水曜のルヴァンでは
面白いスタメン起用をした大槻組長。
リーグ戦は
まぁ、連戦が続くから仕方ないか…
あまり新鮮さが無いスタメンだった。
前半は先制も出来
悪くは無い試合運びだった。
しかし後半は押し込まれるばかりで
ヒヤヒヤもの。
やっと、6節にしてリーグ戦初勝利。
ここから巻き返しなるか!?
ならんな((笑
もう6節なんだし。
今日も大槻組長のオールバックは健在だ。
勝てて、組長も観ることが出来て
結果オーライって感じだろう。
水曜のルヴァンでは
面白いスタメン起用をした大槻組長。
リーグ戦は
まぁ、連戦が続くから仕方ないか…
あまり新鮮さが無いスタメンだった。
前半は先制も出来
悪くは無い試合運びだった。
しかし後半は押し込まれるばかりで
ヒヤヒヤもの。
やっと、6節にしてリーグ戦初勝利。
ここから巻き返しなるか!?
ならんな((笑
もう6節なんだし。
今日も大槻組長のオールバックは健在だ。
勝てて、組長も観ることが出来て
結果オーライって感じだろう。
そもそも自分は、サッカーの経験も無い。
体育の授業でやったくらいだろうか((笑
それでも、浦和レッズが好きで
フットサルブームもあり、チームをド素人ながらつくってきた。
一番最初につくったチーム。
これは当時のメンバーには申し訳ないほど
メタメタであった((恥
ドタバタしていたと思う。
でも転勤で、熊本に行くと決まった最後のフットサルの時に
メンバー全員が集まってもらい
最後に送別会を開いていただいた。
感謝感激だった。
次につくったチームは転勤で行った地熊本になる。
入りたいチームが調べるも無く
自分でまたもつくった。
さすがに2チーム目
まぁ、それなりに前のチームの失敗があったらこそ
そこそこ順調に行ったと思う。
そんな熊本で、サブリーダーを2人
つくることになる。これは過去の教訓から。
フットサルチームをつくり
続けていくという事は、骨が折れる。
参加人数が少なければ、相手チームを探さないといけないし
メンバーの募集も続けていかないといけない。
時に悩んだり、迷ったりする時もある。
そんな時に、一緒に考えて
一緒にやってくれるのがサブリーダーになる。
その熊本では、サブリーダーには本当に助けられた。
ならば、また転勤から戻り
こっちでもサブリーダーをつくることになった。
最初は機能していたと思う。
考えるに機能しなくなってきたのは
チームをつくった当時のサブリーダーが
仕事の関係でチームを辞めることになり
別のメンバーをサブリーダーにしたあたりだろう。
この辺から全く機能していなかったと
振り返ると思う。
やはり最初に辞めてしまったサブリーダーの
存在が大きかったのかもしれない。
話しが長くなってしまったが
自分にとってサブリーダーは
助けてもらい、一緒に考えて苦労をしてもらう
一蓮托生
そんな存在だと思っていた。
しかし、それは自分の勝手な妄想だという事が
充分過ぎるほど分かった。
うーん。。。
これも書いちゃうか!?
サブリーダーの一人に関しては
とあるメンバー主導で、自分が居るのなら辞めるとメンバーを
募っていた時に、他のメンバーに
「どうする?そのチームに行く?」と
相談をしていたと聞いた。
全く間抜な話だ。
一蓮托生だと思っていた自分が恥ずかしい。
まぁ、結局のところ
自分に人を見る目が無かったってこと。
それが全てなんだろうと思うけど。
続けざまに書いてしまったけど
次回はフットサルを再度やろうと思ったきっかけを
書こうと思うので・・・
では。
話しを聞いてから決断をするまでは早かった。
1月21日のフットサルの終了後のことだ。
チームのサブリーダーから
話しがあるとのことで話ながら帰っていた。
要は、自分のやり方では、辞めるメンバーが居るという。
だったら、辞めたい者は辞めるのは仕方ない。
そう伝えると、メンバーの殆どだという。
数名の名前が出たが、それ以外
ほぼほぼ、チーム全員だというニュアンスだった。
そこで、サブリーダーから出た質問は
自分がチームの代表に拘りがあるのか?
というものだった。
ここで正直「?」ではあった。
自分が、代表から降りれば、丸く収まるのだろうか?
意味が分からなかった。
ただ分かっているのは、聞いた中では
メンバーの殆どが、とあるメンバー主導により
今のままだと辞めていくという事。
話しは理解できない部分が多かったものの
やり方が気に入らない!
そう思われてまで、代表を降りたからと言って
そんなメンバーと、一緒に笑顔で、フットサルなんか
出来るわけもない。
まだ入部して間もないメンバーも居て
ここでチームが割れるのも申し訳ない・・・と
短時間でチームを辞めること
ならばフットサル自体を辞めることを決めた。
ってのが辞めると宣言をした
大まかな内容になる。
ぶっちゃけ、お恥ずかしい話ではあるが
そんな話が、陰で進んでいたことすら
何も知らなかった。
大まかな内容となる。と書いたが
これ以上の情報は自分には無かった。
後にあとから、色々な経緯が
分かるようになってきたのだけど。
思ったことは
サブリーダーの存在が全く機能をしていなかったってこと。
そのことも非常に残念で仕方なかった。
サブリーダーを置くようにした経緯等は
また別に書くとして
あの当時の自分は、その場でそんな話を聞かされ
周りが全て、自分から見たら敵なんだろうとしか思えなかった。
まぁ、それは後に違っていて
チームの大半が、自分のやり方に反対していたのは
違うと分かったわけだけど。
このブログで
1月21日の朝の記事
その日の終わりの記事の落差が激しくあったのは
こんなことがあったからだ。
この話はこれだけでは終わらない。
ってなことで、一度辞めると宣言をした経緯になる。