ガスライティングという言葉を初めてしった。
しらべてみると
wikiで
”ガスライティング(英: gaslighting)は心理的虐待の一種であり、被害者に些細な嫌がらせ行為をしたり、故意に誤った情報を提示し、被害者が自身の記憶、知覚、正気、もしくは自身の認識を疑うよう仕向ける手法[1]。例としては、嫌がらせの事実を加害者側が否定してみせるという単純なものから、被害者を当惑させるために奇妙なハプニングを起こして見せるといったものまである。”
”アメリカ心理学会(American Psychological Association: APA)のオンライン心理学辞典では、ガスライティングは「他人を操って、その人の認識、経験、出来事の理解を疑わせること。かつてこの言葉は、精神疾患を誘発したり、ガスライティングされた人を精神病院に入院させることを正当化するほど極端な心理的操作を指していたが、現在ではより一般的に使用されている”
ガス灯という映画にちなんでいるという話。
事実認識を歪ませ、自分の有利な方向へ引っ張っていく手法と言えるのではないか。
事実は事実なのであって
どこかで発表された論文や
専門家が言っている「エビデンス」が
事実なのかどうかなど
事実なのかどうかなど
確かめようがない
ことを
論点にしても仕方ないのに
だれかが 被害を訴えていても
「〜に書いてある事実とことなる」と
あたかも
事実=論文に書いてあることだと主張して
論点をずらす
最近のコミニュティノートなどは良い例である。
読んだところで、
事実は変わらない
なにかをして
そのけっか
死んだ
なにかをして
そのけっか
病気になった
そのときたまたま死んだ
そのときたまたま病気になった
などという
詭弁に付き合わされるのは時間の無駄なのだ。
自分の中の真実は事実に基づいているのだと
信じ続けることこそが
試されていることだと思う。