病気で死去するまで27年間にわたって連邦最高裁判事の座にあり、特に性差別の撤廃などを求めるリベラル派判事の代表的存在として大きな影響力を持った人であった。

このことに関連して、彼女が亡くなるまで最高裁判事の職にあったのは、2017年にトランプ政権になってから最高裁判事に任命された2人がいずれも保守派であったため、彼女が病気で辞任すれば保守派優位の状況が続いてしまうからと言われている、そして彼女亡き後、11月に保守派と言われるエイミー・コニー・バレットが判事に任命された。

トランプが判事に指名したエイミー・バレットとブレッド・キャバノの任命時の民主党代議士、メディアの醜いばかりの候補者いじめはひどかった、嘘をでっちあげても批判していた、まるでどこかの国の左派新聞と同じだ、こういった対応をギンズバーグは苦々しく見ていたのではないか、と思いたいが・・・

映画を観た感想を述べてみたい

  • この映画の劇場公開日は2019年3月22日であり彼女がまだ存命の時だ、その段階でこのような映画が制作されるというのはまれであろう、それだけすごい人だったと言えるのでしょうが、映画が政治的な宣伝に使われた面はないのか、映画界は民主党支持なので
  • 日本ではいま、朝ドラ「虎に翼」でまさに日本初の女性弁護士・判事・裁判所所長となった三淵嘉子さんをモデルにしたドラマが放映されていることの偶然に驚いた、そして、朝ドラの寅子とこの映画のギンズバーグの性格がそっくりなことにまた驚いた、そうでなければ男優位の社会ではやっていけなかったのでしょうが
  • ギンズバーグの父親はオデッサ出身のユダヤ系ウクライナ人移民である、ギンズバーグはロシアのウクライナ侵略が起こる少し前に亡くなったが、父親の故郷が侵略されたのを天国で見てさぞかし嘆き、ロシアに対して怒りを感じていることでしょう、ただ、彼女の母親は彼女に「自分の感情をコントロールし、怒り、悔恨、ねたみに流されるな、こういった感情は徐々に力を奪うものでしかない」と教えていたそうだ

  • この映画で印象に残ったのは、ギンズバーグが思春期の娘と口論になり、娘が自室の閉じこもった際、夫のマーティンが娘のところに行き、「おばあちゃんはママがお前くらいの年に亡くなったが、亡くなる直前までママと本を読んで討論していた、すべてに疑問を持てと、ママは意地悪じゃない、お前に自信を持たせないのだ」と諭すところだ。
  • 父親が思春期の娘にこんな対応ができるなんて、という驚きと、「すべてに疑問を持て」というおばあちゃんの言葉に「然り」と思った。メディアがトランプ批判ばかり、などは寅子のように「はて?」と思わないといけないでしょう
  • ギンズバーグの夫マーティンは優秀な法律家であると同時に、結婚してまだ子供が小さいころ、精巣ガンになり医者から助かる確率は10%だと言われ、新しい治療法を試そうと言われた、それほど絶望的な状況から治癒したというのがすごいし、家事への協力というのがまたすごい、こんなことができる男はいまのアメリカでもまだ少ないのではないか

世の中の常識を変えるというのは大変なことだ