ゆっくり行きましょう

気ままに生活してるシニアの残日録

京成立石駅周辺を歩く(2024/8/21追記)

2024年08月21日 | 街歩き・国内旅行

2024/8/21 追記

偶然、宇ち多゛監修の寶の「焼酎ハイボールうめ割り風」が販売されているのを見つけた、私の好きな寶が宇ち多゛とコラボしたハイボールを販売するとはうれしいではないか、さっそくスーパーの酒売り場で買い求め(151円)、晩酌で味わった

宇ち多゛では炭酸の入っている焼酎は出していないが、店で飲む有名なうめシロップ入りの焼酎の雰囲気は味わえるのではないか

2024/8/19 当初投稿

下町の情緒が残る街、呑兵衛の聖地、京成立石に行ってみた、ここに来るのは2度目だ

前回訪問したのはずいぶん前だ、その後、立石駅前の再開発が行われると聞いて、駅前商店街や呑み屋街が無くなってしまうのかと思い、再訪してみたいと思っていた。

立石は、安い居酒屋の生み出す「せんべろ」のまちという側面と古い街並みが生み出す昭和レトロ感のある街という側面が合わさってテレビにも度々取り上げられることがあり、最近は訪れる若い人も増えたという。この街並みは第二次世界大戦後に生まれた闇市から発展したものだ

事前に調べてみると、駅の北側の再開発は既に始まっており、工事現場の白い囲いが広範囲に設けられていた。南側も再開発の話が進行しているという、昔の面影が見れるのも今のうちだ。

再開発の目的は、安心して住み続けられる環境づくりにあるという。立石駅周辺は木造建築が密集しているため、地震があった際の建物の倒壊危険度や火災危険度が極めて高くなっているからだ

開発には賛成派と反対派がいるようだ、賛成派は、再開発が決まったなら早くやってほしい、地元の人は、地元の居酒屋で飲まないし、他所から来ている人が寂しいと言っているだけ、商店街を歩くのは高齢者ばかりで若い人はあまりいない、再開発できれいにしてほしいという。

一方、反対派は、立石のような「第一種市街地再開発」では、組合員(=地権者)が共同で事業のリスクを負う形になり、事業がうまくいかなければ破産を申し立てなければならない事態にまで追い込まれる可能性もあり、そういう事例もあるという

こう考えてみると地権者のリスクは高いだろう、自分が当事者だったら悩むと思う、私はてっきり、開発は三井不動産などの大手のデベロッパーがやり、地権者は再開発前と同じくらいの時価相当のスペースを交換で与えられる、とばかり思っていた

立石駅で降りて、駅周辺を見渡す、北口の再開発は既に着工されているのが駅の踏切のところからも直ぐに見える、最初はそちらの方を少し歩いてみた、こちらは踏切を横切る道を挟んで大きなビルが2つできるようだ

再開発に伴い、踏切が多い駅周辺も高架線になるようで既に工事が進んでいて高架線や駅舎の一部ができていた。

次に南口に移動し、駅前の「立石駅通り商店街」をブラブラ歩いてみる、この商店街はアーケードがあり涼しい、店は地元の店もあるが大部分が大手資本の牛丼屋や居酒屋、コンビニとかだった。

この商店街と並行に走る商店街が仲見世商店街だ、ここは戦災で家を焼かれた浅草の飲食業者が疎開してきて露店を始めたところ、「仲見世」という名前は浅草を偲んで命名されたという。こちらは地元の店が多いみたいだ、と言うのもここを訪問したのがお盆休みの最中、どの店も16日ころまでは休みますと張り紙がしてあり、シャッターが下りていたからだ。

この仲見世商店街の中に呑兵衛に有名なもつ焼きや「宇ち多゛」がある、ここは午後2時開店だが12時ころから行列ができるほどの人気店、行列の並び方、席の座り方、注文の仕方などいくつものルールがあり、知らないと注意される、初心者は常連を探して連れてきてもらうのが良いだろう、私は入ったことはないが

いつまでこの街並みが見れるだろうか、時代には抗しきれないだろうが、何とか共存できる方法はないものだろうか、私がよく行く吉祥寺は駅周辺に商業ビルも多く建ったが昔からの雑然としたハモニカ横丁一帯はそのまま残っている、うまく共存できている例ではないだろうか。

確かに火災や地震の時は危ないだろう、ちょっと前に小倉の旦過市場という有名な飲食店街が火災になって消防車も入りにくく多くの被害を出したことがあった、ここも再開発の話が進んでいた矢先の火事だったようだ、私は偶然、火災があった日(夜中から明け方)の前日の夕方に旦過市場を見物に訪れていた、翌朝、そのニュースを聞いてびっくりしたものだ

お盆休み明けに来た方が良かったかな、と思ったが、人がほとんどいない仲見世商店街もめったに見れないと思い、これで良いと思った

昭和生まれのオヤジとしては、昭和の面影が次々と亡くなっていくのは寂しいものだ、と感じた一日だった


松戸の生パスタ専門店「スピガ」でランチ

2024年08月21日 | グルメ

松戸の東口にある生パスタで有名なレストラン「スピガ」でランチを食べた、松戸駅から歩いてすぐ、お盆休みでやっていないかなと心配したが大丈夫、席にも直ぐに座れた、ランチパスタが3種類黒板に書いてある、それ以外のものはQRコードを使ってメニューをスマホでみて注文する方式

ランチメニューがお得な感じがしたが、先日落合シェフの店でアーリオ・オーリオ・ペペロンチーノを食べて以来(その時のブログはこちら)、ほかの店のペペロンチーノと比較してみたくなり、ペペロンチーノを探すと、3種類あった、その中から「国産にんにくを使ったペペロンチーノ」930円を注文した

他にはエビと大葉のペペロンチーノ、スピガ風バジルソースのペペロンチーノがあったが、アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノを思い浮かべ、ニンニクとオリーブオイルと唐辛子を使ったものに一番近い国産にんにくを使ったペペロンチーノにした

この店は、パスタ専業メーカーのニューオオクボという会社が経営しているレストランである、1982年に千葉県柏市で創業し、業務用の生パスタなどを提供している会社で、その生パスタを使ったレストランを5店舗経営している、ここはそのうちの一つだ。

生パスタを食べると、もう普通の乾燥パスタを使った料理では満足できなくなる、もちもちとした食感が何とも言えない豊かさとおいしさを感じるからだ

さて、しばし待って料理が運ばれてきた、食べてみると麺は細麺であった、自分の好みは普通の太さの麺の方だが、シェフには独自の考えがあるのだろう、また、にんにくの香りはそんなに強くなかった、と言うか、落合シェフのペペロンチーノの方がにんにくが強烈すぎるのであろう、この店はどちらかと言うと上品な薄味のペペロンチーノであった

一般的には濃いめの味付けにしたほうが料理はうまいが、そこには塩分が多めに使われていることが多いので、体にはよくない可能性がある、従って塩分控えめの薄味に慣れなければならないのだろう、そのほうが上品で、素材の味を味わえるともいえる、パスタの麺にも塩分が含まれているが、その塩分の量を少なくしているのかもしれない、にんんにくは使い過ぎても体に悪いことはないだろうが塩分は控えめの方が良いでしょう

いづれにしてもおいしかった、ご馳走様でした。


終戦の日に関連する主要紙の社説を読んでみた

2024年08月20日 | その他いろいろ

終戦の日の前日、岸田首相が9月の自民党総裁選に出馬しないと発表をしたため、終戦の日の主要紙の社説は首相退陣に関するものとなり、終戦の日に関連する社説は16日の社説で扱われる結果となった。退陣表明をなぜ16日にしなかったのか良識を疑う、終戦の日は静かに迎えるべきだろう

終戦の日を扱った主要各紙の16日の社説を調べてみようと思い、読み始めたが、時間がかかるので、左派のA紙、保守派のB紙、経済紙のC紙だけを読み比べてみた、各紙のタイトルは以下の通り

A紙:戦後79年に問う 戦争の犠牲にどう向き合うか
B紙:終戦の日 危機の時代に平和をどう守る
C紙:「さきの大戦」と呼ぶ意味を考えよう

それぞれについて読んだ感想を簡単に述べてみたい

  • 結論から言えば、B紙の社説が3紙の中では一番時宜にかなった内容であった、主張も現実的であった
  • A紙の社説は大部分が靖国神社のことを書いているが、いま靖国神社を終戦の日の社説で取り上げること自体がピント外れだと思う
  • C紙も戦争の呼称のことを述べているがこれもピント外れでしょう、また、問いかけが「さきの大戦」と呼ぶ意味を考えようで、結語が、大切なのはあの大戦を「さきの大戦」ままにしておくことである、では問いに対する答えになっていない

さて、A紙やC紙の社説を読むと、あいも変わらず、戦前や戦中の戦時体制や日本の侵略行為とやらを非難し、今の政府や閣僚、国民に過去との決別や反省を求めているが、家族や祖国を守るために必死で戦った先人たちに対するリスペクトがみじんも感じられない。言っていることは占領時にGHQから教え込まされた戦勝国史観そのもので、日本を追い込んだ彼らの数々の悪行を全く見ていない。


(満州事変のリットン調査報告書について全国132紙が出した受諾拒否共同宣言、Yahoo!画像より拝借)

そもそも新聞に先人たちを非難する資格などあるだろうか、戦前・戦中に政府や軍部、国民を戦争に煽り立てたのは誰だ、強硬論を主張し政府や軍部の弱腰を非難していたのは誰だ、国際連盟を脱退して帰国した松岡外相を持ち上げたのは誰だ、バスに乗り遅れるなと言い出したのは誰だ・・・、自分たちのことは棚に上げ、もう反論できない先祖の名誉を貶めるとは傲慢そのものだ、一番反省が足りていないのは新聞である

さて、最近、オリンピックの卓球女子でメダルを獲得した早田ひなさんがテレビに出演し「アンパンマンミュージアムに行きたいのと、鹿児島(知覧)の特攻平和会館に行って、自分が生きているのと卓球ができているのが当たり前じゃないことを感じたい」と話をした、立派な心構えだと感心した、若い人がしっかりした意見を持っていることにうれしくなった


清澄白河でカフェ、蔵前で買い物

2024年08月18日 | 街歩き・国内旅行

清澄白河にあるブルーボトルコーヒー清澄白河フラッグシップカフェを訪問した、2度目、1度目は近くの東京都現代美術館に行った帰りに、清澄白河をブラブラして偶然見つけた、その時の印象が良かったのでもう一度行ってみたいと思っていた

今日は門前仲町駅から歩いて行った、15分弱かかった、猛暑でつらかったが、最近男性用の日傘を使っており、これで結構直射日光を遮ることができる、今年はこれが売れていると新聞に出ていた

到着してドアを開けると、係りの女性がいて、ちょうど満席になった所なので待つかどうか聞かれ、待ちます、と回答。10分弱待ってOKとなった、先ずはレジで注文して支払いも済ませる、空いてる席に番号札をもって座り待つ、今日は暑いのでアイスアメリカンコーヒー577円を注文

ここは倉庫として使っていた建屋を改造したのだろうか、天井が高く、前面が全部ガラス窓、右側の側面もガラス窓が大きく、外光がふんだんに入ってくる、読書するには絶好の環境、注文があってから珈琲豆を挽いて抽出しているのが見える、フロアスタッフは全員女性だと思う、客は圧倒的に若いカップルか女性グループだが、店内はそんなに騒々しくない

アイスコーヒーを飲みながらゆっくり30分くらい読書をして店を後にした、ご馳走様でした

次は、清澄白河駅まで歩き、そこから大江戸線で蔵前に行き、シノノメ製パンに行ってみた、初訪問、from afarと同じグループだ、この日は食パンを買っみた、ペリカンの食パンと同様、スーパーなどで売っている食パンよりもサイズが小さい、これを一つ400円で買った、焼きあがる時間が決まっており、売り切れる時もあるので事前に時間を確認したほうが良いだろう

そして、最後はすぐ近くの菓子屋シノノメに行き、焼菓子を何種類か買う、2,050円、マドレーヌは翌日中に食べてくれ、とのことなので帰宅してさっそく嫁さんとお茶にして食べた。

食パンは翌日の朝食でトーストにして食べたが、大変おいしかった、厚切りにしたトーストをかじるとパンの香りが強烈にして食欲をそそった

ところで、私の贔屓にしていた蔵前のカフェfrom afarだが、建物の老朽化などの理由により墨田区の東向島へ引っ越しするそうだ、そのため8月は閉店とのこと、驚いた、東向島とはかなりディープなところだ、今までと同じイメージの店になるのだろうか、新装オープンしたら訪問してみたい

 


白帆カントリークラブでゴルフ、帰りにKAITSUKAに

2024年08月17日 | ゴルフ

茨城県鉾田市の白帆カントリークラブに行ってきた、天気は晴れ、最高気温は32度くらいか、東京より少し低い、風が少しあった、このコースも何回も来ているコース、レギュラーティーで6450ヤードあり、結構タフなコースだ、レギュラーティーのコースレートは70.4、今日はAグリーン

このコースは普段は乗用カートのフェアウェイ乗り入れOKのコースで、今日もそのために選んだが、コースに行ってみると本日の乗り入れはコース整備のため不可とあった、事前によく確認すべきだった、幸いカート道路とフェアウェイの高低差がほとんどなく、離れてもいないので何とかなった

このコースは1974年9月(昭和49年)開場、富沢誠造設計、ベント2グリーン、経営は白帆観光(株)、茨城県下で建設、土木を主業としている鈴縫工業と共同出資、過去に民事再生法の適用もしていないので堅実経営で固定客があるのだろう。

クラブハウスは古いが維持はきちんとしているようだ。コースもよく整備されていた。クラブハウスのレストランからはコースが見渡せるのも良い設計で感心した。

この日はあまり混んでなく、プレーの進行はスムーズで、ハーフ2時間もかからなかった、猛暑でこれは助かる、炎天下にいる時間は少しでも少ない方が熱中症になるリスクが減るからだ。

コースは各ホールにそれぞれ特徴があり、何度ラウンドしても飽きない面白さがある、ガードバンカーが多く、グリーンが小さいため、グリーンを狙うショットが難しい、池や崖も少しはあるが、距離の長さ、バンカー、林でコースを難しくしている、それとアウトとインそれぞれにS字クランクになっているロングホールがあり、これが難しい。

楽しめました

さて、この日は帰りに、土浦北インターに行く途中にある焼いもで有名なKAITSUKAに寄って、イモで味付けしたソフトクリームと冷たい焼きいもの2つを買った、ソフトクリームはイートインコーナーで食べたがおいしかった


日本橋高島屋「おけいすし」で昼食

2024年08月16日 | グルメ

靖国神社に参拝した後、日本橋に行き、昼食をとった、今日は久しぶりに「吉野寿司」に行こうと思ったが夏季休暇中

ではデパートの食堂でも、と思って高島屋の新館8階の特別食堂に行って「野田岩」の鰻重でも食べようと思って行ってみると、エレベーター降りたところがちょうど特別食堂の入口付近で、長い行列が・・・

まさか、特別食堂の待合室から溢れてこんな長い行列になっているなんて、有り得ないなと思ったが仕方ない、すぐにあきらめて、同じフロアの他のレストランを見て歩き、もともと寿司が食べたいと思っていたので、「おけいすし」に入った、初訪問。

ここは「おけいすし」と蕎麦の「そば処萱場」が一緒の入口になっているからややこしい、中に入ると「おけいすし」の寿司職人のいるカウンターがあり、蕎麦は普通の蕎麦屋と同じように客席の奥が調理場になっている。

寿司は松と竹の2種類、竹の3,960円をたのむ、店内はほぼ満席、蕎麦を食べている人の方が若干多いか、寿司より蕎麦の方が少し値段が安い、来ている人はみなさん高島屋でお買い物する経済的に余裕のありそうな雰囲気の人ばかりに見えた

寿司はおいしかった、ただ、卵焼きの握りは大きすぎて食べにくかった、寿司は本来カウンター席でひとつづつ順番に好みのものを握ってもらうのが良いが、ランチ時はそれもできないでしょう、夜に来てそれをやると高い、それでどうしても寿司桶に盛り付けたランチメニューか回転寿司になってしまう、仕方ないでしょう

ネットでこの寿司屋さんのことを調べてもよく情報がなく分からなかったが高島屋に入っているから間違えはないでしょう、味はおいしかった、ご馳走様でした

さて、店を出て下りエレベーターに乗る、さっき上がってきたときのエレベーターと同じところ、8階から乗ったのは私一人、エレベーターガールのお姉さんに、特別食堂は最近こんな行列ができるのですかか?と聞くと、「あれは特別食堂の行列ではなく、ある展覧会の行列です」と言われ、「えっ!、まさか」

よく確認しないミスだ、特別食堂の行列だとばかり思いこんだ、早とちりした、60年以上生きてきてまだこんなミスをするなんて、ショックだった、あきらめが早いのは私の悪い癖だ、ゴルフで球が林の中などに入ってしまったとき、私はちょっと捜して見つからないとすぐにあきらめてしまうが、嫁さんが執念深く探して見つけることが度々ある、反省しました

 


令和6年 終戦の日に

2024年08月15日 | その他いろいろ

今年もまた終戦の日がやってきた、リタイアして時間に余裕がある身である、そうであるならば今年も参拝すべきであろうと思い、参拝した

ただ、今年は13日に参拝した、やはり、この猛暑の中で終戦の日に長い行列に並ぶのはつらい、英霊の皆様にもお許し頂けるだろう。

10時過ぎに九段下駅を降りて神社に向かって坂道を登り、大きな鳥居に一礼し、参道を進むと、靖国神社建立に貢献のあった大村益次郎の大きな像があり、そこを通り過ぎて本殿が見えてくる。

本殿の前には10mくらいの行列ができていた、順番がきて、賽銭を入れ、二拝二拍手一拝の作法で拝礼し、「ありがとうございます、お陰様で無事に過ごしています、安らかにお眠りください」と感謝の気持ちを申し上げた。

参拝者の列に並んでいる人たちを見ると、老若男女、すべての世代の人が来ておりうれしくなる、若い人や中年の人が自然な気持ちで参拝に来てくれるのはうれしいものだ、九段下駅に向かう途中の皇居のお堀には蓮がびっしりと浮かんでいた

さて、今年も総理大臣は靖国神社に参拝しないようだ、これは昭和60年に中曽根総理が参拝した時、これを非難する記事をある新聞が大きく報道し、隣国の干渉を呼び込む結果となったためである 

国のために殉じた英霊の鎮魂の場を政治問題化し外交問題にもした、静かに追悼すべき日に自説を振り回して大騒ぎする、こんな事態に眉をひそめている人も多いのではないか 


映画「対峙」を観る

2024年08月14日 | 映画

映画「対峙」をアマゾンプライムで観た、追加料金440円、2021年、111分、アメリカ、原題:Mass、監督フラン・クランツ、高校銃乱射事件の被害者家族と加害者家族による対話を描いたドラマ。

原題のMassはラテン語だと Missaミサ、キリスト教の典礼で、この映画の舞台は教会の会議室、最後に教会の聖歌隊の練習が流れ、癒しが演出される

主演、加害者の両親はリード・バーニー(1954年、米)、アン・ダウド(1956年、米)、被害者の両親はジェイソン・アイザックス(1963年、英)、マーサ・プリンプトン(1970年、米)

アメリカの高校で、生徒による銃乱射事件が発生、多くの生徒が殺害され、犯人の少年も校内で自ら命を絶った。事件から6年。息子の死を受け入れられずにいるペリー夫妻は、セラピストの勧めで、加害者の両親と会って話をすることに。教会の奥の小さな個室で立会人もなく顔を合わせた4人はぎこちなく挨拶を交わし、対話を始めるが・・・

最近のアメリカ映画では珍しいストーリーで見せる映画、舞台はほぼ室内の一室のみ、登場人物の二組の夫婦の会話のみの勝負、いかに盛り上げて手に汗握らせるような映画にするか、監督や脚本家の腕が試される映画だった

映画が始まる時点で何の話だか全く分からない、二組の中年夫婦が教会の一室に案内され、会話を始める、最初はぎこちない、しかし、だんだん話の内容からこの二組はある事件の加害者と被害者であることがわかってくる、そして、それは当人たちではなく、彼らの子供たちのことだとわかってくる・・・

ストーリーの補足と併せて映画を観た感想を述べたい

  • この映画はある学校で、一人の生徒が突然、銃を乱射して周りの生徒を殺害して、自らも自殺した、被害者の一人の親が登場人物の一組の夫婦であるが、話し合いの最初の方で、自分たちは訴訟を起こすつもりはない、何らかの賠償を請求するつもりはないことがわかる、このような心境になるまでには相当な心の葛藤と、事件の結果を受け入れる時間が必要であっただろう
  • 被害者の両親が加害者の両親に聞きたかったのは、子供がそんな行動をどうして起こしたのか事前にわからなかったのか、ということだ、加害者の両親がいろいろ子供の日ごろの行動を説明していくと、どうも加害者は孤独で友達も作れず、家の自室にこもりがちで、孤独をパソコンのゲームなどで癒していたことがわかってくる、親がいくら言っても心を開かない子供だったことが明らかになる
  • そんな子供を相手にどうしたらいいかわからない両親の苦悩がだんだんわかってくる、被害者は別に学校の成績が悪いわけではないが社会性に欠けているのだ、そして両親が心配して話しをすると「うるせーな」という感じで干渉をかたくなに拒否する子供だったことがわかる
  • ここまで来て、先日読んだアメリカの本、Jonathan Haidt著「The Anxious Generation」を思い出した、アメリカをはじめアングロサクソンの国々ではZ世代のメンタルヘルスがスマホとSNSの普及で急速に悪化し、子供の不安、憂鬱、孤立、不健康、時に凶暴性な行動が急激に増えていることが指摘されているのだ、この映画の加害者の少年もまさにこの不安世代であり、社会的順応性を喪失した世代であることが伺える、この子供の不安と銃社会が結合するととんでもない結果を招来することがこの映画で描かれているのだろう

  • 一番最後に加害者の母は、子供と話をして、勉強をしなさい、そうでないと幸せになれないわよ、と言うと、子供は幸せになりたくない、いい成績はいらない、と言う、なぜとと問い詰めると言い争いになる、あとは喚くだけ、「出ていけ!殴るぞ」と言われ怖くなった、と言う・・・まさに「The Anxious Generation」で描かれていた世界そのものだと感じた、この本では、ある両親がスマホとSNSに一日中没頭する子供を見て、「子供をスマホに奪われたような気がする」というコメントが紹介されている、まさにその世界だと思った
  • スマホの害悪は結構あるだろう、子供もそうだが大人もだ、私はLINEはやらないがLINEをやっている人を見るとしょっちゅうスマホの着信と返信を繰り返しており、落ち着かない、便利になったが失ったものも大きいでしょう、むかしが全部よかったわけではないが、新しい時代に親も子供もどう生きていくのか、もっと議論があってよいだろう
  • その点、この映画では最後の場面で、キリスト教の聖歌隊の聖歌の練習が聞こえてきて、その歌の内容に解決策があるような感じを受ける、だから原題はMassとなったのだろう(邦題は物語の現象面を重視した訳だろう)、この点、「The Anxious Generation」とは違う解決の方向性だが、解決策は一つではないでしょう

映画の最後に予想もしないようなどんでん返しがあるわけではない、その点、少し不満は残るが、観る価値はある映画だと思った


高円寺の名曲喫茶「ネルケン」に行く

2024年08月13日 | カフェ・喫茶店

高円寺の名曲喫茶「ネルケン」に行った、本年初訪問

ここは高円寺駅の南口から歩いて10分もかからない場所にある、外観は建物に緑の木の葉が絡まる良い雰囲気、一軒家の喫茶店のドアを開けて中に入るとそこは別世界、クラシック音楽が流れる特別な場所、平屋建ての建物で中は結構広い、各座席は薪のようなもので仕切られている、入った時は誰も先客はいなかった

どの席にも小さな花が活けてある、女性店主ならではの清潔さ、華やかさ、しかし出しゃばらず静か咲いている花たちの奥ゆかしさ

アイスコーヒーをたのみ、音楽に身を任せる、私が入店してから2人が入ってきた、みんな男性だが一人は外国人、静かに音楽を聴いている

音楽を聴きながら本を読み、店内をゆっくり見渡すと壁には多くの絵が飾ってある、帰りにちょっと店主と話して、絵が多いですねと言うと、この店はギャラリー(名画)喫茶の第1号だとのこと、週に一回はギャラリーを開催していて、予約制だが先の先まで予約で埋まっているそうだ、近くの美術学校の生徒の絵も飾ることがあるとのこと、知らなかった

入口入って直ぐのところにはこの喫茶店の名物、シンボルとでもいうべき女性の裸体像がある、なんとも艶めかしいが、クラシック音楽とどういう関係があるのか、次に来た時に店主に確認してみたい

1時間くらいいただろうか、あとの予定があったので切り上げ、店を後にした、ご馳走様でした、また来ます


映画「日本のいちばん長い日」を観た

2024年08月12日 | 映画

今年も終戦記念日が近づいてきた、そんな時期に、映画「日本のいちばん長い日」をアマゾンプライムで鑑賞した、追加料金300円、1967年(昭和42年)、157分

1945年8月14日正午のポツダム宣言受諾決定から、翌日正午の昭和天皇による玉音放送までの激動の24時間を描いたドラマ。大宅壮一名義で出版された半藤一利氏の同名ノンフィクションを原作に、橋本忍が脚色、監督は岡本喜八

原作は半藤一利氏による「日本のいちばん長い日 運命の八月十五日」、1965年(昭和40年)の初版刊行時は文藝春秋新社から大宅壮一編として発売され、1995年(平成7年)6月に文藝春秋から半藤氏名義で『日本のいちばん長い日 運命の八月十五日 決定版』として再版された。

キャストには阿南惟幾陸軍大臣役の三船敏郎をはじめ当時の日本映画界を代表する俳優陣が集結した

主なキャスト

(閣僚)

鈴木貫太郎総理大臣:笠智衆
東郷茂徳外務大臣:宮口精二
米内光政海軍大臣:山村聡

(軍人)

田中静壱大将(東軍司令官):石山健二郎
森赳(たけし)中将(近衛師団第一師団長):島田正吾
畑中健二少佐: 黒沢年男
椎崎二郎中佐: 中丸忠雄
竹下正彦中佐: 井上孝雄
井田正孝中佐: 高橋悦史

(役人)

松本俊一外務次官:戸浦六宏
徳川義寛侍従:小林桂樹

(その他)

館野守男(日本放送協会放送員):加山雄三

昭和20年7月26日、ポツダム宣言が日本に対して提示された後、これを受諾するか否か内閣や軍部で議論が重ねられていた時、受諾を催促するように広島・長崎へ原爆が投下され、日本の敗戦が決定的となり、ついに8月14日の御前会議でポツダム宣言の受諾が決定した。

政府は天皇による玉音放送を閣議決定し準備を進めていくが、その一方で敗戦を認めようとしない陸軍中堅将校たちがクーデターを画策、皇居を占拠し、玉音放送を阻止するべく動き出し、陸軍大臣や東軍司令官、近衛師団長に蹶起を迫るが・・・

このポツダム宣言受諾決定後の陸軍中堅将校による宮城占領、天皇軟禁、本土決戦決行というとんでもないクーデター未遂事件(宮城事件)があったと言う驚きの事実を恥ずかしながら今まで知らなかった。これを知ったのはつい最近読んだ中村隆英教授著の「昭和史(上)」を読んだからであった、その時のブログはこちら

映画を観る前に再度中村教授の昭和史の該当部分を読み直し、主要人物をリストアップして予習をしたため、映画の内容にスムーズに入っていけた、何も知識がない人が予習なしでこの映画を観てもよくわからない点が多いだろう

それでは、映画を観た感想を述べてみたい

  • クーデター首謀者である軍の中堅将校、畑中健二少佐などの言動を見ていると、組織の論理に洗脳されやすく、一度思い込むと周囲が見えなくなり、科学的・合理的判断に欠け、精神論に傾倒し、一直線に突き進むという、今に続く日本人の悪癖ともいえる一面を見る思いがする、それを黒沢年男が実にうまく演じていた
  • つくづく思い込みというのは怖いものだと感じる、戦後の平和主義や最近の脱炭素絶対主義とでもいう思い込みも国を危うくすると思う、戦争は嫌だ、戦争は二度としたくない、平和憲法や平和主義があったから戦後は戦争がなかったと、これ一途なところが怖い。思考の柔軟性がなく、都合の悪い事実に目をつむる、マスコミの論調に影響されやすく、「ちょっと待てよ」と自分の頭で考える知的態度がない、戦前と現在の日本人は何も変わっていないのではないか、三島由紀夫は「戦時中の現象(一億総玉砕)は、あたかも陰画と陽画のように、戦後思想(無抵抗平和主義)へ伝承されている」と述べている(こちら参照)
  • 畑中少佐を見て、西南戦争の時に西郷隆盛に蹶起を促した桐野利秋らを思い出した、畑中と桐野らの一途さがそっくりに見える、新政府による西郷暗殺計画が露呈すると私学校幹部らで大評議が行われ、諸策百出して紛糾したが、座長格の篠原国幹が「議を言うな」と一同を黙らせ、最後に桐野が「断の一字あるのみ」と決戦を決定した、理屈ではないのだ、一直線で深慮遠謀など全然ない、西郷は郷土の中堅や若手からの突き上げに抗しきれず、神輿に担がれてしまった、その点、この映画で蹶起の要求に最後まで抗し、畑中らに惨殺された森赳師団長は立派だったし、毅然と反乱軍の鎮圧を指揮した東軍司令官の田中静壱大将は立派だった

  • 5・15事件、2・26事件の時は軍の青年将校が、敗戦の時は中堅将校が暴発した、これはボトムアップ型で中堅層に優秀な人材のいる日本の統治でなければ起こりえないのではないか、トップダウン型のアメリカなどではこういうことは起こりえないのではないかと思ったがどうであろうか
  • 8月15日の昭和天皇による玉音放送は、前日の夜に録音されたテープを当日正午に流したものであるということをこの映画で初めて知った、このテープが翌日放送になればもう反乱はできなくなるため、その録音テープを反乱軍の畑中らが宮城から奪い取る計画を立てた、この時、万が一に備えて慎重にテープを保管した徳川義寛侍従の対応は素晴らしかったし、放送局で畑中から拳銃を突き付けられ、今から国民に反乱軍の意向を放送させよと迫られたにもかかわらず拒否した館野守男日本放送協会放送員の対応も素晴らしかった
  • 阿南陸軍大臣がポツダム宣言受諾決定後、自宅に戻り、自死の覚悟を決めていた時、反乱軍の井田正孝中佐らが蹶起を促しに押しかけたが、阿南は拒否し、敗戦後について、「生き残った人が懸命に努力すれば日本は再建はできる、そして、それだけではなく、二度とこのようなみじめな日を迎えないような日本に再建してもらいたい」と述べて切腹した、戦後GHQから信じ込まされた彼らに都合の良い「二度と戦争は起こさない国にする」と述べたのではない

  • この映画を観終わった後で、レビューコメントを読むと、こういうコメントがあり驚いた、「畑中健二少佐及び椎崎二郎中佐が自決したのに、彼らの上官竹下正彦中佐(クーデターの元となる兵力使用計画を起草、原作者のネタ元らしい)は自衛隊幹部として大出世(陸将)し、映画で事件の首謀者に見えた井田正孝中佐が戰後も生き残り電通関連会社の常務として出世するのが、何とも日本的で悲しい」
  • 調べてみると竹下は、昭和54年に勲三等瑞宝章となっている、竹下は宮城事件の顛末を含む1945年8月9日から15日までの動静を『大本営機密日誌』として執筆、半藤一利に閲覧を許可し、半藤はこれをベースとして『日本のいちばん長い日』で宮城事件を描いたとあるからこの映画の制作には貢献した
  • 同じようなことはまだほかにもあった、日米開戦の攻撃30分前に交渉打ち切りの最後通牒が手渡されることになっていたが、大使館外交員の怠慢で通告が1時間遅れとなった、これが日本の名誉を著しく棄損し、今でもアメリカにだまし討ちと言われる大失策になったにも関わらず、戦後この日本大使館のキャリア外交官たちが公職追放された来栖三郎以外ほとんど出世した

勉強になりました、良い映画だと思った、なお、配給収入は4億4195万円あったというから当時としてはヒット作であろう、また、昭和天皇はこの映画を公開年の12月29日に家族とともに鑑賞したとある