湖南の家
2014-02-07 | 随想
湖南の家
2006年に、長沙から洞庭湖畔の岳陽まで中国湖南地方をバスで走った。40度を超える大陸酷暑の夏が大雨嵐で終わり、一息ついた時期であった。車窓の景色は、低い山の間に田んぼがあるという、日本の風景と大差なかった。牛と見たのが、よく見ると水牛であったのが大きな違いである。さらに北に進むと、ハイウェイから見える山裾のどの村にも、真白い四角な農家がならびはじめた。煉瓦に漆喰を塗ったものであろうか、その白の純粋さと、窓のくぼみや玄関の上の吹き抜けなどの配置で大変洒落たものであった。大きさもあまり差がなく、日本の農家よりも広いのではなかっただろうか。北方、旧満州地方の車窓で見た、林間に散在する煉瓦色の農家よりもはるかに豊かに見えた。揃っているということ、そこに住めば背伸びなどの苦労もあるであろうが、旅行者の目には豊かで平等に見え、心地よかった。一軒、新築のひときわ美しい家があった。だがその一軒だけは、二階に至るまで、ガラス窓が滅茶苦茶に破られていたのである。それから目的地に着くまで、車外の風景を疎かにしてそのおぞましい破損の意味、例えば村八分などを想像し反芻していた。(豈46号2008年 一部改)
旅としては「辛い、辛い、長沙」の続きで、「中国の喧嘩」に続きます。
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