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縄文と弥生

2022-02-27 23:53:42 | 日記
縄文人は人類史でいうところの新石器時代あたりから日本列島に暮らしていた先住民であり、今から気が遠くなるほどの大昔、約1万6000年以上前に姿を現し、約3000年ほど前に姿を隠した。そして彼らが故郷の住処を奪われてしまうのは、大陸から侵略してきた弥生人の登場による。

弥生人は日本列島に稲作を伝えた農耕の民であり、狩猟採集の民であった縄文人とは大きく異なる。農耕に必要な鉄を有していた弥生人は、当然のこと農具としてだけではなく戦争の武器としても鉄を利用していた。この為、新石器時代の装備しかない縄文人は侵攻してきた弥生人に対して防戦一方であり、最終的には降伏して隷属的に同化するか、東北や九州南端といった僻遠や農耕に適さない山岳地帯に追いやられたと思われる。

また縄文時代は、考古学や地質学などをベースに調査をした結果、戦闘による殺害が異様に少なかったことがわかった。これは近年の調査結果だが、人類史において新石器時代以前にも地球上では戦死者の人骨はそこそこ発見されている事実を鑑みると非常に珍しいケースである。無論、大集団による戦争とは程遠い規模とはいえ、アフリカ大陸やユーラシア大陸に比べると、日本列島における縄文時代の戦闘状態の少なさは稀有なことこの上ない。

そこで今回の画像であるが、縄文式土器と弥生式土器を並べている。左が縄文式土器の中でも一際特徴的な燃え上がる炎を象ったような火焔土器で、これは著名な美術家の岡本太郎氏が現代の昭和期まで日本美術史において埋もれていた縄文美術を再評価したことでも有名になった。ただこの火焔土器はその独特な造形美もさることながら、これを制作した縄文人の吐息や肉声が伝わってくるような魅力がある。そしてそれは、右の弥生式土器が実用性を重視した無機的なデザインに収まっているのとは対照的だ。

この2つの土器が日常生活における食事の際に使用されたであろうことはほぼ疑いようがない。しかし興味深いことに、縄文人と弥生人の生活やその社会がかなり違っていたことも理解できる。弥生人は農耕による食物の貯蔵が可能であったことから、縄文人よりも組織化された大集団の構成員であり、土器を制作するスタイルもルーチンワークに近く、デザインに凝っている余裕もなかったかのようだ。ところが縄文人の場合、農耕という土地を耕すことで自然を改変する文明の恩恵を受けずに、自然条件に左右された生存権にほぼ忠実であったがゆえに、弥生人より栄養価も低く平均寿命も短かったはずなのに、土器の制作における表現には弥生人のそれには無い深みを感じる。

たとえばこの火焔土器は、日本列島の北陸地方から発掘されることが多いのだが、そのデザインには厳寒の地で暮らす人々の火への感謝の念が滲み出ている。また火は暖をとれるだけではなく、食物の調理の過程で煮炊きを行うことで、固形物を柔らかくし、野菜もより多く消化できることから、火を敬いその存在への宗教的な崇拝さえ感じられるほどだ。要は縄文式土器は弥生式土器よりも宗教美術的な芸術性を内包しているとしか思えない。

ここで明白にある推論に達することができる。それは縄文人の方が弥生人よりも心が豊かだったのではないかということだ。そしてそれを象徴するような史実も近年になり見つかっている。これは土器の話ではないが、人間と動物の関係において、縄文人と弥生人には全く相いれない要素が存在した。しかもそれは人と生活を共にする犬への対応において顕著に現れている。

縄文人も弥生人も犬を飼っていたことが、考古学的見地から知られていたのだが、縄文人の人骨と共に発見された犬の骨には、怪我をした犬の傷を人が治療して治癒した形跡があった。しかし弥生人に飼われていた犬は番犬としての役割を果たす以外に、家畜として食用にされていた、つまり発掘された骨には屠殺された形跡があったのだ。

ここから理解できるのは、縄文人の心には狩猟をするにしても乱獲などせず、人間以外の生命を尊重する度量があったということであり、その心の豊かさゆえに、弥生人より物質的には貧しい生活をしていても、ものづくりにおいて豊かな芸術表現が生まれたのではないか。考えてみれば縄文時代は、私たち現代人の時間感覚からするとほぼ無限に近い1万年以上もの時間が流れている。これほどの悠久の時を維持できたのは、利便性のみならず階層や身分制も含めた文明化をせずに戦闘や競争を避けてきたこともその大きな要因であろう。

前回のブログで、ロシアとウクライナの軍事的な緊張状態を危惧する旨を書いた。残念ながら事態はロシアのウクライナ侵攻という最悪の結果になってしまったわけだが、こうした為政者が侵略戦争を選択する意志決定は根本的に誤っている。そしてこんな意志決定をしてしまう為政者というのは、いかに尊大な権威や強大な権力や莫大な資産を有していても、本質的には心が貧しい人々だ。

彼らが自らの荒んだ心の貧しさに気付くのは、その意志決定による行動の結果が失敗に終わった時であろうが、その時は過去の歴史が証明するように必ずやって来るはずである。そしてそれはロシア国内の平和を願う反戦の流れから生まれてくるのではないか。かつて20世紀に帝国主義国家群が覇を競い合い第1次世界大戦に雪崩れ込んだ渦中、ロシア帝国では共産主義革命が成功して帝国政府は崩壊し、新しくロシアの大地に誕生したソ連は、第1次世界大戦から離脱してロシア帝国の植民地も放棄した。

私たちが生きている今この時は、全世界が新しい疫病に襲われている。この天災による未曾有の危機をさらに悪化させる戦争という人災を望む人間など、本来なら何処にも存在しないであろう。ここで縄文人の話にほんの少し戻りたい。このブログで日本列島が天災の多い地域であることを述べたが、縄文人が争いを避けてきたのは、天災に見舞われ続ける郷土で暮らす以上、争わずに助け合わなければ生きていけない叡智を有していたからではないか。つまり生存権の奪い合いは馬鹿げていると知っていたのだ。

ロシア人もウクライナ人も同じスラブ民族であり、キリスト教の正教を信仰する人々だ。ここは為政者が心を広く豊かにして、国家的威信などには拘らず対等の立場で、始まってしまった戦争を即刻終わらせるべく話し合うに限る。ロシアとウクライナの首脳が会談することを反対する国際世論など皆無であろう。その機会均等は為政者が望めば、当然のこと残されている。
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