学生で自転車で家庭教師アルバイトに通っている頃、冬には京都御所の南で、東西の通りよりも南北の通りの方が風が強くて寒いことに気がついた。東西の通りの方が風がなくて暖かいのである。冬は北風だから、これはある程度は当然であるが、御所の南で特にこのことを感じる。私はこの理由を次のように推測した。街は暖かくて上昇気流が起こり、相対的に御所には下降気流が起こる。その冷気が御所から吹き出す。冬だから北風となって東洞院通り、柳の馬場通りなどを南へ下る。
夏は街と緑地の温度差がより大きいであろうからこんな現象はもっと顕著であろうと思う。しかし夏の南風が吹くはずの御所の北側は同志社キャンパスで半緑地であるから、街と緑地の差が顕著ではない。また長く続く南北の道もない。だから確かめることができない。
近頃の温暖化傾向のもとでは、寒さよりも夏の暑さ、特に都市のヒート・アイランド化が問題である。だから冷気の下降は有難い。そこで上のような印象ではなく、もう少し突っ込んで調べてみた、と言ってもネットの調べは簡単である。
環境省発表の「皇居におけるクールアイランド効果の観測結果について」を見るとわかるように、やはり東京は恵まれた街である。皇居を中心とする吹上御苑、皇居東御苑の一帯の森や堀が街の加熱をかなり食い止めているようである。とりわけ吹上御苑は、ゴルフをやめてその跡に武蔵野の自然の再生を望んだ昭和天皇の判断もあり、自然林に近い森を形成するようになったのである。周囲を取り巻く多くの堀の水面の寄与も考えられる。吹上御苑内は私も見たい場所だ。しかし見る機会は、少・中学生や老人に開かれた年に一度づつの自然観察会しかない。それがその植生を守ってきたのであろう。
明治神宮はそんな森林の作り方の先駆である。ナショナルジオグラフィック「鎮守の社に響く永遠の祈り」によれば、明治天皇を記念するために計画され、帝国議会や経済界を動かして神社創建の機運が生まれたそうだ。林学、造園の専門家が「神社の森は永遠に続くものでなければならない。それには自然林に近い状態をつくり上げることだ」という基本計画を作った。しかし、当時の内閣総理大臣・大隈重信が異を唱えた。明治神宮の職員沖沢幸二氏の話として「明治神宮の森も、伊勢神宮や日光東照宮のような荘厳な杉林にすべきである。明治天皇を祀る社を雑木の藪にするつもりか――と大隈首相は言ったそうです」とある。この地に杉がいかに適しないかを説得して大熊を引き下がらせたという。しかし計画は100年以上にわたる植生の遷移を読む先進的なものであったのだ。明治神宮は現在、宗教法人神社本庁に包括されている。
航空写真を見ると、東京の緑地としては他に赤坂御用地、新宿御苑などが目立つ。どちらも藩邸であったが、前者は皇室御用となり、後者は宮内庁管理を経て国民公園となっている。いずれにしても企業の手の届かない頑迷な組織に守られて、ビルや遊園地、もっとも醜悪な駐車場などになることを免れた。こうして通常の企業や役所の管理下に置かれず、宮内庁や環境省の管轄となり、あるいは神社本庁の元にあって、商業的効率の計算外に置かれたことが大変ラッキーだったと思う。商業的・産業的効率はとても近視眼的である。一時代昔の資本家、ブルジョワジーの手に委ねられておればこれらの森は存続していなかっただろう。例えば、多数を握る俗物が五輪大会にかこつけ二重橋も日陰の存在にしてしまったこと、文字通り「殺風景」である。いや文化を重視する友人のジャーナリストさえ、皇居の存在を恨みがましく述べていた(付記3)。彼が東京を走り回るときに大きな障害となっていたからであろう。皆さん意識されているだろうか、あの東京メトロ網でさえ皇居一帯を恐れ、避けているのである。たしかに便利ではないのだが。しかしその邪魔者の存在は、目の保養を超えて、都市の高温化、乾燥を防ぐ上で大変大きな役割を演じている。昭和天皇も、明治神宮の立案者もそこまで考えたのではないだろうが、「ゴルフ」や「荘厳な杉林」よりも自然であることを好んだことが計算を越えた良い結果をもたらしたと言えるだろう。
東京には他にも多くの森林が存在する。上野恩賜公園は蘭医ボードウィンの発案によるという。また、京都では御所に加えて鴨川や琵琶湖疏水、大寺院などが冷却の役割を担っているだろう。(ただし、このうち琵琶湖疏水だけは、旧権威によるものではなく、また自然派的な発想によるものとは言えない。)しかし大阪ではそういう古くから続く権威が新興産業勢力に押されていたのだろう。元来町人によって架けられた「浪華八百八橋」も、戦後は多くが川の埋め立てなどで廃棄されている。現在、航空写真で樹木の少なさは一目瞭然である。
付記1:わたしは、皇室・宮内庁などが都心の森林形成・保存に役立ってきたからといって、今後の皇室制度の存続を望むものではない。人権も認められない皇族を置くことは止めるのが筋と考える。そのかわり、我々自身が賢く先を読み力をつける必要がある。難しいことである。
付記2:いわば自然を神とし穢れを激しく忌む神道の一派である神社本庁が、原発に関してかっては推進し、福島事故以後は口をつぐんでいる。これは上述の明治神宮の森を作り育てたような精神に悖るものではないだろうか。放射性物質ほど処置のない穢れはないではないか。その危険性は「炭酸ガス問題をキャンセルする」と言って選ぶことができるようなレベルではないだろう。(なお宗教界の原発に関する意見に関しては「原発に対する宗教界の見解」に詳しいまとめが見られる。)
付記3:今回気がついたが、そのぼやいていた彼等が「皇居の森」を特集したようである。一冊の本となっている。
写真:須磨離宮公園 <冷気、御所に降る>
夏は街と緑地の温度差がより大きいであろうからこんな現象はもっと顕著であろうと思う。しかし夏の南風が吹くはずの御所の北側は同志社キャンパスで半緑地であるから、街と緑地の差が顕著ではない。また長く続く南北の道もない。だから確かめることができない。
近頃の温暖化傾向のもとでは、寒さよりも夏の暑さ、特に都市のヒート・アイランド化が問題である。だから冷気の下降は有難い。そこで上のような印象ではなく、もう少し突っ込んで調べてみた、と言ってもネットの調べは簡単である。
環境省発表の「皇居におけるクールアイランド効果の観測結果について」を見るとわかるように、やはり東京は恵まれた街である。皇居を中心とする吹上御苑、皇居東御苑の一帯の森や堀が街の加熱をかなり食い止めているようである。とりわけ吹上御苑は、ゴルフをやめてその跡に武蔵野の自然の再生を望んだ昭和天皇の判断もあり、自然林に近い森を形成するようになったのである。周囲を取り巻く多くの堀の水面の寄与も考えられる。吹上御苑内は私も見たい場所だ。しかし見る機会は、少・中学生や老人に開かれた年に一度づつの自然観察会しかない。それがその植生を守ってきたのであろう。
明治神宮はそんな森林の作り方の先駆である。ナショナルジオグラフィック「鎮守の社に響く永遠の祈り」によれば、明治天皇を記念するために計画され、帝国議会や経済界を動かして神社創建の機運が生まれたそうだ。林学、造園の専門家が「神社の森は永遠に続くものでなければならない。それには自然林に近い状態をつくり上げることだ」という基本計画を作った。しかし、当時の内閣総理大臣・大隈重信が異を唱えた。明治神宮の職員沖沢幸二氏の話として「明治神宮の森も、伊勢神宮や日光東照宮のような荘厳な杉林にすべきである。明治天皇を祀る社を雑木の藪にするつもりか――と大隈首相は言ったそうです」とある。この地に杉がいかに適しないかを説得して大熊を引き下がらせたという。しかし計画は100年以上にわたる植生の遷移を読む先進的なものであったのだ。明治神宮は現在、宗教法人神社本庁に包括されている。
航空写真を見ると、東京の緑地としては他に赤坂御用地、新宿御苑などが目立つ。どちらも藩邸であったが、前者は皇室御用となり、後者は宮内庁管理を経て国民公園となっている。いずれにしても企業の手の届かない頑迷な組織に守られて、ビルや遊園地、もっとも醜悪な駐車場などになることを免れた。こうして通常の企業や役所の管理下に置かれず、宮内庁や環境省の管轄となり、あるいは神社本庁の元にあって、商業的効率の計算外に置かれたことが大変ラッキーだったと思う。商業的・産業的効率はとても近視眼的である。一時代昔の資本家、ブルジョワジーの手に委ねられておればこれらの森は存続していなかっただろう。例えば、多数を握る俗物が五輪大会にかこつけ二重橋も日陰の存在にしてしまったこと、文字通り「殺風景」である。いや文化を重視する友人のジャーナリストさえ、皇居の存在を恨みがましく述べていた(付記3)。彼が東京を走り回るときに大きな障害となっていたからであろう。皆さん意識されているだろうか、あの東京メトロ網でさえ皇居一帯を恐れ、避けているのである。たしかに便利ではないのだが。しかしその邪魔者の存在は、目の保養を超えて、都市の高温化、乾燥を防ぐ上で大変大きな役割を演じている。昭和天皇も、明治神宮の立案者もそこまで考えたのではないだろうが、「ゴルフ」や「荘厳な杉林」よりも自然であることを好んだことが計算を越えた良い結果をもたらしたと言えるだろう。
東京には他にも多くの森林が存在する。上野恩賜公園は蘭医ボードウィンの発案によるという。また、京都では御所に加えて鴨川や琵琶湖疏水、大寺院などが冷却の役割を担っているだろう。(ただし、このうち琵琶湖疏水だけは、旧権威によるものではなく、また自然派的な発想によるものとは言えない。)しかし大阪ではそういう古くから続く権威が新興産業勢力に押されていたのだろう。元来町人によって架けられた「浪華八百八橋」も、戦後は多くが川の埋め立てなどで廃棄されている。現在、航空写真で樹木の少なさは一目瞭然である。
付記1:わたしは、皇室・宮内庁などが都心の森林形成・保存に役立ってきたからといって、今後の皇室制度の存続を望むものではない。人権も認められない皇族を置くことは止めるのが筋と考える。そのかわり、我々自身が賢く先を読み力をつける必要がある。難しいことである。
付記2:いわば自然を神とし穢れを激しく忌む神道の一派である神社本庁が、原発に関してかっては推進し、福島事故以後は口をつぐんでいる。これは上述の明治神宮の森を作り育てたような精神に悖るものではないだろうか。放射性物質ほど処置のない穢れはないではないか。その危険性は「炭酸ガス問題をキャンセルする」と言って選ぶことができるようなレベルではないだろう。(なお宗教界の原発に関する意見に関しては「原発に対する宗教界の見解」に詳しいまとめが見られる。)
付記3:今回気がついたが、そのぼやいていた彼等が「皇居の森」を特集したようである。一冊の本となっている。
写真:須磨離宮公園 <冷気、御所に降る>
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