RURUのひとりごっち

「博多にわか」な「独り言」と「ごちそうさま」を鍋に放り込んでなんだか煮てみたら・・・ひとりごっちが生まれました。

「黄泉の犬」を黄泉読み過去に旅に出よう

2006-11-23 13:54:50 | 超おすすめ

(ベニスカーニバルの絵)

博多はです。
このところ胃痛と頭痛とが交互にやってきて
心はネバーエンディングストーリー的暗黒虚無が・・・。
朝、新聞を読む気になれず、穴蔵の澱んだ空気を、昔の洗濯機の
横に付いていた、手回しローラーでぺしゃんこに出来たらいいのに。
そうすれば新鮮な空気が入ってくる余地が出来る
あいかわらず、ハンドメイドでめんどーなルル3錠な女だ。

明日はフレディマーキュリーの命日だなあ、1991年11月24日、15年前
90年代が15年前ってなんか時間の流れが速すぎてついていけなくなり
つつある、70年代は30年以上前かあたり

藤原新也の「黄泉の犬」を一気黄泉、じゃなくて読みした、
久々のストライクバッターアウト三振でベンチで遠吠えしたら
鳴き声がスコアボードに、こだまして12点入るくらい面白かった
今年のお盆の頃、西日本新聞主催の「ペリカンカフェ」という
ライブイベント(創作活動と音楽の関係についてゲストが語る)に
藤原新也が来るというので行きたくて、参加希望の葉書を書いて出した
が、残念ながら抽選漏れだった、その前に彼の「花音女」の写真展示が
イムズでやっていた、去年だったか一昨年だったか忘れたが、
普通の少女達の普通の表情を撮った写真だったがとても良かった。

この頃は「メメント・モリ」(死を想え)の一部も彼のホームページで
見れるね、るるの好きな「猫はつけもの石である」の写真もあった
藤原新也の言葉というか文体は、とてもすんなりバランスよく心に描ける文で、
るるにはとても読みやすい。

「人間は犬に食われるほど自由だ」という言葉が「黄泉の犬」のキーワード
になり、インド放浪の時の回想もまじえて語られる、最初1995年から1996年
にかけて「週刊プレーボーイ」に連載されていた「世紀末航海録」を改題、
大幅に加筆改稿して「黄泉の犬」として今年出版された、さすがにるるは
週刊プレーボーイは愛読していなかったから、まっさらで読めて、かえって
良かった、読んでいるうちに今の日本が一瞬見えて、その後、さらさらと砂
になって消える、旅の話は出てくるが旅の話ではない。

旅といえば、高校生の頃部活(絵画部)で一緒だった友達と夏休みに北海道
に行った、お金がないので、列車で北の果てまで24時間くらいかけて行き、
そこから船に乗って焼尻島という島に渡り、その島で唯一の牧場(羊がいた)
持ちの旅館で10日ほど、まずバイトをして、そのバイト料をもって道内を
周った、宿は宿泊OKの寺とかユースホステルとかいう超安宿に泊まって旅をした。
今考えると、母が良く許してくれたと思う、女の子2人で北の果て(まあ日本内
だけど)まで行くなんて、いろいろ面白いハプニングもあったが10代の頃の旅
は思い出深い。

70年代に「旅の重さ」って映画があったっけ、高橋洋子が主演、16才の少女
が母親に反発して、(たしか母親役は岸田今日子)四国にお遍路の旅に出る話。
じっとりした青春ロードムービー、けっこう印象的だった気がする。
旅といえば「旅芸人の記録」って映画も70年代、テオアンゲロブロス監督の
ギリシャ映画、4時間もの大作で、全編ワンシーンワンカットの連続、映画館で
見たらきっと腰痛になってしまうぞ、羊飼いの少女だかなんだかの芝居をする為
の旅で占領軍や戦争のせいで芝居どころじゃない、映画の内容はともかく、映像
は詩的で青い色彩が印象的だった気がする、でも数十年経っても映像って印象に
残るものだから、印象を仕舞いに若者は旅に出よう、現象という印象を

旅の映画も、実際の旅も、自分の目に焼きついた色と光と、その時々の情景は
絵となって今も脳に保存されている。

まあ穴蔵にいても、心は旅に出ている。るるですが。
「こら 帰って来い