ゆっくり行きましょう

気ままに生活してるシニアの残日録

都電荒川線と西早稲田の金城庵

2024年09月15日 | グルメ

早稲田大学に用事があって行くことになった。ここに行くときはいつも東西線を使っていたが、この日は王子駅に出て、そこから久しぶりに都営荒川線に乗ってみようと思った


(王子駅から乗り込む、結構混んでいる)

以前も王子駅から乗ったので要領はわかっていた、この荒川線は三ノ輪橋~早稲田間(12.2km・30停留場)を運行している、東京で路面電車が走っているのはここだけか、他に思いつかないが調べてみると世田谷線があり、三軒茶屋から下高井戸までの5キロ、10駅を18分かけて走っているそうだ

荒川線は「東京さくらトラム」という愛称ができたそうだ、知らなかった、沿線に桜の名所が多いからか、料金は大人170円、Suicaも使えて便利だ


(終点の早稲田駅にて)

王子から乗り込むと、しばらくは自動車道路の路面を自動車と並んで走る、車にぶつかりそうでちょっと怖かったが面白かった、途中から電車専用の線路になり一安心、沿線の各駅からはいっぱい人が乗ってくる、本当に地元の人の足替わりになっている感じだ、バスより安いから利用するのか

30分くらいで終点早稲田駅に到着した

さて、ここで昼食、どこにしようかとあらかじめ考えて、そば屋の金城庵に行くことにした、荒川線の駅から歩いて5分くらいの便利なところ、店のホームページによれば、大正八年創業、故三島由紀夫が楯の会に集まったお店と知られておりますとある、ありゃま、三島の本は最近読んだばかりだが偶然だ

昼時を少し外して1時過ぎに到着、ドアを開けて店内に入ると直ぐに座れた、テレビでも何回か取り上げられているようだが知らなかった

店内は典型的な町のそば屋、昔ながらの良い雰囲気を出している、結構広く、4人掛けのテーブルのほか、大テーブルもある、店員も多く、テキパキ働いている感じに好感が持てる、大きな冷蔵庫には日本酒の一升瓶が冷えていたし、棚には焼酎の一升瓶も並んでいた

今日はこの店の名物という上かつ丼定食にした、1,480円、しばし店内の雰囲気をじっくりと味わいながら待つ、そして、出てきたものをさっそく食べる、先ずはそばから、食べると麺はちょっと固めの湯で加減だが問題なし、箸先にわさびをちょっとつけてそばを手繰り、つゆに半分付けて啜りこむ、おいしい

次にメインディッシュのかつ丼、かぶりつくように食べる、卵とじしたトンかつが玉ねぎに絡んでおいしい、ご飯の量も多からず、少なからず、ちょうどいい、箸だけでなくレンゲがついているのが有難い

おいしく頂きました、いい雰囲気の店でした、こんな店で夜一杯やったら最高だろうなと思った


神保町「眞踏珈琲店」初訪問、そのあと近江屋洋菓子店に

2024年09月14日 | カフェ・喫茶店

この日は揚子江菜館で昼食をとった後、どこか喫茶店で休もうと思い、前から訪問したいと思っていた「眞踏(まふみ)珈琲店」に行ってみた、ここは、webページを見ると、「珈琲と、本と、そして無駄話を愉しむ喫茶店」とある、読書と無駄話とは矛盾するような気がするが、まあいいか

工事中の三省堂から小川町に向かって歩いてすぐのところを右に曲がるとこの喫茶店がある

外観は長方形のビル、入口に縦長の窓が一つあるが植木に遮られているので気付かない、木の厚めのドアを開けて中に入るが、何かエクスクルーシブなクラブにでも入る雰囲気がある

中に入ると、1階はカウンター席のみ、2階がテーブル席で本がいっぱい置いてある、2階に行ってみると、かなり狭い感じがした、そして2階は結構混んでいた、そこで2階はやめにして1階のカウンター席に座ることにした、入口から奥行きが長いビルなので、カウンターが合理的であり、テーブル席はちょっと無理があるような気がした

メニューをもらって眺めていると値段は結構高めで、900円くらいするコーヒーが最低の値段、暑い日だったので珈琲水瑠璃(アイスコーヒー)にした、豆はブラジルサントスNo.2スクリーン19なので酸味はほとんどない、私の好きな豆だ、ケーキもあったが昼食直後だったのでやめにした、ここはブレンドコーヒーはなく、ブラジルサントスのストレートだけの店だ、ブラジルサントスにクリームを入れたり、ミルクを入れたりしてバラエティーを持たせている

店には男性と女性1名ずつのスタッフがいる、カウンター内でアイスコーヒーを作るのを見ていると、大きめのグラスに四角いブロック型をしている氷を入れ、そこに水を少し注ぎ、捨てる、これで氷の角に丸みを持たせているようだ

飲んでみると、おいしい、ブラックで飲むのでコーヒーの味がよくわかる、1階には入口横の縦長の窓とカウンター背後の窓があり明るい外光が差し込む、読書をするには適当な明るさだ、持ってきた読みかけの文庫本を出して読む、読んでいると客がどんどん入ってくる、みんな若い人たちだ、ターゲットはそういう人たちなのか?

コーヒーカップや砂糖入れ、ミルク入れなども高そうな、センスの良いデザインの陶磁器を使っていた、アイスコーヒーのグラスもバカラのような感じがした

ゆっくり本を読めたが、流れている音楽が何かよくわからなかった、ジャズでもないし、クラシックでもない、なんか店のイメージに合っているのかな、と感じた、Boseのスピーカーから流れてくる音も少しうるさすぎる感じがした、ジャズ喫茶もクラシック喫茶も音量は大きめだが、そこはあくまで音楽を聴く喫茶店なのでそれで良いと思うが、ここは読書をする喫茶店なので音量は少し下げたほうが読書に集中できると思った、店の雰囲気からするとジャズが似合うのではないか

おいしく頂きました、ご馳走様でした

さて、この日は、この後、近くの近江屋洋菓子店に寄って、アップルパイ2つを買って帰った、1,080円、多くの客が来ていた、予約していたものを受け取りに来た人で混雑しているようだった、そして帰宅後に夕食のデザートとして食べてた

 


日経「私の履歴書、北岡伸一東大名誉教授」を読んで

2024年09月13日 | その他いろいろ

昨年、北岡教授の「日本の近代5、政党から軍部へ」を読んで勉強になった(その時のブログはこちら)、その北岡教授が8月の日経新聞に「私の履歴書」を書いたので読んでみた

履歴書には教授の近現代史の歴史認識や、教授がまとめた安倍政権戦後70年談話について述べている部分がある、その点について抜き出してみると以下の通りであった

歴史認識について

かつてあれほどすごい変革を成し遂げた日本が、なぜ戦前に愚かな侵略への道をたどったのか。こういう問いが常に念頭にある

戦後70年談話について

日本は大恐慌で打撃を受け、活路を対外膨張に見出そうとした、満州に続き欧州でも国際秩序に対する挑戦が起き、ついに世界大戦となった、国際秩序崩壊の引き金を引いたのは日本だった、アジアの国々と日本国民に悲惨な結果をもたらした政府と軍指導者の責任はまことに大きい

私は、これを読んで唖然とした、こうまでも我々の先祖のことを貶めることができるものだろうか。

我々の先祖が「愚かな・・」とは、また、「国際秩序崩壊の引き金を引いたのは日本」などとどうして言えるのか、学者とはこんなにも傲慢に先祖を断罪できるものなのか

満州事変、日中戦争、日米戦争などは日本が悪かったと決めつけることはできないと思う。教授のような善悪の決めつけは、占領軍が日本人に贖罪意識を植え付けるために考え出した歴史観と同じだ、教授の見解はそこから一歩も踏み出してなく、その歴史感に権威付けする結果となっている

歴史は勝者が自分たちに都合よく書くものだ、それを「ちょっと待てよ」とあらゆる証拠資料を調べて検討するのが学者ではないのか

歴史に限らず物事はすべていろんな角度、立場から見るべきだ、世の中には教授とは違う見方をする人も少なくない、ここではそのうちの一つだけ紹介したい

朝鮮戦争の収束方法に関して連合軍最高司令官であったマッカーサーとトルーマン大統領との間に先鋭な対立が生じ、結果としてマッカーサーはその重職から解任され、本国に召還された、事態は高度な政治問題に発展し、議会上院は軍事外交合同委員会を開催して、当事者の証言を求め、1951年5月にマッカーサーが証言した、その中に日本に関する部分があったので、それを引用しよう

日本は8千万に近い厖大な人口を抱へ、それが四つの島の中にひしめいてゐるのだといふことを理解していただかなくてはなりません。その半分近くが農業人口で、あとの半分が工業生産に従事してゐました。

(途中省略)

日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫が無い、ゴムが無い・・・・そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在してゐたのです。

もしこれらの原料を断ち切られたら、1千万人から1千2百万人の失業者が発生するであらうことを彼らは恐れていました。したがって、彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです(小堀桂一郎編「東京裁判日本の弁明」(講談社学術文庫)より引用)

敵軍の将であり、戦後GHQトップとして日本人に贖罪意識を植え込んだ人が、朝鮮戦争を経験した後でこういう認識に至ったということはあまり知られていない、いろんな歴史の見方を国民は知るべきだ


揚子江菜館で冷やし中華を食する

2024年09月12日 | グルメ

国立近代美術館で絵画鑑賞をした後、15分くらい歩いて神保町の揚子江菜館に行き、昼食をとることにした、まだ猛暑が続いているので、ここの冷し中華を食べてみたくなった

ここは作家の池波正太郎氏が贔屓にしていた中華料理屋、氏はいつも上海風焼きそばを食べていたので、私も今までは同じものを注文していた、しかし、ここは「昭和8年誕生した元祖冷やし中華、富士山の四季を彩る飾り、五色涼拌麺」とうたってある通り、冷やし中華を初めて出した店だと雑誌か何かに紹介されていたのを覚えている、それゆえ、一度食べなくてはいけないと思っていた

11時40分ころに店に到着、開店直後だったからか1階の席に直ぐに座れた、その後続々と客が入ってきたのでグッドタイミングだった

さっそく元祖冷やし中華を注文した、値段は忘れたが1200円くらいだったか、周りの人たちも冷やし中華をたのむ人が多かった、シュウマイも食べたいと思い4個一皿で800円くらいのものを注文したら、2つからできますよ、ということなので、それを注文

しばし待って、冷やし中華が到着、独特の盛り付けが食欲をそそる、卵焼きと豚肉、キュウリなどを細かく切ったものが乗っかっている、それにクラゲ?とエビ、シイタケ、食べてみると麺は細麺、豚肉は若干固めだった、つゆに酢が多めに入っているような気がした、量は大人一人で満足できる量だった、味はまあまあおいしかったが、若干特徴があるので好き嫌いがあるかもしれない

さて、冷やし中華を食べ終わってもまだシュウマイが出てこない、あれっと思ったが、もう伝票も来ており、見ると冷やし中華しか書いてない、冷やし中華と一緒に食べたいと思っていたので、もういいやと思って、そのまま会計をして店を後にした

ご馳走様でした

 


東雲ゴルフクラブ、帰りにLRTを見て、TSUTAYAに

2024年09月11日 | ゴルフ

栃木県塩谷郡高根沢町の東雲ゴルフクラブでゴルフをしてきた、何回かプレーしたことがあるコース、天気は晴れ時々曇り、最高気温は30度以下

このコースは、1984年(昭和59年)開場、東京都江東区東雲にあった井上誠一設計コースである東雲GCが閉鎖し、都に用地返還され、代替コースとして建設中だった今のコースを買収してオープンさせたもの。その後、平成17年3月に会社更生法申請、9月に可決、その後、紆余曲折があり平成21年に和洋菓子製造販売のシャトレーゼ傘下になり現在に至る

ケーキなどで有名なシャトレーゼ傘下のコースなので、昼食時にケーキ食べ放題のサービスがあり、この日も数種類のケーキが用意され、昼食後に楽しんだ、コーヒーなどの飲み物も無料なのがうれしい、さらにこのコースは風呂が温泉であるのもうれしい。

さて、コースは18ホール、2グリーン、フロントティーでも6400ヤードあり、アマチュアには十分、リモコン乗用カートでナビ付き、天気が良い時は500円追加料金を払えばフェアウェイ乗り入れもできる、この日は気象条件悪く乗り入れ不可

コースレイアウトは面白く、適度なアップダウン、ドッグレッグ、池越えなど変化があるコース、バンカーはあまりなく、グリーンのアンジュレーションもあまりないが2グリーンなので小さい、ラフが結構伸びていた

プレーの進行は空いていたせいか、ハーフ2時間程度で問題なかったが、プレーが遅い組があったので、本来ならもっと早く回れたと思う

食事はまずまず、注文はタブレット、配膳はかわいいロボットであった

楽しめました

帰りの車を運転中、また芳賀・宇都宮LRT(次世代型路面電車システム)に遭遇した、想定以上の利用者が出ているとのこと、この地域の渋滞解消に貢献しているようだ

さて、この日は帰りの途中で「道の駅常総」で買い物をし、そのあと、隣接するTSUTAYAに行き、Vポイントが3000以上たまっていたので、それを使って本を買った、ここは子供が遊べる場所が店内にあるユニークなところだ

お疲れ様でした

 


東京国立近代美術館常設展を観る

2024年09月10日 | 美術

竹橋にある国立近代美術館の常設展を観ようと思って行ってみた、入場料を払おうと500円を用意すると、チケット売場の窓口に「65歳以上無料」と出ていた、美術館に入ったところにある館内検札の係りの人に運転免許証を出して無料で入場したが、ホントこんな老人優遇はやめるべきだ、そんな金があったら現役世代の減税に回せと言いたい

常設展のある美術館は好きだ、一番よく行くのは国立西洋美術館だが、ここ国立近代美術館も常設展があったのを忘れていた、企画展に来るときに一緒に常設展も観るが、とても観きれない、時間があるときにゆっくり、何度でも観るべきだろう

常設展を説明するwebページには、「1952年の開館以来の活動を通じて収集してきた13,000点超の所蔵作品から、会期ごとに約200点を展示する国内最大級のコレクション展」と宣伝している

今期のみどころは、「4階5室では「シュルレアリスム100年」と題し、20世紀芸術における最重要動向の一つであるシュルレアリスムをご紹介しつつ、マックス・エルンストの新収蔵作品を初公開します。3階8室では、1950年代に脚光を浴びた芥川紗織の生誕100周年企画をご覧いただけます。2階ギャラリー4の「フェミニズムと映像表現」では、1970年前後を起点に、ヴィデオなどを用いた映像表現の重要な担い手となった女性アーティストをご紹介します」とある

順路は4階から始まって、3階、2階と降りてくるルートだが、とても全部は観れない、何回も来るべきと言ったのは、そのためもある、では観た順に、それぞれの部屋で良かったと感じた絵の一部を紹介したい

4階(1-5室 1880s-1940s 明治の中ごろから昭和のはじめまで)

1室 モデルたちの生誕・没後数十年


オスカー・ココシュカ、アルマ・マーラーの肖像、1912年

アルマはグスタフ・マーラーの妻、グスタフの没後、7歳年下の画家ココシュカと恋愛関係になるが、そのあとバウハウスの創設者になる建築家ヴァルター・グロビウスと再婚、ココシュカはショックを受ける、美しいとも怖ろしいとも見えるこのアルマの姿


ピエール・ボナール、プロヴァンス風景、1932年

9月20日から仏映画「画家ボナール ピエールとマルト」が公開されるそうだ、そんなこともあってボナールの絵をよく観ておこうと思った

2室 明治時代の美術


青木繁、運命、1904年

最近読んだ森村泰昌氏の「生き延びるために芸術は必要か」の中で、「海の幸」で画壇に大きな衝撃を与え、短時間で走り抜け、29歳で亡くなった青木を、年齢も故郷など似たものどうしの坂本繁二郎と対比して紹介していたので興味を持った(その時のブログはこちら)

3室 開発される土地


坂本繁二郎、三月頃の牧場、1915年

森村泰昌氏の本では坂本繫二郎の「牛(うすれ日)」を紹介していたが、この絵も同じ牛を描いたもので、本で紹介された「牛」とよく似ている描き方だと思った


木村荘八、新宿駅、1935年

4室 夢想と自由と―谷中安規の世界


谷中安規、夢の国の駅、1935年

彼の版画はどの作品も独特の雰囲気を持っている、素晴らしいと思った、光と影のコントラストのなかで、夢とも現実ともつかない幻想的な世界が広がる谷中作品、と紹介されていた

5室 シュルレアリスム100年


福沢一郎、四月馬鹿、1930年

3階(6-8室 1940s-1960s 昭和のはじめから中ごろまで、

6室 「相手」がいる


藤田嗣治、ソロモン海域に於ける米兵の末路、1943年

私は戦時中に戦意高揚のための絵を描いた藤田を責めない、国家の危機にあっては国家に貢献したいと考えるのは当たり前だからだ

また、美術館の説明の中には、「日本軍の残虐行為や迫害、捕虜に対する非人道的な扱いは、のちに東京裁判やBC級戦犯裁判などで戦争犯罪として裁かれました」とあるが、関心しない、戦時中の残虐行為はすべての戦争当事国であった、原爆投下や東京大空襲は明白な戦争犯罪である

8室 生誕100年 芥川(間所)紗織


芥川(間所)紗織、女(Ⅰ)、1955年


桂ゆき、ゴンベとカラス、1966年


川原温、孕んだ女、1954年

川原氏については後出参照

10室 アール・デコの精華/歴史の描き方


安田靫彦、保食神(うけもちのかみ)、1944年

2階(11–12室 1970s-2010s 昭和の終わりから今日まで)

11室 Lines and Grid


河原温、JUL 15 1970 Todayシリーズ、1970

昨年旅行したミュンヘンのモダン・ピナコーク美術館で観た唯一の日本人展示作品が河原温氏の同じような作品であった(こちら参照)、それが今回の常設展で、この作品だけでなく、他にも多く展示されていたのを見つけてうれしくなった(上の8室参照)、この日付だけの作品は奇異な感じを受けるが、「TODAY」という作品で1966年1月4日から始められた、その日の0時から書き始めその日のうちに完成させる、その日に河原が生きていたことを表す、その真正さは作品を表す箱の中に当日の新聞などが入れられていることで証明される

美術館で鑑賞しているとなぜか1時間くらいで非常に疲れてくる、集中して観れるのは1時間半くらいだ、この日は1時間15分くらいいて限界に達した、しかし、勉強になった、また来たい


虎屋茶寮赤坂店に行く

2024年09月09日 | カフェ・喫茶店

一度機会があれば立ち寄りたいと思っていた虎屋茶寮赤坂店に行ってきた、ホームページから混雑状況がわかり、それほど混んでいないと知り、寄ってみた、最近、銀座店もできて、一度行ったらすごく混んでいたので諦めて帰った

赤坂見附の駅から徒歩15分弱、赤坂警察の前の交差点角に虎屋茶寮赤坂店はある、中にお菓子の製造場所もあるようだ

3階建ての建物で、外観からしてユニーク、1階の入口から入ると直ぐに係りの人から声を掛けられ、「喫茶です」と伝えると「3階です」と言われ、その場にあった受付画面で受付番号を印字した紙を出してもらい、エレベーターで3階に向かう、待ち時間45分と出た

3階はすべて喫茶室であり、ウェイティングスペースに案内される、このスペースも広々して上品な感じで、椅子がいっぱい置いてあった、数名の人が待っていたが、備え付けられている和菓子の本などを読んで待っていると10分くらいで呼ばれて、喫茶室に案内された

室内は全体的に木目調の調度品で和風の雰囲気を存分に出している、喫茶室から見える外の景色はちょうど赤坂御所であり、その木々の緑が目にまぶしい、室内の木目調の内装と窓の外に見える木々の緑とが実にしっくりとマッチしている

メニューを見て、「千里の風」という赤坂店だけの羊羹と「抹茶グラッセ(冷たい抹茶)」を注文した、1,650円。ウェイティングルームで待たされたのだが、喫茶室の中は空席になっている座席もあり、広々としているため、ゆっくりと休める雰囲気があった、来ている客は女性とシニア夫婦などであった、赤坂見附の駅からは少し離れているので、ここでランチをとる勤め人も少ない感じであった

しばし待って、羊羹と抹茶のセットが出てきた、暑い日なので冷たい抹茶がおいしい、羊羹の味は、他の羊羹との違いをそれほど感じなかったが、おいしかった、竹製の菓子楊枝はずいぶんと太目のものがついていたが、いかんせん羊羹が堅いので、あまり強く押して羊羹を切ろうとすると楊枝が折れそうになり、どうやって切ったら良いのかわからなかった

おいしく頂きました、いい雰囲気でした、そのあとで2階の店舗に立ち寄り、店を後にした


南青山BLUE BRICK LOUNGEで昼食

2024年09月08日 | グルメ

ヨックモックミュージアムで鑑賞した後、表参道駅に行く途中にあるヨックモック青山本店併設のレストランBLUE BRICK LOUNGEで昼食をとることにした、ブルーはヨックモックの企業カラーであろうか、この青山本店の外壁は青色のレンガであり、まさに店名と一致してる

ランチメニューがあり、2,000円程度のそれほど高くない値段で食べられるようなので、ここで食べようと思った

混んでいるかなと思ったが、11時30分頃に店に入ってみるとすぐに座れた、テラス席もあるようだが、案内されたのは室内の二人掛けのテーブル席であった、店内はそれほど混んではいなかったが、予約済みのプレートが置いてあるテーブルも少しあった

テーブル席に座り、ランチメニューの中からラザニアを選び、飲み物はアイスティーにした。

店に入ってから、続々と他の客が入ってきた、見ているとほとんど女性客だ、男性のオジサンは私一人である、どうもこういう店を選ぶ傾向があるようだが、これは何かの機会に嫁さんを連れてくるところを探しておくという意味もある

しばし待って、ランチプレートが出てきた、結構大きめのプレートに乗っかってラザニア、サラダ、パンなどが盛り付けてあった、さっそく食べてみると、おいしかった、量ははやり男性にとっては少な目で、特に若い男性には物足りないだろうが、主な客は女性なのでこのくらいがちょうど良いのだろう、活動量が落ちるシニア男性も実は若い女性が食べる量くらいが適量ではないか

ゆっくり食事を楽しめました、店内は広く、スタッフが多すぎるほどいて、サービスも良かった、これで採算とれるのかな、と心配になるが、十分楽しめました、料金は2,200円だった

さて、このレストランの隣はヨックモックの青山本店なので、食後にそちらをのぞき、秋の新作の詰め合わせを購入した、2,000円

店を出て、表参道駅に向かうすぐ隣は、PRADAの特徴あるビルであった、表参道付近にあるビルの中でも一番センスが良いなといつも感じているビルだ、設計は北京オリンピックのメインスタジアム「鳥の巣」を設計したスイスの建築家ユニット、ヘルツォーク&ド・ムーロンだそうだ

ご馳走様でした


ヨックモックミュージアムに行く

2024年09月07日 | 美術

東京南青山にあるヨックモックミュージアムに行ってきた、2度目の訪問、久しぶりである

ここは、ピカソの豊かで自由な発想が投影されたセラミック作品をコレクションに持つ美術館であり、現在、美術館のコレクションをさまざまな視点から紹介する展覧会の第4弾「ピカソ いのちの讃歌」展を開催中である(10月14日まで)

ピカソは好きな画家だが、彼の女性遍歴は好きになれない

表参道の駅を降りて、徒歩15分くらいであろうか、表通りの喧騒を離れ、閑静な住宅街の一角にこの美術館がある、外観も白を基調にした上品なたたずまいで周囲の高級住宅街に溶け込んでいる

展示室は地下1階と地上3階にあり、順路は地下から、地下の展示室はもちろん窓はなく、照明も暗くしている、一方、3階の展示室は外光を存分に取り入れ、対照的である、その意図するところはわからないが、面白いと思った

今回の展示は、「ピカソと闘牛」「ラ・パロマ —鳩への思い—」「フクロウ ―豊かな瞳―」「手のひらのいのち —海の生き物、虫、鳥—」「いのちを超えて、牧神パンとジャクリーヌ」と題した全5章で構成されていた、それぞれの章では、そのタイトルに掲げられている鳩などをセラミックに描きこんだ作品や、その対象物を陶芸で作り上げた作品が展示されていた

そして、3階の奥の部屋には、常設展示50作品と題した陶器の皿が50個、壁一面に飾られていて圧巻であった

陶器作品の皿も含めて、ピカソの絵画や陶器に描かれた人物、動物などは、デフォルメされて歪んだ表情や泣いているものなどがあるが、そのような作品より、上の写真のように穏やかな表情を見せている作品の方が好きだ

それぞれの章の狙いと、私が観て良いなと思った作品の一部を紹介したい

第1章 ピカソと闘牛

ピカソは闘牛が好きだった、主役であるマタドール(闘牛士)ではなく、馬に乗り槍で牛を興奮させながら闘争心を高め、同時に力をそいでいく重要な役目を持つピカドールへ憧れていた


観客がいる闘牛(1950年)


闘牛の太陽(1953年)

第2章 ラ・パロマ —鳩への思い—

ピカソにとって鳩は父親が鳩を描く画家としても知られていたこともあり親しいものがあった、1949年の「パリ平和会議」で彼の「鳩」のリトグラフが採用され、その2か月後にフランソワーズ・ジローとの間に女児が誕生しパロマ(鳩)と名付けた


鳥型の水差し(1953年)


屋根裏の鳩(1949年)、名曲喫茶バロックの鳩の絵を思い出す、あの絵もピカソだろうか


青い鳩(1953年)

第3章 フクロウ —豊かな瞳—

1946年にグリマルディ城で傷ついたフクロウを保護したことを契機とし、以降のピカソの作品にはしばしばフクロウが登場するようになる


森梟(1968年)

第4章 手のひらのいのち —海の生き物、虫、鳥—

南仏ヴァローリスでの暮らしで頻繁に食卓に上ったはずの魚やウニがこの土地で描かれた。鳥、バッタ、虫などの小さな命と、それらとともにある日常を愛し、器に描いた


ウニ(1963年)

第5章 いのちを超えて、牧神パンとジャクリーヌ

ピカソが1946年に描いた≪生きる喜び≫ はフランソワーズ・ジローが身籠ったときの作品。彼女の左右の笛を吹く牧神とケンタウロスが祝福してる。しばらくして彼はセラミック制作に没頭し、その工房にジャクリーヌがやって来る。彼女が工房に来た翌月、フランソワーズ・ジローは子供たちを連れて出て行った


こどもの牧神パン(1963年)


お菓子(1937年)、お菓子メーカーゆえのコレクションのこだわりか?

ピカソは多くの陶芸作品を残したが、これには2種類あって、ピカソ自ら製作したオリジナル作品と、ピカソ監修のもとでマドゥーラ陶房で制作したエディション作品だ、確かにこういうことをしないと多数制作はできないでしょう

さて、この美術館はお菓子のヨックモックのグループ会社である、ただ、法律的にはヨックモックから切り離され、一般社団法人となっている

最近、昨年訪問した川村記念美術館(その時のブログはこちら)の運営主体のDICが美術館の「規模縮小と移転」を軸とする対応策を発表し、運営中止の可能性もあり得るというニュースがあった(こちら参照)、企業直営の美術館が価値創造に貢献していないので投資家から圧力をかけられたのも一因という。

その点、ヨックモックミュージアムは既に本体とは切り離しているし、上場会社でもないので関係ないが、その辺のところを十分に考えているという点で立派であろう。ちなみに、私が良く行くアーティゾン美術館(旧ブリジストン美術館)は土地と自社株を寄贈したうえで財団法人形態で運営されているようだ

楽しめました


映画「めまい」を観た

2024年09月06日 | 映画

映画「めまい」をアマゾンプライムで観た、無料、1958年、128分、アメリカ、監督ヒッチコック、原題:Vertigo(めまい)

ずいぶん古い映画だけどカラー映像、ヒッチコックの名作らしいので観ようと思った、ヒッチコックの作品はいくつか見ているが結構良い映画だと思っている。

刑事ジョン・スコティ・ファーガソン(ジェームズ・スチュワート)は、逃走する犯人を追撃中に屋根から落ちそうになる。そんな自分を助けようとした同僚が誤って転落死してしまったことにショックを受け、高いところに立つとめまいに襲われる高所恐怖症になってしまう。そのことが原因で警察を辞めたジョンの前にある日、旧友のエルスター(トム・ヘルモア)が現れる。エルスターは自分の妻マデリン(キム・ノバク)の素行を調査してほしいと依頼。マデリンは曾祖母の亡霊にとり憑かれ、不審な行動を繰り返しているという。ジョンはマデリンの尾行を開始するが、そんな彼の見ている前でマデリンは・・・

ミステリーであり、ラブロマンスでもある

映画を鑑賞した感想を書いてみたい(ネタバレあり)

  • 刑事ジョン・スコティ役のジェームズ・スチュアートは同じヒッチコック監督の「裏窓」(1955年)にも出演していたのを観て、いい俳優だと思った、1908年生まれだからこの本映画出演時は46才くらいである、今から60年以上前の46才は結構年寄りだったろうが、若々しさがあって良かった、アメリカのいろんな映画に出演した当時の大スターだったのでしょう、わかるような気がした
  • また、彼は、私の好きな同じような時期に上演された映画「マイ・フェア・レディー」(1964年)にヒギンズ教授役で出演していたレックス・ハリソンと何となくイメージが似ていると思った、このレックス・ハリソンはジェームス・スチュアートと同じ1908年生れというからその偶然に驚いた

  • エルスターの妻で、かつ、謎の女ジュディとのダブルキャストになるキム・ノバク(1933年)は名前から言って韓国系アメリカ人かと思ったら、チェコ系アメリカ人である、美人でスタイルもよく、陰のある女性役をうまく演じていると思った
  • サスペンス部分のストーリーについては、ジョンのめまいと、それを利用したエルスターの妻殺しの策略など、うまく考えたなと思った、そして、エルスターの妻殺害計画の唯一の想定外は、妻になりすましたジュディとジョンが愛し合ってしまうという点も面白いと思った

  • エルスターの妻マデリンとそのよく似た謎の女ジュディの演じ分け、どの場面が本物でどの場面が偽物か、がわからなかったが、実は最初から最後までマデリンは一回も登場しないでジュディがマデリンを演じていたということでしょうか、終盤でジュディが「マデリンは田舎にいてここにはいないから、なりすましができた」と言っている
  • 最後にジョンはジュディと愛し合うようになったが、ジュディは妻殺しのエルスターの共犯ではないのか、そういう女と恋に落ちるのか、釈然としなかった
  • そのジュディも最後は教会の塔の上から飛び降り自殺するが、それがどうしてなのか、ジョンは最後にエルスターがどうやって妻のマデリンを殺したのか突き止めたが、その結果、恋に落ちたジュディが殺人の共犯者だと分かった、ジュディは共犯者の自分と元刑事との愛は成り立たないと思い、最後は自分で命を絶ったということか

  • エルスターが妻を殺害する動機だが、ジュディと愛人関係にあったから、ということなのか、妻と外見がよく似ている女に興味がわくものだろうかと思った、そして、殺害実行後、エルスターはジュディを捨てて別の女と付き合っている、というのも変な感じがしたが、実はその別の女と一緒になるのが彼の本当の目的で、ジョディとジョンはそれに利用されたということか
  • ジュディが自殺して映画は終わっているが、映画の中でジョンが警察を辞めてから仕事場にしている事務所でむかしの婚約者がデザイナーの仕事をしている、その彼女はジョンにまだ惚れているように描かれている、学生時代にジョンと婚約までして3週間で彼女の方から解消している仲だ、最後は彼女とよりを戻すのではないかと想像したがそこまでいかずに映画は終わった、そこは想像してくれということでしょうか

楽しめました