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ストレスのない生活を楽しむシニア

Netflix「地面師たち」を観る

2025年01月14日 | 映画

この映画とイカゲームを観るためにわざわざネットフリックスにまた契約した、まず、「地面師たち」を年末年始に観た

この映画はは、新庄耕の同名の小説を原作として2024年7月25日にNetflixで配信が開始された日本の配信ドラマ、出演は、綾野剛、豊川悦司、ピエール瀧、小池栄子、北村一輝、山本耕史、松尾諭、リリーフランキーなど

この映画は、土地の所有者になりすまして売却をもちかけ、多額の代金をだまし取る不動産詐欺を行う「地面師」の犯罪を描くもので、2017年に実際に起きた被害額約55億円に上る「積水ハウス地面師詐欺事件」をモデルとしている

かつて、父の経営する不動産会社に勤めていた辻本拓海(綾野剛)は、自身が原因で地面師による不動産詐欺に遭い、それにより破産した父が放火による一家心中を図り、母と妻子を亡くした過去を持つ、その後、地面師グループのリーダー・ハリソン山中(豊川悦司)に偶然に出会い、仲間に誘われ「交渉役」として活動することになるが・・・

観た感想を述べよう

  • 面白かった、不動産取引の怖さをまざまざと見せつけられた、積水の詐欺事件以降、再発防止のためいろんな法改正などがなされているようだが、引き続き不動産取引というのはリスクが高いものでしょう
  • 物語の最後の100億円単位の詐欺と実際の積水ハウスの詐欺とは類似するが、いろんな面で映画の方が複雑でスリリングに、かつ、誇張して描かれているのでしょう、その見せ方がうまいと思った
  • このような犯罪集団に一度組み込まれると抜け出すことは不可能なのでしょう、その点は映画で描かれている通りだろうなと思った、最近多発している広域強盗殺人もSNSの闇バイトなどで一度でもかかわると抜け出すのは自分や家族の危険を意味するため不可能なのでしょう、怖いものだ
  • 物語では辻本拓海が自分の家族が地面師詐欺の被害に遭った過去があるのに自分が今度は地面師になって他人を不幸にしてしまう理由がはっきりわからないような気がした、そして最後にハリソン山中と対決する場面で辻本がハリソンに拳銃を向け、すぐ引き金さえ引けば殺せるのに余計な話をして殺しそこなった場面があったが、小説や映画だからのシーンだと思った

  • 俳優の演技としては、ピエール滝がいかにもという演技をしてうまかった、北村一輝もこの人は本当はこんな人ではないかと思わせる真に迫った演技だった、山本耕史もエリートサラリーマンの焦りと強引さと悲哀をうまく演じており大したものだと思った、一方、山本耕史の同僚でライバルの松尾諭だが、この人はこんなエリートサラリーマンは似合わないと思った、イメージに全然合わない、この人は「ダメ男」、「ダメおやじ」が一番ピッタリでそのイメージが固定してしまっているのかもしれない
  • 物語の中で、詐欺集団が石洋ハウスの青柳隆史(山本耕史)に、地主の本人確認面談日までに土地取得の稟議決裁を済ませろと迫る場面がある、青柳はこの条件をのみ、社長のアイディアで稟議書の空白個所に、「本件は社長が事前に物件を下見し内容確認済み」との補足説明を鉛筆で描きこんで回覧がなされ、それならばということで反対派の役員たちも承認印を押し、最後に社長が決裁印を押すと、社長自ら鉛筆書きを消しゴムできれいに消す場面があった、これは有り得る処理だなと思った、鉛筆ではなく、付箋に書いてそれを貼って稟議回覧して後で外す例もあろう、自分が反対派の役員だったらこういうケースはその鉛筆書きのある稟議書をのコピーを取っておくけど
  • この映画でも出てくるのだが、自分の経験からも、会社でも個人でも何らかの契約をする時には「契約締結を急がせる相手には注意しろ」ということがある、これは相手に考える時間を与えないずるい戦略であり、よく考えられると不具合がバレるから早く契約させる、ということが多いからだ、例えば「今日中に契約してくれたら30%割引する」とか、「今日決めてくれなければ明日は別の客との面談が入っている」などと巧みに攻めてくるので要注意である

楽しめました


映画「私にふさわしいホテル」を観る

2024年12月30日 | 映画

映画「私にふさわしいホテル」を観た、2024年製作、98分、監督堤幸彦(1955)、柚木麻子(1981)の同名小説の映画化、出演はのん(1993)、田中圭(1984)、滝藤賢一(1976)、田中みな実(1986)、髙石あかり、橋本愛、若村麻由美(1967)ほか

主役の“のん”は知らない女優だったが、2016年以前は本名の能年玲奈で活躍していた、俳優、アーティストで音楽、映画製作、アートなど幅広いジャンルで活動している、映画中で歌うところがあるがこれも音楽アルバムを出すなどしているゆえの演技でしょう、かなり多才な人だ

新人賞を受賞したにも関わらず、未だ単行本も出ない不遇な新人作家・相田大樹こと中島加代子(のん)、その原因は、大御所作家の東十条宗典(滝藤賢一)の酷評だった。文豪に愛された「山の上ホテル」に自腹で宿泊し、いつかこのホテルにふさわしい作家になりたいと夢見る加代子は、大学時代の先輩で大手出版社の編集者・遠藤道雄(田中圭)の力を借り、己の実力と奇想天外な作戦で、権威としがらみだらけの文学界をのし上がっていく。ズタボロになっても何度でも立ち上がり、成功を己の力で引き寄せていく加代子の奮闘はやがて・・・

映画を鑑賞した感想

  • けっこう面白かった、最初のうちは主人公のふざけたキャラクターに程度の低いお笑い映画かと思い、見る映画を間違えたと思っていたが、見ていくうちに面白くなってきた、ただ、最後の終わり方が平凡で、もう少し何かあっても良いのではないかと感じた
  • この映画はコメディだ、一人の若手女性作家の悪戦苦闘ぶりをお笑いを交えながら大げさに立ち回るドタバタ劇である、色恋はない、これはこれで良いと思った
  • 主人公の佳代子のキャラクターは日本ではまずありえないだろうなと思った、これだけアグレッシブな性格には男でもなれないだろうなと思った、だからこそ映画にすると強烈なスパイスになり面白いのだと思った、今の日本に欠けているキャラクターなのではないか、ハングリー精神、何度失敗してもメゲない根性、上昇思考、押しの強さなどだ
  • ある高級レストランで、佳代子が東十条に取り入って一緒に食事をしていると、その同じ店で編集者の遠藤が天才女子高校生作家に2作目を書くよう説得しているところを見つける、佳代子と東十条は物陰から遠藤と女子高生の会話を聞いていると遠藤が佳代子だけでなく東十条のことも酷評しているのが聞こえてきて二人とも怒るところがあったが、面白かった

  • 編集者の遠藤は佳代子を助けるが、時に裏切ることもあるため、二人が言い争いになる場面がある、佳代子が遠藤の編集者として自分を十分に支援していないことを具体的な例を挙げてののしる、例えば佳代子が店に陳列してある自分の新刊本にサインさせてもらうために書店を訪問してカリスマ店員にお願いをする時、編集者として同行せず一人で行かせたではないか、などなど、この佳代子の主張が聞いていてもっともだなと感じた
  • 遠藤をとっちめるため、佳代子と東十条はクリスマスに家族そろってホテルに外泊する遠藤一家の幼い娘二人を驚かせてやろうと考え、遠藤が娘たちにサンタクロースが本物だと信じさせていたがそれは嘘だとばらすことにした、そして、佳代子と東十条がサンタとトナカイに扮して娘二人がいる部屋に行くと、娘たちは、「サンタなんて嘘だと知ってる、だけど騙されたふりをしているのだ」などとませたことを言って佳代子達を呆れさせるところも面白かった

  • 佳代子が自分が受賞候補者となっている直林賞の最長老選考委員である東十条を篭絡するために彼の奥さんや娘に取り込み、彼女らか「佳代子さんに受賞させあげてよ」と言わせる戦略をとってうまく行きかけた、ところが最後で東十条が彼女らの面前で一喝して佳代子の正体をばらしてしまい作戦が失敗し気まずいムードになる、映画ではそこで場面転換し、もう後日の話に進んでしまうが、ここでも佳代子の不屈の一発逆転ヒットが欲しかったと感じた
  • 佳代子が文学賞を受賞して記者の前で挨拶をする場面がある、「この度、直林賞を受賞させていただきました〇〇です」と言うが、この「させていただきます」が最近横行しているのには辟易する、「させていただく」は、誰かの承認を得て何かをする場合にへりくだって言う表現だ、この場面では「この度、直林賞を受賞しました・・・」か適切である、政治家や芸能人、経営者などが「させていただく」を連発するのは卑屈の現れである、どうしてこんな卑屈が当たり前になったのか、原作でもそうなっているのだろうか、こういう言葉遣いをする人たちは逆の立場の時は横柄な態度なのではないか、卑屈はその裏返しである

  • 映画に実名で出てくる山の上ホテルであるが今年2月より建物の老朽化に対応するため休館しているが最近、明治大学が山の上ホテルの土地と建物を取得し、改修後にホテルとしての営業再開を目指すと発表したから驚いた、だが、これはうれしい、私も一度鉄板焼きレストランで昼食をとったことがある

面白い映画であった


映画「型破りな教室」を観た

2024年12月26日 | 映画

昨夜はクリスマス、息子夫婦が買ったクリスマスケーキの半分を持ってきてくれたので、夕食後に夫婦でおいしく頂いた

映画「型破りな教室」を観た、シニア料金1,200円、平日の午後だけどけっこうお客さんは入っていた、2023年、125分、メキシコ映画、監督クリストファー・ザラ(1974年、ケニア)、原題Radical

犯罪と貧困が日常化した地域の小学校に赴任した教師が、型破りな授業で子どもたちを全国トップの成績に導いていく姿を2011年のメキシコであった実話を基に映画化したドラマ

麻薬と殺人が日常と化したアメリカとの国境近くのメキシコ・マタモロスの小学校、子供たちは常に犯罪と隣り合わせの環境で育ち、教育設備は不足し、意欲のない教員ばかりで学力は国内最底辺、しかし、新任教師のフアレスが赴任し、そのユニークで型破りな授業で子供たちは探求する喜びを知り、勉強熱心になっていくがある日、事件が起きて・・・

「コーダ あいのうた」の音楽教師役で注目を集めたエウヘニオ・デルベス(1962、メキシコ)が教師フアレスを演じた

鑑賞した感想を述べよう

  • ネットの評価が高かったので期待してみたが、あまり感動はしなかった、なぜだか考えると、このような学校ものの映画にありがちなストーリーで、最後はこうなるだろうな、ということが観ていて予測できてしまうからだ、実話だから仕方ないが、一ひねりも二ひねりもしないと引き込まれるような面白さにはならないのではないか、例えば、主人公の先生の色恋沙汰が何もない、乱暴されそうになった女子生徒が思わず暴漢を銃で撃ってしまったが、その後のことは何も触れられていない
  • ただ、この手の学校ものでは教頭とか校長が教師の抵抗勢力になるというのが有りがちなストーリーだが、本作ではめずらしく校長が最初は抵抗を示すが生徒のいきいきした学ぶ姿勢や予想外の知識を身につけていることに感心して教師の理解者になってくことが意外であった

  • 生徒は劣悪な環境で生活しており学校にも期待していなかったが、女子生徒のパロマは親に隠れて天文学の勉強を熱心にしていたり、ルぺも先生のうまい指導により哲学に興味を持って難しい本をどんどん読んで理解するなど、本当にこんなに優秀な生徒がいた、こんなに優秀な生徒になったのかと驚いた、ホンマかいなと思った
  • 確かに自分の経験でも学校の先生の中には通り一遍の授業しかしない人が少なくないだろう、それは公立学校だけでなく、私立でも意外といるのだ、リタイアしてからある有名大学の社会人向け公開講座に何回か通っているが、授業も教材も工夫がなく面白くない先生が多かった、全体的に日本の教師、教授と言った人たちはアメリカなどに比べて相当甘やかされているのではないか

  • それと同時に先生の負担が重すぎるのも問題であろう、学校で何か問題が起こると直ぐ教師のせいにして文句を言うクレーマー的な親も多いと聞く、文句を言われないようにいろいろ配慮すると時間が取られる、子供の親こそ再教育が必要でしょう、教育の基本は先ずは家庭における躾だろう、学校は万能ではないのだ
  • また、いろんな管理・報告資料作りなどもかなり教師の負担になっているのでしょう、これは医者も同じで、ある医者が言うには、日本の医者はアメリカであれば医師が絶対拒否するような事務的作業をやらされており、その分診療時間が少なくなり、医師不足に拍車をかけていると指摘している、教師にも同じような負担がかかっていないか心配である

メキシコ映画は初めてかもしれないが、それなりに楽しめた


映画「正体」を観る

2024年12月22日 | 映画

しばらく映画を観ていなかったので、映画サイトで評価の高い「正体」を観に行った、2024年、120分、監督:藤井道人(1986)、原作:染井為人、シニア料金1,200円、平日であったがけっこうお客さんは入っていた、大部分が若者だったのには驚いた

染井為人(そめい ためひと)の同名ベストセラー小説を、横浜流星主演、藤井道人監督のメガホンで映画化したサスペンスドラマ

凶悪な殺人事件を起こして逮捕され、死刑判決を受けた鏑木慶一(横浜流星)が刑務所で自傷し病院に運ばれる救急車から脱走した。鏑木を追う刑事の又貫征吾(山田孝之)は、変装して逃走を続ける鏑木の潜伏先工事現場の同僚(森本慎太郎)、出版社の編集者(吉岡里帆)、介護施設の新人社員(山田杏奈)らから証言を得るが、彼がおよそ殺人犯とはまったく別人のような好人物だったことにしっくりしないものを感ずる、鏑木は指名手配され、テレビでも変装したいくつもの顔写真が連日流され、だんだんと追い詰められていき、最後は・・・

さて、映画を観た感想を述べよう(ネタバレあり)

  • それなりに楽しめる映画だった
  • 横浜流星(1996)は初めて見る俳優だが良い演技をしていた、変装した顔と普通の顔の落差が大きかったのが良かった

  • 吉岡里帆(1993)もよかった、彼女は辻村深月がアニメ業界で奮闘する人々の姿を描いた小説「ハケンアニメ!」を原作にした同名の映画で知ったが、あの映画でもいい役を演じていたと思った、今回も大変よかった

  • その他で良かったのは刑事役の山田孝之だ、鏑木が犯人とされた殺人事件の捜査に当たり、鏑木を犯人とすることに若干の疑念があったが上からの圧力で強引に彼を犯人にして最後は死刑判決まで出てしまう、それでよかったと無理やり自分を納得させていたが、鏑木の脱走後の捜査を進めていく過程でもやもや感が増していき、一度はナイフを持つ鏑木を目の前に追い詰めながら発砲を躊躇したのは彼が犯人ではなかったかもしれないという思いがあったからだろう、ただ、発砲できなかった悔いもごちゃ混ぜになって残る、その辺の葛藤をよく演じていた

  • そして最後、介護施設に人質を取って立てこもる鏑木に対して上司の圧力で強行突入をして追い詰め、ついに今度は発砲してしまう、これでドラマは終わりかと思ったが、実は鏑木は一命をとりとめた、というか今回は発砲したが急所を外して発砲したのか、そこはわからなかったが多分そうでしょう、やはりもやもや感がまだあったのでしょう、その後、刑務所で彼と面会する場面があり、その後、捜査のやり直しを発表して大騒ぎになる・・・何が決定打になったのかはよくわからなかった
  • ここから先は再審裁判をして無罪になってめでたしめでたしだが、そこの描き方があまりにも単純すぎて、こうなるだろうなという通りに終わった、また、鏑木が刑務所で面会した又貫刑事に語る「逃走中に人から初めて信じてもらえた」という話があまりにテレビドラマみたいなおセンチで、ちょっともう一ひねり工夫が必要ではないかと思った、救いのない結論にしたほうが警察捜査の問題点についての鋭い警鐘になるのではないか(原作が何を訴えたかったかによるでしょうけど)

楽しめました


映画「侍タイムスリッパ―」を観る

2024年11月01日 | 映画

映画「侍タイムスリッパ―」を観た、2024年、131分、監督・脚本:安田淳一(1967年京都生まれ)、10名たらずの超低予算自主映画のロケ隊が時代劇の本家、東映京都の支援でで撮影を敢行するいう前代未聞の作品、8月に都内1館のみの公開から全国100館以上での公開になっていったヒット作品

監督はじめスタッフが一人何役も務めて完成させた映画というからすごい、知っている俳優が誰もいない、何年か前の「カメラを止めるな!」と同じだ、あの映画も面白かった

現代の時代劇撮影所にタイムスリップした幕末の侍が時代劇の斬られ役として奮闘する姿を描いた時代劇コメディであり人間ドラマでもある

  • 幕末の京都、会津藩士の高坂新左衛門(山口馬木也)は家老から長州藩士の風見恭一郎(冨家ノリマサ)を討つよう密命を受けるが、風見と刃を交えた瞬間、落雷によって気を失ってしまう
  • 目を覚ますと、そこは現代の時代劇撮影所だった、新左衛門は時代劇撮影所で出演者と間違えられ現場を混乱させ、撮影所を出た後、長州藩士討ち入りの現場となった寺の門前で寝ているところを住職夫妻に助けられる、そして江戸幕府が140年前に滅んだことを知りがく然とする
  • 一度は死を覚悟する新左衛門だったが、住職夫妻やその夫妻と懇意にしていた撮影所の助監督の山本優子(沙倉ゆうの)などに助けられ、生きる気力を取り戻していく。やがて彼は「我が身を立てられるのはこれのみ」と磨き上げた剣の腕を頼りに撮影所の門を叩き、斬られ役として生きていくことを決意する

面白い映画だと思った、感想などを少し述べたい(一部ネタバレあり)

  • 最初は、突然150年前から現代にタイムスリップしたので、この先一体どういうストーリー展開にしていくのかな、と心配しながら見ていたが、途中で新左衛門と刃を交え一緒に気絶した風見恭一郎も同じようにタイムスリップしたいたことがわか、話が面白くなってきたと思った
  • 新左衛門はタイムスリップした現代を見て、最初は時代劇撮影現場だからそれほど驚かなかったが、撮影所の外に出ると、そこは自動車が走り、ビルが立ち並ぶ現代の町、普通は何が何だか分からなくなると思うが、それがあまり出てなかったのが不自然と思った
  • 時代劇撮影の助監督の山本優子は優しいキャラクターで好感を持った、撮影現場で助監督としてこまめに働き、新左衛門にも優しく接する彼女の存在感は非常に大きかったと思う、彼女(沙倉ゆうの)は実際のこの映画の撮影でも助監督、制作、小道具などスタッフとしても八面六臂の活躍したそうだというから驚いた、映画とリアルが同じというユニークさがこの映画の特徴だ
  • 新左衛門が撮影所で切られ役として生きていくという設定がユニークで、この映画の一つのポイントであろう、斬られ方の上手・下手があるとは今まで全然注目が行かなかったところだ、そして、撮影所内で切られ役の指導をする殺陣師関本(峰 蘭太郎)がうまく絡んで話に幅を持たせていたのはうまい展開だと思った、この峰も現実世界で「斬られ役」として活躍する傍ら殺陣技術集団・東映剣会の役員・会長を歴任してきた経歴というから驚いた、ここも映画とリアルの一致がある
  • この映画は、時代劇がかつての輝きを失い、上演本数も激減している現状を打破するため、迫力ある時代劇を作ろうとする撮影現場が舞台である、その映画の最後のクライマックスを盛り上げるため、新左衛門は「風見恭一郎との決闘の場面を真剣でやろう」と監督に提案し実行する、実際には有り得ない設定だが、この真剣勝負は確かに見ごたえがあった

時代劇と言えば、かつて黒沢映画が世界の映画界に大きな影響を与えたが、最近でも真田広之の「SHOGUN 将軍」がエミー賞の作品賞、主演男優賞などを受賞した、この映画のように時代劇も作り方によってはまだまだ捨てたものではないと思った

面白い映画でした

さて、昨夜はハロウィン祭りの夜、我が家のささやかなハロウィンはCrispy Kremeのハロウィンボックスだった


映画「ビバ・マエストロ!指揮者ドゥダメルの挑戦」を観る

2024年10月12日 | 映画

映画「ビバ・マエストロ!指揮者ドゥダメルの挑戦」を観に行ってみた、2022年、103分、アメリカ、監督テッド・ブラウン、原題Viva Maestro!

1981年ベネズエラで生まれ、10代の頃から天才指揮者として巨匠たちの薫陶を受けてきたグスターボ・ドゥダメル、ベネズエラを代表する音楽教育プログラム「エル・システマ」の責任者であり、音楽で子どもたちを救う夢を追い母国の若手音楽家からなるシモン・ボリバル・ユースオーケストラを率いて活動し、2004年「第1回グスタフ・マーラー国際指揮者コンクール」に優勝、2009年には28歳にしてロサンゼルス・フィルの音楽監督に就任した。

しかし2017年、ベネズエラの反政府デモに参加した若き音楽家が殺害された事態を受け、音楽教育者としてマドゥロ政権批判を新聞に展開、大統領府と対立したことでユースオーケストラとのツアーは中止に追い込まれ、祖国へ足を踏み入れることすら禁じられてしまう・・・・

観た感想などを述べると

  • ドゥダメルはテレビで何度か見た指揮者で、その存在は知っていたが、彼がベネズエラ人というのも忘れていたし、祖国の暴政と戦っているとは知らなかった、ベネズエラという国のことも政情不安定というのは知っていたが、それ以上知らなかった
  • 彼は2004年のマーラー指揮者コンクールで優勝したが、その時に3位に入賞したのがウクライナ人の女性指揮者オクサーナ・リーニフ(Oksana Lyniv、1978年生れ)だった、彼女もNHKBSのクラシック音楽番組で何回か見たことがある、彼女は2021年に女性で初めてバイロイト音楽祭の指揮台に立つほどの指揮者(24年まで4年連続で登場)、その彼女の祖国もあんなことになるとは本当に大変だ、彼女の方はWikipediaによれば2024年いっぱいはボローニャ市立歌劇場の音楽監督にあるようだ
  • この映画では実在の人物が出るのでいろいろ興味深い、サイモンラトル、ロサンゼルス・フィル、ベルリン・フィルなどのメンバーも出てくるので面白かった、ベルリン・フィルのホルン奏者サラ・ウィルスも出ていたのでうれしくなった

  • 映画の中で演奏される曲もベートーヴェンの「運命」やプロコフィエフ「ロミオとジュリエット」、ドヴォルザークの「新世界」、チャイコフスキー4番、マーラーの5番など知っている曲も多くて良かった
  • ドゥダメルがベネズエラに帰れなくなってからは祖国のオーケストラを指導するのはZoomのようなPCの画面で祖国とつなぎ、演奏を聴いて指示を出すなど、ITの進化のおかげで従来では考えられないようなことができるようになったんだなと驚いた
  • 彼が、祖国の音楽教育プログラム「エル・システマ」について、エル・システマは音楽を通じて社会を改革するプログラムであり、音楽には人々を団結させる力があると信じていると語っているところが印象的だ、また、芸術は人々を楽しませるだけではなく、社会を癒し、人々の魂を癒すとも言っている、不要不急のものではないということでしょう
  • オクサーナ・リーニフも、昨年来日したときのインタビューで「アルメニアとウクライナの両親を持つ私は、大きな苦しみを感じています。ただ、いま起こっている悲惨なことだけを見るのではなく、芸術を大切にしてほしい。世界で血が流れ続けている恐ろしい時代ですが、舞台を成功させてそれを世界に運び、魂の喜びを分かち合う活動は非常に重要です。なぜなら『音楽をしよう、戦争ではなく』というメッセージを伝えられると思うからです」と述べている、皆さん同じ気持ちなのでしょう
  • 映画の中に頻繁に出てくるベネズエラの黄・青・赤の3色の国旗の色が頭に焼き付いた、ポスターにもその三色が使われていた

なお、ドゥダメルは2026年にラテン系指揮者で初のニューヨーク・フィルの音楽監督就任が決定している

クラシック音楽好きの人は見る価値があるでしょう


映画「タイムリミット見知らぬ影」を観る

2024年09月19日 | 映画

映画「タイムリミット見知らぬ影」をアマゾンプライムで観た、2018年、109分、ドイツ、監督クリスチャン・アルバート、原題Steig. Nicht. Aus!(外に出るな!)

久しぶりにドイツ映画を観てみようと思ってアマゾンプライムで探したら、いくつか興味が持てそうな映画があり、そのうちの一つを選択した、アクション・サスペンス・ドラマとなっている

ベルリンの不動産会社で大規模な建築プロジェクトに携わるやり手のカール(ボータン・ビルケ・メーリング、1967年)は、仕事熱心なあまり、妻ジモーネとうまくいっていない、実は妻は浮気をしていた、ある月曜日の朝、父親に関心を示そうとしない娘と息子を車に乗せて学校に送り届けようとしている最中に、正体不明の男からの脅迫電話を受ける

男はカールたちが座席を離れると爆発する爆弾を座席下に仕掛けたと言い、巨額の金を支払うよう要求してくる。同じ犯人に脅迫された上司夫妻が男の指示に従わずに車を降りて車が爆発して殺されるところを見たカールは、やむを得ず要求に従おうとする

爆発の際に破片を浴びて息子が重傷を負い、病院に運ぶために必死に車を運転していると、妻の浮気相手から、「貯金を全部降ろせ」などのカールのおかしな言動を警察に通報され、警察に追跡される羽目に、そして、ついにカールが上司への不満のため車を爆破して殺害し、不仲の妻への復讐のため子どもたちを人質にとり、破れかぶれの行動に走っていると決め付けられ、パトカー包囲されてしまうと・・・

映画を観た感想を述べよう

  • 最初のうちは、朝、子供を乗せて学校まで運転してるとき、突然、爆弾が仕掛けられていると知り、それを信じて必死に犯人が要求する金を調達すべく奮闘するという、あまり現実には有り得ない設定で面白くないな、と思っていたが、だんだんと物語が進んでいくにしたがって面白くなってきて、最後の最後までハラハラするうまい映画だと思った
  • カールは、巨額の金を払えと爆弾で脅迫される言わば被害者なのに会社の上司に逆恨みして爆殺した犯人にされるという逆転が生じ、話が面白くなってくる

  • カールは仕事熱心なあまり家族を顧みず、妻や息子と不和となるが、車の中に長い時間座ったまま犯人の要求に答えなければならないカールと子供二人が、息子のけが、父の必死の犯人との交渉と息子を助けるべく奮闘する姿を見た子供たちの心の変化、そして警察が父を犯人と誤解し、射殺さえしかねない状況を理解した時に娘が取った行動、だんだんと家族愛が復活していく様子がうまく描かれていたと思った
  • 警察の通常の捜査官たちと指揮命令系統が別の爆発物処理班との確執、主導権争いが物語を面白くしている、ドラッヘ警部がカールを犯人と決めつけ、抵抗すれば射殺しかねない勢いのところ、爆弾処理班のツァッハが冷静に事態を把握して、もしかしたらカールは脅迫されているかもしれないと判断したところあたりが、「そうだ」と応援したくなる筋書きのうまさがあった
  • 最後にカールと共に死ぬ覚悟をした犯人が車に乗り込んできて、爆発までの間の束の間の会話があるが、そこでカールは自分の強引な仕事の進め方を詫び、犯人に同情を寄せる、そして爆発の間一髪で彼が取った行動が・・・、とてもとっさには思いつかない通常は有り得えない方法だが映画だからそこは許されるでしょう

  • この映画は強引な地上げによる大規模不動産開発を批判する意味もあるのだろう、犯人はその犠牲者だ、犠牲者が復讐のため開発担当者であったカールの家族に同じ苦しみを味わせるための犯行だ、カールも最後は犯人に謝罪する
  • 事件がすべて終わった後、警察の取り調べが終わってカールが建物から出てくるところに家族3人が出迎えに行く、そこでまずは子供2人と抱き合い、最後に妻と無言で抱き合う、その姿を子供二人が嬉しそうに眺めている・・・この終わり方に少し違和感を抱いた、妻の浮気は自分のせいで自分が悪かった、だから浮気も許す、ということでしょうが、カールからも妻から何も言葉がなかったのが何かしっくりと行かなかった、私だったら妻を許せるかな・・・

楽しめたドイツ映画でした

 


映画「めまい」を観た

2024年09月06日 | 映画

映画「めまい」をアマゾンプライムで観た、無料、1958年、128分、アメリカ、監督ヒッチコック、原題:Vertigo(めまい)

ずいぶん古い映画だけどカラー映像、ヒッチコックの名作らしいので観ようと思った、ヒッチコックの作品はいくつか見ているが結構良い映画だと思っている。

刑事ジョン・スコティ・ファーガソン(ジェームズ・スチュワート)は、逃走する犯人を追撃中に屋根から落ちそうになる。そんな自分を助けようとした同僚が誤って転落死してしまったことにショックを受け、高いところに立つとめまいに襲われる高所恐怖症になってしまう。そのことが原因で警察を辞めたジョンの前にある日、旧友のエルスター(トム・ヘルモア)が現れる。エルスターは自分の妻マデリン(キム・ノバク)の素行を調査してほしいと依頼。マデリンは曾祖母の亡霊にとり憑かれ、不審な行動を繰り返しているという。ジョンはマデリンの尾行を開始するが、そんな彼の見ている前でマデリンは・・・

ミステリーであり、ラブロマンスでもある

映画を鑑賞した感想を書いてみたい(ネタバレあり)

  • 刑事ジョン・スコティ役のジェームズ・スチュアートは同じヒッチコック監督の「裏窓」(1955年)にも出演していたのを観て、いい俳優だと思った、1908年生まれだからこの本映画出演時は46才くらいである、今から60年以上前の46才は結構年寄りだったろうが、若々しさがあって良かった、アメリカのいろんな映画に出演した当時の大スターだったのでしょう、わかるような気がした
  • また、彼は、私の好きな同じような時期に上演された映画「マイ・フェア・レディー」(1964年)にヒギンズ教授役で出演していたレックス・ハリソンと何となくイメージが似ていると思った、このレックス・ハリソンはジェームス・スチュアートと同じ1908年生れというからその偶然に驚いた

  • エルスターの妻で、かつ、謎の女ジュディとのダブルキャストになるキム・ノバク(1933年)は名前から言って韓国系アメリカ人かと思ったら、チェコ系アメリカ人である、美人でスタイルもよく、陰のある女性役をうまく演じていると思った
  • サスペンス部分のストーリーについては、ジョンのめまいと、それを利用したエルスターの妻殺しの策略など、うまく考えたなと思った、そして、エルスターの妻殺害計画の唯一の想定外は、妻になりすましたジュディとジョンが愛し合ってしまうという点も面白いと思った

  • エルスターの妻マデリンとそのよく似た謎の女ジュディの演じ分け、どの場面が本物でどの場面が偽物か、がわからなかったが、実は最初から最後までマデリンは一回も登場しないでジュディがマデリンを演じていたということでしょうか、終盤でジュディが「マデリンは田舎にいてここにはいないから、なりすましができた」と言っている
  • 最後にジョンはジュディと愛し合うようになったが、ジュディは妻殺しのエルスターの共犯ではないのか、そういう女と恋に落ちるのか、釈然としなかった
  • そのジュディも最後は教会の塔の上から飛び降り自殺するが、それがどうしてなのか、ジョンは最後にエルスターがどうやって妻のマデリンを殺したのか突き止めたが、その結果、恋に落ちたジュディが殺人の共犯者だと分かった、ジュディは共犯者の自分と元刑事との愛は成り立たないと思い、最後は自分で命を絶ったということか

  • エルスターが妻を殺害する動機だが、ジュディと愛人関係にあったから、ということなのか、妻と外見がよく似ている女に興味がわくものだろうかと思った、そして、殺害実行後、エルスターはジュディを捨てて別の女と付き合っている、というのも変な感じがしたが、実はその別の女と一緒になるのが彼の本当の目的で、ジョディとジョンはそれに利用されたということか
  • ジュディが自殺して映画は終わっているが、映画の中でジョンが警察を辞めてから仕事場にしている事務所でむかしの婚約者がデザイナーの仕事をしている、その彼女はジョンにまだ惚れているように描かれている、学生時代にジョンと婚約までして3週間で彼女の方から解消している仲だ、最後は彼女とよりを戻すのではないかと想像したがそこまでいかずに映画は終わった、そこは想像してくれということでしょうか

楽しめました

 


映画「エターナルメモリー」を観た

2024年08月30日 | 映画

映画「エターナルメモリー」を観た、シニア料金1,300円、小さな部屋だったが満席に近い盛況ぶりだった、観に来ているのはやはり中高年だった、2023年、85分、チリ、原題La memoria infinita(永遠の記憶)、監督マイテ・アルベルディ

本作は、アルツハイマーを患った夫アウグストと、困難に直面しながらも彼との生活を慈しみ彼を支える妻パウリナの幸せにあふれる暮らしと、ふたりの愛と癒しに満ちた日々を記録したドキュメンタリー、すなわち実話である

著名なジャーナリストである夫アウグスト・ゴンゴラ(1952年生れ)と、国民的女優でありチリで最初の文化大臣となった妻パウリナ(1969年生れ)は20年以上に渡って深い愛情で結ばれ、読書や散歩を楽しみ、日々を丁寧に生きていたが、ある時、アウグストがアルツハイマーを患い、少しずつ記憶を失い、最愛の妻パウリナとの思い出さえも消えはじめると・・・

鑑賞後の感想を書いてみたい

  • 夫がアルツハイマーになってからも妻のパウリナは働き続け、彼女の職場に夫を同伴することもあった、それは彼女の仕事の効率を落とすことになるが、それを問題だと思ったり、夫を恥じたりしなかったのは立派だと思った
  • 夫のアウグストは、ジャーナリストだった。独裁政権時代、主要メディアが事実を報じなかった時に、国内の出来事を内密で扱うニュース報道「テレアナリシス」の一員として、重要な役割を果たし、仲間のジャーナリストと街に出て、起きていることすべてを記録しながら、人々にインタビューし、テープを配布したりした、都合の悪い事実を見て見ぬふりをする日本のジャーナリストは見習うべきでしょう
  • 妻のパウリナは、演劇、映画、テレビで活躍した女優として有名で、彼女の名前はよく知られており、政治活動でも認知されている女性とのこと。チリの文化省が設立されたとき、最初の大臣になったそうだが、夫婦そろってすごい人たちだと思った
  • 配偶者がアルツハイマーになったら、実際の生活は大変で、映画では描かれてない悲惨な場面が多くあったと思う、普通は介護施設に入ってもらわないと共倒れにもなりかねないが、夫婦が大物すぎたので美しい愛情物語にしたのではないかと感じた
  • 映画のパンフレットを見ると、「ドクトル・ジバゴ」、「カサブランカ」、「愛、アムール」・・・どんな名作ラブストーリーもこの真実の愛の物語には適わない、と書いてある、このうち「愛、アムール」はミヒャエル・ハネケ監督が老夫婦の奥さんの方がぼけてしまうという老々介護をテーマにした映画であり、私も観たことがある、私はハネケ監督の映画はアルツハイマーをこの映画のように美談には描いていないところが真に迫っていると思うがどうであろうか、最後があまりにも衝撃的だ、ちなみに「愛 アムール」はアマゾンプライムで検索しても出てこないが、「ピアニスト」見れるようになったようだ

高齢化社会を反映して、このような映画は今後もどんどん出てくるのではないかと思った


映画「箱男」を観る(2024/8/27追記あり)

2024年08月27日 | 映画

2024/8/27 追記

昨日、吉祥寺のUPLINK吉祥という映画館で映画を観た際、映画館のロビーで先日観たばかりの「箱男」のプロモーションであろうか、本物そっくりの段ボール箱が飾ってあり、しかも、映画のようにそれをかぶってよいというサービスをしていた、その場にいた人は次々と面白がって「箱男」、「箱女」になって写真を撮ってもらっていた

また、映画館は地下2階だが、そのエレベーターのドアにも「箱男」が描かれていた

2024/8/24 当初投稿

封切直後の映画「箱男」を観た、シニア料金1,300円、120分、監督石井岳龍、比較的広い部屋だったが30人くらいが来ていた

作家・安部公房が1973年に発表した同名の小説を映画化したもの、この映画は1986年に石井監督が安部公房から映画化を託され、1997年に製作が正式に決定、スタッフ・キャストが撮影地のドイツ・ハンブルクに渡るも、クランクイン前日に撮影が突如頓挫、幻の企画となってしまった経緯がある

今回、悲劇から27年経って、奇しくも安部公房生誕100年にあたる2024年、石井監督は遂に「箱男」を完成させた

映画のパンフレットには、「箱男」それは人間が望む最終形態、ヒーローかアンチヒーローか、とある

ストーリーは、オフィシャルサイトによれば、

「ダンボールを頭からすっぽりと被り、街中に存在し、一方的に世界を覗き見る『箱男』。カメラマンである“わたし”(永瀬正敏、1966年生れ)は、偶然目にした箱男に心を奪われ、自らもダンボールをかぶり、遂に箱男としての一歩を踏み出すことに。しかし、本物の『箱男』になる道は険しく、数々の試練と危険が襲いかかる。存在を乗っ取ろうとするニセ箱男(浅野忠信、1973年生れ)、完全犯罪に利用しようと企む軍医(佐藤浩市、1960年生れ)、 “わたし”を誘惑する謎の女・葉子(白本彩奈、2002年生れ)・・・果たして“わたし”は本物の『箱男』になれるのか・・・)」

鑑賞した感想を述べてみたい

  • 安部公房の小説は「砂の女」だけは読んだこともあるし、その同名の映画を観たこともあり、面白い作家だなと思っていたところだ
  • 何も予習しないで観に行ったら、ストーリーがよくわからなかった、帰宅後、オフィシャルサイトやレビューコメントを見て、「ああ、そういうことなのか」と何となくわかった
  • アマゾン(本)の「箱男」の説明の中に、本の解説を書いた平岡篤頼氏(文芸評論家)の解説が載っており、そこに「箱男」の狙いのようなことが書いてあるので引用してみると、
    「考えてみればわれわれ現代人は、隅々まで約束事や習慣や流行や打算に支配され、その上、この小説の主人公がかつてそうであったように、「ひどいニュース中毒」に罹っている。「自分で自分の意志の弱さに腹を立てながら、それでも泣く泣くラジオやテレビから離れられない。」もしもそういうものをすべかなぐり捨てたら、世界はどう見え、われわれはどんな存在になるだろうか。風景が均質になり、いままで大切に思っていたものも、無価値と思って無視してきたものも、同等の価値をもって目にはいって来る。それと同時に、こちらの方向感覚、時間感覚も麻痺し、われわれ自身でなくなって、「贋のぼく」が現われる」
  • なんだか難しいが、そんなことを描こうとした映画なのかと、理解したが、実際の映画では前後関係が時系列では描かれないので、ストーリーがわかりにくいのだと思った
  • 結局、この箱男というのは、安部公房の時代では、ラジオやテレビから離れられない「ひどいニュース中毒」になっている人、現代では、スマホ/SNS、ネットから離れられない生活をしている孤独な、匿名な存在の人たちである、ということなのでしょうか、この先、AIやロボットが発達してきたら一体どういう「箱男」、「箱女」が出現するだろうか

  • 映画では冒頭に箱男を、完全な孤立、完全な匿名性な存在であり、一方的にお前たちを覗く、と説明されている、この箱男には孤独で匿名なスマホ中毒という面と、箱の窓から外界を覗き見、という要素がある、そして主人公の本物の箱男は元カメラマンだから覗いて写真を撮ったり絵を描いたりしている、本作はラストで、実は「箱男はあなたです」と言い、社会はその箱の窓からお前(視聴者)を覗いていたのだ、という逆説が強烈なパンチとして効いてくるというオチがあったように感じた、違うかもしれないが
  • 安部公房の問題提起自体は深刻だろうが、映画では本物の箱男と偽物の箱男の戦いなど、滑稽な場面や謎の女のエロスなどもあり楽しめるところもある映画だった
  • 映画のエンドロールの中で、音楽「マーラー交響曲第5番アダージェット」と出ており、エンドロールの時にそのアダージェットがピアノ独奏でが流れていたように思われた、普段聴くオーケストラの音楽とだいぶ違って聴こえたので勘違いかもしれないが(映画の途中で流れていたとすれば、気付かなかった)、なぜマーラーなのかはわからなかった

難解な映画でした