このブログでも21世紀の中国の行方について書いたが、今香港で起きているデモは歴史に刻まれる大きな出来事になる可能性がある。
そしてこの動きは、20世紀に国家権力に鎮圧された天安門事件のような悲劇的結末にはならないのではないか。あの当時の中華人民共和国の最高指導者は鄧小平であったが、天安門事件は彼の最大の政治的汚点であろう。鄧小平は表向き中国共産党の要職からは引退のような形で離れてはいたが、人民解放軍の指揮権を完全に掌握しており、武力行使の決断を下したことで中国歴代皇帝のような力の正義の信奉者であったことが証明された。これには心底がっかりさせられた人々は多かったはずだ。それでも共産圏の超大国ソ連が20世紀に崩壊したのとは対照的に中国は、鄧小平が敷いた経済開放路線に乗って、今や日本を抜き米国に次ぐ世界第2位の経済大国にまで成長している。鄧小平が傑出した政治家であることは認めるが、今の中国中央政府は断じて同じ轍を踏むべきではない。
今回の香港のデモは一過性の突発的なものではなく、2011年のアラブの春や、2014年に同じ香港で起きた雨傘運動からの流れを感じさせるものだ。特に雨傘運動では、当時の香港政府が導入しようとした愛国教育のカリキュラムを撤回にまで追い込んでいる。今回の抗議活動でも、香港政府に対し掲げた5つの要求のうち1つ目を公式に撤回させている。その5つの要求とは下記内容のものだ。
1. 逃亡犯条例の改正案の完全撤回
2. 市民活動を暴動とする警察と政府の見解の撤回
3. デモ参加者の逮捕、起訴の中止
4. 警察の暴力的制圧の責任追及と外部調査の実施
5. キャリーラム行政長官の辞任と民主的選挙の実現
この5つの要求のうち、最もハードルが高いのは5つ目の民主的選挙の実現になろうが、もしそれが本当に実現すれば、時間はかかるにせよ、経済開放以上のダイナミズムでいずれ中国は民主化を成し遂げるのではないか。私がこのデモで強いインパクトを受けたのは、老人男性が若者を守ろうとした姿だ。これは古代中国から社会道徳として根付いている儒教からは遊離した行動ではないか。なぜなら、儒教は秩序を重んじ、子は親の為に犠牲になるのが筋だからである。日本にも儒教的な社会通念の影響は色濃く、親孝行や年功序列などはその最たるものであろう。そこには家族や地域社会の絆や秩序を維持する良質な面も多々あるのだが、権力に悪用された場合、最大級の不幸が生じる可能性もある。また日本から死刑制度が無くならないのは儒教における刑法の論理が作用しているように思われる。
そしてこの香港のデモで特筆すべきは、リーダーらしきリーダーが存在しないことだ。それから「水のようになれ」という故ブルース・リーの言葉が活動方針になっていることにも注目したい。水は変幻自在な存在であり、インドを独立に導いたガンジーの塩の行進のように、たった一滴の水がいつしか大河に変化しやがて海へ合流するという最終形の成果は決して夢物語ではない。「USA」「ペロシ」というコールが起きていることにも衝撃を受けた。恐らくデモの参加者は、米国でカリフォルニア州地裁が移民を排斥する大統領令を差し止めたような、民主主義の本質を理解しているのだ。いかに国家の最高権力者であろうと民主主義の法を超越することはできない。米国下院議長のペロシ女史が香港のこのデモを支持していることを考えると、聡明な政治家である彼女は中国の中央政府がそう遠くない将来に、民主化に向けて大きく舵を切ることを確信しているのかもしれない。
中国が民主主義国家として、今世紀の主役に躍り出るとしたら、香港のみならずチベットやウィグルといった宗教や文化の異なる自治区を平和裡に手放すことになろう。そうなれば、国際社会はこのアジアの大国を尊敬の念を持って迎えることができるはずである。また数日前に国連で気候変動対策を要求する演説をしたグレタ・トゥーンベリさんの真剣で聡明な表情は、確実に人類の危機的現状を見抜いており、今すぐにでも軌道修正をしないと破滅が待っていることを物語っている。彼女はまだ16歳だが、目前に動かない氷山が佇立しているにも関わらず、船の進路を変えようとせず、巨大な氷山に退け!と叫んでいるような世界各国首脳の愚かさを知っているのだ。つまり、私達人類はもう待った無しで、不毛な環境破壊をやめて自然と共生するしか道がない。そして自然と共生する価値観に目覚めるには、中国古来の老荘思想は重要な役割を果たせるのではないか。前々回のブログにも書いたが、あらためて民主主義と老荘思想の融合に期待したい。
そしてこの動きは、20世紀に国家権力に鎮圧された天安門事件のような悲劇的結末にはならないのではないか。あの当時の中華人民共和国の最高指導者は鄧小平であったが、天安門事件は彼の最大の政治的汚点であろう。鄧小平は表向き中国共産党の要職からは引退のような形で離れてはいたが、人民解放軍の指揮権を完全に掌握しており、武力行使の決断を下したことで中国歴代皇帝のような力の正義の信奉者であったことが証明された。これには心底がっかりさせられた人々は多かったはずだ。それでも共産圏の超大国ソ連が20世紀に崩壊したのとは対照的に中国は、鄧小平が敷いた経済開放路線に乗って、今や日本を抜き米国に次ぐ世界第2位の経済大国にまで成長している。鄧小平が傑出した政治家であることは認めるが、今の中国中央政府は断じて同じ轍を踏むべきではない。
今回の香港のデモは一過性の突発的なものではなく、2011年のアラブの春や、2014年に同じ香港で起きた雨傘運動からの流れを感じさせるものだ。特に雨傘運動では、当時の香港政府が導入しようとした愛国教育のカリキュラムを撤回にまで追い込んでいる。今回の抗議活動でも、香港政府に対し掲げた5つの要求のうち1つ目を公式に撤回させている。その5つの要求とは下記内容のものだ。
1. 逃亡犯条例の改正案の完全撤回
2. 市民活動を暴動とする警察と政府の見解の撤回
3. デモ参加者の逮捕、起訴の中止
4. 警察の暴力的制圧の責任追及と外部調査の実施
5. キャリーラム行政長官の辞任と民主的選挙の実現
この5つの要求のうち、最もハードルが高いのは5つ目の民主的選挙の実現になろうが、もしそれが本当に実現すれば、時間はかかるにせよ、経済開放以上のダイナミズムでいずれ中国は民主化を成し遂げるのではないか。私がこのデモで強いインパクトを受けたのは、老人男性が若者を守ろうとした姿だ。これは古代中国から社会道徳として根付いている儒教からは遊離した行動ではないか。なぜなら、儒教は秩序を重んじ、子は親の為に犠牲になるのが筋だからである。日本にも儒教的な社会通念の影響は色濃く、親孝行や年功序列などはその最たるものであろう。そこには家族や地域社会の絆や秩序を維持する良質な面も多々あるのだが、権力に悪用された場合、最大級の不幸が生じる可能性もある。また日本から死刑制度が無くならないのは儒教における刑法の論理が作用しているように思われる。
そしてこの香港のデモで特筆すべきは、リーダーらしきリーダーが存在しないことだ。それから「水のようになれ」という故ブルース・リーの言葉が活動方針になっていることにも注目したい。水は変幻自在な存在であり、インドを独立に導いたガンジーの塩の行進のように、たった一滴の水がいつしか大河に変化しやがて海へ合流するという最終形の成果は決して夢物語ではない。「USA」「ペロシ」というコールが起きていることにも衝撃を受けた。恐らくデモの参加者は、米国でカリフォルニア州地裁が移民を排斥する大統領令を差し止めたような、民主主義の本質を理解しているのだ。いかに国家の最高権力者であろうと民主主義の法を超越することはできない。米国下院議長のペロシ女史が香港のこのデモを支持していることを考えると、聡明な政治家である彼女は中国の中央政府がそう遠くない将来に、民主化に向けて大きく舵を切ることを確信しているのかもしれない。
中国が民主主義国家として、今世紀の主役に躍り出るとしたら、香港のみならずチベットやウィグルといった宗教や文化の異なる自治区を平和裡に手放すことになろう。そうなれば、国際社会はこのアジアの大国を尊敬の念を持って迎えることができるはずである。また数日前に国連で気候変動対策を要求する演説をしたグレタ・トゥーンベリさんの真剣で聡明な表情は、確実に人類の危機的現状を見抜いており、今すぐにでも軌道修正をしないと破滅が待っていることを物語っている。彼女はまだ16歳だが、目前に動かない氷山が佇立しているにも関わらず、船の進路を変えようとせず、巨大な氷山に退け!と叫んでいるような世界各国首脳の愚かさを知っているのだ。つまり、私達人類はもう待った無しで、不毛な環境破壊をやめて自然と共生するしか道がない。そして自然と共生する価値観に目覚めるには、中国古来の老荘思想は重要な役割を果たせるのではないか。前々回のブログにも書いたが、あらためて民主主義と老荘思想の融合に期待したい。