土塊も襤褸も空へ昇り行く:北村虻曳

随想・定型短詩(短歌・俳句・川柳)・写真
2013/11/11開設

蝙蝠 II

2014-02-18 | 随想

蝙蝠 II

シドニーを何回か訪れたことがある。十年ほど前の暑い夏、といっても南半球のこと、正月であった。毎日通う道脇にヴィクトリア公園(上の写真)があり、その縁の歩道に落ちた木の葉は赤茶けてからからに乾いていた。そこに蝙蝠の死体が落ちていたのだ。両翼を広げると50cmに近いやつだ。蝙蝠をしげしげと見る機会は少ない。身体の割に小さな顔に小さな目を開き、細かい歯をむき出している。この蝙蝠、澄んだ夕空の中をゆったりと羽ばたいて空を渡る姿は、大きな生物特有のもの悲しささえ備えているのだが。
しかし不思議にも数年後、前回と同じ場所で同種とみられる蝙蝠の死体を見つけた。「蝙蝠は2度死ぬ」なんてことはないから、むろん同じ個体であるはずがない。してみるとなんの変哲もない其処は、蝙蝠にとっては逢魔ヶ辻なのであろう。

ところが、これを今回文章にするときに種明かしを見つけた。2014年1月、オーストラリア北東部でおびただしい数の蝙蝠が空から落ちてきたという。オーストラリア全域が熱波に見舞われているかららしい。43度以上、アデレードでは45.1度を記録したという。
http://www.huffingtonpost.jp/2014/01/18/dead-bats-fall-from-sky-queensland-australia_n_4625162.html
死骸を見かけた年もかなり暑く乾いた年だったから多くの蝙蝠が死んだのであろう。多い死があるところでは、同じ所で死んでもそう不思議ではないということになる。でもやはり、不思議だ。何回も訪れたオーストラリアの野外で蝙蝠の死体を見たのはそこだけなのだから。

これまた別の初夏の夜、有名なオペラハウスに近い岸壁で悪友たちとビールを飲んでいた。オリンピックのときに高橋尚子が駆け抜けた巨大な橋を見つめていると、橋の上空に灯りに照らされて、無数の金箔の破片のようなものが舞っているのを発見した。そう、蝙蝠の饗宴ではなかろうか。ボッシュの、飛び蜥蜴が空に舞う絵図を思った。やったぜとデジカメにおさめ、帰って見ると橋の上に写っていたのは闇空だけ。無念。     (2009年 豈48号 一部改)


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