<家宅侵入生物 II 小動物> (写真はEgyptian Serpent Rod/エジプトのヘビの杖(地中海考古博物館))
侵入者で虫以外で小さなものはナメクジである。今の家は乾いているので屋内にはやってこない。丹波の古家では座敷の床板に延々と光る跡をつけていたが、途中で完全に乾いていた。向こう見ずな探検家だったのだろう。そういう馬鹿な奴が長い目で見ると種の可能性を拡げているのである。
夏季には、眼が赤く身体は白っぽいヤモリもちょこちょこ現れる。いつも灯のともる窓や、門灯のところである。だから受験生や研究者の友となる。むろん光に集まる虫を狙っているのであるが。こちらとしては雨戸やシャッターの開けたてのとき挟まないように気を使う。このヤモリの眼は暗くても色が見えるそうである。これは稀有のことなのである。これはここで教えていただいた。
天井裏のネズミの運動会もしょっちゅうであった。この身軽なネズミはクマネズミである。昔の家のむき出しの梁でときどき遊んでいた。近年夕暮れの町で、2車線ぐらいの通りに渡してある何かの細い一本の線を渡り切るのを目撃したことがある。人間ならプロでもバランスをとる長い棒がいる。往来が続いているのに、この暇人以外には気づく人はいなかった。
金網のネズミ捕りで捉えて、仕方なく川の水につけて溺死させたこともある。水の中で出口を探してくるくる動く姿は後々まで心に残る。
沈みゆく金網拔けてさまよえばふかき水にも斜光さしをリ (虻曳)
この歌、歌会で出してモチーフを問われ、上のように説明すると驚き呆れていた。この馬鹿はしばしば動物や植物にまで、感情移入、いや身体移入してしまうのだ。
大型のドブネズミは名前の通り水まわりが得意である。千里の団地で通過の要領を覚えたネズミが、水洗トイレの便器からガバッと飛び出すニュースもあった。これ記憶が不確かで、確かめるために検索すると、千里はヒットしなかったが、トイレから飛び出すことはネズミ・シロアリ退治の業界では常識のようだ。流れていないときは便器の下は空のパイプだから、下水から登ってくることができるのである。座って「考える人」となっている時に飛び出すとどうなるか、想像力がくすぐられる、「ユーレカ!」。寝ている赤ちゃんにもとても危険である。
もう一つ家屋に進入するのはハツカネズミである。橿原で広い田畑に面するマンションの4階に暮らしていたが、小さなネズミがよく現れた。戸棚の後ろに隠れるのである。高いところに登らないと言われるが、小さく、色が薄く、馴れ馴れしいのでハツカネズミであっただろう。ハエ取り紙を置いて捉えたこともある。哀れである。
晩秋のある夜枕の下で物音がする。電気をつけて探ると畳の下である。いや畳の下の床張りよりも下である。床張りとコンクリートの隙間は、畑にめぐらした巣穴の代わりになるのである。野外は畑の野菜、米も収穫が終わり寒くもなって入ってきたのだ。餌はどうするのかわからないが渇きにはめっぽう強いそうだ。とりあえず部屋の中に入る通路はないと思われるが、床板や畳をかじれば部屋に侵入できる。ドンとやると少し音がやむがまた動き出す。何日間か続いたが、思いついて2本の指を動物が歩くように動かし、音を聞かせた。効果てきめん、相手はどこかへ消えた。人間より危険な、例えば別種のネズミが現れたと受け取ったのだろう。
小学校で誰かがネズミを持ってきたので、観察用に籠に入れて教室に置かれた。僕のアダ名は「ネズミ チュウゾウ」であった。本名を2字入れ替えたものである。みんながはやし立てたので調子に乗って「オイ、トモダチ」と言った調子で檻に手を出した。「窮鼠」は素早く指に咬みついた。傷は大事ではなかったが、おふくろは顔色を変えて「コワイ病原菌を持っていることがある」と言った。結局、武蔵境の赤十字病院という大きなところで606号という注射を打ってもらった。ネットで見ると、鼠咬症といってスピロヘータによる感染症があるようだ。606号は梅毒の治療薬として有名であったらしい。
ネズミの親戚、げっ歯類ではリスがある。これはめったに家屋に侵入しないと思うが、一度あるのだ。やはり橿原のマンションの8階に住んでいたときの話である。家族で食事をしていた。夏であったのだろう、開け放した目の前のベランダをリスが駆け抜けた。それっきりである。目の眩む防火パネルの外側をまわって隣の住民のベランダに移ったようだ。どこかで名前を呼んで探しているだろう。
野生となるとトロントを思い出す。大学近くの家々の玄関は路面より高くなっていて、その階段の下あたりに黒っぽいリスが巣穴を掘ったりしている。その辺り一帯にチョロチョロしている。手を出すのは狂犬病の危険からも、法律上もいけないと聞いた。
イタチの侵入を受けたこともある。子供の頃、東京は吉祥寺の家で家族で食事をしていたとき、廊下に出る開いたドアの横に立ってこちらの食事をのぞいていた。思うにサンマの匂いでも流れていたのだろう。
イタチは通常家屋に侵入はしないが、大阪駅から2kmもない中崎町でも見かけたことがある。いやにゆっくり移動するなと思って見ていると、その子供らしいのが追いつて一緒にどこかに消えた。市中にも結構暮らしているようだ。
飼育されたイタチで面白いのは、サキの短編小説『スレドニ・ヴァシュタール』である。サキですぞ、読むなら気をつけて。
むかし読んだ新聞の記憶では、鞍馬の寺では夜になると屋根裏でものすごい音がするそうだ。場所柄、天狗のしわざと言われたが、実際はムササビの運動会のようだ。動物でなくても、古い大きな建造物はときどきとんでもない音がする。木組みが動くこともあるだろうし、雪が長い瓦屋根を滑落してゆくときもとても大きくて異様な音がするものだ。
ヘビは大雨の前は水を恐れてであろう、高いところに登ろうとしている。木登りででくわすのはそういうときである。木の上や水に入っているときのヘビとの遭遇はありがたくない。お互い不器用にしか動けないので不要な接触が起こりそうな気がするのである。水害のとき流れる屋根を一晩、ヘビとシェアしたという話を聞いた。これを「相身互い(あいみたがい)」という。
よく家にも入ってくる。弟が2,3歳ぐらいの時であろう。一人で人気ない部屋に立って「コワイ。コワイ。」とつぶやいている。近づいてみるとヘビが部屋の中央で鎌首を立てて威嚇していた。我々が近づいたので慌てて逃げた。畳の上は滑るので這うのが苦手のようである。それにしても野生の動物は、人間に対するときも、個体の実力差をよく見ぬいているものだ。
鶏を数羽飼っていたが、卵をヘビにとられるので、擬卵を鶏小屋に入れていた。呑んだヘビはどんなになるのだろう。小鳥の卵を呑むヘビを邪悪と見るが人間のほうがはるかに上手である。組織的に本人には無益な卵を生ませて、何時でも食うことが可能なようにしたのだ。
くちなわのながきとき経る夢さめて薄紅色の卵を得たり (虻曳)
鶏も止まり木に泊まって眠るときは順を非常に気にする。端は危険だし、冬は保温の問題がある。しばらく争った後、良い位置は序列が上の鶏が占める。野生の群れをなす小鳥も同様だ。
家の横の谷川は石垣で挟まれていたが、その古い部分はセメントが用いられず大きな石が組まれていた。そこに生えた桐が大きくなり根本にヘビのいいたまり場ができていた。暖かい季節は数匹がからみ合って日を浴び、気持ちよさそうにしていた。娯楽のない友達たちは見つけると石をお見舞いした。僕はどちらかというと止め役であった。しかし、家の中庭からは石垣まで排水の穴が続いていたので、そこからヘビが入ってくるような気がしていた。
おふくろの話では、夜ガラス窓の桟(さん)を這うヘビを見たそうだ。街中の出身だからかなりこたえたようだ。樋(とい)からネズミを飲んで落ちてきたヘビも見たという。これは逃げないのでじっくり観察したそうだ。大きなやつで「家の主」だろうと言っていた。こういうのはまずアオダイショウである。
知人の話では、朝目を覚ますと蚊帳が低く目の前まで垂れ下がっていて、そのすり鉢状の底にヘビが焦っていた。取っ手を外して逃げたというが、すると手前に滑ってくるだろうに。
むかしはツバメが家の中に巣を作ることも多かった。僕の家は夕方に早く閉める裏口があったが、その内側に巣をつくった。留守のときや、夕方に閉めた後は、屋根を超えた反対側の開口部から入り、暗い土間を拔けて巣に餌を運んでいた。暗い回り道を見つけていたのだ。親鳥のすごさである。
こうした適応には感心する。以前にも書いたが、ガラス戸や車に鳥が当たることもしばしば目撃した。それがほとんど見られなくなったのは、やはり学習、淘汰を通じて種としては適応したのだろう。托卵される鳥でさえ年月をかけると、犯人となる鳥の種を見破るそうである。他種の鳥が巣立ったのを見てシマッタと思うのだろうか。また、託卵する側はそれに応じて託す相手の種を変えるようである。
僕の経験した最大の侵入動物は、さいわい犬止まりである。吉祥寺の社宅で黒い大きな野良犬が床下に住み着いたのである。親は我々子供のことを心配したし、僕はシャーロック・ホームズの『バスカヴィルの犬』に登場する黒い恐ろしい犬を想った。さいわいおとなしい無愛想かつ無害な犬で姿はチラリと見かけるだけであった。いや僕自身は見ていない。しかしその存在は、夜「寝ていると床が少し持ち上がる」と親が言っていたことでわかる。ある日、親の注進で犬取りが現れ、しょっぴいていったとのことである。床下から引き出される姿を見て、実質的害を与えていない動物に対して気がとがめたと言っている。
でもその頃は東京にも狂犬が現れていたのである。おふくろが、やたらとものに噛みつく犬を見かけこわごわ見ていると、石屋さんが噛まれるのを目撃した。後に犬に噛まれた石屋さんが狂犬病で死亡したという記事が出たそうである。
動物の話をすると、どうしても動物と医学の好きなおふくろの話が出てくる。自分もその血を継いだようだ。彼らに対しては可愛いと思うより面白いと思うことが多い。遊ぶことも、助けることも、捻り潰すこともあるが、基本は放おっておいてよく観察し、隠れた才能を発見する。あまり自分と異なるものとは思わない。
侵入者で虫以外で小さなものはナメクジである。今の家は乾いているので屋内にはやってこない。丹波の古家では座敷の床板に延々と光る跡をつけていたが、途中で完全に乾いていた。向こう見ずな探検家だったのだろう。そういう馬鹿な奴が長い目で見ると種の可能性を拡げているのである。
夏季には、眼が赤く身体は白っぽいヤモリもちょこちょこ現れる。いつも灯のともる窓や、門灯のところである。だから受験生や研究者の友となる。むろん光に集まる虫を狙っているのであるが。こちらとしては雨戸やシャッターの開けたてのとき挟まないように気を使う。このヤモリの眼は暗くても色が見えるそうである。これは稀有のことなのである。これはここで教えていただいた。
天井裏のネズミの運動会もしょっちゅうであった。この身軽なネズミはクマネズミである。昔の家のむき出しの梁でときどき遊んでいた。近年夕暮れの町で、2車線ぐらいの通りに渡してある何かの細い一本の線を渡り切るのを目撃したことがある。人間ならプロでもバランスをとる長い棒がいる。往来が続いているのに、この暇人以外には気づく人はいなかった。
金網のネズミ捕りで捉えて、仕方なく川の水につけて溺死させたこともある。水の中で出口を探してくるくる動く姿は後々まで心に残る。
沈みゆく金網拔けてさまよえばふかき水にも斜光さしをリ (虻曳)
この歌、歌会で出してモチーフを問われ、上のように説明すると驚き呆れていた。この馬鹿はしばしば動物や植物にまで、感情移入、いや身体移入してしまうのだ。
大型のドブネズミは名前の通り水まわりが得意である。千里の団地で通過の要領を覚えたネズミが、水洗トイレの便器からガバッと飛び出すニュースもあった。これ記憶が不確かで、確かめるために検索すると、千里はヒットしなかったが、トイレから飛び出すことはネズミ・シロアリ退治の業界では常識のようだ。流れていないときは便器の下は空のパイプだから、下水から登ってくることができるのである。座って「考える人」となっている時に飛び出すとどうなるか、想像力がくすぐられる、「ユーレカ!」。寝ている赤ちゃんにもとても危険である。
もう一つ家屋に進入するのはハツカネズミである。橿原で広い田畑に面するマンションの4階に暮らしていたが、小さなネズミがよく現れた。戸棚の後ろに隠れるのである。高いところに登らないと言われるが、小さく、色が薄く、馴れ馴れしいのでハツカネズミであっただろう。ハエ取り紙を置いて捉えたこともある。哀れである。
晩秋のある夜枕の下で物音がする。電気をつけて探ると畳の下である。いや畳の下の床張りよりも下である。床張りとコンクリートの隙間は、畑にめぐらした巣穴の代わりになるのである。野外は畑の野菜、米も収穫が終わり寒くもなって入ってきたのだ。餌はどうするのかわからないが渇きにはめっぽう強いそうだ。とりあえず部屋の中に入る通路はないと思われるが、床板や畳をかじれば部屋に侵入できる。ドンとやると少し音がやむがまた動き出す。何日間か続いたが、思いついて2本の指を動物が歩くように動かし、音を聞かせた。効果てきめん、相手はどこかへ消えた。人間より危険な、例えば別種のネズミが現れたと受け取ったのだろう。
小学校で誰かがネズミを持ってきたので、観察用に籠に入れて教室に置かれた。僕のアダ名は「ネズミ チュウゾウ」であった。本名を2字入れ替えたものである。みんながはやし立てたので調子に乗って「オイ、トモダチ」と言った調子で檻に手を出した。「窮鼠」は素早く指に咬みついた。傷は大事ではなかったが、おふくろは顔色を変えて「コワイ病原菌を持っていることがある」と言った。結局、武蔵境の赤十字病院という大きなところで606号という注射を打ってもらった。ネットで見ると、鼠咬症といってスピロヘータによる感染症があるようだ。606号は梅毒の治療薬として有名であったらしい。
ネズミの親戚、げっ歯類ではリスがある。これはめったに家屋に侵入しないと思うが、一度あるのだ。やはり橿原のマンションの8階に住んでいたときの話である。家族で食事をしていた。夏であったのだろう、開け放した目の前のベランダをリスが駆け抜けた。それっきりである。目の眩む防火パネルの外側をまわって隣の住民のベランダに移ったようだ。どこかで名前を呼んで探しているだろう。
野生となるとトロントを思い出す。大学近くの家々の玄関は路面より高くなっていて、その階段の下あたりに黒っぽいリスが巣穴を掘ったりしている。その辺り一帯にチョロチョロしている。手を出すのは狂犬病の危険からも、法律上もいけないと聞いた。
イタチの侵入を受けたこともある。子供の頃、東京は吉祥寺の家で家族で食事をしていたとき、廊下に出る開いたドアの横に立ってこちらの食事をのぞいていた。思うにサンマの匂いでも流れていたのだろう。
イタチは通常家屋に侵入はしないが、大阪駅から2kmもない中崎町でも見かけたことがある。いやにゆっくり移動するなと思って見ていると、その子供らしいのが追いつて一緒にどこかに消えた。市中にも結構暮らしているようだ。
飼育されたイタチで面白いのは、サキの短編小説『スレドニ・ヴァシュタール』である。サキですぞ、読むなら気をつけて。
むかし読んだ新聞の記憶では、鞍馬の寺では夜になると屋根裏でものすごい音がするそうだ。場所柄、天狗のしわざと言われたが、実際はムササビの運動会のようだ。動物でなくても、古い大きな建造物はときどきとんでもない音がする。木組みが動くこともあるだろうし、雪が長い瓦屋根を滑落してゆくときもとても大きくて異様な音がするものだ。
ヘビは大雨の前は水を恐れてであろう、高いところに登ろうとしている。木登りででくわすのはそういうときである。木の上や水に入っているときのヘビとの遭遇はありがたくない。お互い不器用にしか動けないので不要な接触が起こりそうな気がするのである。水害のとき流れる屋根を一晩、ヘビとシェアしたという話を聞いた。これを「相身互い(あいみたがい)」という。
よく家にも入ってくる。弟が2,3歳ぐらいの時であろう。一人で人気ない部屋に立って「コワイ。コワイ。」とつぶやいている。近づいてみるとヘビが部屋の中央で鎌首を立てて威嚇していた。我々が近づいたので慌てて逃げた。畳の上は滑るので這うのが苦手のようである。それにしても野生の動物は、人間に対するときも、個体の実力差をよく見ぬいているものだ。
鶏を数羽飼っていたが、卵をヘビにとられるので、擬卵を鶏小屋に入れていた。呑んだヘビはどんなになるのだろう。小鳥の卵を呑むヘビを邪悪と見るが人間のほうがはるかに上手である。組織的に本人には無益な卵を生ませて、何時でも食うことが可能なようにしたのだ。
くちなわのながきとき経る夢さめて薄紅色の卵を得たり (虻曳)
鶏も止まり木に泊まって眠るときは順を非常に気にする。端は危険だし、冬は保温の問題がある。しばらく争った後、良い位置は序列が上の鶏が占める。野生の群れをなす小鳥も同様だ。
家の横の谷川は石垣で挟まれていたが、その古い部分はセメントが用いられず大きな石が組まれていた。そこに生えた桐が大きくなり根本にヘビのいいたまり場ができていた。暖かい季節は数匹がからみ合って日を浴び、気持ちよさそうにしていた。娯楽のない友達たちは見つけると石をお見舞いした。僕はどちらかというと止め役であった。しかし、家の中庭からは石垣まで排水の穴が続いていたので、そこからヘビが入ってくるような気がしていた。
おふくろの話では、夜ガラス窓の桟(さん)を這うヘビを見たそうだ。街中の出身だからかなりこたえたようだ。樋(とい)からネズミを飲んで落ちてきたヘビも見たという。これは逃げないのでじっくり観察したそうだ。大きなやつで「家の主」だろうと言っていた。こういうのはまずアオダイショウである。
知人の話では、朝目を覚ますと蚊帳が低く目の前まで垂れ下がっていて、そのすり鉢状の底にヘビが焦っていた。取っ手を外して逃げたというが、すると手前に滑ってくるだろうに。
むかしはツバメが家の中に巣を作ることも多かった。僕の家は夕方に早く閉める裏口があったが、その内側に巣をつくった。留守のときや、夕方に閉めた後は、屋根を超えた反対側の開口部から入り、暗い土間を拔けて巣に餌を運んでいた。暗い回り道を見つけていたのだ。親鳥のすごさである。
こうした適応には感心する。以前にも書いたが、ガラス戸や車に鳥が当たることもしばしば目撃した。それがほとんど見られなくなったのは、やはり学習、淘汰を通じて種としては適応したのだろう。托卵される鳥でさえ年月をかけると、犯人となる鳥の種を見破るそうである。他種の鳥が巣立ったのを見てシマッタと思うのだろうか。また、託卵する側はそれに応じて託す相手の種を変えるようである。
僕の経験した最大の侵入動物は、さいわい犬止まりである。吉祥寺の社宅で黒い大きな野良犬が床下に住み着いたのである。親は我々子供のことを心配したし、僕はシャーロック・ホームズの『バスカヴィルの犬』に登場する黒い恐ろしい犬を想った。さいわいおとなしい無愛想かつ無害な犬で姿はチラリと見かけるだけであった。いや僕自身は見ていない。しかしその存在は、夜「寝ていると床が少し持ち上がる」と親が言っていたことでわかる。ある日、親の注進で犬取りが現れ、しょっぴいていったとのことである。床下から引き出される姿を見て、実質的害を与えていない動物に対して気がとがめたと言っている。
でもその頃は東京にも狂犬が現れていたのである。おふくろが、やたらとものに噛みつく犬を見かけこわごわ見ていると、石屋さんが噛まれるのを目撃した。後に犬に噛まれた石屋さんが狂犬病で死亡したという記事が出たそうである。
動物の話をすると、どうしても動物と医学の好きなおふくろの話が出てくる。自分もその血を継いだようだ。彼らに対しては可愛いと思うより面白いと思うことが多い。遊ぶことも、助けることも、捻り潰すこともあるが、基本は放おっておいてよく観察し、隠れた才能を発見する。あまり自分と異なるものとは思わない。
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