あの逆行性の櫂を握って ムイ・フユキ
35年ほど前「文芸教室」に出入りしていた―沖国大生だった頃ー
詩の朗読会に誘われて参加したーあの職員食堂だったー
上記のタイトルはその時の自作の詩の結び
「あの逆行性の櫂を握って僕はそこを出て行くしかなかった」
季節工で金を貯め4年遅れで大学に行きー夜警をしながらー
学生結婚で子供も生まれて必死に藻掻き足掻いていた
頭にハゲも作りながら子持ち掛け持ち6年半かけて卒業
その後も更に5年間、働きながら看護学校に行く
「文芸」は僕の櫂の原点でーアル中の詩人の出版社は潰れたー
2ヶ所の精神科病院で暖簾わけのように「文芸」耕しをした
そして定年前の約10年は「文芸教室」に舞い戻っていた
文芸サークルや文芸ひろばと名乗ったがあの「文芸教室」と認知
―「文芸ひろば」として利用した部屋はあの懐かし職員食堂ー
あれから35年経ても僕はあの逆行性の櫂を漕ぎ続ける
抗い抗い文字を打つ 言葉を紡いで紡いで便りする
10の通信 50の通信 100の通信 思いを馳せる 諦めずに
―「A letter from Friday afternoon」とサブタイトルした-
諦めずに何か書く 反応があってもなくても発信し続ける
櫂のエークは「親子」から来ているー親が肉体・櫂は精神かー
生きることは藻掻き足掻くこと 出て行っても出て行っても
いつまでも扉がある (2021年2月28日「ミニ文芸」にて)
35年ほど前「文芸教室」に出入りしていた―沖国大生だった頃ー
詩の朗読会に誘われて参加したーあの職員食堂だったー
上記のタイトルはその時の自作の詩の結び
「あの逆行性の櫂を握って僕はそこを出て行くしかなかった」
季節工で金を貯め4年遅れで大学に行きー夜警をしながらー
学生結婚で子供も生まれて必死に藻掻き足掻いていた
頭にハゲも作りながら子持ち掛け持ち6年半かけて卒業
その後も更に5年間、働きながら看護学校に行く
「文芸」は僕の櫂の原点でーアル中の詩人の出版社は潰れたー
2ヶ所の精神科病院で暖簾わけのように「文芸」耕しをした
そして定年前の約10年は「文芸教室」に舞い戻っていた
文芸サークルや文芸ひろばと名乗ったがあの「文芸教室」と認知
―「文芸ひろば」として利用した部屋はあの懐かし職員食堂ー
あれから35年経ても僕はあの逆行性の櫂を漕ぎ続ける
抗い抗い文字を打つ 言葉を紡いで紡いで便りする
10の通信 50の通信 100の通信 思いを馳せる 諦めずに
―「A letter from Friday afternoon」とサブタイトルした-
諦めずに何か書く 反応があってもなくても発信し続ける
櫂のエークは「親子」から来ているー親が肉体・櫂は精神かー
生きることは藻掻き足掻くこと 出て行っても出て行っても
いつまでも扉がある (2021年2月28日「ミニ文芸」にて)
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