1月22日に、ティク・ナット・ハン氏が他界された。95歳というほぼ1世紀近いご長命であり、激動の20世紀から21世紀を通して、歴史の波に揉まれ翻弄されながらも、苦難の道を草の根で生き抜いた時代の生き証人だ。特に彼は戦争を含めた過酷で凄惨な世界の現状に対し、決して目を背けなかった。むしろその渦中に身を置いたまま、信念を貫き通した行動は最大級の賛辞を贈られてしかるべきであろう。そしてティク・ナット・ハン氏こそは真の反戦運動家であり、平和主義者であった。
メディアの報道で紹介されている僧形の姿をご覧になればわかる通り、ハン氏は仏教徒でベトナム人の禅僧である。宗派は臨済宗に属し、そこはこのブログにも書いた雪舟と同じだが、臨済宗も含む禅宗の開祖は紀元5世紀にインドで生まれた達磨であり、その達磨や彼が尊崇した仏教の始祖釈迦に最も接近できた人物だといえよう。恐らく現代人ではあっても、古代人の釈迦や達磨に心眼の域で到達していたとさえ思われる。
それはハン氏の生涯を辿れば自明なことなのだが、彼は人類の歴史において延々と権力に利用されてきた宗教を、たとえ試金石であったとしても、その因習の闇から突破させて光へ放出したほどの功績を果たした。特に故郷ベトナムの地が、資本主義陣営と共産主義陣営に分断されて、血で血を洗う泥沼の戦争が20年も続く中での、不屈の平和運動はその象徴だ。ハン氏の信条は根本的に戦争は誤りであり、その信条に基づきベトナム戦争において、南ベトナムも北ベトナムも支持せずに、戦争の終結と根絶を非暴力で訴え続けた。その過程で、北ベトナムからも南ベトナムからも弾圧され、北ベトナムの勝利による祖国ベトナムの統一後には、その祖国から追放されてしまう。
これは日本史において、臨済宗に限らず大乗仏教の禅宗の殆どが、鎌倉幕府や室町幕府、それに江戸幕府といった軍事政権の保護を受けて利用されてきた実態とは明らかに異なる。そして世界史的にも、大半の宗教は時の権力と共存共栄の道を進みながら、権力以上に腐敗したこともあったし、宗教的権威が権力の暴走をエスカレートさせたり、主体的に悪用したことさえあった。しかしこのような愚かしくも悲しい史実は本来の宗教の理想的な理念とは相反するものだ。ベトナムにおいても、20世紀にハン氏が純粋な宗教活動を開始する以前は、残念ながら臨済宗も世俗的権力と癒着してきたことを鑑みると、つくづく彼の偉大さに敬服するしかない。
ハン氏はこうした人類の愚行を十全に把握した上で、具体的に行動し世界を変えようとしてきた誠実な人である。今回の写真画像はその素晴らしい数多くの著作の中でも、釈迦の生涯を描いた伝記物語なのだが、是非お勧めしたい。そしてハン氏が釈迦の教えの中で大切にしているのは、日常において誰もが実践できる瞑想である。しかも興味深いのは、瞑想することで呼吸を意識し、生命と生命を育む自然環境を慈しみ、心に平安が訪れることだ。
またハン氏は人間の心の有り様として、ネガティブに陥りがちな面をポジティブな視点から一方的に否定せずに、ポジティブな面をより育てていこうという発想を重視する。それは大地に種を撒き水を注ぎ植物を慈しみ育てる過程に似ているとハン氏は語る。これは闇の中で悪戦苦闘するのではなく、闇の中でも微かな光を発見し、少しずつその光でまわりを照らしていくようなものだ。
私たち人間は完全ではない。これは地球規模の極端な格差の頂点にいる超富裕層の人々とて同様であろう。彼らは激烈な競争を凄まじいエネルギーで勝ち抜いてきたり、生まれながらにして莫大な遺産を相続できる幸運の持ち主なのかもしれない。しかしそれと心が豊かで平安かどうかは別次元の話である。むしろその逆の可能性さえあるからだ。なぜなら何もかも自分のものにしたいという貪欲さは心が貧しい証拠である。つまり無際限に富を増やそうとする彼らは、治安の悪い最貧国で破壊や略奪を肯定し、暴力がベストな問題解決手段だと信じて疑わないほど心が荒んでしまった貧困層における攻撃的な人々と、実のところ通底する共通点もあるのではないか。
そしてこの極端な格差を改善する為には、資本の移動の必要性が生じてくるのだが、それは20世紀に人類が経験した世界大戦や暴力革命ではもう無理である。むしろ国際政治の行方を左右するほどの為政者を含めた超富裕層の心が豊かになり、弱肉強食を肯定するのではなく弱者救済へと舵を切ることだ。そしてこの局面において、ハン氏はベトナム戦争の惨禍の中で、既に権力者の心を動かそうと最大限の努力をされていたと思う。
ハン氏が祖国ベトナムへの帰還と永住が認められた時には、追放から40年もの長い歳月が経っていた。しかしながら亡命中にも反戦と非暴力、それに宗教の自由を昌導し続けたことで、その影響力は身を結びはじめている。特にハン氏の仏教者としての思想信条は、瞑想を重要な要素とするマインドフルネス事業の礎になった。このマインドフルネス事業は疲弊した現代人の心身を再生させる巨大なビックビジネスとしても成功を収めたが、感化された超富裕層の寄付行為が実現しており、これは特筆すべき平和的な資本移動の流れだ。今や超富裕層の資産は天文学的であり、そこからごく僅かの資本が慈善事業の寄付に回るだけでも大変な成果である。そしてこれは世界各国の軍事費の削減にもいえることだ。ミサイルや戦闘機を買うのを止めて、それで浮いたお金を環境保護や社会福祉に回せば良い。とは云え勿論それが実現していない国は多いが、もうそろそろ力の正義を盲信することから人類は卒業するべきではないか。
皮肉なことにハン氏がこの世を去られてから、ロシアとウクライナの軍事衝突が懸念され、危機感が日々増している。恐らくハン氏が健在だとしたら、北ベトナムと南ベトナムに反戦を説いたように、ロシアとウクライナに対しても同様のメッセージを送ったはずだ。そしてこれはハン氏の原点たる釈迦だけではなく、イエス・キリストやムハンマドも同様であろう。為政者たちが、振り上げた拳を収めることを神に託したい。
メディアの報道で紹介されている僧形の姿をご覧になればわかる通り、ハン氏は仏教徒でベトナム人の禅僧である。宗派は臨済宗に属し、そこはこのブログにも書いた雪舟と同じだが、臨済宗も含む禅宗の開祖は紀元5世紀にインドで生まれた達磨であり、その達磨や彼が尊崇した仏教の始祖釈迦に最も接近できた人物だといえよう。恐らく現代人ではあっても、古代人の釈迦や達磨に心眼の域で到達していたとさえ思われる。
それはハン氏の生涯を辿れば自明なことなのだが、彼は人類の歴史において延々と権力に利用されてきた宗教を、たとえ試金石であったとしても、その因習の闇から突破させて光へ放出したほどの功績を果たした。特に故郷ベトナムの地が、資本主義陣営と共産主義陣営に分断されて、血で血を洗う泥沼の戦争が20年も続く中での、不屈の平和運動はその象徴だ。ハン氏の信条は根本的に戦争は誤りであり、その信条に基づきベトナム戦争において、南ベトナムも北ベトナムも支持せずに、戦争の終結と根絶を非暴力で訴え続けた。その過程で、北ベトナムからも南ベトナムからも弾圧され、北ベトナムの勝利による祖国ベトナムの統一後には、その祖国から追放されてしまう。
これは日本史において、臨済宗に限らず大乗仏教の禅宗の殆どが、鎌倉幕府や室町幕府、それに江戸幕府といった軍事政権の保護を受けて利用されてきた実態とは明らかに異なる。そして世界史的にも、大半の宗教は時の権力と共存共栄の道を進みながら、権力以上に腐敗したこともあったし、宗教的権威が権力の暴走をエスカレートさせたり、主体的に悪用したことさえあった。しかしこのような愚かしくも悲しい史実は本来の宗教の理想的な理念とは相反するものだ。ベトナムにおいても、20世紀にハン氏が純粋な宗教活動を開始する以前は、残念ながら臨済宗も世俗的権力と癒着してきたことを鑑みると、つくづく彼の偉大さに敬服するしかない。
ハン氏はこうした人類の愚行を十全に把握した上で、具体的に行動し世界を変えようとしてきた誠実な人である。今回の写真画像はその素晴らしい数多くの著作の中でも、釈迦の生涯を描いた伝記物語なのだが、是非お勧めしたい。そしてハン氏が釈迦の教えの中で大切にしているのは、日常において誰もが実践できる瞑想である。しかも興味深いのは、瞑想することで呼吸を意識し、生命と生命を育む自然環境を慈しみ、心に平安が訪れることだ。
またハン氏は人間の心の有り様として、ネガティブに陥りがちな面をポジティブな視点から一方的に否定せずに、ポジティブな面をより育てていこうという発想を重視する。それは大地に種を撒き水を注ぎ植物を慈しみ育てる過程に似ているとハン氏は語る。これは闇の中で悪戦苦闘するのではなく、闇の中でも微かな光を発見し、少しずつその光でまわりを照らしていくようなものだ。
私たち人間は完全ではない。これは地球規模の極端な格差の頂点にいる超富裕層の人々とて同様であろう。彼らは激烈な競争を凄まじいエネルギーで勝ち抜いてきたり、生まれながらにして莫大な遺産を相続できる幸運の持ち主なのかもしれない。しかしそれと心が豊かで平安かどうかは別次元の話である。むしろその逆の可能性さえあるからだ。なぜなら何もかも自分のものにしたいという貪欲さは心が貧しい証拠である。つまり無際限に富を増やそうとする彼らは、治安の悪い最貧国で破壊や略奪を肯定し、暴力がベストな問題解決手段だと信じて疑わないほど心が荒んでしまった貧困層における攻撃的な人々と、実のところ通底する共通点もあるのではないか。
そしてこの極端な格差を改善する為には、資本の移動の必要性が生じてくるのだが、それは20世紀に人類が経験した世界大戦や暴力革命ではもう無理である。むしろ国際政治の行方を左右するほどの為政者を含めた超富裕層の心が豊かになり、弱肉強食を肯定するのではなく弱者救済へと舵を切ることだ。そしてこの局面において、ハン氏はベトナム戦争の惨禍の中で、既に権力者の心を動かそうと最大限の努力をされていたと思う。
ハン氏が祖国ベトナムへの帰還と永住が認められた時には、追放から40年もの長い歳月が経っていた。しかしながら亡命中にも反戦と非暴力、それに宗教の自由を昌導し続けたことで、その影響力は身を結びはじめている。特にハン氏の仏教者としての思想信条は、瞑想を重要な要素とするマインドフルネス事業の礎になった。このマインドフルネス事業は疲弊した現代人の心身を再生させる巨大なビックビジネスとしても成功を収めたが、感化された超富裕層の寄付行為が実現しており、これは特筆すべき平和的な資本移動の流れだ。今や超富裕層の資産は天文学的であり、そこからごく僅かの資本が慈善事業の寄付に回るだけでも大変な成果である。そしてこれは世界各国の軍事費の削減にもいえることだ。ミサイルや戦闘機を買うのを止めて、それで浮いたお金を環境保護や社会福祉に回せば良い。とは云え勿論それが実現していない国は多いが、もうそろそろ力の正義を盲信することから人類は卒業するべきではないか。
皮肉なことにハン氏がこの世を去られてから、ロシアとウクライナの軍事衝突が懸念され、危機感が日々増している。恐らくハン氏が健在だとしたら、北ベトナムと南ベトナムに反戦を説いたように、ロシアとウクライナに対しても同様のメッセージを送ったはずだ。そしてこれはハン氏の原点たる釈迦だけではなく、イエス・キリストやムハンマドも同様であろう。為政者たちが、振り上げた拳を収めることを神に託したい。