忙中閑話

四季の移ろい、花鳥風月を楽しみつつ
趣味はミニチュア木工、電子工作、旅行など

天皇陛下の生前退位表明

2016-08-10 | 随想

 天皇のTVメッセージが昨日午後3時に放映されたが、初盆の弔問客があって見逃してしまった。

弔問客が帰ったあとTVをつけるとニュースで繰り返し放送されている。またニュースでは視聴
者のインタビューも流されていて、押し並べて好意的に受け入れられているように見える。

天皇が昨年の戦没者慰霊式典で、進行役の案内を待たずにいきなり挨拶を始められたことが
あった。かつてないことで、いったいどうしたのだろうと思っていた。ご自身、これ以外にも高齢に
よる衰えを感じられたことは多々あるに違いない。

歳とともに国事行為が満足に果たせなくなった、また万一の時市民生活への影響が大きい(
たぶん昭和天皇崩御のとき、毎日のように下血、血便がどうのとニュースが流れたことが念頭
にあるのだろう)、崩御、即位の礼の行事が重なって新天皇が大変などと述べられた。

天皇の国事行為は我々一般人の想像をはるかに超える精神面、肉体面の両面でハードなもの
なのだろうとは思う。だが、天皇家の諸々の事情はあるだろうが個人的には天皇は終身制で
あって欲しい願う。

思えば、昭和天皇の崩御のときのこと。連日TVで天皇の容態(体温、下血の有無など)を
伝えていた。崩御の日は朝8時過ぎだったと思うが、通勤のため玄関を出た途端に家人が
あわただしく廊下を走り出て崩御の臨時ニュースが流れたと伝えてきた。

その時、「ああ昭和が終わったのだなぁ」と思ったのを覚えている。

そしてその日は奇しくも職場の新年会を予定していた。崩御によって世の中一斉に自粛モード。
会場の宴会場からも確認の電話が掛かってきた。右翼が方たちがうるさいという。
だが、我々は粛々と弔意の酒を酌み交わすこととした。

かくて昭和64年はわずか1週間で終わった。そして昭和生まれの「昭和」も……。

年号が平成となって、年号が次第に使われなくなった。会社で使う日付印がH●●年から
西暦を表す'●●に変わっていった。今や年号を使うのは年賀状や官公庁の文書のときだけ
である。だが、年代を語るとき年号は重大な意味をもつ。

昭和天皇が重篤になって連日ニュース等で流されたものの、失礼ながらそれによって
世の中が停滞する等の影響は全く感じられなかった。大変だといわれる国事行為は
完全に儀式である。そもそも無駄が多すぎる。まず「全国植樹祭」や「国体」は止めた方が
いい。緑化推進、スポーツ振興などという当初の目的は果たしてしまっている。そして
得体のしれない既得権所有団体の温床でもある。

今上天皇は非常に気まじめで完璧主義の方だと思う。身体を動かすことが無理なら代理、
代行をたてることも可能。国の「長老」として、「象徴」を気楽に務めていただきたいと願う。