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桜の花

2019-03-31 18:43:23 | 日記
今年は桜の開花が例年より早いようである。桜の花に関しては、世の中に数多ある花々の中で然程強く意識してはいなかったのだが、父の生前の言葉がきっかけで心に留まるものの一つになった。父は2005年に肝臓癌で他界。その亡くなる前年に医師へ、来年の桜の花は見れますか?と確認している。父は昭和ひと桁の生まれであり、第二次世界大戦が終結するまでは鬼畜米英のスローガンを狂信する軍国少年であった。しかし戦後にアメリカ文化が日本に流入してからは親米的に百八十度転換した。これはGHQの指導による民主主義教育の浸透もあろうが、むしろ教条的な学校教育よりもハリウッド映画とジャズ・ミュージックの影響が大きく作用したものと思われる。要はアメリカ文化に親しんだことが大きい。この為、死期を悟った父の心境に少年期の皇国史観や散る桜に高潔さを見出す武士道が蘇ったとは到底思えない。では、人生が終わる前に桜の花ともう一度再会したい理由はいったい何だったのか。これは息子の私にとっては父の最後の謎であった。ところが、ある日ある時、その謎はいとも簡単に解けた。

それは3年前の春のこと、晴天の花見での桜吹雪に遭遇した時に起こった。その桜吹雪は春の麗らかな優しい風にのって、雪というよりも無数の蝶が楽しげに宙を舞うような有様であった。かつて「沈黙の春」の作者レイチェル・カーソン女史は黄昏に舞う蝶の姿に生命の畏敬を感じたというが、それを想像させるような光景である。無論、桜の花弁は大樹という生命体から瞬間的に離れてしまったわけだか、現世に別れを告げているにも関わらず風に身を任せ切って飛ぶ姿は美しい蝶のように清々しい。恐らく父は病室の窓からではあっても、このような光景を見ることで、死の恐怖を克服できたように思う。つまり死を穏やかに受容する為に桜が必要だったのだ。昭和ひと桁生まれの男性は高度経済成長の波にのり、豪放磊落に人生を駆け抜けた人が多い。私の父も例外ではなかった。立ち止まることなく大いに人生を楽しんだ筈だが、それゆえ思い出多き現世に対する執着は強かったことも推測できる。桜吹雪と最期に再会することで、目前の死と真摯に向き合う勇気を貰えたのではないか。あの頃、父の聴覚は麻痺し、音楽を聴くことはもうできなかったが、桜吹雪を目にしながら脳裏で鳴っていたのは黒田節ではなく、大好きなデューク・エリントンの奏でるピアノの音であったのは間違いない。

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1 コメント

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Unknown (omachi)
2019-04-12 14:10:48
お腹がくちくなったら、眠り薬にどうぞ。
歴史探偵の気分になれるウェブ小説を知ってますか。 グーグルやスマホで「北円堂の秘密」とネット検索するとヒットし、小一時間で読めます。北円堂は古都奈良・興福寺の八角円堂です。 その1からラストまで無料です。夢殿と同じ八角形の北円堂を知らない人が多いですね。順に読めば歴史の扉が開き感動に包まれます。重複、 既読ならご免なさい。お仕事のリフレッシュや脳トレにも最適です。物語が観光地に絡むと興味が倍増します。平城京遷都を主導した聖武天皇の外祖父が登場します。古代の政治家の小説です。気が向いたらお読み下さいませ。(奈良のはじまりの歴史は面白いです。日本史の要ですね。)

読み通すには一頑張りが必要かも。
読めば日本史の盲点に気付くでしょう。
ネット小説も面白いです。
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