組長のなりてがいないと
次の組長を決めなければならないのに
だれも受けてくれないと
病み上がりのほっそい現組長に
申し訳なさそうに
次はある聖職者のお宅で
奥様がある役職をしているからと 断ってきて
(なぜ旦那さんはしないのだろうか?)
その次は
来年はどうしても受けられないとのことで
(成人した娘がいるのだから受けられるのではと思うのだけど)
その次は、
奥さんが病で
旦那様は受けられる体力なのだが
最初の「聖職者家族」が受けないのがけしからんと
大激怒しており、とりつくシマがないのだそうで、
私の家は本来これらの後
つまり4年後に受ける予定だったのだが
いきなり4年飛び級
その衰え切った現組長が、
大変だろうけど、手伝うからなんとかというので
現組長が元気なうちに 早めに「手伝ってもらえる状況で」受けたほうが、
得だから受けますよと
気持ちよく 引き受けた
だれかに依頼されるということは
ありがたいことである。
うちだって、本来は受けられない状況だ。
だって生活がままならないから、援助を受けてなんとか成り立たせている世帯なのだから。それでも睡眠時間は連続で4時間もとれない状況がずっと続いている。
そういう状況の 私が受けるのにも意味があるんだろう。
それにしてもよく考えると
自治会って
治安の維持には少しは(顔見知りになるから)とは思う一方
赤十字の募金だとか
社協の集金だとか
広報を(読まねえ)回覧板まわすとか
なんか、変えていかないと
意味のなさそうな仕事は減らして
意味のありそうなことにトライしていかないと
嫌われて終わる仕事だよね、自治会組長ってさ。