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追悼 坂本龍一の映画音楽

2023-04-30 23:57:58 | 日記
前回に大江健三郎さんを偲ぶブログを書いたが、今回は坂本龍一さんである。この場を借りて、衷心よりご冥福をお祈りします。彼の音楽も日本だけではなく、既に世界中で幅広く評価されている為、今更その輝かしい功績を賞賛するまでもないのだが、私個人は日本国内で一世を風靡したYMOに代表されるテクノポップと評された音楽よりも、彼個人が担当した映画音楽に魅了された。特にご本人も俳優として出演された「戦場のメリークリスマス」と「ラストエンペラー」は未だに聴くことが多い。

 この2本の映画は、監督も日本の大島渚とイタリアのベルナルド•ベルトルッチという世界的な巨匠である。特にこの故人2人の映画監督は自国のみならず外国での評価が非常に高かったように思う。そして共通するのは日本とイタリアという第2次世界大戦の敗戦国出身であり、自国の歴史を取材した作品も多く、そこでは戦争を誘発する全体主義への痛烈な批判精神が感じられることだ。特に大島監督の「日本の夜と霧」やベルトルッチ監督の「暗殺の森」などはその最たるものであろう。そしてこうした社会派でもある真摯な映画監督から、是非にと依頼された坂本龍一の創造した音楽はやはり素晴らしかった。

 無論、映画音楽の為、あくまでも映像を補強する為に制作されているのは確かなのだが、それでもサウンドトラックとしてリリースされた音世界を視覚抜きで聴覚体験すると音楽の存在感が歴然と際立ってくる。そしてこの2作品に描かれた時代は第2次世界大戦で重なっていても、物語の舞台は日本列島から遠く離れていた。「戦場のメリークリスマス」ではインドネシアのジャワ島が、そして「ラストエンペラー」では中国大陸が、登場人物たちが生きる映像のメインの風景となる。それゆえその地の民俗的かつ古典的音楽を、当然のこと坂本龍一は意識して吸収し作曲していたようだ。映画音楽の場合、不幸にもこれが映像と調和しないケースもあるが、この人の場合、担当した映画音楽は、その意味では高評価の成功作ばかりである。

 そして坂本龍一固有の音世界は晩年になってから、静かさと広大さを評価する声が増えてくるのだが、これは意外と映画音楽の仕事を始めたことが大きかったのではないか。私たち人間は物事の判断基準の大半を視覚に依存してしまうが、音楽家の人々は世界が目に見えない多種多様な要素も含めて成立していることに鋭敏である。生前の彼の発言を振り返ると、音楽の存在価値や意義に関しても熟知していたことが窺えるし、それゆえに音楽が社会に与える影響さえ加味して、慎重に入念に創作活動を続けていたことはほぼ明白だ。

 特にそれが最も顕著に表れているのは、音楽の力についての持論である。彼は音楽の力が政治に悪用されてしまうことを非常に危惧していた。しかもそれは本来の音楽の姿ではないと明言している。たとえば20世紀のドイツで独裁者ヒトラーに率いられたナチスがワーグナーの音楽を戦意高揚に利用したケースなどは、歴史的事実として大変わかりやすいのだが、政府が国民をプロパガンダで洗脳する局面で、音楽は強力に作用する。これは古今東西、強権的な政府によく見られる傾向であり、坂本龍一さんのように誠実に音楽と向き合ってきた音楽家には実に迷惑な話だ。そして音楽家に限らず、大島渚やベルナルド•ベルトリッチのような映画監督にとってもこれは全く同じ見解であろう。つまり芸術家は安易に政治権力と野合するべきではない。

 また坂本龍一さんは政治的発言も多い文化人であった。自分がこれは悪い、おかしいと感じたことは気負うことなく直言されている。今や遺言になってしまったが、東京都の神宮外苑再開発への反対の意志表明も例外なくそのケースだ。そしてこれは現代日本の東京都だけの問題ではなく、人類が文明化して以降、自然環境を破壊することで暴利を貪るという愚行は、残念ながら世界中で今もなお廃れることがない。しかもこの悪癖のような経済システムで富を享受できるのは、この企みを計画しその実現に邁進する為政者やその取り巻き連中だけである。しかし日本は民主主義の法治国家なので、本来なら為政者の暴走を防げるはずだ。それがいつの間にか、不条理な方向に進んでしまうのは、有権者の選挙への投票率が低かったり、政府が公開している情報のチェックが疎かになっていたり、内実は国民ではなく政府にだけ好都合なプロパガンダを安直に信用してしまう民意にも問題がある。

 「戦場のメリークリスマス」と「ラストエンペラー」における俳優の坂本龍一が演じた人間は、大日本帝国の軍人と政治家という全体主義国家の権力者であった。この2つの映画では日本の敗戦も確りと描かれており、映画の中の坂本龍一は国家の破滅と共に軍人は処刑され、政治家は自殺している。しかし大島監督もベルトリッチ監督も一筋縄ではいかず、第2次世界大戦が終わっても、理想的な世界が訪れてはいないことを映像で表現している。特に「ラストエンペラー」は清朝最後の皇帝溥儀の全生涯を辿っており、終戦後に中華人民共和国で皇帝から平凡な庶民の庭師として生き直す彼は、その境遇に感謝しているにも関わらず、意識改革に導いてくれた大切な恩師が、文化大革命で同胞の人民から罵倒され、国家権力により捕縛される現実を目にして絶望する。

 この2つの映画に共通するのは、時代に翻弄される人間の悲哀である。実際に私が映画を劇場で鑑賞したのは、1980年代なのでもう40年近く昔の記憶になってしまうのだが、今だにはっきりと登場人物の台詞で覚えているのは、「戦場のメリークリスマス」でデヴィッド•ボウイ演じる英国軍捕虜が、収容所の外のジャワ島の風景を見て「ここは美しい」と感嘆して断言した言葉である。清々しい晴天とジャワ島の濃密な密林を目にして、彼は真剣な表情で確信を込めて、同じ捕虜の友人にそう呟いていた。そしてその友人は余裕もなくオウム返しではあっても心からそれに共感している。戦争という人災が世界大戦という最大規模の形で展開されている時代においても、人間に破壊されていない大自然にはまだ平和が満ち溢れているのだ。大島監督はこの映画を、鑑賞者の殆どが捕虜の側、つまり戦争によって自由を奪われ監禁されている人々に感情移入できるように構築している。それゆえこの「ここは美しい」という言葉は、戦争に対する完全な拒絶であり、最強の戦争反対のメッセージである。なぜなら敵と戦い、敵を滅ぼす意志がそこには全くないからだ。全世界が戦時下にあっても、兵士が自然の風景を静かに見つめることで心の中から戦争を消去している。

 大島監督はこの「戦場のメリークリスマス」だけではなく、遺作となった「御法度」でも坂本龍一に映画音楽の制作を依頼した。勿論、坂本龍一は快く承諾し、そのサウンドトラックをリリースしている。そしてベルトルッチ監督も「ラストエンペラー」を含めて東洋3部作とも称された残りの2作品「シェルタリング•スカイ」と「リトル•ブッダ」でも映画音楽に坂本龍一を起用した。どの作品も映画音楽として最高水準の完成度だ。そして最後にハリウッド映画で有名なリドリー•スコット監督の代表作「ブラックレイン」も紹介しておきたい。この映画音楽も坂本龍一が制作しており、エンタテインメント路線のアクション映画である為、とても聴きやすく、坂本龍一の映画音楽をこれから聴く人には、導入としてこの「ブラックレイン」はお薦めかもしれない。
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