8月27日
大島からフェリ―に乗船した時。
窓際に座り、外を見ていた私。
二つおいて女性の方が座っていました。
出航すると、肩越しから
「 大島へボランティアへ行くんですか 」と。
振り向くといつの間にかその女性が隣の席に。
「 はい。大島の方ですか 」とわたし。
「 そうなんですよ。やっと船が運航して、助かります。
うちもボランティアの方に随分と片付けてもらいました。
ありがたいです。」
当日は、今回の地震はとんでもないことになると
瞬時に思われて、通帳・印鑑を持って、
すぐに裏山へ逃げられたそうです。
お隣の老夫婦にも声を掛けたけれど、
大丈夫だといわれそのまま残られて・・・・・・
帰らぬ人に。
3,000人の島民も今は何人になったのか・・・
津波を体験しているお年寄りの死亡率が高かったと
おっしゃっていました。
そして、女性の方のお宅は、津波で全壊。
ワカメと牡蠣の養殖をされていて、
「 海から沢山の恩恵を受けて暮らしてきたけど、
今はこれからどうしていいか分からないんです。
娘が千葉に居るのでそちらに行って、
ゆっくり考えようかとも思っているけれど。
島を離れるのは・・・・ねえ・・・・・・。
今は、海が憎いです・・・・・
ねえ、そんなこと思っちゃいけないんだろうけど 」
言葉が出ませんでした。ただただ、ん、ん、ん・・
本当にそうだろうな・・・本当に・・・と
こころの痛みを受け止めることしか出来なかった。
「 でも、みなさん遠くからボランティアが
来てくださってね。あなたはどちらですか。
(埼玉です)。
「そうですか。ありがとうございます。
何だか申し訳ないです。 」
とおっしゃって。
私は思わず
「 仙台で東北の方々が集まってお祭りをされましたよね。
そのお祭りの趣旨は、“ 私達は元気です。
ということをみなさんに伝えたかったから ”ということで、
その姿、言葉を聞いて
東北の方のこころの優しさ、美しさに私達は
心から感動しました。
そして、震災の当初から、
画面から聞こえる被災者の方の言葉は、
ありがとうございます。有り難い。ばかりで、
日本中が、世界中が、自分に何か出来ないかと真剣に思い、
願い、行動に移されました。
それはすべて東北のみなさんの県民性の賜物です。
私も一日も早く来たかった。
だから、今日は有り難くて、嬉しくて 」
「 本当ですか。そんな風に思ってもらってたんですか。
ありがとうございます。」
もう二人で顔を見合わせて、涙、涙、涙・・・・・・
何にも出来ない私だけど、
この方に逢わせていただくためにここへ
来させていただいたんだ・・・・
ほんと―――に、有り難かったです。
ゆっくりゆっくり、未来へ歩を進めていただけたらと
深く、深く、祈っています。
いつも、いつも・・・・・・・・。