(みそも悪かないね)
博多にいるとラーメンはやっぱりとんこつなのだが
去年なんとなく味噌ラーメンを食べたら
これが妙に美味しかった、まあとんこつだろうが
味噌だろうが醤油だろうが美味い店の美味い麺は美味い
しかし麺好きのるるは、本当はうどん党であるのだが
うどん屋はるるが博多に来た18年前に比べると
沢山出来ていると思う、だが美味い店は少ない
博多のうどんは「かろのうろん」が有名でちょっとやわらかめ
讃岐うどんはちょっとこしがありすぎるのである
この2つの中間よりちょっと固めのつるつる麺が好みである
刻みおくらになめたけと、とろろ芋とかつをブシを麺にのせ
てんかすとねぎも忘れずに、真ん中に温泉卵か生卵を割って
あつ~い出汁をかけてまぜまぜして食べる
スタミナぶっ掛けうどんに一時はまりました。
それにあま~く炊いた三角のおあげさんがのったきつねうどん
関西風の出汁でね、定期的に食べたくなります。
「人類は麺類」のチキンラーメンやカップめんの生みの親
日清食品の安藤百福氏が5日に96歳で亡くなった
ご冥福を祈りつつ、これからもチキンラーメンを愛します
チキンラーメンには小さい頃からお世話になってきた
おやつにぽりぽりかじっていたこともあるが
お湯を注いで3分待たずにちょっと固いところを残して
食べるのが好きだ卵を入れるときは3分待つが
キャベツやねぎやのりを入れると豪華版の1食となる
昨日の新聞のみやげ話というコラムに香港に行った博多の記者が
四川料理の店で食事の後デザートを頼もうとしたら、その店の社長が
うちの坦々麺を食べてみてください、と言われ料理を沢山食べた
後だったが、注文して食べたらこれがめちゃめちゃ美味しくて
2種類2杯もの坦々麺をデザート代わりにたいらげて、社長に
「人生で一番美味しかった!」と言ったらしい、しかし言ってから
「しまった!俺のからだの半分は博多ラーメンで出来ている!」
博多に帰ってきてラーメンを食べ食べ浮気をあやまりつつ、でも
どっちも美味いと・・・そんな感じの話である。
坦々麺といえば博多大丸の地下に坦々麺を、創めて日本風に汁ありにして
広めたという陳建民氏の息子?の店があってるるの友達の天竺会会長の
チョさん(日本人です)がここの坦々麺が大好物なのだが
かなり頻繁に通っていたため、この坦々麺屋から、なんと年賀状が来た
というからすごい(笑)
「担担」のうち、前の「担」は「(荷を)担ぐ」の意、後の「担」は
「(天秤棒で担ぐ)荷物」を意味し、元来、天秤棒で担いで売り歩いたために
この名があり、具や味付けについていう言葉ではないが、四川風の花椒
(山椒の一種)と唐辛子と少量の芝麻醤(油で練ったゴマ以下芝麻醤)を
利かせた少なめのたれに、ゆで麺を入れ、豚肉のそぼろとネギなどを載せた
スタイルのものが一般的である
歴史は1841年ごろ、四川省自貢の陳包包というあだ名の男が考案して
成都で売り歩いたと言われる。もともとは、天秤棒の片側に七輪と鍋を
もう一方に麺や調味料などを吊して、担いで売り歩いた。
鍋はまん中に区切りがあり、片方には具を、片方には湯を入れるように
していた。暖かく、辛い麺を出したのが受けて流行ったという。
本来の漢字で書くと「擔擔麪」だそうで「担」は「擔」の
「麵」は「麪」の発音を示す部品を取り替えて生まれた俗字で
「麺」は「麵」の偏を崩しているとあった。
簡体字では「担担面」と書くが、「面」は「麵」の偏を取ってしまった
字である。
日本語では「担担麺」と書くのがもっとも一般的だが、日本の繰り返し符号を
使って「担々麺」と書く事も多い。『ウィキペディア(Wikipedia)』参照
本場の坦々麺も一度食べてみたいが、香港の坦々麺は日本と中国の中間の
いい感じのがあるとかなので、先ずは香港坦々麺からにするのが良かろう
あっでもうどんも忘れていないからね
るるの身体の半分はつるつるうどんでできているのだから。