<阪神淡路大地震体験>
私が「白門43会総会」での講演のメモ
平成16年7月3日(土)
中央大学学員会白門43会第10回総会開催
会 場:新宿駅東口マイシティー内 ザ・バンケット
出席者:60名余
講 演:町田譽曽彦
演題「いざというときの準備」 どうぞ、ご参考にしてください
1.地震が発生したらまず家族と親友への連絡確認が大切です。
2. 築40年以上の古い家は、屋根瓦の重みに耐え切れず瞬時に
つぶれて即死!
マンションは2階から3階にかけて被害が非常に大きかったです。
3. 大震災後は、道路が地割れになり自動車の通行は殆ど無理に
なります。
神戸の灘区 六甲道附近
4. 震災見舞いと救援物資は、付き合いのない人から多く届きした。
5. 大震災の夜のこと避難所の校庭は、家が全部燃えてしまった人
や全壊の人達はみな笑顔で話をしていました。“命が一番”
6. お風呂の水は抜かない夜流さずに、翌日まで残すようにすると良
いです。
7. 地震で壊れてしまうような大切な物は箪笥やサイドボードの上に
置かないようにすると良い。また、家具が倒れないように針金などで
固定するのも一考。
8. 日頃から隣近所の人との会話をしておく事がとても大切です。
地震の時には色々と助けられる事が多くありました。
9. 震災時には、自動車の鍵は特に注意してかけておくことが大切
です。
二次災害での火災で、、
10. 食器は、“ラーメン”どんぶりと箸があればとりあえず不自由しま
せんでした。
11. 震災後、冬の寒い中で冷たい弁当、40日間 ! 暖かいご飯と
味噌汁が食べたくて、、、
12. 震災1ヶ月後に社宅に入れました。チャーターバスで芦屋の寮
から三宮まで60分以上かかり通勤。
13. 仮設のトイレでの生活、マンションの前の庭が共同仮設トイレと
なりました。
(ブルーテントは、震災後の仮設住宅を思い出します。)
家の中に祖母と子供がいます、、、救出作戦
14. 路上には救援物資の衣類・食器・ジャンバー・セーターなどが
むしろの上に、、、
15. 名古屋から2人の学生さんが夜に自動車で沢山の“むすびを
トランク”に入れボランテア活動を!
16. 余震が続き恐怖感が増幅し夜になると部屋は暗くて、、、今でも、
部屋が暗いと震災を思い出し怖くなり部屋の蛍光灯を全部つけて明るく
、、、お風呂は1ヶ月で2回“余震が続く暗い部屋での30日間、郵便物
はすべて郵便局止まりでした。
父、この地に眠る 掘り起こしに注意 墓標と建て看板が、、、
17. 救援の品は水、下着、靴下、食料、携帯ラジオ.ガスコンロ(ガス
ボンベ)・ビタミンなどと心のこもった手紙が、、、
18. 震災の義捐金を貰うのは一日がかりでした。マンション全壊の
“罹災証明”を区役所で貰って義捐金を頂きました。
19. 神戸ポートランドは、液状化現象でしばらく地面がフカフカに、、
20. 救援隊が救助犬をつれて灘区に最初に来たのが地震発生から
3日目でした、すでにつぶれた家の住人は死んでいたかも知れません。
21. 地震後、2日で灘区のJR六甲道駅付近は家が90%全焼して
しまい焼け野原となてしまいました。「父、この地に眠る!」「母この
下に眠る、掘り起こしに注意!」の墓標がいたる所に見られました。
地震で辺りは不気味な風景、しかし六甲の山並みは変わらず
22. 六甲の山並みと神戸港の美しさは地震の前と変わらず、しかし
地震で壊れた街と自然の美しさが対照的に脳裏に残りました。
“国に敗れて山河あり”
23. 震災後、神戸では途切れることなく救急車・消防車そして、
警察のサイレンが続いていました。東京でサイレンの音を聞くと神戸
の震災をすぐ思い出します。
黒焦げのビル 今日からどう生きていけば、、、
何も無し 「食 水 電気 連絡手段も不通、、、」
24. 大地震を想定して、いろんな大切なデータのバックアップの
再点検が必要です。
25. 震災後、3ヶ月経ってやっと灘区の全壊マンションからライフラ
イン完備の新神戸駅前のマンンションに移ることが出来ました。とに
かくライフラインが確保できれば、、、
26. 心の持ち方で人生楽しくも生きられる事を教えてくれました。
陽当りが悪いマンションでしたが、、、人間は心の持ち方で人生を楽しく
も生きられる事を震災が教えてくれました。
これからも震災の体験を風化させずに、語りつぎ生きて行きたいと考え
ています。
(アルベルト譽)
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