のんびりばあちゃん奮闘記

毎日追われるような慌ただしさはとうに卒業しているのにのんびりできていない私の奮闘日記です。

17年ぶり?

2022-12-12 22:51:49 | 日記
彼女たち35歳になっていた。
卒業後会っていなかった。
名古屋に嫁いだ子のママが亡くなったときにママにお別れに来て!と
いわれて通夜に駆けつけた。母子家庭で塩尻市から入学してきた子。
その時友人のA子が受付していた。
その時のA子が発起人。
卒後17年途中何回か会いたいとお誘いがあったが何となくスルーしていた。
私は病気で外出できないのかと思われていた様子。
単位制の高校となって1期の入学生徒。
235通りの時間割があった。
クラスルームとしての居場所のない学校がスタートした。
人とかかわりがなくて済むと思って入ってきた生徒がたくさんいた。
そういう子は保健室大好きだった。
こっち向いてこっち向いてとばかり次々とやらかしてくれる。
自死念慮の強い子が多かった。
ドクターヘリで運ばれたこともあった。
そんなそんな大変な時期を3年間見守った。
彼女たちの卒業を待って私は転勤希望を出した。
あと5年そのままいてもよかったが区切りをつけた。
名古屋に嫁いだ子は家出や不登校を繰り返し単位が足りず
半期遅れて卒業した。一人だけの卒業式にも駆け付けた。
ある意味疫病神のような存在の子たちだった。
過ぎてみれば立派な大人になっていた。
もう自分たちの足で歩んでいる。
母親になっている。
彼女たちのパートナーに感謝である。
「私たちには保健室しかなかった。」という。
私、保健室の先生(養護教諭)をしていました。



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