空席 I
2013-11-24 | 随想
空席 I
シドニーでバスに乗った。混んでいるが運転席の少し後ろに空席が一つ。一瞥、ワケアリである。だが避けるのも失礼と考える。着席するとはたして異臭が鼻をつく。当地夏一月であるが、厚手の背広が隣に座っている。温暖なシドニー、一着で一年を過ごすのであろうか。前のミラーを見ると、運転手が他の席に移れと言うような合図をしている。まあいいではないかと思って座ると、男が話しかけてきた。
入れ墨であろうか、自分の手首のペンの滲んだような不可解な絵を示して何か説明を始める。話にはクライム等という単語が混じっている。それなりの人物のようである。しかし英語力不足で訳がわからない。しょうがないから「それで、それはあなたの肖像ですかな」と聞いてみた。男は言葉を止めて私の顔をじっと見て、おもむろに耳のあたりで人差し指を回した。クルクルパーは国際身振り言語なのだ。親善はかくて頓挫、中空に煙の漂う別れとなった。
(2007年発行豈44号掲載)
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