土塊も襤褸も空へ昇り行く:北村虻曳

随想・定型短詩(短歌・俳句・川柳)・写真
2013/11/11開設

サンパギータ  村上直之・定型短詩集『ゆきくれて』(冨岡書房)によせて

2014-09-19 | 随想
  サンパギータ 
   村上直之・定型短詩集『ゆきくれて』(冨岡書房)によせて
                                               北村虻曳

   マイナラのなめ肌熱き長き夜を
   サンパギータの香に咽びつつ

村上直之、このスパンが広く情熱的な男について、句歌とともに紹介する、と言っても変幻を重ねる彼の世界を捉えることはむつかしく、私に見ることの出来た外形に触れるだけであるが。

彼との出会いは四十年ほど前であろうか。村上は、北白川を根城とする京大の文学部の院生等と文学グループを形成していた。一方、もてきまりと堀本吟が小さな手作り詩誌『たるにゆ』を出し、それに私も参加していた。京大の文学グループにその二人が合流して読書・研究グループ「永久運動」を立ち上げた。メンバー(現在名)は、
岩田強、亀井邦彦、久保田忠利、福島勝彦、堀本吟、村上直之、もてきまり、茂木信之、湯浅康正。他に田淵晋也、栗林敏郎、私など種々の分野の人間が交流していた。

大学が混沌とした時代であり、どのような出会いであったかは定かではない。そこでは吉本隆明やバタイユなどが題材となっていた。理学を生業とする私もときどき覗きに行った。メンバーはそれぞれクセの、いや個性の強い面々であった。その一人が回転の早いシティボーイ、村上である。文学コンプレックスがあり、ときたまおっかなびっくりで口を挟む私に対して、彼はすかさず「今いみじくも北村さんがおっしゃったように・・・」などと励ましてくれた。
この頃のイメージは、カンカン帽などをかぶり、ひょいと窓枠などに腰掛けて缶ビールを片手によくしゃべる姿である。いやこのスタイルはその後も変わらなかった。彼は面白いことに対しては抑制のない人間で、知るほどにいろいろなことに手を出していることが判ってくる。最初に驚いたのはボクシングをやっていたことだ。これは「続けると脳みそが鍋の中の豆腐のように打撃で砕けるのでやめた」そうだ。

「永久運動」のメンバーはやがて多彩な分野の研究者となっていった。教育学部出身の村上は、後述のように社会学、特にラベリングや関連するメディア論に重点を置いた研究者となった。しかし彼の活動はアカデミズムの枠を大きく踏み越えている。たとえば初めは舞踏集団「白虎社」や、のちには現代演劇の劇作・演出を行うあごう・さとしを相談者として支えている。また前衛いけ花と言うより他にないが、多量の花びらを凝縮しガラス器に封じるといった戦慄すべき作品群を生み出した中川幸夫との共著「花のおそれ」では、分析的にして詩的な文章をもって絶妙なインタープレイを達成している。

   ニガウリの黄花まどろみ見る夢は
   潮騒寄せるラグーンの海

彼の最初の著名な翻訳書は『アウトサイダーズ』であろうか。私は読んではいないが、逸脱者はその本人の特性によって規定されるのではなく、周りの社会がレッテルを貼ることによって生まれるものであるとするラベリング理論の必読文献であるようだ。
こうした流れで、力作『近代ジャーナリズムの誕生』をものした。千五百年頃伝承としての「アウトロー・バラッド」にかわり、印刷技術の発達で紙に刷られ街頭で売られる「ブロードサイド・バラッド」が生まれた。犯罪報道の走りであり、新聞を胚胎するものである。そこから始めて、英国でジャーナリズムの歴史を丹念に追う。ジャーナリズムは社会を報道するというだけではなく、報道が社会にフィードバックをもたらすことを重視する。
とりわけ統計は、それを知ることにより人は社会と自分を見る事ができるようになり、その相対的位置によって自分をコントロールする。したがって社会の重要な統治の方法となった。これはベンサムの作ろうとした「パノプティコン=一望監視塔」の生まれ変わりであるが、フーコーの言うような権力からの一方的監視装置ではないと指摘する。民衆も情報を握るからである。その情報が世の中を動かす。
そしていま、ジャーナリズムの発展が世を変えたのと同じように、ネットが世を変えようとしている。彼はウィキリークスのJ.アサンジュに対していち早く支持を表明している。

アートに近いところでの彼の大きな仕事は共著「見立て発想法」である。これはCD ROMにまとめられている。社会の変化は文化・芸術が予感・先行する。例として江戸文化における、僧、公家、武士の担う短歌の聖と雅から、町人の担う俳諧の俗への転換を挙げている。そこで自覚的に用いられた「やつし」が見立てなのである。
「創造力のゆたかな人間がたとえ話を好むのは、ふだんからこのイメージ転換の訓練を無意識のうちにおこなっているからだ、というのが私の持論である。」
また「日本人は抽象的思考に長けている。ただ私たち日本人の抽象的思考は、西欧人のように言語表現にではなく、さまざまな視覚表現の領域において発揮されてきた。」と述べる。日本人の視覚重視の指摘は腑に落ちる。私の言葉で言えば、時間的論理的推論よりも空間的把握に長けているといえる。現在のマンガや絵文字につながる特性である。

私がかって「ディラン・トーマスって面白いんだってねえ」と言うと、「あれは中学校の頃に原語で読みましたよ」ときた。京大の数学の入試問題も中学校時代にかなり解けたそうだ。まったく異能である。村上は感傷を厭わない。ローリンストーンズとドアーズを、暴力性とセンチメントの故によしと評した。ロックが好きということは直接性が好きということである。

しかし彼は同時に、古典的な日本語を愛用するのである。十九歳で詩集を出しているという村上の青春の愛読書は伊東静雄の詩であったという。村上は伊東の駆使した豊かな日本語を採るのである。
内村は少年時代を高崎で過ごし、村上も高崎で育った。ともに上州の人である。

   浅き夜の夢の余白の花むくげ

   あじさいを水の器とつぶやきし
   雨中に浮かぶあのひとの影

もう一つ付け加えておきたい。彼には強い公正感がある。というよりも反骨といったほうがいいだろう。高いところに土を盛るようなことが好きではなく、影に隠れたものを引き出そうとするのである。彼は鋭い観察力と洞察力によって幾人もの人を育てているに違いない。他ならぬ私も力を頂いた一人である。

   他の花のいつも添えものかすみ草

   滝つ瀬にうち捨てられしひと枝は
   春のいそぎと咲きにおいけり

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この定型短詩集『ゆきくれて』は、彼がおそらく自分の余命を知ってから思いたち、短期間でまとめたもののようである。私の定型短詩集『模型の雲』(2004年)は彼の跋をいただいており、彼が希望したように二冊の兄弟本として私の本棚に並んでいる。
同様にカイ・T.エリクソン著・岩田強氏との共訳『あぶれピューリタン逸脱の社会学』(現代人文社)も出版された。
詩集に関しては出版の冨岡和秀氏が親身の助言を行われ、共訳書の方は岩田強氏が、彼の臥せるすみかまで訪れて精神的に支えながら完成に至ったものである。
どちらも、存命中にわずかに間に合わなかっが、苦痛を押してiPhoneをベッドで操り、鬼気迫る執念で執筆を完了されたこと、私ども一同感服しまた安堵を覚えている。


この他の多くある村上直之の著作については『ゆきくれて』の巻末を参照されたい。
文中で参照したWEBサイトも記しておく。
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/lcs/kiyou/pdf_24-4/RitsIILCS_24.4pp.25-31Murakami.pdf
http://murakaminaoyuki.blog7.fc2.com/blog-entry-134.html
「見立て発想法 2001(CD-ROM 含む)」芸術工学研究所 村上直之、谷貞夫、谷内眞之助共著

(獅子の絵は村上によるもので第六十六代横綱若乃花の化粧まわしに用いられた。)





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2 コメント

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村上氏の報道に関する見解 ()
2014-10-05 11:08:28
東晋平氏が「葦の髄から時評」というところで
『「芸能の報道化」と「報道の芸能化」ということが村上氏によって早くから指摘されていた』
という趣旨の記事を書かれています。
http://www.d3b.jp/npcolumn/4487
この件、細見さん、Okamuraさんを通じて教えていただきました。
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注文について ()
2014-10-20 00:08:23
出版社は
冨岡書房:大阪市淀川区東三国6丁目1-30-807
email: parawittgenseei@gmail.com
にはがきか email で注文すればいいのですが、事情により対応が12月以降になる可能性があります。
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