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突発性難聴になる

2023年11月15日 | その他いろいろ

最近、左耳の突発性難聴になった、そして治療した。そして幸運にも治った。その経過を以下に記載して読者の参考に供したい。

  • 旅行から帰ってから2、3日してから、耳がかゆいので耳鼻科に行って耳垢の掃除をしてもらった。ベッドに寝ながら、耳の中が明るく照らされ、そこにピンセットのようなもので耳にへばり付いている耳垢を引き剥がすように取っていったのがモニター画面で見れた。左耳が特に耳垢が多かった。
  • 無事に終了して帰宅した。が、なぜか何となくスッキしした感じがしなかった。おかしいな、と思ったが、そのうち治るだろう思って、放っておいた。
  • しかし、翌日から左耳が少し塞がっているような気がしてきた。これも気のせいかと思った。掃除したのにそんなはずがない。だが、それから2日くらいたっても耳の塞がった感じが改善せず、悪化した気がした。そこで、ステレオの音を左右の耳で聞き比べすると、何と、左耳の聞え方が非常に弱くなっている。そして、翌日には耳詰まり感が更に進み、自分の声が頭の中で反響するようになった。プールで耳に水が入って詰まったときの感覚だ。
  • これはまずい、直ぐに医者にと思ったが3連休だ。ネットで調べると突然の難聴は早期の治療なら治る可能性が高い、となっているので焦る。が、仕方ない、この時間を利用してどの医者にかかるか嫁さんと相談して、やはり経験豊富な先生のいる病院に、となり、溜池山王のあるクリニックの先生に決め、月曜日に予約無しで行くことにした。

  • 当日行って、診断を待つ。予約優先なのでその合間に入れてもらう、どのくらい待つかわからない。不安な気持ちで待っていると意外に早く呼ばれた。そして、聴力検査をして結果を見ると、確かに左耳の聴力が落ちている、中等度難聴に近い軽度難聴だが感覚的には右耳の半分位しか聞えてない。
  • 医師は原因はわからないが内耳の感音神経がやられている突発性難聴だと説明。ステロイド剤などを1週間服用し、1週間後に来院するように指示される。もらった病気の説明資料を見ると内耳の脳卒中だと書いてある。また、耳垢掃除は難聴と関係ないと言われる。
  • 薬の服用を始めると、その日の夜から塞がっていた耳に穴が少し空いてきた感覚がしてきて、翌日には聞えが良くなってきた。3日目にはかなり聞えるようになり耳の塞がった感じもなくなった。
  • 1週間後、聴力検査をすると左右の聴力の差はほとんど無くなり、耳が塞がった感覚も無く、完治したと診断された。
  • よかった、よかった。治療開始が早かったのが奏功した。難聴の原因は不明だが、加齢、ストレス、動脈硬化、高コレステロールなどが考えられるとのこと。また、耳垢掃除は必要ない、とのこと。私は、加齢以外は該当がない。
  • 突発性難聴はストレスでなる人が多い、だから若い人にも多いそうだ。しかも、仕事が忙しく放置して、回復不可能になった段階で受診するケースが後を絶たないと言う。
  • 聞えづらい、耳が塞がっているような気がする、耳鳴りがしてきた、などの場合には、直ぐに耳鼻科を受診することが必要である。私は難聴を自覚してから4日目に受診した、不調を自覚してからは10日目だ。
  • 私の場合、リタイアして時間に余裕があった、コロナで病院が大混乱している時でなかった、海外旅行中でなかった。治ったのは、幸運に恵まれたこともある。

読者の中にも現役の人もいると思うが、注意してほしい。耳が詰まった感じがして、自分の話し声が頭の中で反響し聞えづらくなるというのは想像以上に苦痛だった、そんな症状が固定したら大変だ。おかしいと思ったら仕事を抜けて、直ぐに職場の近くの耳鼻科に行ってほしい。

 


筒井清忠「戦前日本のポピュリズム、日米戦争への道」を読む(その2)

2023年11月15日 | 読書

(承前)

  • 1931年9月、満州事変が起こると新聞は(軍縮から)大旋回した。例えば大阪朝日新聞は、「満洲に独立国が生まれることについては歓迎こそすれ、反対すべき理由はない」と報道した。事変後、朝日を困らせたのは不買運動だ、10月中旬の役員会で事変支持が決定した
    (コメント)新聞社の主張や倫理観などはこの程度のものだ
  • 5.15事件では、被告人の主張する元老・財閥・政党等特権階級への批判がそのまま正当化され報道された。また、減刑運動が検討され始めた段階で、この運動を唆し支援するものであることが明白な記事が出された。そして異例に軽い判決が出ると11月10日の時事新報は「法を破るその罪は大、愛国の至情は諒とする、36年への危機憂慮が暴発、条理備わる判決理由」という見出しで伝え、内容は被告らの主張そのままであった。
    (コメント)安倍首相暗殺犯の主張を、それが本当かどうかもわからないのに大騒ぎし、減刑運動まで取り上げる報道姿勢は今でも同じだ。
  • 満州事変のリットン調査報告書について、12月19日の全国132紙は受諾拒否共同宣言を出した。翌2月7日に日比谷公会堂で国際連盟緊急国民大会が開かれ、政府に連盟脱退して直ぐに帰朝せよとの声明を採択した。これをNHKがラジオで全国中継した。松岡の背後にはこの「国民の声」があった。2月20日、政府は連盟脱退を決定した。当時学者が現実的な意見として「頬被り論(連盟非脱退論)」を主張していた。日本がこの理論を採用していればその後の歴史は変っていた可能性がある。だが、東京日日は社説で「連盟脱退の外なし、頬冠り主義を排す」と書いた。外交では価値・理想も必要だが、利益の追求は合理性を担保することになり、置かれた環境を無視する非合理的行動に走らせないと言う視点が重要である。
    (コメント)新聞社の国際情勢を見る目の無さは今も同じではないか、ただ学者はこの時、現実論を言った

  • 評論家の清沢洌は、ポーツマス会議とジュネーブ会議(国際連盟問題)を比較して、相違点として、桂太郎と小村寿太郎はいかに民論による迫害があろうと断固として講和会議をまとめる意志があったが、松岡は民論に責任を転嫁して、その陰に隠れようとした、また、桂と小村が絶対に我が国の国際的孤立を避けんとしたのに対して、斉藤と内田はむしろ我らから進んで孤立を選んだ傾きがあった、と批判した。日清・日露の時は、国家の絶大なる難局に面した場合には、暫く世論を無視し、国家のために一身を犠牲にするのも国民、ことに指導者の任務ではなかろうか、この視点を絶えず維持していた石橋湛山から今日学ぶべきことが多い理由でもある。日清・日露の時はそういう指導者に事欠かなかった。
    (コメント)明治の政治家たちは偉かった。そもそも新聞社の主張は世論ではないし、往々にして間違っている。
  • また、清沢は海外の老練なジャーナリストは知力で勝負し、優れた分析力を見せる、正確なデータに基づいた報道を心がけるが日本の新聞は不正確なものが平気で横行している、と批判し、ポピュリズムに足を取られやすい危険性を指摘している。
    (コメント)最近でも同じである。ある新聞の慰安婦強制連行報道はひどかった。

(その3・完に続く)