RURUのひとりごっち

「博多にわか」な「独り言」と「ごちそうさま」を鍋に放り込んでなんだか煮てみたら・・・ひとりごっちが生まれました。

新築中なのに修復する建築に眠る人

2007-01-14 00:43:33 | すっきゃねん

(グエル別邸の装飾・くっ食われる)  (ヴィラ「エル・カプリチョ」)

「スペインに行きたい
と新婚当初
旦那もしくは自転車男に言うと
「つれてっちゃる
と言うから
「いつ
って聞くと
「2年以内に
と言ったのに
あれから19年年以上経ってしまった
もうそんな発言があったことさえ
忘れているに違いない

スペインとギリシャはやっぱり行ってみたい
バルセロナに行って、アントニオ・ガウデイの建築を見に
行きたいというあらゆる分野のデザイン屋は多いと思うが
るるにしたって8年近くも建築学科などという場所に暮らしたのだから
アントニオ・ガウデイの建築空間に実際に浸ってみたいし体験したい
と思うのは、まあいたって普通なのだと思う。
あの奇跡的な建築たちがこの世に生み出されたのは

グエル氏という人物があの時代に存在したからでもある

エウセビオ・グエルという人は今で言う御曹司(繊維業者の)であり
父親の莫大な遺産を相続するのだけれど、高い見聞と経営者の才覚と
加えて芸術の造詣に深く、慈悲深い人で、気取らず、人当たりもよく
性格もよく、酒タバコはやらず、有り余る財を持っていても、質素な
服装をまとう倹約家でもあったという。
・・・・そんな人本当にいるのね。
そして、その財産を多くの芸術家や
文化人保護の為につかったとさ
ピカソなんかもその中にいたって。

これは、るるが大学生の頃にガウディの特集の建築雑誌を買って
読んでいたら、彼の生涯のことについて書かれていて、
グエル氏はガウディのパトロンとして彼を擁護していたが、
晩年の敬虔な宗教家としてのガウディは
この信心深い祈祷家のグエル氏からの感化であると書かれていた。
ふ~むなるほど

若い頃のガウディは進歩的な自由主義者で
「仕事を愛し金持ちになること」を目指し
ダンディで美食家だったという。
晩年のなりふり構わず、建築現場へ泊り込んで
乞食と間違われて死んでいく
というまるで違う2重像のガウディであったのは

グエル氏のことをガウディは
「彼こそ本当のセニョールです。本当のセニョールというのは
優れた感性、優れたマナー、優れた地位の持ち主のことで、
何もかもが優れている為羨望を知らず、また何人も彼を困らせ
ようとせず、更には彼は取り巻きの人びとの才能の発揮を好意
を持って見守る人であるのです・・・メディチ家の人というの
はこういう人だったのでしょう」
と語ったと言う。

そんな自由主義者の若いガウディが驚くべきことに
実に43年間もサグラダ・ファミリア教会の建設に費やし、
1926年6月10日
電車に接触された時は乞食とみまちがえられ、とおりがかりの
タクシーすら病院へ運ぶことを拒んだらしい、すでに何年も
サグラダ教会に寝泊りし、結婚もしない生涯を終えた。
一つには第一次大戦と世界恐慌のせいでもあったのだけど。

そのサグラダ・ファミリア教会も彼が逝った時点では全体計画の
10分の1ばかりが出来たところだったが、今なお作られ続けている。
1883年彼が教会の主任建築家に任命されてから、124年にもなるが。
没後13年目にサグラダファミリア聖堂に埋葬されたと言うから
今もこの教会の建設を見守り続けているに違いない。

完成は予測では2026年ごろらしい、けれど建築と同時に修復をして
いると言うから、出来上がった時に新築とは呼べないんだろうなあ
もう完成なんて目指さずに、200年でも300年でも、作り続けて
いて欲しい気もするが・・・。


(グエル公園)

彼のデザインは「自然こそわが師」であると言う
病弱で6歳の頃リュウマチに罹り、生家の「釜師の庵」で
過ごした日々に親しんだ、木々や草花や、小動物や昆虫との
ふれあいと観察が大きく影響しているらしい
そして両親ともに金属関係の細工師という
職人の家に生まれたことも

いまじゃバルセロナの観光の目玉が
ガウディ。巡りらしいが・・・。
それはそれとして
やっぱり空間は体験しないことには語れんもんね。
い・き・た・い