忙中閑話

四季の移ろい、花鳥風月を楽しみつつ
趣味はミニチュア木工、電子工作、旅行など

対野良猫バトル part4

2013-04-29 | 日記
東北へのドライブ旅行から帰って今日(4/29)で5日目。三日前から仕掛けていた猫トラップに
またまた野良猫がかかった。これで通算4匹目。



旅行中に野良猫が猫トラップに掛ったらそれこそ何日も閉じ込めたままになり日干しになる
虞があるので、セットしていた仕掛けを解いて旅行に出かけた。

旅行から帰ってからしばらく餌をセットすることをしなかったのだが、庭の除草をした際に
猫トラップを見てみると旅行前に外しておいた前の餌が見当たらない。旅行前にセットを
解除した際、トラップの中に残したままの筈。しかも猫トラップの入口扉は閉まっている。

外から手をいれて取ったに違いないと思い、トラップをよく見てみると果たしてケージの
外側に施した金網カバーの端が捲れて腕を突っ込んだような形跡がある。これはやはり庭に
侵入しているなと見て餌をセットし直したのが先おとといの夕方。

しかし一昨日、昨日、そして今日も朝、昼と全く掛かる気配は見られなかった。
もう餌の魚肉ソーセージは完全に干からびている。
ところが昼過ぎに庭におりて何気なくワナの方を見てみるとなんと入口の扉が閉まっている。
そっとツツジの植え込みを回って内部を確認してみると野良猫が騒ぎもせず静かに寝そべ
っている。しかし直射日光が当たって暑いのだろう、息遣いが激しい。早く気付いてやれば
良かったのに可哀想なことをした。

今日は久し振りに三男が帰省するというので新幹線駅まで迎えに行く約束になっていて、その途中
で回り道をして猫を放逐すると都合がいい。それにはまだ少し時間が早い。それまで猫トラップを
涼しい日陰に移してやってもいいがトラップごとかかえると猫にストレスが掛かるだろう。そこで
日差しを和らげるために取り敢えずそっとダンボールを載せて日陰を作ってやった。

しばらくして、三男の迎えに行く足でそのまま少し離れた山林で開放してやると一目散に逃げて行った。



今朝早朝から隣の裏庭で早朝から猫同士がかなりの間唸りあっていた。たぶん今は発情時期では
ないだろうからオス同士が縄張りを争ってでもいたのだろう。早朝の唸りあいの鳴き声は結構耳障り
である。

近所に野良猫がまだ少なくとも2匹以上はいる。庭で見かけることは今やなくなったがスキあれば
浸入してきていることを示していることになる。まだまだ当分野良猫とのバトルは続きそう。


中尊寺金色堂と義経堂 (岩手県平泉)

2013-04-29 | 旅行
4/18三春の滝桜を堪能したあと、東北道をさらに北上して一関ICで高速を降り平泉に入る。

中尊寺金色堂は以前から一度行ってみたいと思っていた。
藤原三代の栄華を誇る金色堂、義経が兄の頼朝に攻められて従者の弁慶とともに滅んだ衣川古戦場は憧れは
あっても山口からははるか遠く今までなかなか行けなかった。


 国道から中尊寺方面に折れたすぐのところにある駐車場に入らずにさらに上の駐車場を目指す。あとから
判ったことだが、この駐車場に車を止めると参道を相当歩いて登ることになっていた。
家人は学生時代に友人と一度来ている。今から数十年前のこと、JRおよびバスを乗り継いで来ており、その時
は当然のことバス停から相当歩いたと言っている。

 参道入口のこの駐車場入口に「この先700mで坂の上駐車場」の案内板がある。
上ってみると、バス旋回場のような広場で駐車場らしきものがあるものの入口にはチェーンが掛けられていて
中に入れない。

引き返そうとしてUターンしたところに運よくバスガイドさんのような制服の女性が通りかかったので聞いて
みたところもう少し奥に行くと駐車場があると教えてくれた。
おかげで往復1.4kmの道のりを歩かなくて済んだ。

金色堂はコンクリート造りの覆堂にすっぽりと収められている。全体が金箔で覆われた金色堂はもちろん壮観
だが、金色堂内に阿弥陀仏があってその須弥壇の細やかな螺鈿細工等々の装飾が何よりすばらしい。

 内部は残念ながら写真撮影が禁止されているので納堂の外観からカメラに収める。



 次は義経堂。一旦国道に出てすぐに左側の側道へ抜けると500mほどで行き着く。
義経堂は石段を10m位登ったところにあるが、登ってみると眼下に北上川の雄大な流れが一気に広がって
おり思わず息を飲む。正直なところ、金色堂より迫力がある。
【左手方向】

【右手方向】


義経が討たれた衣川は北上川の支流であり、義経堂から見ると左手前方にある。
(左手前方の鉄橋付近)
これはまさに一見の価値があった。

この日は更に北上して盛岡で宿をとる。


三春の滝桜

2013-04-23 | 旅行
4/16大阪造幣局の桜の通り抜けで夜桜を楽しみ、大阪で一泊後、一気に福島三春町まで車を飛ばした。

大阪から 三春町まで高速道路の深夜割引が利用できると思っていたが事は簡単ではなかった。東京の首都高速で東名と東北道が繋がっているものの通しでは深夜割引が効かないらしい。首都高速は旧道路公団系のNEXCOと別料金なので、深夜割引を利用するには23時から4時の間に東名出口のICを通過して東北道入口のICに入る必要があるとの由。途中のSAのインフォメーションコーナーで家人が首都高速の連絡方法を問い合わせてくれたのでわかった。

しかも、常磐道なら首都高速で東名と直に繋がっているが、東名と東北道は連絡が悪いということも教えてくれた。家人はこの点ではなぜか嗅覚が鋭い。 深夜割引の時間帯になる23時以降に東名を出るには時間が早い。そこで出口IC前のPAかSAで仮眠しを兼ねて休憩することにする。ここでも家人の機転が活躍する。出口ICの直前の港北PAでは時間調整で満杯になる可能性があるのでその前の海老名SAで休憩しようと言う。

海老名で休憩し23時の約10分前に出発すると、やはり港北PAは満杯らしい。

御殿場付近から見えた富士



東京ICで東名を降り、環状8号線(環八)経由で川口ICから一路東北道へ入る。

郡山JCTで船引三春ICで一般道へ。

4/17、三春の滝桜はまさに満開。樹齢1000年という枝垂れの桜でさすが中央の幹だけでも太さが1mほどもある。土を踏み固めて根を痛めないように周りに柵がしてあり幹に触れることは適わないので歩道から届く枝垂れの枝先から樹齢1000年のパワーを授かることにする。大木や御神木をみると幹に触れパワーをいただくことにしている。





ネットで調べてみると昨日現在、見ごろから散り始めとある。桜は満開もいいがそよ風で花びらがはらはらと散る桜吹雪もまたいい。








大阪造幣局 桜の通り抜け

2013-04-17 | 日記
昨日、例年恒例の大阪造幣局の通り抜けが始まっと聞き、夜桜見物と洒落込んだ。

ご存知のように、園内560mにわたり桜並木があり桜の開花時期に合わせて1週間一般に公開される。
全国ニュースでも紹介されるので大変な人混みらしい。昨日は公開初日ということもあって夜半というのに人出がすごい。車中のラジオ番組によると昼間も地下鉄駅から人の列が出来ていたと言っていた。

6年ほど前たまたまこの期間中に仕事で大阪に出向く機会があり、仕事の帰路に急遽地下鉄を途中下車して行ったことがある。園内は一方通行で後戻りが出来ない。この時は一人であったたので余りのすばらしさに二度通り抜けをした。

今回は家人が同伴なので我儘がきかない。一回の通り抜けで諦める。

それにしてもすごい人混みである。園内ではスピーカーから「立ち止まらないでください。座り込まないでください。飲食は禁止されています。」の連呼。感動のあまり立ち止まる人がいても座り込んだり飲み食いをする人など一人もいない。親切といえば親切なのだが桜は静かに楽しみたい。

未明の緊急地震警報 (淡路島地震)

2013-04-14 | 日記
 昨日(4/13)未明の淡路島地震には驚いた。

 毎日NHKラジオ深夜便をイヤホンで聴きながら寝床についているのだが、明け方になって突然、あの「プル、プル、プル・・・・・・」という甲高い警告音に続いて「緊急地震速報・・・・・・」のアナウンスが耳に入り目が覚めた。地震が近くならアナウンスと殆ど同じくして揺れが来るのだが、揺れはまだない。隣のベッドで寝ている家人が「お父さん、お父さん」と声をかけてきた。家人もイヤホンを耳にしたまま寝ている。

二度目のアナウンスの時「震源は播磨灘・・・」と言う。でも半分寝ぼけた頭の中では「播磨灘って何処だ?周防灘じゃないよな。伊予灘でもないし・・・・」。と同時に揺れが来た。

ようやく頭がはっきりしてきて播磨灘とは播磨、すなわち兵庫県沖であることがわかってきた。ここからはかなり遠い。

20年ほど前のあの神戸・淡路島地震と同じ位置である。あの時の揺れよりは若干弱いようだが結構揺れた。揺れた時間も神戸・淡路島地震よりははるかに短かいようだ。

はたして、震度6弱のアナウンスがあった。続いて、続々と入る被害状況のアナウンス。でも、家の中で歩いていて頭を柱にぶつけたなどという程度の、普通ならニュースにならない軽微なものばかり。

 阪神・淡路島地震の時も最初のニュースは滋賀県だったか、揺れに驚いて家を飛び出したところで転んで怪我したといった程度だったなと思いながらまた寝入ってしまった。


 思えば阪神・淡路島地震の時は緊急地震速報というシステムはまだなかった。それでも家の揺れで目が覚めた。今回の地震はほんの5秒程度と短かったこともあり、緊急地震速報がなければ気付かなかったに違いない。阪神・淡路島地震の時は、揺れが大きく持続時間も30秒以上と長かったような気がする。


それにしても当地は震源から500kmも離れている。地震の深さは15kmしかない。そんな遠くのしかもこんなに浅いところで発生した地震が伝わってくるとは不思議でならない。やはり四国中央を走る中央構造線を境にして北側の同じプレートの上に乗っているからだろうか。

確か阪神・淡路島地震の時は、それまで活発に噴火を繰り返し、溶岩ドームが崩れては火砕流を引き起こしていた雲仙普賢岳がこの地震の数ヵ月後に活動がピタリと停止した。雲仙は中央構造線の延長線上にある。これも不思議でならない。


今回の地震と阪神・淡路島地震はわずか30kmほどしか離れていないという。
地震学者はよく、プレートの潜り込みによって引きずり込まれた方のプレートが耐えきれなくなって元に戻る時に地震が起こるという。このとき板バネのようなモデルが使われる。板バネのようなプレートの端が目一杯に曲がったあとピーンと跳ねる。

単純なモデルでわかりやすいが、だったらなぜ他の地震の時に跳ねることがないのだろうかといつも思う。どうも感覚的には、プレート境界ではエアーズロックのような巨岩がゴロゴロと軋めきあっていて、巨岩同士がは競り合いのなかでタガが外れたように急に動いてが起こるのが地震ではないだろうかと思えるのだが・・・。





三重塔巡り 重文(2)  天寧寺(広島・尾道)

2013-04-12 | 日記
 尾道は坂の町である。すぐ背後に山が迫り、海側にはまるで川のような狭い海峡の向島水道を挟んで向島が見える。

 その背後の千光寺山の中腹に天寧寺三重塔はある。しかし、なにしろ狭いところなので写真に収めるのには苦労する。





 千光寺の山頂は千光寺公園という公園になっていて桜の名所でもある。今年の桜の季節はもう過ぎてしまったが、5、6年前の春に千光寺公園を訪れたことを思い出した。

山頂にはロープウェイが通じているが、このときは車をフェリー乗降口付近のパーキングに置いて徒歩で登った。山頂付近に山城のような建物が建っているのは実はホテルらしい。

 千光寺公園の桜は満開。山頂のロープウェイ駅展望台から見ると、回りは桜、桜、桜。









 満開を迎えた千光寺公園では各所で茣蓙を広げ花見の宴の真最中だが、中に困った人たちが・・・。
大きなカラオケセットを持ち込んで大音量で騒いでいる。回りの客が注意をしたらやめるどころか余計音量を上げてしまった。どうやら地元の建設会社の一団らしいが、この手のゴロツキに近い輩は何処にもいる。

 無神経に焼肉の煙を漂わせて折角の雰囲気をぶち壊しにする連中も困りものだが、音は防ぎようがない。当分の間、大音響は公園一帯に響き渡っていた。人の丈ほどもある大きなカラオケセットや電源(多分バッテリー)を山頂まで運び上げるエネルギー、回りの迷惑を跳ね返す気力や胆力には敬服する。


 それはさて置き千光寺山の山腹には三重塔以外にも散策コースがあって、林美子の“海が見えた。海が見える。五年振りに見る尾道の海はなつかしい”の碑や志賀直哉が「暗夜航路」の構想を練ったという「おのみち文学の館」もあり、適度な散策ができる。尾道はなかなかいい街である。

野良猫との知恵比べ part3

2013-04-07 | 日記
 今日は朝から小糠雨。朝起きて何気なく庭先を見たらツツジの繁みの陰に仕掛けていた猫トラップの扉が閉まっているではないか。まさかと思ったが、ケージ奥が見える場所に移動して見てみるとやはり猫の姿がある。

 まさかと思ったというのも前回の捕獲から10日くらい経ち、なかばあきらめかけていた。餌のチクワも入れ替えてから3日ほども経っておりほとんど干からびていた。

ハッチ式扉のトラップは野良猫どもに見透かされてしまったのかと思い、そろそろギロチン式の扉に変えようかと思案していた最中でもあった。

こんな干からびた餌に食らい付くとはよほど腹が空いていたのだろう。おまけに雨に打たれてびしょぬれである。

 首輪はつけていない。かわいそうだが野良は野良。なにより干からびたチクワに手を出すのだから野良に違いない。これ以上雨に打たれないように軒先に移し、朝食をそそくさに済ませてから、前回同様また車で少し人里離れた場所まで運びそこで解放した。

 今日は一日中雨。この騒動でこちらも雨にすっかり打たれてしまった。


 これで3匹目だが、家人に言わせると近所にまだその2倍は居るようである。何度も言うが、野良猫に無闇に餌を与える人がいる。餌を与え続ければ懐いたように甘えてくるのでつい餌を与えるようだ。しかしそこはやはり野生化した猫。始末が悪い。まだまだ野良猫とのバトルは続く。

ただ、春は出産の季節でもあるので雌の場合は子猫がいる可能性もある。次回は雌雄を見極める必要があるなと思ってはいる。

 

長嶋茂雄 国民栄誉賞授与 断固反対! (2)

2013-04-03 | 電子工作
長嶋の国民栄誉賞授与のニュースを聞いて異論を書いたところ、長嶋ファンと思しき方から丁重でかつ紳士的な反論のコメントをいただいた。何分晩酌でほろ酔いの上機嫌なところを一気に酔いを覚ますニュースだったので、熱烈な長嶋ファンの存在を全く気にも留めず書いてしまった。

コメントいわく、長嶋は偉大な選手だった、広岡は嫌ってもいなくて逆に褒め称えていた、それほど長嶋が嫌いなら見なければいいと。


 実は長嶋の現役時代を知っていると書いたものの、実際に球場に足を運んだことはない。また地方の片田舎でも野球中継はあったはずなのだがパ・リーグのチームのファンだったこともあり、これもあまり見ていない。だから、実際に見てきた人に「偉大なプレイヤーだった」と言われれば全く反論のしようがない。


 ただあまり見なかったと言っても全盛期の王選手の凄さは強烈に記憶に残っている。年間50本を超えるホームランを打った時は当時後楽園球場が狭かったこともあるがどこに投げてもホームランというほど隙がなかった。これに対して長嶋は全盛期を過ぎていたこともあってONアベックホームラン以外はあまり印象に残っていない。


 また「広岡が実は嫌っていた」というのも実際に聞いた訳ではない。週刊誌か何かで誰かが広岡から聞いた人の伝聞として書いていたか喋っているのを見聞きしただけのことである。しかし指摘のように逆に褒め称えていたというのもまともに受け取っていいものかどうか。西武の監督時代に選手に菜食を厳命したり、ロッテだったかGM時代に自ら招聘したバレンタイン監督を更迭したりとかなり辛口の人物ではあったが、そんな広岡でもフリーの立場でまた公の場で大勢の長嶋ファンを敵に回すような発言をするはずがない。


 伝聞の伝聞ではあるが、まだマネージャーとしてバリバリの頃ならかなり厳しい人だったので親しい人に本音を喋ったとしても決しておかしくはない。
(実際よくよく思い返してみると「自分(広岡:ショート)の守備範囲なのでサードが取らなくてもいいゴロまで手を出して自分の守備が撹乱された」というような趣旨だった気もする。が、これも決して褒め言葉ではない。悪く言えばただの目立ちたがり屋。)


 確かに重要な場面で華々しい記録を残しているので名選手なのだろう。そして自分自身決して長嶋本人が嫌いなわけではない。国民栄誉賞も断固反対とは書いたが国民栄誉賞は表彰状だけ、好きなだけ授与すればいい。

本当に嫌なのは、長嶋を「伝説の名選手」などといって偶像化し祭り上げて躍らせるマスコミ、それに浮かれ踊らされるファン、そしてそれを利用する政治家たち。それと何が何でもジャイアンツという巨人偏重。巨人の永世名誉監督か何か知らないが、長嶋のコメントはどうだこうだの、キャンプ訪問をしたといってはニュースで流す必要はまるでない。

 
 見なければいい、確かにそうだ。しかしチャンネルを変えても又そこでもやってる。なんとNHKのニュースまでもが。そうなるともうTVを消すしかない。そして始末が悪いのは、TVを消してもしばらくは余韻が残ること。

 

長嶋茂雄の国民栄誉賞授与に断固反対!

2013-04-02 | 随想
昨晩また嫌なニュースを聞いてしまった。あの長嶋に国民栄誉賞授与の方向で話が進んでいるとのこと。はっきり言って、いい加減表舞台から降りて欲しいと思っているのにこの人はやたら顔を出す。どうもこの賞の選考基準もはっきりしない。

長嶋の現役時代も監督時代も知っているし、突然の監督更迭劇も知っている。そして監督をクビになったあとロスアンゼルスオリンピックでレポーターをやったとき100mで優勝したカール・ルイスにインタビューしようとしてあたかも旧知の友人であるかのように親しげに「ヘイ!カール」と呼びかたものの「あんた誰?」みたいな顔をされたことも知っている。

なにしろ相手は世界のカール・ルイス。前に会ったことはあってもルイスにとっては"One of them"。そのところが全くわかっていない。良く言えば天真爛漫だがはっきり言っていわゆるKY。天真爛漫と言えば、長島語録や横文字だらけの難解な長嶋語もその一端だろう。常識人なら揶揄されていることぐらいわかりそうなものだが全く意に介さない。

まあ、そこが長嶋ファンが長嶋を愛する所以でもあるのだろうが・・・。

そして、現役時代に長嶋と三遊間を守った広岡(後の西武、ヤクルト監督)が誰よりも嫌っていたことも知っている。なにしろ守備の上手い野手なら難なく処理できるゴロをいかにもファインプレーのように見せる名手だったという。それだけならいいが、ちょっと難しいゴロは全く追おうとしない。おかげで遊撃手だった広岡に負担がかかった。

この話には多少なりとも広岡の妬みや僻みもあるだろう。なぜ長嶋だけスポットライトが当たるのかと。

確かに、天覧試合のサヨナラホームランなど華々しい活躍はある。そして運も実力のうちだろう。長嶋に憧れて野球を始めたという多くの野球少年を生んだ功績は認める。

だが数年前から野球がつまらなくなった。勝ちにこだわり、他チームから有力選手を引っこ抜く。そして力が落ちれば簡単に使い捨てて代わりを引き抜く。実はこんな補強方法を取り始めたのはこの長嶋の第二次監督時代なのだ。

とにかく早く表舞台から降りて欲しい。