先月から中国で厳格なゼロコロナ政策に対して、白紙革命とよばれる抗議行動が起きたのは記憶に新しいところである。しかもこの動きは政権打倒を訴えており、それは1989年の天安門事件以来のことだ。そして数年前の香港の民主化デモよりも広範囲に及び、首都の北京でも発生している。また当然その北京市だけでなく、上海市を含めた諸都市でも市民はデモの声を上げ、数多くの大学では学生たちが立ち上がり、なんと国家主席の習近平の母校である清華大学さえもがデモの舞台になってしまった。
ただ、この白紙革命、一筋縄ではいかない。その発端は、ウルムチ市の火災の被害者の追悼集会で、ゼロコロナ政策により消防車が動けず、長期間封鎖されたマンションの住民が火事の犠牲者になってしまったことによる。要はコロナ禍で行政が機能不全になった末の人災であり、助かる命が救えなかった為、人心に怒りの炎が燃え上がった。そしてこれは強権的な政府の方針以上に、パンデミックの猛威の凄さを物語っている。この点で、鄧小平によって市場経済が導入され改革開放も実施されて以降、数少ない体制批判のデモに欧米流の民主主義の影響が色濃く滲んでいたのとは状況が少し違う。また今回は古代中国から根付いてる易姓革命の匂いもする。そしてここから垣間見えてくるのは、歴史的に中国では巨大な帝国が大陸を統一しても、必ず王朝交替が起きていることだ。
易姓革命とは、古代中国の儒家の孟子が唱えた政治思想なのだが、彼は傑出した思想家であった。特に孔子という儒教の創始者の教えを発展どころか、改善させたという評価もあるくらいだ。特に為政者のアドバイザーを務める儒家という職務において、仕えた国王へ耳の痛い忠告もしている。そしてその極めつけの概念が、この易姓革命なのだ。孟子は紀元前4世紀にこの世に生を受けた。それは孔子の死後100年以上の時が経過した頃である。
この時代、儒教の体系はそれなりに煮詰まったり、形骸化したりしもしていたが、まだ秦の始皇帝が大陸統一を果たす前の、群雄が割拠する国々で、その権威や権力を正当化して補強する思想的インフラとして、支配体制に都合良く機能していたと思われる。また孟子に孔子の教えを説いたのは、孔子の孫の門人であり、その意味でも孟子は儒教の本質に精通していた。そして儒教の大家としては意外にも、孟子に特徴的なのは、人間に対し性善説の立場をとっていたことである。
易姓革命が孔子の教えと違うのは、殷王朝の崩壊に見られるような、史実として臣下が主君を誅殺したケースを肯定していることだ。孔子は下が上に従うのが道理であり、それが社会秩序の基本でもあると力説したが、これに孟子は異を唱えたわけである。要するに不徳の君主が民を苦しめる悪逆非道な暴政を行った場合、そんな者が頂点にいる王朝は滅亡しても構わない。そしてそれは人知を超えた天の理りであり、太陽が東の空から昇って西の空へ沈み、水が上から下へ流れたりするように、起きるべくして起きた当然の帰結だと明言した。しかも孟子は仕えた君主に対し、こういう忠告をして、圧政ではなく善政を行うよう諭したり諌めたりしたわけである。ここで断っておくと、先に述べたように、孟子は性善説を説いている為、臣下に倒されて成敗されるほどの悪政を極めた君主は、その性善説が通用しないほど極端な例外だということになる。
この辺り、孟子は古代人でありながら、ある意味で現代人に近い民主的な感覚さえ持っていた。そして古代社会においても、政治の暴走を防ぐ安全弁を用意するべく真摯に行動していたのだ。また彼がこういった思想を持つに至ったのは、やはり孔子の教えの影響が大きい。孔子は政治の基本として、食(経済)と兵(軍備)と信(人徳)の3つをあげている。そしてこの3つの基本の中で孟子が最も重視したのは、信であろう。つまり為政者たる君主には、人徳が何よりも必要だということだ。
ここで現代の白紙革命に戻りたい。恐らくあの白紙革命で中国共産党中央政府に、白紙を掲げることで異議申し立てをしている人々は、易姓革命の概念を学術ベースではなくとも、家庭教育や地域社会で経験した肌感覚で知っているのではないか。特に今回のデモは、学生のような未来のエリート層よりも、一般民衆の人々が行動の核になっているようにも感じる。つまり国政のイデオロギーやビジョンよりも、コロナ禍で日常生活に大打撃を被った民衆中心の抵抗なのだ。実際、コロナ禍で病院がマヒしたりする社会インフラの停止状態による不幸の連鎖は悲惨なことこの上ない。特に家族の命を失った人々の悲しみや怒りは、歴史が繰り返すようにして、巨大な王朝を倒壊させてしまうほどの原動力になり得る。
ただこの白紙革命は、内乱に発展する大規模な暴力の衝突にはならないのではないか。なぜならまず中国共産党中央政府も、自国の長大な歴史を熟知しており、それは近現代において国政を担ってきた要人たちが、どこかで必ず儒教の教えを演説や手記などで取り上げてきたことからも明白である。彼らの多くはそこで本音を吐くように、自由や平等や博愛の精神よりも、秩序を維持するための社会通念を重視しているとしか思えない。それはアメリカ合衆国の国籍さえ持っていた孫文や、欧州に留学した鄧小平からも感じられる。こういった現実を鑑みると、やはり儒教というのは支配する側にとって非常に重宝する思想であり哲学なのだ。何よりも国家において国民が身分制で統治されるシステムの存在が大前提であり、孔子は歴然とそれを肯定しているし、孟子でさえ易姓革命を唱えながらもやはり肯定しているのだから。
儒教は紀元前2世紀に漢帝国の武帝が国家の教育原理に定めて以来、20世紀に清帝国が滅ぶまで中国の政治だけでなく、経済や文化さえも基礎づけてきた伝統的な思想体系である。つまり孟子が死んで100年以上経過してから、中国大陸を最初に統一した秦を滅ぼした漢という400年以上も続いた巨大帝国で生きる膨大な人々に、行動規範となるような道徳として浸透していく。ところが近代に清帝国が孫文による辛亥革命で崩壊した後、樹立した中華民国はフランス革命の影響を受けたようなアジアで最初の共和制国家であり、またその中華民国を内戦で倒して中国大陸を再統一して誕生した中華人民共和国は、ロシア革命の影響が顕著である。
しかしそれでも儒教は、中国大陸どころか朝鮮半島や日本列島、それに東南アジアや中央アジアそれにロシアの一部にまで広く伝播し、そこで暮らす人々の日常生活の様式や考え方にも色濃く残り続けているのだ。そして当然のことゼロコロナ政策に抵抗して白紙を掲げた人々も、脳内に儒教は棲みついているはずである。ここで思い当たるのは、儒教における孝という概念、つまり親孝行の孝である。実は中国の歴史上、この孝を忌み嫌った強大な独裁者が2人いる。始皇帝と毛沢東だ。なぜそうなのかというと、親子の絆が独裁者の地位を危うくするからで、国民に家族の長たる父親よりも国家の独裁者を敬い大切にすることを要求しているわけである。
恐らく今の中国共産党中央政府は、そのような始皇帝や毛沢東の愚行を避けると思われる。また今月の26日、やっとゼロコロナ政策が緩和された。来年の1月8日から入国時の5日間の強制隔離の撤廃や、中国人による海外旅行の再開を認めたのだ。今後も緩やかではあっても、政府は白紙というあえてメッセージを封印した国民の声無き声には耳を傾けていくのかもしれない。何よりも政府が恐れているのは、易姓革命のように政権崩壊が実現してしまうことである。尤も易姓革命には、放伐と禅譲という2つの異なる形があり、放伐は侵略などの武力によって王朝が滅ぼされることであり、禅譲は旧い王朝から新しい王朝へほぼ平和裡に権威や権力が移行して体制が変わる。
多分、白紙革命が目指しているのは、平和的な体制転換ではないか。そしてそこには、儒教とは別に古来から中国に根付いている老荘思想の影響さえ感じられる。なぜなら見えないものを見るというのは、物事を分析したり、2元論で解決しようとしてもできないことを意味する。白紙は何も書かれていない状態である。老荘思想における無為自然の無だ、つまり作為の無い自然状態だ。民衆は政府に対して知や欲を働かせず、命を助けてほしいと、文字で書いた言葉ではなく、心で訴えているのではないか。家族の誰かが病気になったら看病するのは当たり前の自然な姿である。白紙革命が起きたことで、ゼロコロナ政策が緩和という形で、次善の方向へとほんの少しでも歩みを進めたことは間違いない。
ただ、この白紙革命、一筋縄ではいかない。その発端は、ウルムチ市の火災の被害者の追悼集会で、ゼロコロナ政策により消防車が動けず、長期間封鎖されたマンションの住民が火事の犠牲者になってしまったことによる。要はコロナ禍で行政が機能不全になった末の人災であり、助かる命が救えなかった為、人心に怒りの炎が燃え上がった。そしてこれは強権的な政府の方針以上に、パンデミックの猛威の凄さを物語っている。この点で、鄧小平によって市場経済が導入され改革開放も実施されて以降、数少ない体制批判のデモに欧米流の民主主義の影響が色濃く滲んでいたのとは状況が少し違う。また今回は古代中国から根付いてる易姓革命の匂いもする。そしてここから垣間見えてくるのは、歴史的に中国では巨大な帝国が大陸を統一しても、必ず王朝交替が起きていることだ。
易姓革命とは、古代中国の儒家の孟子が唱えた政治思想なのだが、彼は傑出した思想家であった。特に孔子という儒教の創始者の教えを発展どころか、改善させたという評価もあるくらいだ。特に為政者のアドバイザーを務める儒家という職務において、仕えた国王へ耳の痛い忠告もしている。そしてその極めつけの概念が、この易姓革命なのだ。孟子は紀元前4世紀にこの世に生を受けた。それは孔子の死後100年以上の時が経過した頃である。
この時代、儒教の体系はそれなりに煮詰まったり、形骸化したりしもしていたが、まだ秦の始皇帝が大陸統一を果たす前の、群雄が割拠する国々で、その権威や権力を正当化して補強する思想的インフラとして、支配体制に都合良く機能していたと思われる。また孟子に孔子の教えを説いたのは、孔子の孫の門人であり、その意味でも孟子は儒教の本質に精通していた。そして儒教の大家としては意外にも、孟子に特徴的なのは、人間に対し性善説の立場をとっていたことである。
易姓革命が孔子の教えと違うのは、殷王朝の崩壊に見られるような、史実として臣下が主君を誅殺したケースを肯定していることだ。孔子は下が上に従うのが道理であり、それが社会秩序の基本でもあると力説したが、これに孟子は異を唱えたわけである。要するに不徳の君主が民を苦しめる悪逆非道な暴政を行った場合、そんな者が頂点にいる王朝は滅亡しても構わない。そしてそれは人知を超えた天の理りであり、太陽が東の空から昇って西の空へ沈み、水が上から下へ流れたりするように、起きるべくして起きた当然の帰結だと明言した。しかも孟子は仕えた君主に対し、こういう忠告をして、圧政ではなく善政を行うよう諭したり諌めたりしたわけである。ここで断っておくと、先に述べたように、孟子は性善説を説いている為、臣下に倒されて成敗されるほどの悪政を極めた君主は、その性善説が通用しないほど極端な例外だということになる。
この辺り、孟子は古代人でありながら、ある意味で現代人に近い民主的な感覚さえ持っていた。そして古代社会においても、政治の暴走を防ぐ安全弁を用意するべく真摯に行動していたのだ。また彼がこういった思想を持つに至ったのは、やはり孔子の教えの影響が大きい。孔子は政治の基本として、食(経済)と兵(軍備)と信(人徳)の3つをあげている。そしてこの3つの基本の中で孟子が最も重視したのは、信であろう。つまり為政者たる君主には、人徳が何よりも必要だということだ。
ここで現代の白紙革命に戻りたい。恐らくあの白紙革命で中国共産党中央政府に、白紙を掲げることで異議申し立てをしている人々は、易姓革命の概念を学術ベースではなくとも、家庭教育や地域社会で経験した肌感覚で知っているのではないか。特に今回のデモは、学生のような未来のエリート層よりも、一般民衆の人々が行動の核になっているようにも感じる。つまり国政のイデオロギーやビジョンよりも、コロナ禍で日常生活に大打撃を被った民衆中心の抵抗なのだ。実際、コロナ禍で病院がマヒしたりする社会インフラの停止状態による不幸の連鎖は悲惨なことこの上ない。特に家族の命を失った人々の悲しみや怒りは、歴史が繰り返すようにして、巨大な王朝を倒壊させてしまうほどの原動力になり得る。
ただこの白紙革命は、内乱に発展する大規模な暴力の衝突にはならないのではないか。なぜならまず中国共産党中央政府も、自国の長大な歴史を熟知しており、それは近現代において国政を担ってきた要人たちが、どこかで必ず儒教の教えを演説や手記などで取り上げてきたことからも明白である。彼らの多くはそこで本音を吐くように、自由や平等や博愛の精神よりも、秩序を維持するための社会通念を重視しているとしか思えない。それはアメリカ合衆国の国籍さえ持っていた孫文や、欧州に留学した鄧小平からも感じられる。こういった現実を鑑みると、やはり儒教というのは支配する側にとって非常に重宝する思想であり哲学なのだ。何よりも国家において国民が身分制で統治されるシステムの存在が大前提であり、孔子は歴然とそれを肯定しているし、孟子でさえ易姓革命を唱えながらもやはり肯定しているのだから。
儒教は紀元前2世紀に漢帝国の武帝が国家の教育原理に定めて以来、20世紀に清帝国が滅ぶまで中国の政治だけでなく、経済や文化さえも基礎づけてきた伝統的な思想体系である。つまり孟子が死んで100年以上経過してから、中国大陸を最初に統一した秦を滅ぼした漢という400年以上も続いた巨大帝国で生きる膨大な人々に、行動規範となるような道徳として浸透していく。ところが近代に清帝国が孫文による辛亥革命で崩壊した後、樹立した中華民国はフランス革命の影響を受けたようなアジアで最初の共和制国家であり、またその中華民国を内戦で倒して中国大陸を再統一して誕生した中華人民共和国は、ロシア革命の影響が顕著である。
しかしそれでも儒教は、中国大陸どころか朝鮮半島や日本列島、それに東南アジアや中央アジアそれにロシアの一部にまで広く伝播し、そこで暮らす人々の日常生活の様式や考え方にも色濃く残り続けているのだ。そして当然のことゼロコロナ政策に抵抗して白紙を掲げた人々も、脳内に儒教は棲みついているはずである。ここで思い当たるのは、儒教における孝という概念、つまり親孝行の孝である。実は中国の歴史上、この孝を忌み嫌った強大な独裁者が2人いる。始皇帝と毛沢東だ。なぜそうなのかというと、親子の絆が独裁者の地位を危うくするからで、国民に家族の長たる父親よりも国家の独裁者を敬い大切にすることを要求しているわけである。
恐らく今の中国共産党中央政府は、そのような始皇帝や毛沢東の愚行を避けると思われる。また今月の26日、やっとゼロコロナ政策が緩和された。来年の1月8日から入国時の5日間の強制隔離の撤廃や、中国人による海外旅行の再開を認めたのだ。今後も緩やかではあっても、政府は白紙というあえてメッセージを封印した国民の声無き声には耳を傾けていくのかもしれない。何よりも政府が恐れているのは、易姓革命のように政権崩壊が実現してしまうことである。尤も易姓革命には、放伐と禅譲という2つの異なる形があり、放伐は侵略などの武力によって王朝が滅ぼされることであり、禅譲は旧い王朝から新しい王朝へほぼ平和裡に権威や権力が移行して体制が変わる。
多分、白紙革命が目指しているのは、平和的な体制転換ではないか。そしてそこには、儒教とは別に古来から中国に根付いている老荘思想の影響さえ感じられる。なぜなら見えないものを見るというのは、物事を分析したり、2元論で解決しようとしてもできないことを意味する。白紙は何も書かれていない状態である。老荘思想における無為自然の無だ、つまり作為の無い自然状態だ。民衆は政府に対して知や欲を働かせず、命を助けてほしいと、文字で書いた言葉ではなく、心で訴えているのではないか。家族の誰かが病気になったら看病するのは当たり前の自然な姿である。白紙革命が起きたことで、ゼロコロナ政策が緩和という形で、次善の方向へとほんの少しでも歩みを進めたことは間違いない。