ゆっくり行きましょう

気ままに生活してるシニアの残日録

「神代植物公園」に行ってきた

2024年04月30日 | 街歩き・国内旅行

調布市の神代植物公園に行ってきた。つつじが綺麗に咲いているというニュースをどこかで見て久しぶりに行きたくなった。先に深大寺に参拝し、そのあとで公園に向った。深大寺の奥から歩いてすぐのところに公園の深大寺門があり、そこから入れる。入場料は65才以上割引で250円だった。

深大寺門に入ると、そこは雑木林になっている、新緑の季節なので緑が多くて素晴らしい、来ている人も少なく静寂な感じ。

そこから左に向って行くとばら園があり、幼稚園生たちがたくさん来ていて楽しそうに遊んでいた、バラが咲くのはもう少し先のようだ

そこから今度は右に進んで行くとお目当てのつつじ園が見えてくる。一面満開のつつじの花で埋め尽くされていた、赤や白、ピンクの色で実にきれいだ。大勢の人が見に来ていた。そこでしばらく見物し、写真を何枚も取り、ゆっくり過ごす、外国人観光客はあまり見かけなかった、まだ知られていないのか、今日は天気が良い日で最高だ。

その後、築山、芝生広場に歩いて回る、こちらにはあまり人が来ていない、ゆっくり歩いて帰りは正門の方に向い、正門前のバス停留所からバスに乗り三鷹駅に向った。まだ時間が早かったし、日も長くなってきているので、今日はもう一箇所、久しぶりに国分寺の名曲喫茶「でんえん」に行ってみよう、という気になった。

三鷹駅構内にKINOKUNIYA BAKERYがあったので明日の朝食用のパンを買った。

お疲れ様でした。


深大寺そばを食べ、深大寺に参拝する

2024年04月30日 | 街歩き・国内旅行

東京の調布市にある深大寺に行き、そのあとで隣接している神代植物公園に行ってみた。何度も来たことがあるところだが最近は全然来てなかった。

調布の駅からバスに乗り深大寺の入口付近で降りる、バスはその先の植物公園に行く人たちで混んでいたいが深大寺で降りる人は2人しかいなかった。

深大寺東参道を歩き5分くらいで深大寺門前に到着、門前には「深大寺そば」の店が多くある。深大寺そばの由来はいろいろあるようだが、調布市観光協会などによると、江戸時代、土地が米の生産に向かなかったため小作人が蕎麦を作って蕎麦粉を深大寺に献上し、それを寺側が蕎麦として打ち、来客をもてなしたのが始まりといわれ、とウィキペディアに紹介されている、但し、現在はこの近辺ではそばは生産されていない。

先ずは腹ごしらえ、どの店に入るか迷う、11時過ぎであったが既に行列ができている店もあるので、そのような店は敬遠してすぐに入れる「きよし」という店に入った。座敷に座り「上天ざる、2,200円」をたのんで食べたが、おいしかった。

食後、門前をブラブラ歩き、いよいよ境内に入り、参拝する。それほど多くの人は来ていない、すいていた。

お参りするとき、「○○をお願いします」と手を合わせる人が大部分だろうが、私は「神様・仏様いつも良くして頂いて、有り難うございます」と先ずはお礼を言うことにしている、そうすると願い事を叶えてもらえる可能性が高まると「夢をかなえるゾウ」(水野敬也著)という本に書いてあったからだ。なるほど神様・仏様の身になって考えれば、こういう人から順に願いをかなえてやろうと思うだろう。

さて、食事もして、参拝も終ったので、この後、神代植物公園に向った、その模様は別投稿で


「笠間日動美術館」に行く

2024年04月29日 | 美術

ゴルフの帰りに笠間日動美術館に立ち寄った。久しぶりであるが、何回か来たことがある。全てゴルフの帰りに寄ったものだ。

この美術館は1972年(昭和47年)に日動画廊創業者・長谷川仁氏によって郷里である笠間市に開館したもの。

敷地は広く、敷地内には鴨居玲(1985、57才没、洋画家)の部屋、ピカソや藤田嗣治をはじめとする国内外の著名画家の展覧会を開催する企画展示館、 おもにフランス美術を常設するフランス館、金山平三・佐竹徳記念室を併設し、画家が愛用したパレットを常時200点以上展示する日本館 、日本の著名彫刻家によるブロンズ像が佇む野外彫刻庭園がある。

この日に開催中の企画展は「岩合光昭写真展 ねこづくし」、猫の写真を撮ることで有名な写真家の岩合光昭氏の作品展である。我が家も随分長く猫を飼っていたので、観てみようと思った。ただ、写真撮影は禁止のため具体的な内容は紹介できないのは残念だ。岩合氏が瀬戸内海の島や街などを訪ねて撮影した猫たちの写真に癒やされた。

ここは画廊の営む美術館でコレクションを保有しており、その一部を常設展として展示してあるのがうれしい。せっかく来たのだから常設展も当然観ることに。企画展の建物から常設展の建物には敷地内の庭園を経由して行くが、その庭園には彫刻の作品群がある。また、よく手入れされた竹藪があり風情をそそる。

この日はゴルフの後で疲れているので欲張らないでフランス館を中心に鑑賞した。素晴らしい絵ばかりでじっくり時間をかける価値が充分あるが、ある程度のスピードでざっと観た。今回特に印象に残った作品からいくつか紹介しよう。なお、常設展は写真撮影はOKであるが一部の作品だけ撮影Noとなっている、これは有難い。


ゴッホ「サン=レミの道」(1889-90)


マティス「窓辺にすわる女」(1919-20)


カンディンスキー「活気ある休息」(1923)


岸田劉生「夏の道(鵠沼海岸)」(1922)


ルノワール「花梨の木」(1908)


ルノワール「泉のそばの少女」(1887)


モネ「チャリング・クロス橋」(1900頃)

この美術館全体は実に贅沢な作りだ。庭園も展示室も余裕があり、よく手入れされている。今は新緑の季節であり緑がまぶしい。ゆったりとした気持で鑑賞できた。笠間は泊まりがけで来ても良いくらいの見所の多い土地である。我が家の今年の初詣も笠間稲荷神社であった。笠間焼の窯元などを訪ねて歩くのも良いだろう。

楽しめました。


「笠間つつじまつり」に行く

2024年04月28日 | 街歩き・国内旅行

城里ゴルフ倶楽部でゴルフをやったあと、近くの笠間つつじ公園の「笠間つつじまつり」(4月13日から5月6日)に行ってきた。ここは初訪問、つつじが満開とのニュースに接し、見たいと思って、わざわざ近くのゴルフ場を予約した。

ゴルフ場から車で20分で到着、平日だけど結構車で見に来ている人がいて、どの駐車場に停めようかか迷う、会場は小高い山の上なので、坂道を上り一番上付近まで行って、もし駐車場が満車ならそこからの下り道の途中の一番公園に近いところに停めようと思った。焦って一番最初に出てきた駐車場に入れると結構歩くことになる場合が多いからだ。運良く、第3ゲートのすぐ近くの駐車場に空きがあり停められた。

第3ゲートで公園の入場料500円を払う。そこから頂上を目指して歩いて行くが、ゲートを入ったところからすぐに満開のつつじがびっしりと植えてあり壮観である。つつじを観ながら山頂の矢印に従い歩き、頂上に到着すると、かなり見晴らしが良く、下界の笠間市内がよく見える、頂上には観音像(身代わり観音)がある。来ている人は年配の方々が多かった。頂上まで結構坂道を歩くが皆さん元気なものだ。

笠間つつじ公園になぜこんなにつつじがあるのかの背景としては、昭和41年に観光開発の一端として、翌年度から5か年計画で富士山を「つつじ公園」として造成し、市民の憩いの場とするとともに、春の観光資源とする計画を立てました。昭和42年、整備に着手し富士山に1,000株のつつじを植え、さらに市民の協力を得て「つつじ一株寄付運動」によって植えられ、同年5月に公開されました。翌年より「つつじまつり」が開催され、昭和45年には、佐白山の桜とつつじで「花まつり」を開催しました、とWebページに出ていた。

頂上からの展望の中には、少し先の山腹にかなり広い範囲で大量の太陽光のパネルが設置してあった。温暖化ガス排出量削減のための太陽光への転換だが、大規模太陽光パネルは、景観破壊、環境破壊、ウイグル人労働中国製パネル購入、火災被害、再生エネ賦課金増額など問題ありすぎだ。

さて、今日は日中の気温が25度以上に上がり、つつじを見ている間も結構暑かった、しかし、いろんな種類の、いろんな色のつつじを見ていると大いに癒やされた。

お疲れ様でした、この後、まだ時間が早かったのですぐ近くの笠間日動美術館に行くことにした、それは別投稿で。


城里ゴルフ倶楽部でゴルフ

2024年04月28日 | ゴルフ

茨城県城里町の城里ゴルフ倶楽部に行ってきた。天気は曇り。ここ1、2年来ているコースだ。費用は2人で16,500円。

このコースは、平成6年にカントリークラブ・ザ・ウイングスとして開場、母体は太平洋観光グループ、平成16年3月に東京地裁から破産宣告を受けた。その後、名前を城里ゴルフ倶楽部に変更し、経営をノザワワールド(本社が先日行ったひたちなか市にある)が引受けて現在に至っている

コースの設計はダンロップ・エンタープライズ、ワングリーン、平坦なレイアウト、広々してプレーは楽だ。池が絡むホールがいくつかある。チャンピオン・ティーからは6,900ヤードあるのでそれなりのコースだ。レイアウトで特に印象に残るホールがあまりなく、同じような感じのホールが続くところがある、例えばインの14番から16番は連続して似たようなレイアウトだ。一方、トリッキーなホールは一つもなく、その点は評価できる。

このコースは丘を切り開いて造成したコースだと思うが、各ホールから見える景色はそれほど印象に残るものはない、下界も見えないし、遠くの山や景色も見えない。

カートのフェアウェイ乗り入れはできない点は残念だ。グリーンスピードは8ftと出ていたが、実際にはもう少し早い気がした。

プレーの進行はまあまあだった、途中で待たされることはほとんどなかったのでストレスはなかった。これは立派だろう。あと、フェアウェイのディボット跡の修復はダメだった、スタート時点で目土袋に砂も入っていない、最近のゴルフ客のマナーは最低だ。

食事はバイキング方式で、デザートまでついており、種類も多く、満足できるものだった。

さて、この日は2時まえにはラウンドが終ったので、帰りに近くの笠間つつじ公園に寄って満開のつつじを見て帰ることにした、というか最初からその計画で来た、その模様は別投稿で。

お疲れ様でした。


「芸劇ブランチコンサート、100%ヴィオラの日」を聴き、東武の四川飯店で昼食

2024年04月27日 | クラシック音楽

東京芸術劇場で「芸劇ブランチコンサート、清水和音の名曲ラウンジ」、「100%ヴィオラの日」を聴いてきた。11時開演、12時10分終演、2,400円、1階席は8割くらいの埋まり具合か。

出演

佐々木亮(Va)N響首席奏者
鈴木康浩(Va)読響首席奏者
中 恵菜(めぐな)(Va)新日本フィル首席奏者
清水和音(Pf)

曲目

  • ベートーヴェン:3つのヴィオラのためのトリオop.87(原曲:2つのオーボエとイングリッシュホルンのためのトリオop.87 )(佐々木+鈴木+中)
  • ショスタコーヴィチ:2つのヴィオラとピアノのための5つの小品より(原曲:2つのヴァイオリンとピアノのための5つの小品より)、前奏曲/ガヴォット/ワルツ (中+佐々木+Pf)
  • エネスコ:演奏会用小品 (鈴木+Pf)
  • ヴュータン:無伴奏ヴィオラのためのカプリッチョ(中)
  • ヴュータン:エレジーop.30  (佐々木+Pf)
  • クライスラー:愛の喜び(2つのヴィオラとピアノ版)(佐々木+鈴木+Pf)

このコンサートは平日の昼間の1時間、一流の場所で、一流の奏者が、手頃な値段で名曲の演奏を聴かせるというもので、いい企画だと思っている。今日はピアノ以外の3人は全員ヴィオラ奏者というめずらしいコンサート、ヴィオラ用の作品は少ないがヴァイオリン用の作品をアレンジするなどしてプログラムを組んだのだろう。

このコンサートの特徴は司会をやる人がいて、出演者にインタビューしたり曲の解説をするところだ、いつもは八塩圭子氏が司会だが、この清水和音のシリーズは清水氏が司会兼ピアニストになっているようだ。

今日の清水氏からのインタビューでは、出演者に「なぜヴィオラ奏者になったのか」という質問を投げかけた、答えを正確には覚えてないが、佐々木亮は「アメリカに修行に行ったときに先生から公演会のヴィオラのピンチヒッターでやってくれと言われて、それ以来好きになった」、鈴木康浩は「学生の時からヴァイオリンとヴィオラを両方やっていたが、ヴィオラに惹かれるようになった」、中恵菜は「やはり若い頃から室内楽を演奏していたらヴィオラの魅力に惹かれた」と話していた。それ以外もいろいろヴィオラ奏者ならではの話を聞けてよかった。こういう取組みは普通の公演でもやってほしい、オーケストラの場合でも指揮者が選曲の理由とか曲の解説をしてほしい

さて、今日の曲目だが、「愛の喜び」以外は知らない曲ばかりだが、演奏を聴いて全部良い曲だと思った、ヴィオラの音色もよく響き、ハッキリと聞き取れてよかった。

いいコンサートでした、帰りに6月19日の次回のブランチコンサート「念願のメンバーでピアノ四重奏」のチケットを買った。

さて、昼過ぎにコンサートが終ったので、昼食をどこかでと思い、東武デパートの12階の餃子の天龍か鰻の宮川か中華の四川飯店に行こうと思った。行ってみると、天龍は行列、鰻の宮川は値段が高すぎるため、すぐに入れて手頃な値段の食事ができる四川飯店に入った。ここはつい先日、赤坂本店に行ったばかりだが、池袋店はたまに利用している。今日はランチメニューからランチ御膳(麻婆豆腐)1,700円を選んだ、

味は花椒もよく効いてちょっと辛めの好きな味、おいしく頂きました、ご飯1杯では麻婆豆腐がなくならないのでおかわりした。

ご馳走様でした。私が店を出たときは3,4名の人が順番待ちしていた。


向島「志”満ん草餅」で草餅を買う

2024年04月26日 | グルメ

明治2年(1869)に隅田川の渡し舟の客向けの茶店としてはじまった『志゛満ん草餅(じまんくさもち)』。名物は香り高いよもぎを使う草餅。前から食べたいと思っていたが、そのエリアはあまり行く機会が無いので今まで食べてなかった。この日は歌舞伎観劇の帰り、日が長くなってきたので、車で寄ってみようと思いついた。

店は墨堤(ぼくてい)通り沿いにあり、その前は何度も車で通ったことがある、電車では東武スカイツリーライン東向島駅からも曳舟駅からも徒歩10分程度。

実はこのあたりは先日行った長命寺さくら餅や言問団子など、和菓子店が点在する和菓子好きにはたまらないエリアらしい。ただ、電車で行くには少し駅から歩くし、車で行くには駐車場を探すのが一苦労な場所だ。今日は店舗隣接のTimes駐車場に入れたが、マンションの中庭のような場所にあり入りにくかった。

さて、志゛満ん草餅であるが、創業した当時は、墨堤のよもぎを手摘みして草餅を作っていたそうだ、そして、志”満ん草餅で使用している「よもぎ」は創業当初からこだわりで、「生のよもぎ」を使用している。

また、この志゛満ん草餅という名前だが、店のホームページには特に書いてないのでChatGTPで調べてみたら、諸説あり、中国の詩の中に「志満」があり、これは植物のライチョウをさし、それを名前につけた、或は、日本の奈良時代の僧侶が発見した薬草「志満草」に由来する、とある。


上が「あん入り」、下が「あんなし」

草餅は「あんいり」と「あんなし」の2種類あり、俵型の「あんいり」には北海道十勝産小豆でつくる自家製のこし餡が入る。餅7に対して餡3とやや少ない割合になっているが、これは主役の草餅を楽しんでほしいからということらしい。

「あんなし」の方は、真ん中がくぼんだユニークな形をしている。「渡し船を模したのでは」という説もあるが、店主は渡し船の客が食べ歩きしやすいよう工夫した形だろうと述べている。大きなくぼみに白みつときな粉をかけて食べる。

この草餅はデパートなどでも何カ所か買えるところがあるが、曜日が限られていたり、浅草松屋では7個の箱入りからしか買えなかったりと制約があるが、ここでは1個から買えるので有りがたい。今日は「あんなし」と「あんいり」と3つずつ買った。今日は4時過ぎに行ったが最後の10個くらいしか残っていなかった、売り切れ次第終了なので偶然とは言え、在庫が有ってよかった。

生菓子なので賞味期限は当日中だが、経験では翌日午前中までなら大丈夫だ。帰宅して夕食のデザートとして食べてみたが、本当においしかった。

ご馳走様でした。


丸山真男「日本の思想」を読む(3/3)

2024年04月26日 | 読書

(承前)

Ⅳ「である」ことと「する」こと(講演記録)

  • 私たちの社会が自由だ、自由だといって、自由であることを祝福している間に、その自由の実質はカラッポになっていないとも限らない。自由は置物のようにそこにあるのではなく、自由となろうとすることによって、初めて自由でありうると言うことなのです(p159)
    コメント
    その通りでしょう、「自由」を「平和」に置き換えてみても同じでしょう、そして自由や平和になろうとすることとは、自由や平和を戦ってでも勝ち取るものだ、というのが丸山氏の好きな西欧の歴史であり、現にウクライナでは自由を勝ち取るために戦っている。日本だって同じでしょう
  • 人々は大小さまざまの「うち」的集団に関係しながら、しかまもそれぞれの集団によって「する」価値の浸潤の程度はさまざまなのですから、どうしても同じ人間か「場所がら」に応じていろいろにふるまい方を使い分けなければならなくなります。わたしたち日本人が「である」行動様式とのごった返しの中で多少ともノイローゼ症状を呈していることは、すでに明治末年に漱石がするどく見抜いてたところです
    コメント
    丸山氏の指摘するとおりでしょう、漱石の講演録「現代日本の開化」には、西洋の開化は内発的であって、日本の現代の開化は外発的である、開化の推移は内発的でなければ嘘だと申し上げたいのであります、西洋人が百年の歳月を費やしたものをわずかその半ばに足らぬ歳月で明々地に通過し終えるとしたならば吾人はこの驚くべき知識の収穫を誇り得ると同時に、一敗また起つ能わざるの神経衰弱にかかって、気息奄々(えんえん)として今や路傍に呻吟しつつあるは必然の結果として正に起るべき現象でありましょう」と述べている
  • 近代精神のダイナミックスは、まさに右のような「である」論理・「である」価値から「する」論理・「する」価値への相対的な重点の移動によって生まれたものです、もちろん、「であること」に基づく組織(たとえば血族関係とか、人種団体とか)や価値判断の仕方は将来とてもなくなるわけではないし、「すること」の原則があらゆる領域で無差別的に謳歌されてもよいものでもありません(p181)
  • 徳川時代のような社会では大名であること、名主であることから、その人間がいかに振舞うかという型がおのずと決まってきます(p163)、儒教的な道徳が人間関係のカナメと考えられる社会が、典型的な「である」社会だということを物語っております(p164)
  • これに対してアカの他人同士の間に関係を取結ぶ必要が増してきますと、どうしても組織や制度の性格が変ってくるし、またモラルも「である」道徳だけではすまなくなります(p164)、封建君主と違って、会社の上役や団体のリーダーの「えらさ」は上役であることから発するものでなくて、どこまでも彼の業績が価値を判定する基準となるわけです(p167)、一般的にいって経済の領域では、「である」組織から「する社会」組織へ、「属性」の価値から「機能」の価値への変化がもっとも早く現れ、もっとも深く浸透します、ところが政治の領域では経済に比べて「する」論理と「する」価値の浸透が遅れがちだということです(p168)
  • ところが制度を判断する際には、まだ多分にその制度の現実的な働きによってテストしないで、それ自体として、いいとか悪いとか決めてしまう考え方が強く残っています、しかも現代の国際国内政治がイデオロギー闘争の性格を帯びているために、自由世界と全体主義世界とか、資本主義と社会主義とか言う分け方をあらゆる政治現象の判断に「先天的」に適用しようとする傾向が、右のような「である」思考に加乗されることになってきます(p170)
    コメント
    確かに氏の指摘するとおりでしょう、物事を黒か白かと単純に決めつける発想は知的態度とは言えない。例えば、氏は共産主義を悪と決めつけるのは間違えで、共産主義のイデオロギーの中には人道主義といった普遍的価値の側面があると述べている(p171)、ただ、そのような側面は理論上あるだろうが、共産主義の実践においては人権侵害が行われている例も多いので、その理念と実践には大きな乖離がある
  • 政治行動とか経済活動といった社会行動の区別は「する」論理から申しますと当然に機能の区別であって、人間や集団の区別ではない、文化団体である以上、政治活動をすべきではない、教育者は教育者らしく政治に口を出すなというふうに考えられやすいのです、しかし、民主主義は非政治的な市民の政治的関心によって、また「政界」以外の領域からの政治的発言と行動によって始めて支えられるといっても過言ではないのです(p175)、政治と文化とをいわば空間的=領域的に区別する論理こそまぎれもなく、政治は政治家の領分だという「である」政治観であります(p177)
    コメント
    誰であれ政治的意見を述べるのは自由であり、それは当たり前だ。それをあえてここで書くのは、この当時、日教組の政治的影響力が強く、また、学生運動が激しい時代だったから、そういうことと関係しているのか、具体的に書かないから何を言いたいのか実にわかりにくい
  • 日本の近代の宿命的な混乱は、一方で「する」価値が猛烈な勢いで浸透しながら、他方では強靱に「である」価値が根を張り、その上、「する」原理を建前とする組織が、しばし「である」社会のモラルによってセメント化されてきたところに発しているわけなのです(p178)
  • 現代のような「政治化」の時代においては、深く内に蓄えられたものへの確信に支えられてこそ、文化の(文化人ではない)立場からする政治への発言と行動が本当に生きてくるのではないでしょうか、現代の日本の知的世界に切実に不足し、最も要求されるのは、ラディカル(根底的)な精神的貴族主義がラディカルな民主主義と内面的に結びつくことではないか(p182)
    コメント
    空疎な言葉の羅列で実にわかりにくく、わざと何を言っているのかわからないように書いた文章ではないか。自分は精神的貴族であり、文化の担い手であり、そのよう文化を代表するものたちが政治に意見を言うのは有意義で、それでラディカルな民主主義が実践できるのである、とご高説を述べた選民意識に満ちた文章だ、「ラディカルな」とは字義通り過激なマルクス主義革命のことではないのか、それを巧妙にわかりづらく、しかし、その世界にいる人にはわかるように書いた文章ではないか

あとがき

  • 私の分析に対する批判の明確な誤解と思われる受取り方の例としては、もっぱら欠陥や病理だけを暴露したとか、西欧の近代を「理想」化して、それとの落差で日本の思想的伝統を裁いたとか、いった類いである、これに対する理論的な答えとしては、 「陸羯南(くがなつかん)」の小論や「明治国家の思想」を見て頂くほかはない(p189)。
    コメント
    大事なところなので、理論的な答えを説明してほしかった、(1/3)でもコメントしたとおり、氏の説明は西欧を誉めあげ、日本の状況を批判するというようにしか見えない

本書の読後感であるが、難解な部分も多かった、特に「Ⅰ日本の思想」がそうだった。本書が想定する読者は大学の研究者や日本思想を勉強している学生等なのであろう、難しいことをわざと難しく解説していると感じた。

本書にはデカルト、ベーコン、ヘーゲル、スピノザ、ホッブス、コント、ルソー、スペンサー、バッグなどの哲学者か思想家だろうか、フリードリヒ・ヘール、チャールズ・ビアード、K・レーヴィット、W・ヴンド、A・ローゼンベルグ、E・トレルチ、K・マンハイムなどの研究者だろうか、多くの西欧人や小林秀雄などの日本の知識人の考えをふんだんに引用している、丸山氏は「おれは難しい古今東西の文献に目を通してすべて知っているのだ」と言うことをひけらかしているように思えた

丸山氏は進歩的文化人のリーダー的存在だったのだろうが、なぜ「進歩的」などと言われるのかよくわからない、西欧の思想やマルクス主義を信奉するのが進歩的なのか、もっとも、もう進歩的文化人など死語になっているが

最後に、丸山氏であるが、弟子の中野雄氏が書いた「丸山眞男 音楽の対話」(文春新書)という本があり、随分前に読んだことがある、この本を読むと丸山氏はかなりのクラシック音楽ファンであることがわかる。この機会に再読してみたくなった。

(完)


四月大歌舞伎(昼の部)を観る

2024年04月25日 | 歌舞伎

歌舞伎座で四月大歌舞伎昼の部を観てきた。座席はいつもの3階A席、6,000円、リーズナブルな値段で楽しめる良い席だ、新国立劇場の4階席より舞台がずっと近く見えるので毎月に観に行く人はこの席が一番良いと思う。ただ、オペラグラスは持って行った方がよいでしょう。今日の3階席はななり空きが目立った、7割くらいの入りか。11時開演、15時30分終演。

双蝶々曲輪日記(引窓)(1時間13分)

出演
濡髪長五郎(尾上松緑)
母お幸(中村東蔵)
南与兵衛後に南方十次兵衛(中村梅玉)
女房お早(中村扇雀)
平岡丹平( 松江)
三原伝造(坂東亀蔵)

義太夫狂言の名作である、「双蝶々(ふたつちょうちょう)」と言う題名の由来であるが、濡髪長五郎と放駒長吉(「引窓」には出てこない)という、二人の「長」の字を名にもった角力取りを主人公にしていることに由来し、喧嘩早い角力取りの達引(たてひき、義理や意気地を立て通すこと)を中心とした話、「曲輪(くるわ)」とは、山崎屋与五郎と遊女・吾妻(両方とも「引窓」には出てこない)、与兵衛と遊女・都(後に身請けされ、お早となる)という二組のカップルの大阪新町の廓での色模様を描いたことから名づけられた。

母お幸のところに、幼い頃に養子に出し相撲取りになっていた実の息子濡髪長五郎が戻ってくるが何か浮かない顔、再婚して義理の息子与兵衛がいる、浪人であったが郷代官に任ぜられ、初仕事が人を殺めた長五郎の捕縛、家に帰ってくると長五郎がいることを知り、とらえて手柄をあげるか見逃すかで悩む。

「引窓」とは屋根に空けた採光用の空間、滑車と紐が付いていて、紐を引いて窓を閉じ、紐を離すと窓が開く。窓が開いて部屋が明るかったとき、手水鉢の水に二階にいた長五郎の姿が映って二階にいることがバレる。

見所としては、母親と実の息子、義理の息子とその妻(扇雀)のそれぞれが相手を思いやるばかりに、それぞれが義理と人情の板挟みになり葛藤する、そして郷代官に任ぜられた義理の息子がすべてを悟り、誰の顔も立つ捌きをする、というところ。

中秋の名月の前日、満月の出た夜、翌日に石清水八幡宮の放生会(ほうじょうえ、捕らえられた生き物を解き放つ)を控え、引窓から入る満月の月明かりと放生会が物語の「鍵」となるよく考えぬかれた筋書きである。

出演者が少ない演目なのでじっくり演技を見られた、東蔵、松緑、梅玉、扇雀がそれぞれいい持ち味を出していた。

七福神(18分)

出演
恵比寿(中村歌昇)
弁財天(坂東新悟)
毘沙門(中村隼人)
布袋(中村鷹之資)
福禄寿(虎之介)
大黒天(尾上右近)
寿老人(萬太郎)

福をもたらす賑やかな舞踊である、若手の踊りで目を楽しませてくれた。

夏祭浪花鑑(並木千柳 作、三好松洛 作)
(序幕住吉鳥居前の場、二幕目難波三婦内の場、大詰長町裏の場)(2時間)

団七九郎兵衛/徳兵衛女房お辰(片岡愛之助)
団七女房お梶(中村米吉)
伜市松(秀乃介)
三河屋義平次(嵐橘三郎)
一寸徳兵衛(尾上菊之助)
玉島磯之丞(中村種之助)
傾城琴浦(中村莟玉)
釣船三婦(中村歌六)
おつぎ(中村歌女之丞)
下剃三吉(坂東巳之助)
大鳥佐賀右衛門(片岡松之助)

大坂で実際に起こった事件をもとに、浪花の俠客、魚屋の団七の生き様が描かれる義太夫狂言

  • 喧嘩沙汰から牢に入れられていた団七、女房お梶と息子市松は、釣船三婦とともに出牢を許された団七を住吉神社の鳥居前で迎える。団七夫婦は、大恩人の息子である玉島家の跡取りの放蕩息子磯之丞と身請けした琴浦の面倒をみているが、磯之丞は奉公先の番頭の伝八を殺めてしまい窮地に陥る(住吉鳥居前の場)
  • 義理と人情に厚い団七は、大恩人の息子である磯之丞と琴浦の危難を救うため、釣船三婦や義兄弟の一寸徳兵衛、徳兵衛女房お辰らと奔走し、磯之丞をしばらく大阪から離れさせることにした(難波三婦内の場)
  • そこに強欲な舅の義平次が琴浦を大鳥佐賀右衛門に渡して金をもらおうとするので、団七はついに大阪の高津神社のお祭りの日に義平次と諍いになり、ついに・・・(大詰長町裏の場)

この演目は昨年、博多座の公演のテレビ録画で観た、その時の団七、舅の義平次、釣船三婦は今回を同じメンバーだった(その時のブログはこちら)。もう慣れたものだろう。

自分がよかったと思う見所は、

  • 住吉鳥居前の場では、団七の女房のお梶を演じた中村米吉の演技である、若手女方では一番好きだ、女の色気を感じるし、声も通って聞きやすいし、身のこなしもうまいと思う、ただ、そんなに出番は多くなかったのが残念だ
  • 難波三婦内の場では、徳兵衛女房お辰(愛之助)が磯之丞の玉島への帰還に同行してほしいと釣船三婦の妻おつぎから言われて了解した後、三婦から美人であるお辰が同行して間違えがあってはいけないと反対される、するとそばにあった火鉢で自分の顔の一部を焼き、そんな間違えなど起きないので同行すると言う場面
  • 大詰長町裏の場(泥場)は、もうこの場全体がこの演目の最大の見所であろう、団七は琴浦を金儲けに利用しようと連れ去ろうとした義父を止めたが、言い争いになる、団七は昔義父に助けられた恩がある、そして親でもある、しかし義父の義平次は金に汚くどうしようもない人物、恩着せがましいことを言われ、団七は苦し紛れに30両持っているのでそれで勘弁してくれと言うが、その嘘がバレて更にののしられるとついに刃傷沙汰に、義父を切りつけ泥沼に落とし、自分も泥だらけになる、表通りには祭りの竿灯傘が提灯のあかりを綺麗につけて通り過ぎる、修羅場とまつりの灯りのコントラストが素晴らしい

今回、愛之助は団七と徳兵衛女房お辰の二役を演じた八面六臂の活躍だった、最後の泥場では実際の水をかぶるなど迫力ある演技を見せてくれた。もうすでにこの演目を十八番にしているようだ。また、団七の義父義平次を演じた嵐橘三郎(1944、伊丹屋)もこの演目と得意としているのではないだろうか、実にうまく憎まれ役を演じていた。2時間という長い演目だが、3場に別れており、変化もあり見所も多く言い演目だと思った。

さて、観劇の際のいつものお楽しみ、幕間の昼食だが、いつもの通り開場前に銀座三越のデパ地下に行き、今月は地雷也の天むす(花てまり、1,080円)にした。現役の頃、名古屋出張の帰りによく買って、新幹線の中で食べたものだ。甘味は仙太郎の柏餅にした。

よい1日でした


根津神社のつつじを観て、松屋「ごろごろ煮込みチキンカレー」を買う

2024年04月24日 | 街歩き・国内旅行

文京区の根津神社のつつじが満開になる時期になった、今年も是非観に行きたいと思っていたが、混むので平日に行こうと思っていた、3月30日から4月30日までが文京つつじまつりの期間だ。しかし、平日も何かと用事があり、時間が取れそうもなく、最盛期を過ぎてしまってはまずいので、28日の日曜日に観に行った。早い時間に行くと混むと思い、夕方4時頃行ってみた。

到着してみるとやはり想像していたとおり、ごった返すような混雑ではなかった。境内にいたる参道には店がいっぱい出ており賑わっていた。来ているのは外国人観光客が多かった。

ここは根津神社の境内、神社内の敷地から隣接する住宅にかけて上り坂のちょっとした丘になっており、その傾斜一面につつじが植えられている、そのつつじが4月の下旬頃からゴールデンウィークにかけて満開になり、実に素晴らしい景色になる。約3000株、100種のつづじが植わっているというからすごい。

なぜ、ここにつつじがこんなにあるのかを調べると、「境内地となる以前、綱吉の兄・甲府藩主綱重の下屋敷だった頃、屋敷西側の丘につつじの名所館林よりキリシマツツジを移植したことに始まり、つつじヶ岡と呼ばれる府内の名勝でした。 現在のつつじは、戦災で被災した社殿の修復が終わった後、荒れていた丘に3,000株を増植したもの」とある。

つつじの種類により早咲き、遅咲きがあるのだろう、この日見たところでは半分より上はほぼ満開で下の方がこれからという感じだった、全体として7割くらいは咲いていた、見物するには十分だと思った。

この日は下の方から観ただけだが、500円払えばつつじの丘の中に入れて上の方まで行ける。上から見下ろすのも圧巻であろう。

満足しました、来年も来ます

さて、今夜は嫁さんが出かけているので晩ご飯はテイクアウトで何か買ってきて欲しいとのリクエストがあったので、最寄りの駅の駅前にあるいつもの松屋で「ごろごろ煮込みチキンカレー」780円を2つたのんで帰宅してから食べた。人気があったので期間限定メニューでまた発売しているようだ。

相変わらずおいしかった。ご馳走様でした。