土塊も襤褸も空へ昇り行く:北村虻曳

随想・定型短詩(短歌・俳句・川柳)・写真
2013/11/11開設

インディアン

2014-05-14 | 随想
<インディアン>
私の住む生駒にインディアンが立っている。近くには本当にインド出身の人も住んでいるし、今日ではネイティブ・アメリカンというべきなのであるが、インディアンと言う方が、私の敬意を込めることができる。「インディアン・ウソツカナイ。白人・ウソツク」。チョンマゲのサムライのようなものだ。彼は酋長、ではなくて、部族長クラスなのであろうか、立派な羽飾りを頂いている。

私が生駒にやって来たのは1995年だ。当地に来てすぐ彼を発見したから、これで19年ほどになるが、彼は雨の日も風の日も、里山に開かれた野菜畑に立ち、矢田丘陵を見つめてじっと立っている。彼の顔を拭ったり、水を差し上げたりする人影も見たことはない。肩を揺すって鳥を脅したとか、優しい声で呼んだとかいう話もない。コンビニにお茶を買いにすたすたと出かけた、なんて話も聞いたことがない。いや彼に関する話が人の口に上るのを聞いたことが一切無い。

彼は山の向こうの鳥美の長髄彦(ながすねひこ)の様子を見張っているのか。いやこの一直線に連なる古い断層崖が動き始めるのを待っているのか。

今日はじめて近くへ寄って表情をのぞいてみた。それでも正面からは恐れ多いので少し横から。この19年間、私の顔は紫外線によって著しく劣化したが、彼の顔にはいくつかの剥落があるのみで、きりっとした表情が保たれている。私には一瞥もくれないが。左手には袋のようなものを、右手には塩ビパイプを握っている。肩に無造作に立てかけられた数本の作物用のポールを払う風もない。だが彼にはもう宅造の波が忍び寄っている。普通の比喩的な言い方よりも実感的に、背後ににじり寄っているのである。

すると、彼と私とどちらが長生きするだろうか。それは彼の立つ畑の持ち主の寿命にも関わっているであろう。それにしても、この持ち主はインディアンの何に当たるのだろうか。そもそもそこが気になるのである。

このインディアン、私の住む地域の名物にして売り出したい気もあったが、これまで内緒にしてきた。皆さんが押しかけて、畦を崩し畑を踏みつけて持ち主の怒りを買い、インディアンがどこかに隠居させられることを恐れるのである。だから詳細な地点はお教えしない。皆さんお探しになるとしてもお手柔らかにお願いしたい。





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1 コメント

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O My God ! (ETSUKO)
2014-05-18 22:44:41
よく見ると 風雪に耐えた りりしいかおだちですね。ひとつの聖域をまもっているふうぼうです。ほんとうに不思議な威厳があります。
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