病院に入院し
老人保険施設へし
そのあと自宅に一時帰宅したと思ったら、
またショートステイしたり
入院したり、
完全に入所したり
あるいは 子供のいる地域へ引き取られていったり
そっちでまた入所したり
入院したり
施設が変わったり
実は
老人になってから
引越しの回数が増えるのが世の常である。
老人は、引っ越すものなのだ。
本来 体力も気力も経済的にも尽きかけている老年期に、
寝泊まりするところが大幅に短期間に移動しなければならないのが
世の常なのである。
身動きとれなくなった老人に 安住の 居場所はない。
どこに根があるのかわからない。
よほどの経済的 または 人的な資源をもっていなければ
誰かの都合に合わせるしかない。
それが仕方ないことなのだ。
介護を受けないと暮らせない
という 原資 を 手にしてしまったがために、
誰かの 世間の 利益を生み出す為、
果てしなく動かされたり、
果てしない時間 閉じ込められたりするのは
仕方ないことなのだ。
本人がのぞむとのぞまざるとに関わらず
多くのことは いろんなことに バランスをとって決定される。
高齢になれば
だれか若年者の儲けにならなければ、
レーゾンテートルがないのだと
文言にはなっていないが、
そのように
世間ではなっている。
そして、
そのような果てなき旅をラクに過ごせるように
という言葉に踊らされて
消費税だの
介護保険だのと
いろんなものを上乗せされて
しょっ引かれているにも関わらず
やれ 介護保険は崩壊するだことの
高齢社会だのと脅されて、
あるいは
若年者の生活が苦しいのは
高齢者がのさばるせいだと
介護は苦しい
専門家に任せろだといわれて
結局家で最後まで住み続けるというのは
夢のまた夢
誰かの利権で建てられた老人施設などで
月にたった1日程度しか稼働しないドクターが1000万円もふんだくっていく中で
たった数日働いただけで一月働いただけの給料をふんだくっていくリハビリの先生の収入と
儲けようと思って参入したといって憚らないオーナーの懐をあたためるために
1日数百円の食費で 生かされ
善意のレクレーションに参加させられ、
ときにはベランダから突き落とされても不問にふされ
そんなふうに
人間は 人生の最後を飾るのである。