盛夏の季節、天候不順のこの頃

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第37回上尾市美協展開催

「母の死」肉親の母!

2012-09-09 08:51:18 | 別れ
「母の死」肉親の母!
私の母が、2012年9月1日、午後2時半に群馬の自宅にて98歳で亡くなりました。







第一次世界大戦1914年 翌年の大正4年に生まれ、父(故、町田六郎99歳)と戦中、戦後の厳しい経済状況の中、
男6人を育て乍ら生き抜いてきた、「上州のかかあ天下の女性かも、、、」

両親は、価値観が違い気性も異なるが、結局のところ仲がよく、貧乏家族のなか「よくぞ子供を育てあげた」と思って
います。(尊敬の念は、生涯忘れません。)












9月4日の伊勢崎市「さかい聖苑」での告別式は、“人生を改めてみつめ、又あらたな一歩を確り踏んで生きて
いこうと決心しました。



母の性格は、決断力・行動力があり負けず嫌い。生前の母は、「子供の頃から走るのが早く学校の代表選手で他校へ
行って走っても負けたことがない」とか聞いていました。



また、町内のゲートボール大会で90歳になってからも優勝したとか笑顔で話し手いた時のことが今になると印象的です。
 私が小学時代には、「洋裁」の仕事から「酪農」となっていました。












乳牛のホルスタイン種を北海道から買い一時は、10頭ほど飼い牛乳を出荷しての生計でした。
酪農経営は、母が先頭たっての仕事でした。私の小学生時代の朝は、牛に餌を与えて利根川の河原に牛を繋ぎ、
そして牛舎を掃除してからの通学でした。(その為、いつも遅刻して小学校の先生からチョッピリ注意をうけて、、、)


当時、私の家族10人でした。みな元気で生きて来られたのは、ホルスタインの牛乳を小学、中学時代に毎日一杯
飲めたからだと感謝をしております。













一年前より、実家(群馬)に行き母と話をしてきましたが確りした会話は出来ませんでしたが、母の笑顔と体に触れる
ことが出来たのが、私にとっては大きな生き甲斐でした。


しかし、いざ肉親の母が亡くなってしまうと、とても淋しい気持ちです。
これからも「今日と言う日を大切にして、生きて行きたいです。」  


人間の一生涯は、本当に短い時間だと思います。
これからも、「一日いちにちを大切にして、好きな絵を描いていきたい」と思います。



(アルベルト譽)



いつも笑顔の長谷川隆一氏との別れ(お通夜に)

2011-04-25 21:31:53 | 別れ
いつも笑顔の長谷川隆一氏との別れ(お通夜に)
上尾市、画荘「野口屋」の長谷川隆一氏が平成23年4月19日午前11時25分心筋梗塞
のため68歳で逝去いたしました。


                  



ご親戚、友人 知人 美術関係者等、約数百人のご参列のもとで儀 葬儀が下記のとおり行われ
ました。
 私は、上尾市美術家協会を代表してお通夜に参列いたしました。



            



           記
お通夜: 4月24日(日) 午後 6時より
告別式: 4月25日(月) 午前 11時30分
所在地 :上尾伊奈斎場 つつじ苑
     上尾市瓦葺150 (電話)048-720-7870

喪主 : 長谷川陽一氏







                         





 上尾市美術家協会では、長谷川隆一氏に長年に亘り、上尾市美術家協会展はじめ、
街角美術館等の開催に際し、多大のご支援とご協力を頂きましたこと生前のご厚誼を
深謝いたしますとともに謹んで哀悼の意を表します。
                                 美協会長 町田譽曽彦

 (アルベルト譽)


白門43会、松本光雄さんのお通夜、告別式

2009-06-27 09:23:11 | 別れ
<訃報お知らせ>
白門43会役員の皆様
 中央大学学員会白門43会幹事役員の松本光雄さん(昭和43年法学部卒業)
が平成21年6月26日、午前8時25分。川崎市立井田病院において、膵臓癌で
お亡くなりになられました。
慎んでお悔やみ申し上げます。
                              (白門43会会長 正野建樹)
お通夜、告別式は下記のとおりです。
【喪主】松本良枝
【通夜】6月27日(土)  午後6時~7時   於、塩谷寺
【告別式】6月28日(日) 午前11時~12時 於、塩谷寺
【住所】神奈川県横浜市港北区高田西4丁目34-26
【電話】045-592-2406

【交通のアクセス】
 東急東横線 日吉駅よりタクシーで15分
 東急東横線 綱島駅よりタクシーで15分
 横浜市営地下鉄 高田駅より徒歩15分
 横浜市営地下鉄 東山田駅より徒歩15分

2007年(2年前)、松本光雄さんとの思い出、、、
<中央大学海外留学生との集いに参加して>
去る6月29日(日)東京.赤坂プリンスホテルクリスタルパレス新館2階にて
(14時半~17時半)


 


第15回中央大学に学ぶ留学生と学員との国際交流の集いが盛大に開催
されました。
中央大学学員会「留学生との集い」は、年次支部協議会の決議によりHome
Coming Day とは切り離し、独立して開催することとなりました。





主催は中央大学学員会.学員会年次支部協議会、企画運営が白門三九会.
白門40年次実行委員会でした。
白門43会より、常任幹事の倉田隆次さんと松本光雄さんと町田譽曽彦が参加
しました。

テーマは<互いに語り合い真の国際交流を深めよう>地球の平和.環境.友情
中央大学の「心」に触れる。
 参加者は450名(留学生250名、学員200名)国別留学生では中国、韓国、
タイ、ヴェトナム、フィリピン、ドイツ、フランス、オーストラリア、イギリス、スエーデン
など26ヶ国でした。

その中で中国と韓国の学生が大変多く目立ちました。
(5月1日現在、中央大学海外留学生は668人)


「歓迎式典」はまず企画運営の白門三九会支部長の園田浩幹さんの元気の良い
挨拶で始まりました。


学生時代応援団長で喉を鍛えた声で会場の留学生に力強く語りかけました。


続いて中央大学学員会大西会長、学校法人中央大学阿部理事長、中央大学角田
学長による挨拶がありました。

「特別講演」では中央大学外国人留学生会、元委員長の呂金禄さんの兵役を終えて
から仕事を勤めの人生体験談を入れた熱弁が時間を忘れ続きました。


そして、「歓迎セレモニー」校歌.応援歌長澤応援団長、「交流レセプション」中央大学
国際交流センター小林所長、そして「さよならセレモニー」で閉会となりました。


白門43会の28番テーブルは中国からの留学生6名と北区支部長の手塚正雄さん白門
43会の倉田隆次さん、松本光雄さんと町田譽曽彦でした。


アルコールが入ると中国留学帰りの倉田さんが可愛い女性にモテモテだったのが印象的
でした。

写真、後方中央のメガネをかけているのが松本光雄さまです。
    (尚、前列、右から2人目が町田譽曽彦)
この「留学生との集い」は4年後に白門43会の手で企画運営をすることになるかもしれない
と会場の雰囲気と空気を確かめながらデジカメに収めました。


今後もこの会が箱根駅伝の襷のように引き継がれ留学生との懇親と交流の場、そして留学生
同士の出合いとなり卒業後には「日本のよき理解者になれば」と祈念して地下鉄の赤坂見附
に向かいました。                         (記 町田譽曽彦)


「最後の交信記録」
----- Original Message -----
From: 町田譽曽彦
To: mitsuo matsumoto
①Sent: Thursday, May 28, 2009 9:14 PM
Subject: 松本さん お元気ですか、、、町田譽曽彦
 さえない、5月の連休でした。
5月2日入院、2週間後に退院。
大腸憩室出血 とか、、、
どこの病院も休診。でも、かかりつけの
大宮日赤で止血。
どうにか回復し、絵を描き始めました。
                町田
〒362-0075上尾市柏座1-4-22
上尾洋画研究所
事務所電話/FAX 048-771-3911
メール: yosohiko@jade.plala.or.jp


②<2009・5・29 19:36 松本光雄さまからのメールの返信>
 町田さん
大変でしたね。お大事にしてください。
私も一進一退ですが、抗癌剤の投与も最後となりました。8月一杯
に治療が終わる予定です。機会がありましたら一度お会いしたい
ものですね。                         松本光雄

平成21年6月26日、午前8時25分。川崎市立井田病院において、
膵臓癌でお亡くなりになられました。


<お悔やみ>
松本光雄様のご逝去の報に接し、謹んで哀悼の意を捧げます。
在りし日のお姿を偲び、心よりご冥福をお祈りいたします。
一日も早く悲しみの中から立ち直られますように、祈念してやみま
せん。
2009年6月27日
                    二科会埼玉支部同人
                    日本美術家連盟会員
                    上尾現代作家協会代表
                          町田譽曽彦
松本良枝 様

(アルベルト譽)