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ゆっくり行きましょう

好きなことじっくり楽しむシニア

高円寺の喫茶店「珈琲亭 七つ森」に行く

2024年08月11日 | カフェ・喫茶店

高円寺の喫茶店「珈琲亭 七つ森」を訪問した、2度目の訪問、この喫茶店は昭和53年(1978年)の創業で歴史が古い、喫茶店ファンには有名な店だ、愛読している2002年発刊「東京喫茶店案内」(沼田元氣著)にも載っている、店の名前「七つ森」は、宮沢賢治の作品に度々登場する地の由来だそうだ

高円寺の南口の商店街を歩き、10分か15分くらいかかるだろうか、アーケードがあるのでそんなに暑くないが、最後の方はアーケードもなくなり炎天下となる、やっと到着するが、先ずは店の外からじっくりと店の外観を観察し、ドアを開けて中に入る

到着したのは1時ころだったので中は座席が結構空いていた、好きな席にどうぞと言われ、半分より奥の席に腰掛ける、この日はここで昼食も取ろうと思っていたのでメニューを見て本日のランチ2種類のうちのカレーの方を選んだ、飲み物とサラダ付きで1,280円だったか

店内は木造の内部造作でアンティーク調、客は若い人ばかり、外国人もいた、みんな食事をしているようだ、店内には2名の男性従業員、一人はオーナーかもしれないが、一人が料理、一人がウエイターと会計をやっていた、音楽が流れていたかどうかは忘れてしまった

しばし待ってカレーが出てきた、ボリュームはシニアの私にはちょうどいいが、若い男性には足りないのではないかと思った、きっと大盛にするのでしょう、飲み物はアイスティーをたのんだが、江戸切子のような形をした大きめのグラスに入れてくれておいしかった。

さて、この七つ森であるが、有名人にもファンがいるようだ、森本レオや忌野清志郎が率いるRCサクセションも七つ森に通っていた、ミュージシャンで作家の大槻ケンヂも七つ森のファンだとネットに載っていた

また、七つ森の名物といえば、お釣りの5円玉だそうだ、今後のご縁を願ってか、各5円玉には小さなリボンが結ばれているとのこと、実際今日もらったお釣りに入っていた五円玉にもリボンがついていて驚いた

ゆっくりくつろげました

 


八月納涼歌舞伎(第二部)を観に行く

2024年08月10日 | 歌舞伎

2024/8/12 一部内容訂正

記載内容に一部誤りが見つかったので訂正します、見え消し線で示した部分を削除し、新たな記載をそのあとに追加しました

今月も歌舞伎座公演を観に行ってきた、今月は昼夜三部制で、第二部、午後2時30分開演を観に行った。いつもの3階A席、5,500円、座席から見える範囲ではかなり席が埋まっていたようだ、終演は5時半

河竹黙阿弥 作
一、梅雨小袖昔八丈(つゆこそで  むかしはちじょう)

髪結新三/勘九郎(1981、中村屋)
お熊/鶴松(1995生れ、中村屋)
手代忠七/七之助(1983生れ、中村屋)
弥太五郎源七/幸四郎
下剃勝奴/巳之助
丁稚長松/長三郎(2013年生れ)
家主女房おかく/歌女之丞
車力善八/片岡亀蔵
加賀屋藤兵衛/中車
家主長兵衛/彌十郎(1956、大和屋)
後家お常/扇雀

江戸末期から明治にかけて活躍した、名作者・河竹黙阿弥の代表作の一つ、彼の代表作には三人吉三、白浪五人男、魚屋宗五郎などがあり、七五調のセリフの小気味よさが一つの特徴。黙阿弥の人生を描いた直木賞受賞作「木挽町のあだ討」(永井紗耶子)は昨年読んで勉強になった(その時のブログはこちら)奥山景布子の「元の黙阿弥」は昨年読んで参考になった(その時のブログはこちら

白子屋では一人娘のお熊に婿を迎えようとしているが、お熊は店の手代忠七と恋仲、その事情を盗み聞いた白子屋に出入りする髪結新三は、忠七に駆け落ちを唆し、その晩、お熊を連れ出すふりをしてお熊を拐かして身代金を要求しようと企んだ。お熊を取り戻すためにやって来た俠客の弥太五郎源七を追い返した新三だったが老獪な長屋の家主・長兵衛が交渉に来ると・・・

イヤホンガイドの説明によれば、本作は実話を題材にしており、材木屋白子屋では傾いた店の再建のため娘お熊と金持ちの男との縁談を進めていたところ、その男が醜男であったため結婚を嫌がり、その男を殺したという話、歌舞伎ではこれではお熊に同情が集まらないため改変して、髪結新三を悪役にし、お熊が新三にかどわかされる世話物狂言にしたとのこと。実話では、お熊はお縄となり、引き廻しの上、死罪、その引き廻しの時に梅雨小袖という高価な着物を着ていて話題をさらったため、本作の題名にもなった。

髪結新三を初演で演じたのは五代目菊五郎、その五代目菊五郎の娘と結婚したのが十七代勘三郎、その後継ぎが十六代勘三郎で、その長男が当代勘九郎、今回新三を初めて演じた、いつものことながらの全力投球の演技であり良かった、また、息子の長三郎が丁稚長松で出ており、こちらも頑張って演技していた。

今回、お熊を演じたのは中村鶴松であり、彼は一般人から歌舞伎役者になった異色、亡き勘三郎から見込まれ、精進した結果、今では勘九郎、七之助に次ぐ勘三郎家の三男の扱いを受けているとのこと、大したものだ、鶴松は昨年2月の猿若祭二月大歌舞伎の「新版歌祭文(野崎村)」でも主役のお光を演じていたのを観劇したところだ(その時のブログはこちら)

市川中車が加賀屋藤兵衛役で出演していた、彼は銀座のクラブで女性問題を起こし、その後は歌舞伎やテレビなどに出演しなくなったが、2022年の市川團十郎白猿襲名披露の「十二月大歌舞伎」に出演して今回だ、松竹はどう考えているのだろうか、目立たないように復活させるのか・・・

2時間という長い演目であるが、話が分かりやすく、場面転換も何回かあり、面白く観劇できた。

二、艶紅曙接拙(いろもみじ  つぎきのふつつか)

紅翫(べにかん)/橋之助(1995年生れ、芝翫長男、成駒屋)
虫売りおすず/ 新悟
朝顔売阿曽吉/ 中村福之助(1997年生れ、成駒屋、芝翫次男)
大工駒三/ 歌之助
角兵衛神吉/勘太郎(2011年生れ、勘九郎長男)
町娘お高/染五郎
蝶々売留吉/虎之介(1998年生れ、成駒屋、扇雀息子)
団扇売お静/児太郎(1993年生れ、成駒屋)
庄屋銀兵衛/巳之助

この演目は、夏に涼を呼ぶ、爽やかな風俗舞踊、人々が浅草・富士浅間神社に夕涼みに集まるなか、江戸で評判の遊芸を見せる紅翫がやって来て、お面を使った踊りや多彩な芸を披露するもの。

紅勘というのはこの踊りの主役・浅草の小間物屋紅屋勘兵衛のこと。化粧品の紅を売っていたことから紅屋を名乗っていたようだ。彼は青竹・味噌こし・しゃもじでこしらえた三味線を持っていて、太鼓やら笛やらを携え、芸をしながら町を歩く、チンドン屋のイメージだとイヤホンガイドでは言っていた。

この演目を初めて演じたのは初代中村芝翫、以後、芝翫家が演じるときは紅勘ではなく、「紅翫」と表記する習わし、今日は当代中村芝翫の長男中村橋之助が演じるので、紅翫、となっている。

舞踏は細かいことは抜きにして歌舞伎の様式美を味わうものだ、若手陣で楽しい踊りを見せてくれた、染五郎も久しぶりに見たが綺麗だった。橋之助は頑張っていた、扇子やタオルの黒子とのやり取りにミスがあったが、今後の成長に期待したい

さて、今日の昼の部は2時半開演、昼食は家で済ませてきて、幕間の甘味だけ松屋銀座店の黒船のどら焼きを2種類買って食べた、もっちりしていておいしかった。なお、私の好きな茂助だんごは先月で松屋店を閉店にしたそうでがっかりした

 

 


浅見ゴルフ倶楽部でゴルフ

2024年08月09日 | ゴルフ

茨城県水戸市の浅見ゴルフ倶楽部でゴルフをしてきた、費用は二人で16,000円、比較的すいていた、この猛暑でプレーを見合わせている人も多いのでしょう。今日の水戸市の日中の最高気温は33度くらいか、内陸より若干涼しく、午後になってから風も吹いてきたので、何とか熱中症にならずにプレーできた。

このコースは1974年9月(昭和49年)開場、日本プロゴルフの草分け浅見緑造氏設計の27ホール、改造によりベントのワングリーンとなっている。

経営は平成7年以降、砂、砂利・砕石・生コンクリートの製造販売を始め、土木工事業・飲食事業・レジャー事業など展開する達川グループ。ワングリーンへの改造、クラブハウスの改造などコースの価値を上げる維持をきちんとしているのは評価できる。

コースは丘陵コース、適度な変化があり、また、グリーンも難しく、競技志向ゴルファーにも評価されているのではないか、何度回っても飽きが来ない。今日のグリーンスピードは8.5ft、ティーグラウンドの芝も伸びていたが、猛暑のことを考えると仕方ないだろう。

コース内のディボット跡の修復はイマイチだった、プレーの進行は待たされることも少しあったが2時間ちょっとのラウンドで許容範囲だと思った。コース内各所に百日紅の花がきれいに咲いており、目の保養になった。

カートのコース内乗り入れ可であり、猛暑の時は助かる、カートにはナビもついているのでラウンドは楽だった。また、ここのクラブハウスはコース内の一番高い場所にあり、スタートホールが見えるのでうまい設計と言えるでしょう

楽しめました、今日は夕方用事があるのでまっすぐ帰宅した。

 


「江戸東京たてもの園、下町夕涼み」に行ってきた

2024年08月08日 | お出かけ・国内旅行

東京都小金井市にある「江戸東京たてもの園」に行ってきた、初訪問、ちょうど「夜間特別開園、たてもの園、下町夕涼み(2024年)」というイベントが8月3日、4日の土日に開催中だった。入園料は一般400円、大学生320円、中高生200円、65才以上200円、私も半額だったが、年寄りの一律優遇はやめるべきでしょう。

ここは、敷地面積約7ha、東京都が1993年(平成5)、東京都江戸東京博物館の分館として開園し、現地保存が不可能な文化的価値の高い歴史的建造物を移築し、復元・保存・展示するとともに、貴重な文化遺産として次代に継承することを目指したもの、場所は小金井公園の敷地の中にある。

「下町夕涼み」はは、通常は17時半までの開園時間を20時半まで延長し、夏の夕べの過ごし方を体感できるイベント、今年で20回目というから凄い。東ゾーン(入口入って右側)の下町中通りでは、灯りがともる復元建造物の商店や提灯が、夏の風情を感じさせ、西ゾーンの伝統的な日本の民家では、夕べの涼やかな風を感じながら過ごせる、と説明されている。

夕涼みなのでイベントは16時からだが、それ以前にも入園できる。この日は夕方18時過ぎくらいに到着し、予めネットで購入したチケットを提示して入園した、当日券を購入する人たちの長い行列ができていたので、事前購入は正解だった。

園内に入り、先ずは西ゾーンの移築した古い時代の建物がいくつもあるところを順番に見て回った。ここには江戸時代の農家などの建物もあるが、明治や大正時代の洋風建築もある、三井八郎右衛門邸など。各建物の中には靴を脱いで入る、冷房がないので夕方に来るのが正解だと思った。

これらの建物では寄席や縁台将棋、ちびっこ縁日が行われており、また、外では阿波踊りが行われていた。

そのあと、少し薄暗くなり灯りがともるころになってから東ゾーンの方に行ってみた。こちらは移築建物の高橋是清邸などもあるが、奥の方には昔の乾物屋や旅館、荒物屋、銭湯、居酒屋、仕立屋、醤油店などが軒を連ねていた。レトロムードたっぷりでみんな写真を撮っていた。こちらのゾーンでもちびっこ縁日やこども神輿、むかしの文具や江戸切子などの販売も行っていた。

小さな子供を連れたファミリーが圧倒的に多かった、子供が喜びそうなものが多かった、むかしはこんな風だったと子供に教える教育的効果もあろう、例えば、旅館の部屋には蚊帳が吊ってあり、「むかしは蚊取り線香を焚いて、蚊帳を吊って寝たんだ」と言えば、子供たちは「へえー」となるだろう。

19時過ぎまで滞在して、楽しんだ。愛知県犬山市にある明治村みたいなものだと思った。

さて、この日はこの公園のすぐ近くに見かけた「肉の万世」で夕食を食べて帰ることにした。たてもの園から車で2、3分の所、外観に高級感があるので、付近の高級住宅街に合わせて高級路線にしているのかなと思いつつ中に入る。

今年のはじめだったか万世の秋葉原本店が閉店になると聞いて久しぶりにに行ってみて、好きだったパーコー麺を食べたので(その時のブログはこちら)、またそれを食べようと思ったがメニューを見るとステーキ、ハンバーグなどご飯ものの肉料理ばかりラーメンがない。

値段も安いものでも2千円、大部分は3千円以上の高めのもの、私の万世に対するイメージは完全に崩れた。帰宅して調べると、もう万世ではラーメンは扱っていないようだ、ガッカリ。

仕方ないので、この日は、二人でハンバーグとステーキを一つずつ注文したが食べてみると大変おいしかった。店内はそれほど混んではいなかった。ステーキレストランになって店舗も高級感を出していのかと納得した。

ご馳走様でした。

 


ジャズ喫茶「ロンパーチッチ」に行く

2024年08月07日 | カフェ・喫茶店

中野のジャズ喫茶「ロンパーチッチ(rompercicci)」に行ってみた、初訪問。喫茶店を紹介する本に載っていたので、一度行ってみたいと思っていた。

中野駅北口から駅前商店街のアーケードを歩き、突きあたりにある有名な中野ブロードウェイの中に入り、一番奥まで行き、そこにある出口を出てから右に行き、初めての信号を左に曲がり、薬師あいロードに入り、そこを進みある程度歩いたところにある交差点を左折するとロンパーチッチがある。駅から歩いて15分くらいか

13時半過ぎに到着したが、先客はなし、店内はそれほど広くなく、奥の方のカウンター前の席に腰掛ける。店主の男性がメニューと水を持ってきてくれて、アイスコーヒー600円を注文した。

店の一番奥に大きめのスピーカーが2台鎮座している、入って左側のカウンター内にレコードプレーヤーがある、LPライブラリーがスピーカー横とカウンターの背後の壁にあり、LPレコードがびっしり収納されていた。流れている曲のLPがカウンターに立てかけてある。訪問時にかかっていた曲はBlue Jeans(Vinnie Burke All-Stars)であった。スピーカーの音量はそれほど大きくはなく、スピーカー近くの席でもうるさ過ぎることはないと思う。

アイスコーヒーが出てきた、小さなビスケットがついているのがうれしい、比較的大きなコップに入っているのもうれしい。飲んでみたらとおいしかった。

メニューには、会話禁止、パソコン禁止などが書いてあり、2時間が滞在時間の上限で、1時間過ぎたら何か追加で注文してほしいと書いてある。ランチメニューもあり、また、夜はジャズバーになるようだ。

店主に店内の写真を撮って良いかと聞くとOKとのこと、但し、あまりに多くの撮影は勘弁してくれとのこと、以前、一人で100枚くらい撮影していた人がいたそうだ。

ゆっくりジャズを聴ける雰囲気があり、良い店だと思った。会話禁止というのも良い。ジャズ好きの人にはたまらない空間だと思う。帰りに支払いをするとレジのレシートをくれたが珍しいでしょう、それだけ店主は真面目な方だと思った。滞在中に新たに一人、客が入ってきた

ご馳走様でした


歌劇「ドン・カルロ」をテレビで鑑賞する

2024年08月06日 | オペラ・バレエ

歌劇「ドン・カルロ」(1884年ミラノ4幕版)をテレビで観た

ヴェルディ作曲
演出:ルイス・パスクワル
原作:フリードリヒ・シラーの戯曲『ドン・カルロス』
初演:1867年3月パリ、オペラ座(4幕改訂版は1884年1月、スカラ座)

<出演>

ドン・カルロ:フランチェスコ・メーリ(1980、伊)
エリザベッタ:アンナ・ネトレプコ(1971、ロシア)
ボーサ侯爵ロドリーゴ:ルカ・サルシ (1975、伊)
エボリ公女:エリーナ・ガランチャ(1976、ラトビア)
フィリッポ2世:ミケーレ・ペルトゥージ
大審問官/修道士:パク・ジョンミン
修道士(カルロ五世):イ・ファンホン

合唱:ミラノ・スカラ座合唱団
管弦楽:ミラノ・スカラ座管弦楽団
指揮:リッカルド・シャイー(1953、伊ミラノ)
収録:2023年12月7日 ミラノ・スカラ座(イタリア) 

パリでフランス語による5幕のオペラとして初演され、ヴェルディ自身が何度も改訂したので、このオペラにはいくつもの版がある。イタリア語4幕版が一般的だったが、最近はイタリア語5幕版もよく上演される、今回はイタリア語4幕版。

原作の戯曲は読んだことがあるし、このオペラも1度観たことがあるが久しぶり、一度観ただけでは3時間以上あるこのオペラは理解できない、今回は一回観てから再度、要所を部分的に見直した

あらすじは

スペインの王子ドン・カルロは、フランス王女エリザベッタと婚約していたが、彼女は政略によってカルロの父、王フィリッポ2世と結婚、女官であるエボリ公女はカルロのことを密かに愛していたが、彼がまだエリザベッタのことを忘れられないことを知って嫉妬、カルロの肖像画が入っていたエリザベッタの宝石箱を盗み王に渡す

カルロの親友ロドリーゴは恋に悩むカルロに、王子としてスペインの圧政に苦しむフランドルの救済に力を注ぐように言うが、反逆罪で捕らえられる、ロドリーゴはカルロを救おうとし、身代わりになって処刑される、一方、良心の呵責を感じていたエボリ公女はエリザベッタに罪を告白し、カルロの命を救うことで罪を償おうとする

月夜の静かな修道院、エリザベッタが待っているところへカルロが現れ、フランドルに密かに旅立つため、永遠の別れを決意、そこへ王が現れカルロを捕らえようとするが、先王カルロ5世の亡霊が出現し、カルロとともに地下に消えていく

以上があらすじであるが、このオペラの原作シラーの戯曲は実話に基づく部分も多いという、16世紀のスペイン国王カルロ5世は広大な領地を治め、死後、スペインを息子のフィリッポ2世に与えた。エリザベッタがカルロではなく、フィリッポ2世に嫁いだこと、フランドル地方(現在のベルギーとフランス北部)の独立戦争も史実

この物語の軸となるのは次のような人間関係だ、主要登場人物全員が苦悩を抱えている

  1. ドン・カルロとエリザベッタの悲恋
  2. エボリ公女の嫉妬
  3. ポーサ侯爵ロドリーゴとカルロの友情と政治
  4. ボーサ侯爵のドン・カルロと国王との板挟み
  5. 国王の苦悩

主役はドン・カルロ、エリザベッタ、エボリ公女、ボーサ侯爵の4人だろう。歌手陣は、タイトルロールのフランチェスコ・メーリは知らなかったが、エボリ公女のガランチャ、エリザベッタのネトレプコ、ボーサ侯爵のルカ・サルシと大物ぞろいだ

実話に基づく部分が多いと述べたが、国王が妻から愛されていないと苦悩するところは本当かどうか? 結婚がお家存続のためから愛に基づくものに変わりつつあった時代、政略結婚で夫婦になったエリザベッタを愛していたのだろうか

オペラの進行に合わせて、感動したところなどを中心に感想を述べたい

第一幕

第一場:エステ修道院の中庭

  • 修道士が出てきて悲恋に悩むカルロに「地上の苦悩は修道院の中でも我々につきまとうもの、心の葛藤は天において鎮まるのだ」と述べる、その声をカルロは「あの方の声だ、まるで祖父皇帝が王冠と黄金の鎧を隠して修道衣を纏い声がまだ堂内に響いているようだ、恐ろしい」という。これは最後の場面の暗示であろう、同じ場面が最後にもう一回出てくる
  • カルロとロドリーゴが友情を誓う二重唱「主よ、われらの魂に」が美しかった

第二場:エステ修道院の中庭の外、心地よい場所

  • エボリ公女が小姓テオバルドの伴奏で歌うアリア「美しい宮殿の庭で」、ガランチャの歌もよかったが、舞台のカラフルさとダークさのコントラストがよかった
  • エリザベッタはカルロに二人が結ばれることは不可能だと言う、その時の二重唱「失われた恋人、たった一つの宝物」が良かった、この二重唱では途中でカルロが「エリザベッタ、あなたの足元で愛のために死んでしまいたい」と歌い実際にエリザベッタの足元に横になる場面があるが、大の大人が子供のように駄々をこねているように見えて面白かった、またエリザベッタへの愛を叫ぶカルロに向かって「ではやりなさい、父を殺して私を婚礼の祭壇の上に導きなさい」というところのネトレプコの迫力がすごかった
  • 王は自らの苦悩をロドリーゴに打ち明けると、ロドリーゴは王が初めて心の内を話してくれたと喜ぶところ、ルカ・サルシの表情がうまかった

第二幕

第一場:マドリードにある王妃の庭

  • ロドリーゴが間に入って友人カルロを弁護し、エボリ公女をおどすが効き目がない、この時の三重唱「私の怒りを逃れてもむだです」が素晴らしかった、そしてエボリ公が去って、今度は王子とロドリーゴの二重唱がまた素晴らしかった

第二場:アトーチャ聖母教会前の大広場

  • 人々が歓喜を歌う合唱「さあ、大いなる喜びの日だ」が良い。ここがこのオペラの一番盛り上がるところであろう、とにかく民衆に扮した合唱団の数が多いこと、それがヴェルディの素晴らしメロディに従って王を讃える合唱をするのだから、アイーダ「凱旋行進曲」と同じで、ヴェルディはこういうのが得意だ
  • 苦難のフランドルの民が王の慈悲を求めるが、父王は聞こうともせず、反逆者たちを追い出せと命じる場面の最後でも「さあ、大いなる喜びの日だ」の合唱が再び歌われ、舞台の中央には異端者を処罰する火刑所の火が焚かれ、「天に栄光あれ」の合唱で第二幕が終わるところが盛り上がった

第三幕

第一場マドリードの王の執務室

  • エボリ公女は自分の美貌がもたらした結果を嘆き、危険にさらされているカルロを救うことを誓って歌うアリア「おお、醜い運命よ」がランチャの歌唱力が存分に発揮され拍手がしばらく鳴りやまず

第二場ドン・カルロの牢獄

  • ロドリーゴが火縄銃で肩を撃たれると、スペイン王国を嫌悪し、腹を立てた民衆が王子を称えながら牢獄に押し入ってくる。そこに大審問官が登場すると民衆は怒りをおさえて、王の前にひざまずく。この場面で人々が「国王万歳」と合唱する歌がヴェルディらしく盛り上がってよかった

第四幕

エステ修道院の回廊

  • エリザベッタが少女時代の喜びとカルロへの愛を歌うアリア「人間の虚栄心を知るあなた」、歌い終わった後の拍手がなかなか止まなかった、確かにネトレプコの歌はさすがだと思わせた
  • この後、修道士が現れ「地上の苦悩は修道院の中でも我々につきまとうもの心の葛藤は天において静まるのだ」と言ってドン・カルロと同様に地下に消えていく、その後のネトレプコの「ああーー」という絶叫がすごかった、これは彼女でないとできないだろう
  • オペラの説明にはカルロ5世が孫のドン・カルロを連れ去る、とあるが、この舞台では第一幕のところでカルロが言った通り、修道士の格好をして現れたのがカルロ5世の亡霊であるという演出であろう、配役のところに「修道士(カルロ5世)」となっている
  • カルロ5世の亡霊が出てくるこの場面、大審問官が「カルロ5世の声だ」と恐れおののくが、聖職者のトップが世俗の最高位であった先代の王に恐れおののくというのもおかしくないかと感じた。このオペラの冒頭でカルロ5世の葬儀の場面だろうか、修道士が「彼は、生前は傲岸不遜だったが、神のみが偉大なのだ」というようなことを言っているのにこの終わり方には違和感を覚えた

最後に歌手陣であるが、

  • ネトレプコはさすがの演技と歌だと思った、声量の多さ、歌唱力のうまさ、演技のうまさ、どれをとってもピカイチだと思った
  • ルカ・サルシも大した歌手だと思った、ボーサ侯爵の役だが、ドン・カルロと並んでいるとルカ・サルシが王に見えてくる貫禄がある
  • しかし、ネトレプコ、ルカ・サルシ、どちらもその風貌からは悪役が似合うと思う。ネトレプコはマクベス夫人、ルカ・サルシはスカルピアなどだ、悪役をやらせたら彼らの演技はもっと冴えるだろう、ガランチャもどちらかというと、今回のような一癖ある女が似合う歌手であると思う、その点で今回のエボリ公女役はピッタリはまっていたと思った。

予想外に素晴らしいオペラだった、楽しめました

 


荻窪の名曲喫茶「ミニヨン」に行く

2024年08月05日 | カフェ・喫茶店

新宿の中村屋で食事した後、時間に余裕があったので、荻窪の名曲喫茶「ミニヨン」に寄ってみようと思った。

店に入ると先客が何人かいたが、座席が多いので窓側の席に座れた。暑い日なのでアイスコーヒー500円を頼む。来ている客はシニア男性が多い、一人で来てじっくり聞いている感じなのは先日訪問した吉祥寺の「バロック」と同じだ。

ただ、この店がバロックと異なるのは会話禁止ではない、というところだ

少し待ってアイスコーヒーが出てきた、伝票と一緒に。何げなくその伝票の裏を見ていると、ガラケーのスタンプに×印が書いてあり、文字でSorryと書いてあった、「はて?」、以前もそうだったか。これは携帯の会話禁止という意味だろうか、今日は店内写真を撮るのはやめにした。以前訪問した時、写真撮影は1、2枚ならOKと確認したのだがこれも変わったのだろうか・・・

中央線沿線の名曲喫茶のバロック、でんえん、ネルケン、ヴィオロンでは写真撮影OKだ、ただ、他の客を写してはいけないし、シャッター音が鳴る写真アプリで演奏中撮るのもやめるべきだろう

さて、この日はカウンター席に座っていた常連と思われる男女二人が大きな話し声でべらべらと1時間くらいずっと話していたのには閉口した。そのすぐ後ろの席で一人静かに音楽を楽しんでいる客がいるにもかかわらずだ。少し離れた私の席でも「うるさいな」と感じた。携帯電話での会話が禁止なら、普通の会話も控えめにするのが常識だろう、「会話は静かな声で」というスタンプも伝票に押すべきではないか、今まで何回か訪問した経験からすればこの日の常連客が例外だと思うが

好きな名曲喫茶だからこそ、心地よい場所になってほしい

ご馳走様でした

 

 

 


「空想旅行案内人 ジャン=ミッシェル・フォロン」展を観に行く

2024年08月04日 | 美術館・博物館

東京ステーションギャラリーで開催中の「空想旅行案内人 ジャン=ミッシェル・フォロン」展を観に行った、主催は東京ステーションギャラリー、東京新聞、フォロン財団(ベルギー)、入場料は1,500円、平日の午前中に行ったが、それなりに混んでいた、幅広い年齢層の方が来ていた

このステーションギャラリーは、1988年、東京駅丸の内駅舎内に完成、その後、東京駅の保存・復原工事に伴い2006年に一時休館したが2012年秋にリニューアル・オープン。重要文化財の駅舎内に美術館があることを意識し、バラエティに富んだ企画展を年5本ほど開催しているという

美術館内を見て回ると、展示室内や階段に重要文化財の旧駅舎のレンガがむき出しになっているところがある。

ジャン=ミッシェル・フォロン(1934-2005、71才没)は、20世紀後半のベルギーを代表するアーティストのひとり、若いころ絵画世界に惹きつけられ、1955年パリ近郊に移住し、ひたすらドローイングを描く日々を送り、やがてアメリカの『ザ・ニューヨーカー』や『タイム』などの有力誌で注目され、1960年代初頭にはそれらの表紙を飾るようになる。

その後、各国で高く評価され、世界中の美術館で個展が開催されるなど目覚ましい活躍をみせ、来日したこともある。日本では30年ぶりの大回顧展、展覧会タイトルにある「空想旅行案内人」とは、フォロンが実際に使っていた肩書き空想旅行エージェンシーからとったもの

フォロンは全く知らない画家だった、展覧会のホームページを見て彼の絵の色彩感覚のすばらしさに感動して観に行ってみたくなった。


(真ん中の絵が作品254「月世界旅行」、両端が作258「見知らぬ人」を使った展覧会ポスター)

展示は以下の5つのストーリーで展開されている

プロローグ 旅のはじまり
第1章 あっち・こっち・どっち?
第2章 なにが聴こえる?
第3章 なにを話そう?
エピローグ つぎはどこへ行こう?

それぞれの展示を観てで感じたことを書いてみたい

プロローグ 旅のはじまり

  • 無題という作品名で作品番号47から57までに、マスに二つの目と、口があるだけの人間の顔リトル・ハット・マンの絵が印象的であった
  • このリトル・ハット・マンはフォロン作品において重要な位置をしめるモチーフのひとつ

第1章 あっち・こっち・どっち?

  • 作品124「群衆」が印象に残った、ビル群の上に太陽が輝いている(写真が撮れないので詳しいことは思い出せない)
  • このセクションではフォロンの代表的なモチーフのひとつ「矢印」をテーマにした作品も多く展示されていた、「群衆」もそのうちの一つ

第2章 なにが聴こえる?

  • このあたりの作品からフォロンの人類共通の問題に対する抗議が作品の中に現れてくる、例えば作品138「たくさんの森」はスリーマイル島の原爆ドームと思えるものがずらりと並んだ絵、作品150「深い深い問題」は海の中に泳いでいるのはミサイル、地上には虹が描かれている
  • 作品149「波」はあの葛飾北斎「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」とほとんど同じ構図の絵になっているのに驚いた

第3章 なにを話そう?

  • ここでは、見る人が絵と対話することを望んでいたフォロンが、人々に世界の「いま」を語りかける手段として、企業などの依頼で手がけたポスターや、書籍の挿絵などを展示してあったが、どれも素晴らしいものだった
  • その中で1948年の世界人権宣言のための挿絵原画が一番のスペースを取って展示してあった、それ以外でも、作品208は「死刑反対」、作品214「欧州は人種差別に反対する」とか、作品218「グリーンピース深い深い問題」など、今のリベラル全盛時代を先取りしたような主題の作品が目立った
  • 本展覧会の説明には「色彩豊かで詩情あふれるその作品は一見すると美しく爽やかにさえ感じられますが、そこには環境破壊や人権問題など厳しい現実への告発が隠れていると同時に、孤独や不安の感情が通奏低音のように流れています」とある、第2章の作品と合わせて、まさにそんな作品だった

エピローグ つぎはどこへ行こう?

  • ここまで社会の問題点などを絵で訴えてきたが、ここでは鳥になってそれを乗り越えて、地平線、山並みを超えて高く飛び立ちたいという明るい未来への願望のような絵が展示されていた
  • 作品254の「月世界旅行」はこの展覧会の宣伝ポスターに使われている絵、257「自画像」は何か変なポーズ、258「見知らぬ人」、287「大天使」、291「今日」などが良かった


(作品287「大天使」を使った展覧会ポスター)

すべての作品で共通するのは、人間の表情の単純化、色彩感覚の豊かさであった、シンプルな構図であるが色彩豊かで、何か比喩的に訴えるものを持っている画家と感じた。

さて、最後にこの展覧会の運営面について述べたい

  • 展示室内は写真撮影禁止であったのは残念だ、前回佐伯祐三展で来た時も禁止だった、佐伯祐三展に出ていた作品と同じ作品が他の美術館に出品しているときは撮影OKであった、もっと交渉できないものだろうか
  • 作品の脇に表示されている作品説明の小さい白いボードの文字が小さすぎて非常に見づらかった、作品の特定のために作品リストとボードの照合が必須なのに文字が小さくでは不便で仕方なかった

勉強になった展覧会でした

 

 


新宿中村屋で純印度式カリー

2024年08月03日 | グルメ

先日、新宿の紀伊国屋ホールで演劇を観たとき、ランチにすぐ近くの中村屋でカレーを食べたいと思ったが、偶然、その日は店内メンテナンスのため休業だった。そこで今回は、昼時に時間が取れたので、再挑戦しに来た。ずいぶん昔に何回か来たことがある。

新宿駅を降りてから地下街をそのまま5分くらい歩くと、中村屋ビルの地下1階につながった出口がある。猛暑なのでこれは有難かった。このビルの地下2階にMannaという中村屋が運営するレストランがあるので階段を降りて入口のところ行くと、入口の前に椅子がいっぱい置いてあり、10人くらいが待っている。入口には受付機があり、そこに人数を入力すると番号が書いてある紙が出てきて、順番が来るとその番号を呼ばれる仕組み。

とりあえず受付して待つ、11時開店で到着が12時10分前、最初に入った人の食事が終わって出てくる時分だろうから意外と早く入れると考えて待つことにした。10分弱待って案内される。中ほどの4人掛けのテーブル席、内部は結構広い、内装も洒落た感じで良い雰囲気だ。

食べるのは決めていた、一番オーソドックスな中村屋純印度式カリー1,980円にサラダとドリンクをつけた2,805円のセットメニューを注文。このカレーについての店のうたい文句は「昭和2年発売のベストセラー、当社厳選の食材を使ったカリーです」とある。カレー以外のメニューもあるが、周りを見るとカレーを食べている人が多かった・・・ここではカレーでなくカリーだった。

しばし待って、料理が出てきた、副菜も6種類出てきた、ピクルスなど、ただ福神漬けはなかったのが不思議だ。カリーには大きな肉とイモが入っている、肉は鶏肉だと思うが、骨付きであった。

カリーをご飯にかけてさっそく食べると、結構辛い、中辛といったところか、甘口より少し辛いほうが好きなので満足する。最近はやりのスパイシーカレーのようなスパイスが前面に出る味ではないが、隠し味のようにうまく使われているのでしょう。

おいしく頂きました。

さて、中村屋であるが、ちょっと調べてみると、東証スタンダード市場に上場している公開会社だ、知らなかった。明治34(1901)年創業と歴史は古く、各種和洋菓子、パン、その他食料品の製造・販売、飲食店の営業が主な事業となっている。関東で販売される中華まんのシェアトップを占めており、また、クリームパンを日本で初めて販売し、カリーパンとともに有名だそうだ。

カリーについては、1927年(昭和2年)に 喫茶部を開設した際、インド人独立運動家のラス・ビハリ・ボースから提案を受け売り出したとのこと。ここでボースが出てくるのは、1918年(大正7年)に創業者相馬愛蔵氏の娘がインドのラス・ビハリ・ボースと結婚をしたためである。これに関連した本が売り出されていたのを思い出した。

なかなか面白い歴史を持った店である、これからも頑張ってほしい。帰りに代金の精算を済ませて店を出ると、待合場所には大勢の人が待っていた、結構人気がある店のようだ。

ご馳走様でした


Jonathan Haidt著「The Anxious Generation」を読む(2/2)

2024年08月02日 | 読書

(承前)

パート3 Great Rewiring、子供がスマホを使う時代

第5章 4つの害悪(社会的孤立、睡眠不足、注意散漫、スマホ浸け)

  • 2010年代初めにこの4つの子供に対する害が急激に出始め、子供のメンタルヘルスに悪影響が出た、スマホに耽ることによる機会損失は多大である
  • スマホ過剰利用により子供同士が顔を合わせて遊ぶ時間が激減した
  • スマホ過剰利用により子供の睡眠時間が激減し、質も低下し、不安に襲われる子供が増えた
  • スマホの通知機能により子供は一つのことに集中力を保つことができなくなった
  • スマホ過剰利用はアプリ開発においてアプリから離れられなくなるように設計したせいだ、ギャンブル依存症やドラッグ依存症と同じスマホ依存症になった
  • これらの害悪が急激に来た子供のメンタルは非常に悪化した

第6章 なぜSNSは少年より少女により害をもたらしたか

  • SNSを3週間使用しないとメンタルヘルスは改善したとの報告がある
  • 女子は男子よりSNSを利用している、特にビジュアル系メディアであるインスタやTik-Tok
  • 2つの大きな動機としてagency(目立ちたい、影響を与えたい)とcommunion(繋がっていたい、帰属したい)がある、男子はagency activityに、女子はcommunion activityに惹かれる、その結果、フラストレーションがたまった
  • 女子が男子より悪影響受ける4つの理由、第1に女子は見た目を気にするのでインスタなどで比較されると落ち込む、第2に女子はSNSを使って他の女子を攻撃しがち、第3に女子はSNSで他の女子と不安を共有する、第4に男はSNSを使って女子を利用する、例えば言い寄ってヌード写真を遅らせてそれを拡散するなど
  • 以上の結果、女子は男子より実世界の交流よりバーチャル世界の薄い繋がりが多くなりメンタルをやられた

第7章 男子には何が起こっているか

  • 2010年以降、男子は女子より大きなリスクにさらされた、スマホにより、引きこもりが劇的に増えた、レールから外れたと感じる人が増えた
  • 男子が女子よりそうなった理由は、スマホによりポルノサイトへのアクセスが容易になったことがある
  • 更にビデオゲーム中毒を多く出したのが男子だった
  • 女子はスマホを通じて外の世界と接触したが男子は逆になった、現実世界と乖離し、規範ある生活ができなくなった、ゲームには社会的価値観の教育的効果はないからだ

第8章 霊的高揚と、堕落

  • 現実世界では宗教儀式など共同行動をとり、神聖な気持ちになるがバーチャルワールドではそのような効果は得られないどころか神を冒涜する
  • 現実世界では人々が集まって行動する機会が多い、一緒に食事をするなど、バーチャル世界ではこれがない
  • 現実世界の宗教儀式などは静謐である、気持ちを落ち着かせることができるがバーチャル世界は反対で常に通知が届き、瞑想などを邪魔する
  • 精神世界の特徴は自己超越があるがSNSは自己中心である
  • 宗教世界は他人を批判しないがネット世界はそれが盛んである
  • 自然の偉大さや自然への畏敬はネット世界ではむりである
  • 現実世界では考えること、繋がること、精神的に昇華することへの憧れがあるがネット世界ではない

パート4 健全な子供にするための共同作業

第9章 共同行動の準備

第10章 政府とハイテク会社はいま何ができるか

  • 政府、地方政府はwebのリスクにさらされている子供を守るルールを作るべき、例えば年齢制限など
  • テック会社も子供の年齢認証などの利用制限をハードやソフトに組み込むべき
  • 現実世界での親の子供に対する育児放棄の罰則が拡大解釈され厳しすぎるのを修正し、親の監視のないもとで子供どうしが遊べる環境を作るべき、学校の前の通りを登校下校時に一時的に通行止めするなど

第11章 今学校ができることは

  • スマホ禁止と遊ぶ時間を増やすことが学校に求められる、コストはかからない
  • スマホ禁止は学校にいる間のすべての時間とする
  • 遊びの時間の増加は放課後の一定の時間を自由に学校で遊ばせることだ、もちろんスマホは禁止、親や先生の監視は最低限で
  • これらを実施するには地域全体で合意して全員で取り組むべき
  • 男子のメンタルの悪化に対しては男性教師の増加、技能科目の増加などを実施

第12章 親ができること

  • 現実世界で子供を適切に育てるには、子供にある程度の自由と責任を与えることが大事、バーチャル世界では子供にスマホを与える時期を遅らせることが大事
  • バーチャル世界ではまずガラケーを与えることで他の親と共同歩調をとれ
  • 子供に現実世界の楽しさを教える機会は多くある、第3者が運営するキャンプなど、子供がもっと大きくなればバイトさせるなど、その際、子供を信用することだ
  • スマホを使い始めるときは使用リミットを設定すべき、他の親と共同歩調できればよい

結論 良き子供時代を取り戻す

もっとも基本的な対策

  1. ハイスクールまではスマホを与えない
  2. 16才まではSNSをやらせない
  3. 学校でスマホ使用禁止
  4. 親の監視がより少ない自由な子供同士の自由な遊び時間の確保

これらが地域共同でできれば2年以内に子供のメンタルヘルス悪化は改善する、声を上げよう

スマホベースの子供時代がおかしいと感じたら声を上げよう、そうすれば事態は変わるだろう、そして親、学校、先生など共同して改善のアクションを取ろう

以上がこの本の紹介だが、なかなか事態は深刻だと思った、アメリカのネットニュースを見たら、最近、確かカリフォルニア州で学校でのスマホの使用禁止の条例ができたと報じていた、著者らの提案が徐々にでも浸透を開始したのであろう。良いことではないか。

会社や電車などでスマホ画面をひたすら見ている人は周囲との会話や接触を拒絶しているように見える、あるいは会話する積極性や能力に自信がないのでひたすらスマホに逃げているようにも見える。

また、この本を読んで初めて知ったのだが、日本語の「引きこもり」やスマホの「絵文字」という言葉がそのまま英語になっている。そして、引きこもりについてはかなりの量を割いてその発生の背景、特徴などを書いており、長らく日本特有の現象と考えられていたが、最近ではアメリカや他の国の若者でも発生しているとの著者の見解を披露している

いろいろ考えさせられる著者の分析や改善提案であった、著者の見解には同意できる部分が多かったが、本書ではアジア、日本の状況がどうなっているのかほとんど取り上げていない、そこが日本人としては不満が残った、ただ、これは日本やアジアの研究者がやるべきでしょう、日本学術会議の教授らが存在意義を示すいい機会ではないか

(終わり)