土塊も襤褸も空へ昇り行く:北村虻曳

随想・定型短詩(短歌・俳句・川柳)・写真
2013/11/11開設

郷里を越えて生野銀山へ

2015-07-29 | フォト・エッセイ
<郷里を越えて生野銀山へ> 
(見出しの絵は鉱山資料館にあったが、作者名が私には読み取れない。でも展示されたうちで一番気に入ったものであった。作者名がわかった人は是非ご教示下さい。)

僕の郷里は丹波の綾部であるが、隣の但馬はあまり訪ねたことがない。今回は、綾部の2箇所の墓参りと2件の血族訪問することになった。日差しの良い午後に、300円でレンタサイクルを借りて、供花などを買いながら回るのであるが、高温で坂道を登るのは大変であった。脱水症を起こさぬよう、その筋から厳命を受けていた。この日、気象台の記録では福知山で35度を超えたから、綾部も似たようなものであっただろう。高温に関しては札付きの豊岡は37度を超えたようだ。訪問の途中で、断りきれず重たいマクワウリやらコダマズイカ、高温に弱い大量のチリメンジャコをいただいたので、恐ろしくヘビーな旅となった。筋肉の衰えている腰にはとても応えた。
旅費を使って出かけたのだし、この際生野銀山を訪ねることにしていた。重荷があってもである。冷蔵庫で一晩ウリを冷やし、それを冷却材にチリメンを真夏の一日をもたせた。慣れた綾部や福知山を避けて、朝来市の中心和田山に安宿をとるつもりであったが、予約でいっぱい。福知山に泊まった。

福知山に入る前の土師川(はぜがわ)の鉄橋である。この写真の先のほうで由良川に流れ込んでいる。「Googleマップ」や「川の名前を調べる地図」の拡大したところでは、この鉄橋付近ですでに由良川と名付けられている。誤りであろう。
途中、空はくっきりしているから、鬼の伝説のある大江山がよく見えた。(鬼の棲家はもっと京都に近い大枝という説もある。)
右手遠方の山塊が大江山連邦であろう。
福知山の駅付近はモダンになったが飲み場所はない。広小路の御霊神社の近くまで行って居酒屋に入り、「へしこの刺し身」などでビールを飲んだ。へしことは鯖を糠と塩で漬け込んだものである。近年改良されているので、子供のころに恐れたほどではないが、塩分が多いので夏向きである。
翌日、山陰本線で和田山まで行き、播但線に乗り換えた。沿線は丹波よりも山が迫り、より高い山が望見される。生野駅を目指すのであるが、播但線に入るとディーゼルとなる。一つ手前の新井(ニイ)から生野の間で、ディーゼルの喘ぎがひどくなり速度がぐっと落ちる。急勾配なのだ。かっては三重連の蒸気機関車が走ったという。新井の川は円山川となって豊岡市、城崎温泉を経て日本海に注ぐ。一方生野の川は市川として姫路から瀬戸内海に注いでいる。生野の近辺が中国山脈脊梁横断の場所ということになるのだろう。
生野駅にある朝来市観光情報センターで自転車を借りた。その名も「銀チャリ」。500円に返還時戻される保証金1000円を添えて10:00から16:00まで借りられる。台数が少ないから注意。駅から銀山まで4kmの軽い登り。国道には歩道がないところもあるが、そういうところは旧道を選べばよい。
菊の御紋のある生野銀山に着いた。
807年にこの地で銀が発見され、以後戦国諸英雄の経営を経て、明治には官営となり、フランス人技師などを呼んで近代化がなされた。御紋は明治の一時期に皇室財産となっていたためだろう。その後三菱系の経営となり、1973年に閉山となっている。いまは「シルバー生野」という名の会社が観光事業を行っている。門の手前に鉱石運搬の本当に小さな「トロリー電車」が置いてあるが、その前にあるブロックが異様に美しい。全般に黒いが、妖しく光り、何かをプレスして固めたような斑がある。精錬残渣(slag)に違いない。帰って調べると、はたしてカラミ石といって銀山の産業廃棄物の有効利用例であった。一円電車とも呼ばれたトロッコ電車(トロリー電車)。近隣の明延(あけのべ)鉱山、神子畑(みこはた)選鉱場を結んでいた。そしてそのパンタグラフ。生野銀山と生野駅の間にもトロッコ道が残っている。次回(来世?)はこの線路跡を探るべし。できれば明延鉱山跡も。鉱石運搬車
坑道に入る前に、山道にある大昔の堀跡を見ることができる。小さな試掘坑から、大規模な堀切など、いろいろな時代の採掘跡だ。堀切とは、岩盤の裂け目に出来た銀などを含む石英脈を露天で掘り出したものである。細い切通しが残る。
マムシやヒルに注意という立て札が多い。この地は多湿だそうで、ヒルとは樹から落ちてきたり靴を這い登ってくるヤマビルだろう。京都北山でキャラバンを登り靴下の間に入り込んで来たヒルに、知らぬ間に血を吸われて出血したことがある。たしか痛くはなかった。

地中に斜めの衝立のように伸びる石英脈に沿って掘り込んだ場所。三十数米の深さがあるという説明だったような気がする。
観光用の坑道入口は金香瀬坑と呼ばれ、フランス人技師による設計でしっかりしたフランス風となっている。
なだらかな滝と急な滝が坑道入口の右で、一つの滝壺を争うように落ちている。急な方は不動の滝と呼ばれるが、落差が15mあるそうで岩を走るスタイルが良い。金銀鉱。白い石英の中の黒いところに金や銀があるという。
坑道からは冷気が流れ出している。中に入ると年間を通じて13度ということで、外と20度ほどの温度差。5分ほどでみんな寒い寒いと言い始める。20分ほどすると不思議に慣れてくる。中には坑夫などの人形が作ってあって、ボタンを押すと労働を始める。水の多い鉱山で排水は文字通り死活の問題であった。説明は行き届いている。試掘の跡、採掘や運搬の道具、発破のシミュレーション、坑道を支える木の組み方など多くの展示がある。中でもいたるところにある狸掘りの跡は嫌だ。採掘のために細い穴を掘り進むもので、閉所恐怖症を誘発する。いや労働のきつさで、そんなものは感じなかったのだろうか。これらについてはネットに多くの写真や説明がある。狸掘り
ポーランドでヴィエリチカ岩塩坑 Wieliczka Salt Mine を見学したことがある。地下に岩塩を彫り込んだ美しい彫像や礼拝堂まである。真っ黒な壁を舐めると塩辛かった。生野銀山の最深部は地下880mというが、ヴィエリチカは深さが最深部で375mでだいぶ浅い。そこまでは降りないが、木の床をどかどかと踏んで下るので地底に向かう実感があり、これをまたどうやって地上に戻るのだろうと不安になった。小さなエレベーターで登るので大丈夫なのだが。このエレベータは大変小さくて数人乗ると身動きできない。坑夫の気分の片鱗が味わえる。生野でも鉱石用の強力な捲揚機があった。坑道の総延長はヴィエリチカで300km、生野で350kmという。ヴィエリチカ地下ホールヴィエリチカ坑夫人形
この他に鉱山資料館があり坑道の絵を掛け軸にしたものや、近代化した鉱山風景など興味深い。坑道図1坑道図2
吹屋資料館では電動人形が銀の精錬を演じる。フイゴも精錬だけでなく、坑道換気のためのものもあるらしい。坑内換気用フイゴ
生野鉱物館では多種の岩石の展示があるが、自転車返却に時間制限があるので詳しくは見なかった。
帰りは自動車の少ない下り道なのでまったく楽であった。非常に味の濃い施設で、機会があれば訪問をおすすめする。夏は涼しく、冬は温かいはずである。

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