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「はらぺこあおむし」のエリック・カールさん追悼

2021-05-29 15:24:35 | 日記
今月の23日、絵本作家のエリック・カールさんが他界された。世界中で多くの人々に読まれ、親しまれた可愛い絵本「はらぺこあおむし」の作者である。この絵本の素晴らしい魅力は、シンプルでわかりやすいストーリーと鮮やかで美しい色彩だ。

カールさんは、91歳というご長命で天国へと旅立たれた。生まれはアメリカ合衆国のニューメキシコ州だが、両親はドイツ人で1935年に母国のドイツへ戻って暮らすことになった為、第2次世界大戦に遭遇している。実に波瀾万丈な展開だが、ナチスに支配された全体主義の戦時下においても、少年期のカールさんに1度だけマティスやピカソの自由に表現された絵を見せてくれた学校の先生がいたということだ。これは素晴らしい人生経験である。

テレビのニュース報道でも、カールさんの訃報が飛び込んできたが、生前のインタビューの映像では、強権的政府が人間社会から身近な日常生活の色彩さえ奪ってしまうのだという事実と、そのような戦争の時代で味わった悲しみを、戦後に絵本を作ることで、喜びに変えたと述べられていた。カールさんの生み出す豊かな色彩の世界が、自然を讃美し、生命の畏敬さえ感じさせるのは、絶望の中でも希望を捨てなかった魂が心に確りと残っていたからであろう。

「はらぺこあおむし」では、日曜日の朝に生まれた小さなあおむしが、月曜日にはリンゴを1つ食べて、火曜日以降にもいろんなものを食べながら成長していくのだが、やがて沢山のものを食べても空腹が満たされなくなり、土曜日には美味しい贅沢なお菓子まで暴食し、ついにはお腹を壊す。そしてとうとうお腹の痛さで泣いてしまう。ところが、ちょうど1週間が過ぎた次の日曜日に緑の葉っぱを食べて回復し、健康的に体も大きく成長してサナギになり最後は美しい蝶へと変身する。

絵本の王道をいく短い童話なのだが、この絵本のストーリーには、現代にも通じる普遍的なメッセージが感じられる。そしてそれは子供も大人も関係なく世代を超えて伝わってくる非常にわかりやすい内容だ。自然界に生息する昆虫の青虫は、この絵本のように欲張って食べ過ぎることはしない。そして絵本の主役あおむしが、自然の摂理にかなった緑の葉っぱを食べて再生し、やがて美しい蝶に変身する姿を、私たち人類は見習うべきであろう。つまり限度を無視した暴飲暴食のような搾取と戦乱の横行が、文明を暴走させている現状から軌道修正し、別の方向へと勇気をもって舵をきるべきなのだ。

生前にカールさんは、戦争を絶対に起こしてはいけないとも語っていたという。カールさんのような戦争体験を語れる高齢者の方々は、もう何年も前から日本でも減ってきているのが現実だ。ただしインターネットの時代になって、先人の貴重な言葉が、それ以前の時代よりも探しやすく、埋もれずに日の目を見る可能性もでてきたように思う。実際、経済学の分野では、競争を奨励して拡大路線の成長を目指すよりも、競争の少ない分野にこそ過大ではない健全な成長性が持続するという考え方が再認識されてきている。これは何も革新的な発想ではなく、昔からあった賢明な知恵に近い。それゆえ近現代の経済学が人間の心を追放するほど、効率主義に走り過ぎてきたことに対する反省である。

今そこにある大きな危機はコロナ禍だが、このパンデミックの猛威においても、私たちはエリック・カールさんのように希望を持ち続けることが大切だ。そしていずれ人類が戦争の愚行を確りと意識し、戦争を決然と放棄する、そんな日がやって来るとしたら、それは絵本に描かれたあのあおむしのサナギが、美しい蝶に変身するその時である。
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雪舟が描いた達磨

2021-05-01 19:29:33 | 日記
雪舟は室町時代時代中期に活動した絵師であると共に、臨済宗の禅僧でもあった。そして画聖と讃えられるほど絵師として優れた才能を発揮し、大器晩成型であったことから、晩年に残した作品群はその殆どが最高水準の出来だ。またそれを象徴するように国宝の作品数も、日本美術史において、個人では最多を誇る。

今回、紹介する「慧可断臂図」も無論のこと国宝である。雪舟の国宝作品は絶品ばかりで、この「慧可断臂図」を含めた6つの作品全てを鑑賞すれば、誰しも彼が創造した図り知れない美の神髄を感じ取ることができるだろう。特に禅僧という仏教者の側面よりも、孤高の芸術家としてのイメージが濃密な人物ではあるものの、「慧可断臂図」を見ればわかる通り、宗教的主題についても真摯な態度で制作に臨み続けたことはほぼ間違いない。

雪舟の絵から受ける第一印象は、瞬間的な切迫した強さだ。まず疾走する特徴的な描線、それに深遠な明暗と濃淡の色彩により構成されたその画面全体から強力な喝を入れられる。絵が視界に入った途端に即ドキリとさせられるという魅力である。これは雪舟の偉大な師の周文や、さらにその周文の師の如拙から受け継いだ技巧と感性なのかもしれない。そして如拙も周文も絵師である前に雪舟と同じく禅僧であり、彼らは京都の室町幕府が保護する相国寺に籍を置いていた。この相国寺は室町幕府三代将軍の足利義満により創建された臨済宗の本拠地のような大寺院だが、同時に公的教育機関であり、宗教教育以外にも文化の発信地のように機能していたと思われる。つまりこの相国寺で雪舟は僧が学ぶべき教養として、中国大陸から伝わった水墨画を学んだわけだ。

では次に第二印象だが、雪舟の絵の衝撃的な第一印象から一息つくと、今度はその絵の強さよりも、絵の大きさに圧倒されていく。それは雪舟の絵画世界に包み込まれる、あるいはその中へ自由に入り込んでゆけるような広大無辺さである。これは意外にも彼の師の周文やその師の如拙の絵画世界からは遊離していくような感覚だ。いわば周文や如拙の絵は、雪舟よりも水墨画の様式美として完成され尽くしている。それを明確に感じざるを得ないわけだ。これは特に筆触をじっくりと観察すれば納得できる。周文や如拙の描線は鋭いスピード感があり、直情的でヒロイックな味わいさえ伝わってくるのだが、それとは対照的に、雪舟の描線はそのような周文と如拙の影響を受けつつも、時に鈍重な表情さえ感じさせる。要は雪舟の描いた線は捉え所がない迄に表情豊かなのだ。

そして第三印象。それは結局わからないということだ。強さと大きさの後に、その最後に雪舟の絵は神秘的な謎を鑑賞者へ提示してくる。それはこの「慧可断臂図」も同様である。では何故にそのような謎が存在するのか、それは古今東西の芸術作品において、まず有り得ないほどの離れ業を雪舟がやってのけているからだ。単純明快に言うと、それは雪舟その人にしか発想できない独創であり、彼は意図的に絵を破綻させている。もう「慧可断臂図」をよくご覧になればおわかりだろう。この絵の場合、その破綻とは崖の前で座禅を組む達磨の身体を包んだ太い輪郭線だ。これが絵全体のバランスを崩壊させている。しかし同時にこの破綻が、鮮烈な何かを私たちに語りかけてくる。

前回のブログで、ミャンマーのクーデターを主題にしつつ、権力と癒着した仏教が腐敗してゆく歴史に関しても書いた。それは雪舟が生きた中世の日本の室町時代も同様である。雪舟が属した臨済宗は禅宗の一派だが、その禅宗の開祖こそが、この絵に描かれた達磨なのだ。達磨は古代の5世紀後半から6世紀の時代を生きた僧侶だが、元々は古代インドの王家の出身で、王子の身分を捨てて仏の道に入っている。王子の富や権力を捨てて求道者となる姿は、釈迦の人生を見本にしたような生き方だ。そしてその生涯において、インド亜大陸から中央アジア、中国大陸を渡り歩き、行く先々で時の権力である王朝に保護された大乗仏教の組織的腐敗には、頑固に背を向けてひたすらに真理を悟ろうとした人である。

仏の教えを広く伝えて民衆の信仰心を芽生えさせた大乗仏教だが、その民衆から絶大な支持を得ると、今度は教団組織が拡大していく過程で、権力の側に利用されてしまう。これは洋の東西こそ違えど、古代ローマ帝国で国教になって以降のキリスト教と似た展開だが、その有様は仏教の創始者の釈迦の教えとは明らかに矛盾している。この矛盾を正すために大乗仏教界から内部改革を促すようにして現れたのが達磨だ。彼が座禅を組み瞑想する姿勢は、まさに釈迦の初心に帰れと黙したまま語っている。誰しも心に仏性は存在しているのだから、権威や権力に依存する心を入れ替えた方が良いと諭しているのだ。人の心は美しく優しい時だけではなく、卑しかったり醜かったりする時もあるだろう。ならば自らの心の良質さを見出し、仏性に目覚めようではないか。その為の瞑想であり、それが釈迦への原点回帰を望んだ達磨によって始められた禅の教えだ。ところがその禅宗さえ、中世の日本に伝来し鎌倉幕府や室町幕府といった軍事政権に保護されると、皮肉なことに達磨が時空を超えて知ったら、さぞ落胆し嘆くような状態に変質してしまう。

雪舟が描いたこの達磨の表情は、強い意志を秘めている。そしてこの絵の主役は明らかに太い輪郭線のオーラに包まれた達磨だ。しかし画題の「慧可断臂図」を杓子定規に読み取る限り、絵の主役は画面の左側で自らの片腕を切断して達磨へ捧げるようにして弟子入りを頼む慧可になってしまう。だが本当にそうだろうか。作者雪舟の意図は実は別のところにあるのではないか。

ここで日本史における禅宗について暫し述べたい。日本に伝来した禅宗以前の大乗仏教はその殆どが組織的に武装化している。特に有名なのは強大な僧兵軍団を指揮した比叡山の天台宗だが、室町時代になると浄土真宗は一向一揆を、日蓮宗は法華一揆を組織して武装蜂起している。しかし禅宗の場合、臨済宗も曹洞宗も幕府の庇護を受けており、教団組織自体が武装化したことはなかった。そして公的教育機関のような役割さえ担っていたわけだが、それゆえに幕府の思想統制を厳重に受けた御用的宗教組織でもあった。

この為、真摯な禅僧が内部批判をしたケースもある。あのトンチを駆使する小坊主の頃がアニメにもなった一休宗純はその典型だ。彼は相国寺において、僧が兵学を勉強するのは間違っていると明言した。全くその通りである。なぜなら釈迦は武力で争うことを否定していたのだから。当然のこと軍略など学んでも意味がない。にも関わらず、そうなっていないのは、室町幕府の体制維持の為に、儒教をベースにして仏教を解釈し幕府の存在を強固に肯定したいがゆえだ。多分この「慧可断臂図」の画題を決定したのは雪舟自身ではなく、組織的な命令や意向によったと思われる。たとえば儒教の忠義という概念からこの絵を見ると、これは弟子が師匠に我が身を捧げてまで忠誠を誓うような美談と化してしまう。

ところが、この絵には忠義を賛美する趣きはまるで無い。むしろ逆説的に、弟子が自分の片腕を切り落として師匠に入門を嘆願するなど、そもそも暴力を禁じる仏道に反すると、絵そのものが訴えてくる。つまり描かれた絵の劇的な情景が事実とは異なるということを示しているわけだ。そして実は達磨と出会う以前から慧可は片腕の身であった。これが真実であり事実である。さらに達磨は紆余曲折はあったにせよ、最終的に慧可の弟子入りを認めている。

どうやら雪舟は宗教的主題を表現したこの絵で、仏教が権力に利用されてはならないと、そう告発しているようだ。多分、この絵を見て、慧可が忠節を誓う犠牲的行為を礼賛できる鑑賞者がいたとしたら、それは当時の室町幕府の支配階級の特に武家勢力の人々だろう。残念なことに、禅宗にはこの達磨と慧可のエピソード以外にも、暴力肯定を匂わせる逸話が多い。他にはこんな話もある。修行をしてもなかなか悟ることができずに師匠に警策という棒で殴られてばかりの弟子の僧が、師匠に勧められて師匠の友人の僧ところへ出向きアドバイスを受けて帰ってくると、今度はその弟子が師匠に平手打ちを食らわし、師匠はそれを喜ぶという痛快な話だ。恐らくこれもフィクションだと思われる。

達磨は雪舟以外の多くの絵師にも描かれている人物だが、私はこの絵の特殊なオーラを発しているような達磨に一番魅力を感じる。髭だらけの口を確りと閉ざして無言を貫いている達磨だが、彼の有名な言葉「無功徳」と「不識」が聞こえてきそうではないか。この二つの言葉は、達磨の口を通して釈迦がその信条を発露したような意味を含む。ではその話も紹介したい。これはフィクションではなく事実である。それは達磨が中国大陸の遼という国を訪れて、国王の武帝に面会した時のことだ。

武帝は達磨に、贅を尽くして多くの寺院を建立し仏像を造らせて国家事業として仏教を厚く保護した実績を誇示し、この結果どんな功徳があるのか?と問うたが、達磨は「無功徳」と答える。それを聞いた武帝は呆れて、達磨に対し、あなたは真理を悟った偉大な人ではないのか?そう問い正すのだが、達磨は「不識」と答える。

雪舟が描いたこの「慧可断臂図」の達磨から私が強いインスピレーションを受けるのは、この逸話の方だ。「無功徳」という、見返りを求めて善行を積んでも無意味だという言葉は、この絵からも聞こえてきそうである。また相手から期待を押しつけるような形で賞賛されても、そんなことは知らないと言い切る「不識」という言葉も同様だ。

恐らく禅僧でもあった雪舟は仏の教えの本質から外れた仏教組織に呆れていたか、相当に嫌気がさしていたように思われる。そして京都全体が壊滅状態になる応仁の乱が勃発する以前に、都落ちのような形で京都を離れて、周訪の守護大名の大内氏の元に身を寄せている。その後に遣明船で中国大陸の明に渡り、帰国後も応仁の乱が終わらない京都ではなく地方で絵師や禅僧として活動を続けた。そしてその辺りから晩年の充実した作品制作のステージに向かっていく。

雪舟は大器晩成型の芸術家だが、彼が残した作品はその死後になってから、さらに評価を高めた。特に江戸時代は画壇において幕府御用達で主流だった狩野派が雪舟の絵に大きく影響された為に神格化に近い評価を受けている。しかしそれだけでは終わらない。なぜならその希有な6作品が国宝に指定されるのは、現代の20世紀の昭和以降になってからである。そして21世紀の今、コロナ禍のパンデミックが全世界に襲来した時代において、生命を救助する医療と共に、魂を救済する宗教の存在価値が試されているように思われる。禅僧という仏教者の立ち位置から独自の絵画世界を創造した雪舟の評価は、今後さらに高まる可能性は大きい。つまり雪舟の大器晩成はまだ続いている。
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