私は、昭和40年頃に国画会の松田正平先生に人体・石膏デッサンと
静物画の指導を4年間受け油絵の基礎を学ぶことができました。
国画会員、松田正平先生(1913-2004)の絵は、とてもユーモアが
漂っていました。静物そして、人物の「べっぴんさん」等、東京藝術大学
卒業生が描いたなど思えない油絵でした。
<晩年の松田正平先生>第16回日本芸術大賞受賞
とても、こっけいで面白く、観る人を楽しませてくれました。私は、東京・日本橋
の絵画部で毎週火曜日の夕方から2時間程度のレッスンでした。
レッスンの石膏ビーナスの時など、誰かが、松田先生に「なかなかうまくトーンが
表現できません。
その時先生曰く、笑いながら「芸大では石膏を50枚くらい描いてからでないとその
言葉はいえない」とか。言っていた言葉が思いだされます。
<木炭のよるデッサン風景>
また、「人体裸体デッサン」で卓球台の上に立たせデッサンした時など、何処から
描いてよいやら悩んだことが思いだされます。
休日を利用して、仲間と一緒に千葉県鶴舞の松田正平先生の自宅に数回、遊びに
行きました。自宅は、お寺のようなところにアトリエもあり、山の中で時々蛇やトカゲ
など出てくるとのことでした。
小学生が作ったような変形茶碗でコーヒーを頂いたことなど忘れることはありません。
松田正平先生の人間性がとても感じられました。
50才後半になり、大阪フォルム画廊が先生の作品を紹介はじめ銀座の画廊等で作品
を目にする事がありました。
<軽井沢写生会の風景>
70歳を過ぎてから描いた大きな魚など(1984年)は、その人柄がよく表現されていま
した。
松田正平先生は50歳を過ぎて世に認められた、遅咲きの洋画家です。よく、国展に白い犬
を描き出展していた記憶があります。
<絵画展の風景>先生の影響を受けた人物画・静物画が目立ちました
破顔する自画像もよく描いていていました。自画像というもののなかにあって極めて稀なもの
です。自画像をあえて描いたところに画業一途な眼差しを感じました。
島根県に生まれ、山口県の松田家に養子に出され、長じて東京美術学校に進み、昭和37年
に卒業するとパリに留学。(岡田真澄の話をよくしていました。)
昭和39年帰国してその後、東京を中心に油絵の作品制作と講師など行い国展に出品「国画会
会員」の画業生活を続けてきたようです。
中軽井沢に宿泊しての写生会 <鬼押し出しにて>
松田正平先生は、ナイフを駆使しての厚塗りから薄塗りへと転じた洋画家です。初期の作品
「風景」(1929)は後年の軽妙さはなく、ずんずんと真正面から描く対象に迫ってくる強さがあって、
興味深いものがありました。
松田正平先生の作品を思い出してみると、晩年の作品にある悟りを感じます。
若き日の作品が具現しているエネルギー的なものが内包されていて、あらためて松田正平先生
の凄さを感じてしまいました。
私の20代前半がとても懐かしく思いだされます。これからどんな作品が出来るか少年時代を思い
出しながら激しい芸術作品の凄さを出せていけたらと思っています。
松田正平先生<画 歴>
1913 島根県鹿足郡青原村に生れる
1932 東京美術学校西洋画科入学藤島教室
1935 帝展第2部会入選
1936 第1回文展入選
1937~39 渡仏
1941 国画会出品
1950 国画会会員となる
1951~86 国際具象展出品
1978 フォルム画廊(油彩展) 現代画廊(水彩画) 同時開催
1982~93 日本洋画商協同組合82年展出品 以後毎年出品
1983 松田正平画集出版記念展 銀座松坂屋(フォルム画廊主催)
1984 第16回日本芸術大賞受賞
フォルム画廊(油彩)・現代画廊(デッサン)同時開催
1985 松田正平回顧展 宇部市文化センター
香月泰男・松田正平二人展 横浜そごう
1986 宇部市特別文化功労賞受賞
1987 松田正平展 山口県立美術館
フォルム画廊(素描展) `90,`91
1988 個展 フォルム画廊 `93,`96~`99
1989 個展 宇部興産ビル
1992 松田正平・小林和作展 パレット画廊
1994 愛媛県立美術館企画展 出品
1999 「松田正平の世界」山口県立美術館
個展 パレット画廊
2004 松田正平展 宇部市文化会館
(アルベルト譽)
静物画の指導を4年間受け油絵の基礎を学ぶことができました。
国画会員、松田正平先生(1913-2004)の絵は、とてもユーモアが
漂っていました。静物そして、人物の「べっぴんさん」等、東京藝術大学
卒業生が描いたなど思えない油絵でした。
<晩年の松田正平先生>第16回日本芸術大賞受賞
とても、こっけいで面白く、観る人を楽しませてくれました。私は、東京・日本橋
の絵画部で毎週火曜日の夕方から2時間程度のレッスンでした。
レッスンの石膏ビーナスの時など、誰かが、松田先生に「なかなかうまくトーンが
表現できません。
その時先生曰く、笑いながら「芸大では石膏を50枚くらい描いてからでないとその
言葉はいえない」とか。言っていた言葉が思いだされます。
<木炭のよるデッサン風景>
また、「人体裸体デッサン」で卓球台の上に立たせデッサンした時など、何処から
描いてよいやら悩んだことが思いだされます。
休日を利用して、仲間と一緒に千葉県鶴舞の松田正平先生の自宅に数回、遊びに
行きました。自宅は、お寺のようなところにアトリエもあり、山の中で時々蛇やトカゲ
など出てくるとのことでした。
小学生が作ったような変形茶碗でコーヒーを頂いたことなど忘れることはありません。
松田正平先生の人間性がとても感じられました。
50才後半になり、大阪フォルム画廊が先生の作品を紹介はじめ銀座の画廊等で作品
を目にする事がありました。
<軽井沢写生会の風景>
70歳を過ぎてから描いた大きな魚など(1984年)は、その人柄がよく表現されていま
した。
松田正平先生は50歳を過ぎて世に認められた、遅咲きの洋画家です。よく、国展に白い犬
を描き出展していた記憶があります。
<絵画展の風景>先生の影響を受けた人物画・静物画が目立ちました
破顔する自画像もよく描いていていました。自画像というもののなかにあって極めて稀なもの
です。自画像をあえて描いたところに画業一途な眼差しを感じました。
島根県に生まれ、山口県の松田家に養子に出され、長じて東京美術学校に進み、昭和37年
に卒業するとパリに留学。(岡田真澄の話をよくしていました。)
昭和39年帰国してその後、東京を中心に油絵の作品制作と講師など行い国展に出品「国画会
会員」の画業生活を続けてきたようです。
中軽井沢に宿泊しての写生会 <鬼押し出しにて>
松田正平先生は、ナイフを駆使しての厚塗りから薄塗りへと転じた洋画家です。初期の作品
「風景」(1929)は後年の軽妙さはなく、ずんずんと真正面から描く対象に迫ってくる強さがあって、
興味深いものがありました。
松田正平先生の作品を思い出してみると、晩年の作品にある悟りを感じます。
若き日の作品が具現しているエネルギー的なものが内包されていて、あらためて松田正平先生
の凄さを感じてしまいました。
私の20代前半がとても懐かしく思いだされます。これからどんな作品が出来るか少年時代を思い
出しながら激しい芸術作品の凄さを出せていけたらと思っています。
松田正平先生<画 歴>
1913 島根県鹿足郡青原村に生れる
1932 東京美術学校西洋画科入学藤島教室
1935 帝展第2部会入選
1936 第1回文展入選
1937~39 渡仏
1941 国画会出品
1950 国画会会員となる
1951~86 国際具象展出品
1978 フォルム画廊(油彩展) 現代画廊(水彩画) 同時開催
1982~93 日本洋画商協同組合82年展出品 以後毎年出品
1983 松田正平画集出版記念展 銀座松坂屋(フォルム画廊主催)
1984 第16回日本芸術大賞受賞
フォルム画廊(油彩)・現代画廊(デッサン)同時開催
1985 松田正平回顧展 宇部市文化センター
香月泰男・松田正平二人展 横浜そごう
1986 宇部市特別文化功労賞受賞
1987 松田正平展 山口県立美術館
フォルム画廊(素描展) `90,`91
1988 個展 フォルム画廊 `93,`96~`99
1989 個展 宇部興産ビル
1992 松田正平・小林和作展 パレット画廊
1994 愛媛県立美術館企画展 出品
1999 「松田正平の世界」山口県立美術館
個展 パレット画廊
2004 松田正平展 宇部市文化会館
(アルベルト譽)
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