盛夏の季節、天候不順のこの頃

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第37回上尾市美協展開催

二科展出品の油絵 NO.3 小樽の運河50号

2007-03-31 06:59:45 | インターネット美術館
小樽の運河は、小樽のシンボルとして大正12年に完成。
日本、札幌の国際貿易港として、北海道経済の要となり栄えてきた
ようです。
その繁栄の名残をとどめる歴史的建造物が沢山あり、倉庫レストラン
街など観光スポットとなっております。


二科展入選 滞船(小樽の運河)F50 町田譽曽彦(制作:30才代)





私は、石川啄木の足跡を訪ねて、詩と歴史を肌で感じ絵が描ければと
何度も足を運びました。

   小樽の運河



<町田譽曽彦油絵展>予告
   風景100号~50号大作を30点余展示
 会期 平成19年6月28日(木)~7月4日(水)
 時間 午前10時~午後7時   (入場無料)
  (但し、28日は午後1時より最終日は午後5時まで)
 会場 上尾市民ギャラリー
 高崎線上尾駅東口前、アリコベールサロン館2階
 (市民ギャラリー 所在住所 )

公式サイトはこちらから
上尾市美術家協会洋画部サイトはこちらから
伊勢崎商業高校広瀬会サイトはこちらから

二科展出品の油絵 NO.2 早春の小樽 100号

2007-03-30 05:15:47 | インターネット美術館
海と船が好きで、よく北海道にも取材旅行に出掛けました。
特に、小樽の運河のうらぶれた風景が描きたくて、、、

広い北海道の中で、小樽駅周辺、支笏湖、洞爺湖、函館など
に数え切れないほど写生に行きました。若くてバイタリテイが
あったようにも思えます。


取材旅行の時は、いつもカンバスは6号から15号を持って行
き現場で描いています。その場の自然の空気を描きたいから
です。

 早春の小樽F100 第61回二科展入選(1976年) 町田譽曽彦(制作:30才)



この「小樽の運河」100号は、写生で描いたものをもとにして、
アトリエで制作した油絵です。
特選候補に残り、最後まで残ったが惜しかったとか、、、
                          (故、斉藤三郎先生)



東京・上野公園内の東京都美術館での、二科展に展示されました
作品。
今、当時の制作過程を思いだすと余り時間をかけずに作品が出来
上がったような記憶があります。



きっと、肩の力を抜き描いたことが良かったように思えます。
しかし、絵の中でマチエールを効かせた部分とカンバスの布地を活
かすところのバランスはとても難しいものです。


<町田譽曽彦油絵展>予告
   風景100号~50号大作を30点余展示
 会期 平成19年6月28日(木)~7月4日(水)
 時間 午前10時~午後7時   (入場無料)
  (但し、28日は午後1時より最終日は午後5時まで)
 会場 上尾市民ギャラリー
 高崎線上尾駅東口前、アリコベールサロン館2階
 (市民ギャラリー 所在住所 )

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二科展出品の油絵 NO.1 街角50号

2007-03-29 07:37:02 | インターネット美術館
私の20才代からの二科展・埼玉県展・三越個展出品の油絵など
をアップ致します。どうどご覧下さい。


NO、1 街角 F50 二科展入選 町田譽曽彦(制作:20才代)



日本での東京オリンピックが昭和39年でした。その後、日本経済は
昭和40年不況に突入しました。
東京証券取引所市場1部の上場企業の倒産、証券不況で世の中が
暗くしばらく不況が続きました、、、


学生達の就職は、閉ざされた状態で「就職難」の時代でした、、、
中学生の校内暴力が多発し、女子の先生は頭を悩ませていたようで
す。
その為か、中学の男子の先生は引く手あまたでした。
私は、教員を目指して「教職課程」をとり都内の紅葉川高校で教育実
習を「無津呂先生」にお世話になったこと思い出します。
しかし、絵描きになりたくて、諦めました。



そんな風景を街角で探し、制作したものです。
 サラリーマンが、仕事のストレスなど勤め帰りに駅前などの屋台で
酒を飲み発散している光景を良くみました。 手前にコーラの空き缶
などが、、、                         
                                 
<町田譽曽彦油絵展>予告
 風景100号~50号大作を30点余展示
 会期 平成19年6月28日(木)~7月4日(水)
 時間 午前10時~午後7時   (入場無料)
  (但し、28日は午後1時より最終日は午後5時まで)
 会場 上尾市民ギャラリー
 高崎線上尾駅東口前、アリコベールサロン館2階
 (市民ギャラリー 所在住所 )


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地震、 父、この地に眠る!掘り起こしに注意の墓標が

2007-03-28 21:37:31 | 地震
<阪神淡路大地震体験>  
   私が「白門43会総会」での講演のメモ
  平成16年7月3日(土)
  中央大学学員会白門43会第10回総会開催 
  会 場:新宿駅東口マイシティー内 ザ・バンケット
  出席者:60名余
  講 演:町田譽曽彦 
  演題「いざというときの準備」 どうぞ、ご参考にしてください
1.地震が発生したらまず家族と親友への連絡確認が大切です。
2. 築40年以上の古い家は、屋根瓦の重みに耐え切れず瞬時に
つぶれて即死!
マンションは2階から3階にかけて被害が非常に大きかったです。
3. 大震災後は、道路が地割れになり自動車の通行は殆ど無理に
なります。


   神戸の灘区 六甲道附近



4. 震災見舞いと救援物資は、付き合いのない人から多く届きした。
5. 大震災の夜のこと避難所の校庭は、家が全部燃えてしまった人
や全壊の人達はみな笑顔で話をしていました。“命が一番”
6. お風呂の水は抜かない夜流さずに、翌日まで残すようにすると良
いです。
7. 地震で壊れてしまうような大切な物は箪笥やサイドボードの上に
置かないようにすると良い。また、家具が倒れないように針金などで
固定するのも一考。
8. 日頃から隣近所の人との会話をしておく事がとても大切です。
地震の時には色々と助けられる事が多くありました。
9. 震災時には、自動車の鍵は特に注意してかけておくことが大切
です。

     二次災害での火災で、、




10. 食器は、“ラーメン”どんぶりと箸があればとりあえず不自由しま
せんでした。
11. 震災後、冬の寒い中で冷たい弁当、40日間 ! 暖かいご飯と
味噌汁が食べたくて、、、
12. 震災1ヶ月後に社宅に入れました。チャーターバスで芦屋の寮
から三宮まで60分以上かかり通勤。
13. 仮設のトイレでの生活、マンションの前の庭が共同仮設トイレと
なりました。
(ブルーテントは、震災後の仮設住宅を思い出します。)

    家の中に祖母と子供がいます、、、救出作戦





14. 路上には救援物資の衣類・食器・ジャンバー・セーターなどが
むしろの上に、、、
15. 名古屋から2人の学生さんが夜に自動車で沢山の“むすびを
トランク”に入れボランテア活動を!
16. 余震が続き恐怖感が増幅し夜になると部屋は暗くて、、、今でも、
部屋が暗いと震災を思い出し怖くなり部屋の蛍光灯を全部つけて明るく
、、、お風呂は1ヶ月で2回“余震が続く暗い部屋での30日間、郵便物
はすべて郵便局止まりでした。 
            

 父、この地に眠る 掘り起こしに注意 墓標と建て看板が、、、





17. 救援の品は水、下着、靴下、食料、携帯ラジオ.ガスコンロ(ガス
ボンベ)・ビタミンなどと心のこもった手紙が、、、
18. 震災の義捐金を貰うのは一日がかりでした。マンション全壊の
“罹災証明”を区役所で貰って義捐金を頂きました。
19. 神戸ポートランドは、液状化現象でしばらく地面がフカフカに、、
20. 救援隊が救助犬をつれて灘区に最初に来たのが地震発生から
3日目でした、すでにつぶれた家の住人は死んでいたかも知れません。
21. 地震後、2日で灘区のJR六甲道駅付近は家が90%全焼して
しまい焼け野原となてしまいました。「父、この地に眠る!」「母この
下に眠る、掘り起こしに注意!」の墓標がいたる所に見られました。


地震で辺りは不気味な風景、しかし六甲の山並みは変わらず




22. 六甲の山並みと神戸港の美しさは地震の前と変わらず、しかし
地震で壊れた街と自然の美しさが対照的に脳裏に残りました。 
“国に敗れて山河あり”
23. 震災後、神戸では途切れることなく救急車・消防車そして、
警察のサイレンが続いていました。東京でサイレンの音を聞くと神戸
の震災をすぐ思い出します。 
         



     黒焦げのビル 今日からどう生きていけば、、、
     何も無し  「食 水 電気 連絡手段も不通、、、」




24. 大地震を想定して、いろんな大切なデータのバックアップの
再点検が必要です。
25. 震災後、3ヶ月経ってやっと灘区の全壊マンションからライフラ
イン完備の新神戸駅前のマンンションに移ることが出来ました。とに
かくライフラインが確保できれば、、、
26. 心の持ち方で人生楽しくも生きられる事を教えてくれました。
陽当りが悪いマンションでしたが、、、人間は心の持ち方で人生を楽しく
も生きられる事を震災が教えてくれました。



これからも震災の体験を風化させずに、語りつぎ生きて行きたいと考え
ています。
                                 
(アルベルト譽)

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地震! いざというときの準備、、、

2007-03-26 07:32:14 | 地震
   <阪神淡路大地震体験>  
   私が「白門43会総会」での講演のメモ
  平成16年7月3日(土)
  中央大学学員会白門43会第10回総会開催 
  会 場:新宿駅東口マイシティー内 ザ・バンケット
  出席者:60名余
  講 演:町田譽曽彦 
  演題「いざというときの準備」

  どうぞ、ご参考にしてください

1.地震が発生したらまず家族と親友への連絡確認が大切です。
2. 新築40年以上の古い家は、屋根瓦の重みに耐え切れず瞬時に
つぶれて即死!
マンションは2階から3階にかけて被害が非常に大きかったです。



3. 大震災後は、道路が地割れになり自動車の通行は殆ど無理に
なります。
4. 震災見舞いと救援物資は、付き合いのない人から多く届きした。
5. 大震災の夜のこと避難所の校庭は、家が全部燃えてしまった人
や全壊の人達はみな笑顔で話をしていました。“命が一番”

灘区 六甲道付近(当時、私が住んでいたところ)

6. お風呂の水は抜かない夜流さずに、翌日まで残すようにすると良
いです。
7. 地震で壊れてしまうような大切な物は箪笥やサイドボードの上に
置かないようにすると良い。また、家具が倒れないように針金などで
固定するのも一考。
8. 日頃から隣近所の人との会話をしておく事がとても大切です。
地震の時には色々と助けられる事が多くありました。
9. 震災時には、自動車の鍵は特に注意してかけておくことが大切
です。



10. 食器は、“ラーメン”どんぶりと箸があればとりあえず不自由しま
せんでした。
11. 震災後、冬の寒い中で冷たい弁当、40日間 ! 暖かいご飯と
味噌汁が食べたくて、、、
12. 震災1ヶ月後に社宅に入れました。チャーターバスで芦屋の寮
から三宮まで60分以上かかり通勤。
13. 仮設のトイレでの生活、マンションの前の庭が共同仮設トイレと
なりました。
(ブルーテントは、震災後の仮設住宅を思い出します。)



14. 路上には救援物資の衣類・食器・ジャンバー・セーターなどが
むしろの上に、、、
15. 名古屋から2人の学生さんが夜に自動車で沢山の“むすびを
トランク”に入れボランテア活動を!
16. 余震が続き恐怖感が増幅し夜になると部屋は暗くて、、、今でも、
部屋が暗いと震災を思い出し怖くなり部屋の蛍光灯を全部つけて明るく
、、、お風呂は1ヶ月で2回“余震が続く暗い部屋での30日間、郵便物
はすべて郵便局止まりでした。 
            



17. 救援の品は水、下着、靴下、食料、携帯ラジオ.ガスコンロ(ガス
ボンベ)・ビタミンなどと心のこもった手紙が、、、
18. 震災の義捐金を貰うのは一日がかりでした。マンション全壊の
“罹災証明”を区役所で貰って義捐金を頂きました。
19. 神戸ポートランドは、液状化現象でしばらく地面がフカフカに、、
20. 救援隊が救助犬をつれて灘区に最初に来たのが地震発生から
3日目でした、すでにつぶれた家の住人は死んでいたかも知れません。
21. 地震後、2日で灘区のJR六甲道駅付近は家が90%全焼して
しまい焼け野原となてしまいました。「父、この地に眠る!」「母この
下に眠る、掘り起こしに注意!」の墓標がいたる所に見られました。




22. 六甲の山並みと神戸港の美しさは地震の前と変わらず、しかし
地震で壊れた街と自然の美しさが対照的に脳裏に残りました。 
“国に敗れて山河あり”
23. 震災後、神戸では途切れることなく救急車・消防車そして、
警察のサイレンが続いていました。東京でサイレンの音を聞くと神戸
の震災をすぐ思い出します。 
         



24. 大地震を想定して、いろんな大切なデータのバックアップの
再点検が必要です。
25. 震災後、3ヶ月経ってやっと灘区の全壊マンションからライフラ
イン完備の新神戸駅前のマンンションに移ることが出来ました。とに
かくライフラインが確保できれば、、、
26. 心の持ち方で人生楽しくも生きられる事を教えてくれました。
陽当りが悪いマンションでしたが、、、人間は心の持ち方で人生を楽しく
も生きられる事を震災が教えてくれました。



これからも震災の体験を風化させずに、語りつぎ生きて行きたいと考え
ています。
                                 
(アルベルト譽)

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