土塊も襤褸も空へ昇り行く:北村虻曳

随想・定型短詩(短歌・俳句・川柳)・写真
2013/11/11開設

デュシャンの「泉」は簒奪か?

2016-02-16 | その他
<デュシャンの「泉」は簒奪か?>
ある意味で現代芸術の出発点となったデュシャンの既成品による作品「泉(fountain)」は、実は彼の提出したものではなく、簒奪したものであるという論文が2014年に出ている。
"Did Marcel Duchamp steal Elsa’s urinal?"
By Julian Spalding and Glyn Thompson:
The Art Newspaper Issue 262 - November 2014
Published online: 03 November 2014
(新聞全体はここ)

語学力を顧みず、要点を述べると以下のようになる。

デュシャン (Marcel Duchamp) は便器を L. Mott Iron Works で購入して、署名し、1917年に「fountain」と名づけて独立芸術家展に提出したが出展拒否をされた。その拒否への抗議で論争が起こり、現代芸術の一つの流れ conseptual art の起点となった。

しかし William Camfield, Kirk Varnedoe and Hector Obalk の骨折りにより、次のようにこれを否定する事実が明らかになった。

まず当時 L. Mott Iron Works は当該便器を販売していなかった。さらにデュシャン自身が「自分の女性友達の一人が男の偽名 Richard Mutt で、陶製便器を彫刻として送りつけた」と自分の姉妹に宛てて書いている。ここで Readymade ではなく彫刻(sculpture)の語を使っていることだけも、「デュシャンの手になるものではないことを示している」と論証している。

文学史が専門の Irene Gammel は、この女友達がドイツ生まれの Elsa と呼ばれる破天荒な女性詩人であることを突き止めた。彼女の部屋からは鉄製のガラクタが発見されたそうである。ここに登場する Elsa の行いもとても興味深い。この論文も、Elsa のこの作品を、「独立芸術者協会」との戦いとみなし、また身の回りのものを作り変えた作品としては
Picasso's Bull's Head, 1942, made of bicycle -handlebars and a saddle
Dali's Lobster Telephone, 1936
と比肩できるものとして高く評価する。

デュシャンはコンプレックスによるアート嫌いの時期を越えて、1930年代なかばに再び若いときのアートをまとめはじめた。「fountain」はかくして彼のものとして取り込まれた。そこから、この論文では、
Duchamp's mean and meaningless urinal has acted as a canker in the heart of visual creativity.
などとデュシャンへの罵倒が始まる:
「デュシャンの反審美眼によって権威付けられた便器の複製にとどまらず、膨大な conseptual art の大海に巨大な金が投じられた。」
「金のかかるスタジオや暇のかかる修練は、教育から追い払われた。なぜなら、考えることは作ることより安あがりだからだ。」
上に述べたように作品自体へはある種の賞賛を与えているにもかかわらず。

いまも「fountain」のコピーは残るが、出品された現物は紛失のままである。これにはいくつかの推測があるようだが、少々怪しい。

この論文にはさらに詳報が出ると予告されているがどうなったのであろうか。

上の記事はフェイスブック上で田中庸介氏に教えていただいた。
デュシャンは僕がもっとも関心を抱いていたアーティストの一人だけに驚きである。彼が思いを寄せる外交官夫人に送った作品に含まれる絵画の絵の具の、驚くべき分析結果によっても、デュシャンが一癖ある人物であることを知ってはいたのだが。

一面、この論文は領域横断の文化界で起こったソーカル事件(Alan Sokal)の痛快さと、なにがしかのきまりわるさを想起させる。フランス現代思想の言葉と、数学や物理学のもっともらしい表現を並べた論文を雑誌に投稿し、発表された後にその無意味さを暴露して、新しい文化スタイルをからかった理論物理学者の話である。

しかしこの論文の指摘したスキャンダルが事実としても、僕にとって
The Bride Stripped Bare by Her Bachelors, Even (The Large Glass)など、無機を極めた作品の価値は消えない。

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3 コメント

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リンク無効 (虻曳)
2023-10-23 14:02:33
本文及びコメントのSerota氏以外のリンクはすべて無効となりました。Serota氏のものも書籍を購入しないと読めません。(Oct.23, 2023)
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代替リンク ()
2019-02-17 00:04:28
冒頭のリンクは無効となっている。いまそれに変わる詳しい英語の文章を見つけた。デュシャンについて興味ある人はぜひご覧ください。
http://www.wow247.co.uk/2015/08/10/a-ladys-not-a-gents-revolution-in-the-water-closet/
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反論など ()
2017-02-16 23:48:10
その後気がついたことを補足する。
このJulian Spalding and Glyn ThompsonによるDuchamp批判は痛烈である。
これに対してSummerhallは逆にこの「作品」の思想的、時代的意義を強烈に主張している。
http://www.summerhall.co.uk/2015/a-ladys-not-a-gents/
また次のところにreplicaのあるthe Tate Modern gallery in Londonのthe DirectorであったNicholas Serotaが、この作者を正す理由はないし、また誰が提出したのであれ、美術界に20世紀最大の「スキャンダル」を起こしたという価値は変わらないとしている。
https://books.google.co.jp/books?id=hDfpDAAAQBAJ&pg=PT12...
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