今月に大阪の中之島美術館で開催されているモネの展覧会へ行った。今回はこの偉大な画家の作品群が、主に連作を中心にして纏められており、大作の展示はなくともこの企画は上手く成功していたように思う。そしてほぼ連作ばかりというスタイルでしか、見えてこない魅力も感じた。
2016年にも京都市美術館で鑑賞したモネ展の感想をここで書いたが、あの時より今回は作品数が20点ほど少なく、そのせいか館内の人口密度が高くともストレス指数は低かった気がする。もっとも私が美術館に入ったのは閉館の約30分前であり、既に混雑のピークを過ぎていた。また残り時間が15分を切った辺りから展示空間も閑散としてきた為、数秒間ではあっても遠のいたり近づいたりして、モネの一つ一つの絵と対面できた。
モネの絵を鑑賞していて圧倒されるのは、画家が観察した風景における色彩の復元力であろう。これはもう唯一無二の個人技だ。印象派の中でも頭抜けており、恐らく印象派の枠を越えた古今東西の絵画表現においても、モネはやはり最高峰なのではないか。モネの絵画世界の色彩構成には、超越したプラス要素があるのだ。そこでは肉眼では捉えられないほどの、色と色の組み合わせやその関係性さえ感じられる。
今でこそ印象派の画家たちの作品は偉大な高評価を得ているが、その道程は苦難の歴史である。印象派が登場する以前の画家の殆どは、家の外へ出て風景を描く場合、それは習作のスケッチをする為であり、本作品はアトリエで制作するのが常道であった。この既成概念を取っ払てしまったのが19世紀に登場した印象派だ。彼らは時間の変化を前提とした上で、現地に身を置いて風景と向き合い描いていく。この為、事物を正確に再現するよりも、瞬間の印象を再現するわけで、当然のことその制作は現地でほぼ完結することになる。特にモネの場合、絵の具の筆触からも確認できる通り、作業スピードが速かったことから、完成形をアトリエに持ち帰っていたはずである。
モネの絵もそうだが、印象派の作品は総じて荒々しい。筆触は勿論、絵の具をパレットで混ぜる時間も惜しんで、原色をキャンバスに塗っていく。こうした制作スタイルゆえに、既成概念の物差しで鑑賞すると、未完成で下手な絵に見えるし、印象を描くという主題が前衛的で反感を持たれることさえあった。要は作品も作品のテーマも悉く批判され、否定される事態に陥っていたのが、印象派が理解される以前の厳しい現実である。
またこんな状況では当然、印象派の作品の多くはコンクールで落選するし、実際に購入されることも少なかった。そして印象派に対する肯定的な評価が高まりだすのは、発祥の地の欧州ではなく、大西洋の彼方の米国である。この辺り19世紀の米国は建国して未だ100年程度で、美術界も欧州の伝統的価値観や風潮から脱却する独自性が芽吹いていたともいえる。また印象派の作品を紹介した画商にも好意的で、米国は新興美術市場として拡大しつつあった。この為、米国の風景画家の中には、印象派の作品と直近に接し、感化されて欧州に渡る人々も現れた。
一方、モネの祖国フランスで印象派が受容されて、彼自身が絵で生計を立てれるようになるのは1880年代頃であり、モネは既に40代になっていた。それでも世紀を越えて86才まで生きたモネにとって、自作品を含めた印象派の作品が世界中で評価された時代の到来には幸福感を覚えたのではないか。今回の画像は中之島美術館で、撮影が許可されているモネ晩年の作品である。睡蓮の池を主題とした連作の1つだが、有名なモネ家の庭の光景が描かれている。この絵を制作中のモネはもう60代後半で、流石に若い頃の強靭かつ研ぎ澄まされた視力は衰えてきているはずだが、それでもやはり色彩の魔術師は健在だと認めざるを得ない。
特にこの「睡蓮の絵」は、実際に館内で鑑賞した時の印象と、時間を置いてから撮影画像を確認した時の印象で、モネが創造した色彩の充実の度合いを認識することができる。そこから感知できるのはモネの情熱と執念だ。彼は描く対象に肉薄して一瞬を捉えながら絵筆を走らせ、刻々と変化する光の影響を受け入れている。つまりカメラマンが切り取る一瞬のフレームとは違い、短い制作時間の中で一瞬一瞬を堆積させていく。しかしその一瞬の堆積が集約された絵は、モネ自身を感動させた風景の記憶が、絵画表現として結実した理想的な美だといえる。そしてそれはリアリズムとは違う、モネならではの光に溢れた幻のような風景だ。
ただこの晩年の絵には、そんな理想の美を追い求めるモネの姿勢に、何か崇高で無垢な力が宿っている。鑑賞者からすると、モネの絵は比類なき固有の完成形を具現していると感嘆するしかないほどだが、創造者モネの感動が直撃して伝わってくると共に、その一方で、彼は創造の結果よりもその過程を大切にしていたようにも思えるのだ。つまり理想の美への到達を目指しつつ、理想の美を必死で追いかけるよりも、そこへ導かれるようにして直向きに描き続けたということである。追い求めていた幻を捕まえようとせず、むしろ届かない幻を謙虚に追っていたのではないか。これは晩年になって達した境地であろうが、この絵にはモネの穏やかな死生観さえ漂っている。池の水面に写っている空には黄昏の色を感じるし、揺蕩う睡蓮の葉は生者必衰の理りを知っているようだ。
2016年にも京都市美術館で鑑賞したモネ展の感想をここで書いたが、あの時より今回は作品数が20点ほど少なく、そのせいか館内の人口密度が高くともストレス指数は低かった気がする。もっとも私が美術館に入ったのは閉館の約30分前であり、既に混雑のピークを過ぎていた。また残り時間が15分を切った辺りから展示空間も閑散としてきた為、数秒間ではあっても遠のいたり近づいたりして、モネの一つ一つの絵と対面できた。
モネの絵を鑑賞していて圧倒されるのは、画家が観察した風景における色彩の復元力であろう。これはもう唯一無二の個人技だ。印象派の中でも頭抜けており、恐らく印象派の枠を越えた古今東西の絵画表現においても、モネはやはり最高峰なのではないか。モネの絵画世界の色彩構成には、超越したプラス要素があるのだ。そこでは肉眼では捉えられないほどの、色と色の組み合わせやその関係性さえ感じられる。
今でこそ印象派の画家たちの作品は偉大な高評価を得ているが、その道程は苦難の歴史である。印象派が登場する以前の画家の殆どは、家の外へ出て風景を描く場合、それは習作のスケッチをする為であり、本作品はアトリエで制作するのが常道であった。この既成概念を取っ払てしまったのが19世紀に登場した印象派だ。彼らは時間の変化を前提とした上で、現地に身を置いて風景と向き合い描いていく。この為、事物を正確に再現するよりも、瞬間の印象を再現するわけで、当然のことその制作は現地でほぼ完結することになる。特にモネの場合、絵の具の筆触からも確認できる通り、作業スピードが速かったことから、完成形をアトリエに持ち帰っていたはずである。
モネの絵もそうだが、印象派の作品は総じて荒々しい。筆触は勿論、絵の具をパレットで混ぜる時間も惜しんで、原色をキャンバスに塗っていく。こうした制作スタイルゆえに、既成概念の物差しで鑑賞すると、未完成で下手な絵に見えるし、印象を描くという主題が前衛的で反感を持たれることさえあった。要は作品も作品のテーマも悉く批判され、否定される事態に陥っていたのが、印象派が理解される以前の厳しい現実である。
またこんな状況では当然、印象派の作品の多くはコンクールで落選するし、実際に購入されることも少なかった。そして印象派に対する肯定的な評価が高まりだすのは、発祥の地の欧州ではなく、大西洋の彼方の米国である。この辺り19世紀の米国は建国して未だ100年程度で、美術界も欧州の伝統的価値観や風潮から脱却する独自性が芽吹いていたともいえる。また印象派の作品を紹介した画商にも好意的で、米国は新興美術市場として拡大しつつあった。この為、米国の風景画家の中には、印象派の作品と直近に接し、感化されて欧州に渡る人々も現れた。
一方、モネの祖国フランスで印象派が受容されて、彼自身が絵で生計を立てれるようになるのは1880年代頃であり、モネは既に40代になっていた。それでも世紀を越えて86才まで生きたモネにとって、自作品を含めた印象派の作品が世界中で評価された時代の到来には幸福感を覚えたのではないか。今回の画像は中之島美術館で、撮影が許可されているモネ晩年の作品である。睡蓮の池を主題とした連作の1つだが、有名なモネ家の庭の光景が描かれている。この絵を制作中のモネはもう60代後半で、流石に若い頃の強靭かつ研ぎ澄まされた視力は衰えてきているはずだが、それでもやはり色彩の魔術師は健在だと認めざるを得ない。
特にこの「睡蓮の絵」は、実際に館内で鑑賞した時の印象と、時間を置いてから撮影画像を確認した時の印象で、モネが創造した色彩の充実の度合いを認識することができる。そこから感知できるのはモネの情熱と執念だ。彼は描く対象に肉薄して一瞬を捉えながら絵筆を走らせ、刻々と変化する光の影響を受け入れている。つまりカメラマンが切り取る一瞬のフレームとは違い、短い制作時間の中で一瞬一瞬を堆積させていく。しかしその一瞬の堆積が集約された絵は、モネ自身を感動させた風景の記憶が、絵画表現として結実した理想的な美だといえる。そしてそれはリアリズムとは違う、モネならではの光に溢れた幻のような風景だ。
ただこの晩年の絵には、そんな理想の美を追い求めるモネの姿勢に、何か崇高で無垢な力が宿っている。鑑賞者からすると、モネの絵は比類なき固有の完成形を具現していると感嘆するしかないほどだが、創造者モネの感動が直撃して伝わってくると共に、その一方で、彼は創造の結果よりもその過程を大切にしていたようにも思えるのだ。つまり理想の美への到達を目指しつつ、理想の美を必死で追いかけるよりも、そこへ導かれるようにして直向きに描き続けたということである。追い求めていた幻を捕まえようとせず、むしろ届かない幻を謙虚に追っていたのではないか。これは晩年になって達した境地であろうが、この絵にはモネの穏やかな死生観さえ漂っている。池の水面に写っている空には黄昏の色を感じるし、揺蕩う睡蓮の葉は生者必衰の理りを知っているようだ。