(るる狸の穴蔵からの眺め)
「お人よしが馬鹿にされない村を作って暮らしましょう。」
と男は女に言いました。
「悪人の顔ができないものは賢者ではありません。」
と男はお人よしの男に言いました。
己の世界の範囲は自分で決めていいものなんじゃないのか
って
最近思う、だって私達は無限の世界に住んでいるに等しい。
誰も宇宙の果てには行ったことがないし、行ったとしても
帰ってこられるのかどうかわからない。
でも時は有限だから、空間にも限界をつくると安心できるのさ
世界が狭いってことは不幸じゃない気がするるるです。
「海の上のピアニスト」って映画があるけど
船で生まれて、死ぬまで船を下りなかった
船の中だけが彼の全世界だった。
草原に住む遊牧民は、ヤギや羊の食べる草のある限界
までが彼らの全世界、出て行ってもいいけれど
それを出たら遊牧民ではなくなる。
スイレンの花が開く時「ポン!」って音がするって聞いて
一日中開くのを待って、つぼみを見続けることができる人
は、きっと自分の世界の範囲を決めてる人かもしれない。
昔、深夜にやっていた三宅祐司のワークパラダイスって番組で
生瀬勝久が架空の仕事人に扮して、あることないことアドリブ
で語るのにはまってしまったけど、あっけなく終わってしまい
第2弾の放送はなくて残念だった。
ダルマ電話相談室 赤蔵太一という仕事人は
良いだるまの条件を語る
「だるまの目は黒が3白は4の割合である」
とか
「願いがかなったら、そのまま飾り、かなわぬ時は神社へ収めよう。」
とか
受付電話番号は「サンダルとーさん、だるまだるま」
たまにダルマからの相談がくることもあるらしい。
「しかし親父の血だるま相談はしません。」
ヨット数え 関口波男 やら
ウナギぬめり選別士 杉原恭一もいた
うなぎのぬめりを
「上ヌラ」「並ヌラ」「捨てヌラ」の三種類に鑑定する仕事。
上ヌラが最上級品で最も滑りがよい。
廃れさせ屋は仮名だったが、全部仮名やし (笑)
これは裏家業流行を廃れさせるという仕事で
フラフープを廃れさせたのは私であると言っていたが・・・。
ほかにもいろんな仕事人キャラが出てきた、植物弁護士とか
害虫共存振興会とか、ゴキブリやムカデに
かわいいウサギとかのコスプレをさせることによって
人気ものにすると言っていたっけ
なんでか急に思い出したのでした
ナマセさん、最近は「十四歳の母」の父ですが
急に思い出したといえば、昨日山芋の輪切りバター醤油焼きを
食べながらNHKの世界遺産という番組でオランダの風車の景色
をみて思い出したんだけれど、まえに子供の頃読んだ本の話を
書いたけど、ひとつ大事なのを忘れていた。
「運河と風車とスケート」という物語、これもかなり好きで
何回か読んだ気がする、作者はディヤング マインダート
プロフィールを調べてみた。
(1906~1991)アメリカの児童文学作家。
オランダのフリースランド州ヴィールムで生まれ、
8歳のときアメリカに移住。カルヴィン大学を卒業。
缶詰工場の臨時雇い、墓掘り人夫、大学の教師などをしたのち、
農場を経営。動物やオランダの田舎町を背景にした作品で、
幼いものと年とったものとのほのぼのとした心の通いあいを
しばしば取り上げている。
村に幸運を運ぶというコウノトリを呼ぼうと努める子どもたち
を描いた『コウノトリと六人の子どもたち』(1954)で、
ニューベリー賞を受賞。
他に、少年と家族の心の動きを扱った
『ぼくの黒うさぎシャデラク』(1953)、
子猫の遍歴(?)物語『びりっかすの子ねこ』(1961)、
少年と年寄り馬との交流を描く『丘はうたう』(1962)、
全米図書賞を受賞した『ペパーミント通りからの旅』(1968)
など多くの作品がある。1962年に国際アンデルセン大賞を受賞。
『びりっかすの子ねこ』中村妙子訳 偕成社 1966
『ぼくの黒うさぎシャデラク』中村妙子訳 偕成社 1965
『白ネコのぼうけん旅行』中山知子訳 偕成社 1966
『コウノトリと六人の子どもたち』遠藤寿子訳 岩波書店 1967
『運河と風車とスケートと』白木茂訳 あかね書房 1965
『いぬがやってきた』白木茂訳 講談社 1969
『キャンディいそいでお帰り』高杉一郎訳 講談社 1969
『しあわせをもってくるあひる』高杉一郎訳 講談社 1969
『六十人のおとうさんの家』中村妙子訳 講談社 1971
『ペパーミント通りからの旅』足沢良子訳 講談社 1978
『海べの塔』中村妙子訳 講談社 1980
『青い目のネコと魔女をおえ』黒沢浩訳 文研出版 1980
『デルクと愛犬ベロ』土井耕訳 文研出版 1970
『ジムのおばけキャベツ』白木茂訳 文研出版 1974
『ちびスカンクの大ぼうけん』白木茂訳 文研出版 1976
『ビリーと雄牛』白木茂訳 旺文社 1970
『丘はうたう』脇明子訳 福音館書店 1981
というわけで今日の記憶を辿る思い出し日記はおしまい
いい夢見ろよ。
あい