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映画「日本のいちばん長い日」を観た

2024年08月12日 | 映画

今年も終戦記念日が近づいてきた、そんな時期に、映画「日本のいちばん長い日」をアマゾンプライムで鑑賞した、追加料金300円、1967年(昭和42年)、157分

1945年8月14日正午のポツダム宣言受諾決定から、翌日正午の昭和天皇による玉音放送までの激動の24時間を描いたドラマ。大宅壮一名義で出版された半藤一利氏の同名ノンフィクションを原作に、橋本忍が脚色、監督は岡本喜八

原作は半藤一利氏による「日本のいちばん長い日 運命の八月十五日」、1965年(昭和40年)の初版刊行時は文藝春秋新社から大宅壮一編として発売され、1995年(平成7年)6月に文藝春秋から半藤氏名義で『日本のいちばん長い日 運命の八月十五日 決定版』として再版された。

キャストには阿南惟幾陸軍大臣役の三船敏郎をはじめ当時の日本映画界を代表する俳優陣が集結した

主なキャスト

(閣僚)

鈴木貫太郎総理大臣:笠智衆
東郷茂徳外務大臣:宮口精二
米内光政海軍大臣:山村聡

(軍人)

田中静壱大将(東軍司令官):石山健二郎
森赳(たけし)中将(近衛師団第一師団長):島田正吾
畑中健二少佐: 黒沢年男
椎崎二郎中佐: 中丸忠雄
竹下正彦中佐: 井上孝雄
井田正孝中佐: 高橋悦史

(役人)

松本俊一外務次官:戸浦六宏
徳川義寛侍従:小林桂樹

(その他)

館野守男(日本放送協会放送員):加山雄三

昭和20年7月26日、ポツダム宣言が日本に対して提示された後、これを受諾するか否か内閣や軍部で議論が重ねられていた時、受諾を催促するように広島・長崎へ原爆が投下され、日本の敗戦が決定的となり、ついに8月14日の御前会議でポツダム宣言の受諾が決定した。

政府は天皇による玉音放送を閣議決定し準備を進めていくが、その一方で敗戦を認めようとしない陸軍中堅将校たちがクーデターを画策、皇居を占拠し、玉音放送を阻止するべく動き出し、陸軍大臣や東軍司令官、近衛師団長に蹶起を迫るが・・・

このポツダム宣言受諾決定後の陸軍中堅将校による宮城占領、天皇軟禁、本土決戦決行というとんでもないクーデター未遂事件(宮城事件)があったと言う驚きの事実を恥ずかしながら今まで知らなかった。これを知ったのはつい最近読んだ中村隆英教授著の「昭和史(上)」を読んだからであった、その時のブログはこちら

映画を観る前に再度中村教授の昭和史の該当部分を読み直し、主要人物をリストアップして予習をしたため、映画の内容にスムーズに入っていけた、何も知識がない人が予習なしでこの映画を観てもよくわからない点が多いだろう

それでは、映画を観た感想を述べてみたい

  • クーデター首謀者である軍の中堅将校、畑中健二少佐などの言動を見ていると、組織の論理に洗脳されやすく、一度思い込むと周囲が見えなくなり、科学的・合理的判断に欠け、精神論に傾倒し、一直線に突き進むという、今に続く日本人の悪癖ともいえる一面を見る思いがする、それを黒沢年男が実にうまく演じていた
  • つくづく思い込みというのは怖いものだと感じる、戦後の平和主義や最近の脱炭素絶対主義とでもいう思い込みも国を危うくすると思う、戦争は嫌だ、戦争は二度としたくない、平和憲法や平和主義があったから戦後は戦争がなかったと、これ一途なところが怖い。思考の柔軟性がなく、都合の悪い事実に目をつむる、マスコミの論調に影響されやすく、「ちょっと待てよ」と自分の頭で考える知的態度がない、戦前と現在の日本人は何も変わっていないのではないか、三島由紀夫は「戦時中の現象(一億総玉砕)は、あたかも陰画と陽画のように、戦後思想(無抵抗平和主義)へ伝承されている」と述べている(こちら参照)
  • 畑中少佐を見て、西南戦争の時に西郷隆盛に蹶起を促した桐野利秋らを思い出した、畑中と桐野らの一途さがそっくりに見える、新政府による西郷暗殺計画が露呈すると私学校幹部らで大評議が行われ、諸策百出して紛糾したが、座長格の篠原国幹が「議を言うな」と一同を黙らせ、最後に桐野が「断の一字あるのみ」と決戦を決定した、理屈ではないのだ、一直線で深慮遠謀など全然ない、西郷は郷土の中堅や若手からの突き上げに抗しきれず、神輿に担がれてしまった、その点、この映画で蹶起の要求に最後まで抗し、畑中らに惨殺された森赳師団長は立派だったし、毅然と反乱軍の鎮圧を指揮した東軍司令官の田中静壱大将は立派だった

  • 5・15事件、2・26事件の時は軍の青年将校が、敗戦の時は中堅将校が暴発した、これはボトムアップ型で中堅層に優秀な人材のいる日本の統治でなければ起こりえないのではないか、トップダウン型のアメリカなどではこういうことは起こりえないのではないかと思ったがどうであろうか
  • 8月15日の昭和天皇による玉音放送は、前日の夜に録音されたテープを当日正午に流したものであるということをこの映画で初めて知った、このテープが翌日放送になればもう反乱はできなくなるため、その録音テープを反乱軍の畑中らが宮城から奪い取る計画を立てた、この時、万が一に備えて慎重にテープを保管した徳川義寛侍従の対応は素晴らしかったし、放送局で畑中から拳銃を突き付けられ、今から国民に反乱軍の意向を放送させよと迫られたにもかかわらず拒否した館野守男日本放送協会放送員の対応も素晴らしかった
  • 阿南陸軍大臣がポツダム宣言受諾決定後、自宅に戻り、自死の覚悟を決めていた時、反乱軍の井田正孝中佐らが蹶起を促しに押しかけたが、阿南は拒否し、敗戦後について、「生き残った人が懸命に努力すれば日本は再建はできる、そして、それだけではなく、二度とこのようなみじめな日を迎えないような日本に再建してもらいたい」と述べて切腹した、戦後GHQから信じ込まされた彼らに都合の良い「二度と戦争は起こさない国にする」と述べたのではない

  • この映画を観終わった後で、レビューコメントを読むと、こういうコメントがあり驚いた、「畑中健二少佐及び椎崎二郎中佐が自決したのに、彼らの上官竹下正彦中佐(クーデターの元となる兵力使用計画を起草、原作者のネタ元らしい)は自衛隊幹部として大出世(陸将)し、映画で事件の首謀者に見えた井田正孝中佐が戰後も生き残り電通関連会社の常務として出世するのが、何とも日本的で悲しい」
  • 調べてみると竹下は、昭和54年に勲三等瑞宝章となっている、竹下は宮城事件の顛末を含む1945年8月9日から15日までの動静を『大本営機密日誌』として執筆、半藤一利に閲覧を許可し、半藤はこれをベースとして『日本のいちばん長い日』で宮城事件を描いたとあるからこの映画の制作には貢献した
  • 同じようなことはまだほかにもあった、日米開戦の攻撃30分前に交渉打ち切りの最後通牒が手渡されることになっていたが、大使館外交員の怠慢で通告が1時間遅れとなった、これが日本の名誉を著しく棄損し、今でもアメリカにだまし討ちと言われる大失策になったにも関わらず、戦後この日本大使館のキャリア外交官たちが公職追放された来栖三郎以外ほとんど出世した

勉強になりました、良い映画だと思った、なお、配給収入は4億4195万円あったというから当時としてはヒット作であろう、また、昭和天皇はこの映画を公開年の12月29日に家族とともに鑑賞したとある



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2 コメント

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Unknown (たつみ)
2024-08-14 19:57:26
こんにちは! 当方のブログフォローもありがとうございます。
2015年の役所広司さんが阿南大臣をされた映画しか観ていないので、こちらも観てみたいと思いました。ご案内ありがとうございます。またお邪魔しに来ます。
返信する
Unknown (4lastsongs)
2024-08-14 22:11:14
>たつみ さんへ
>こんにちは! コメントありがとうございます。私の方は、役所広司さんが阿南大臣をされた映画はまだ見てませんので、観てみたいと思います、情報ありがとうございます。
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