忙中閑話

四季の移ろい、花鳥風月を楽しみつつ
趣味はミニチュア木工、電子工作、旅行など

象潟(きさかた)と国宝・羽黒山五重塔 (東北旅行No.5)

2013-05-30 | 旅行
  東北地方のドライブ旅行から帰って既に1月以上も経ってしまった。これほど間隔が空いたのは生来の筆不精に
  加えて、ここ9日間ほど信州に出かけて家を留守にしていたためである。この間に福島・三春町で満開だった桜
  前線ははや角館を通過しようやく稚内に達しているらしい。
  西日本は昨日梅雨に入った。やはり日本は広い。


 角館では残念ながら桜は蕾の状態で、来年の再訪を誓って角館を後にする。
 さらに北の弘前城の桜も見たかったのだが、角館よりさらに北の弘前は
 当然桜の開花はまだのはずなので、北上を断念して日本海側を戻ることにした。
 

 次の目的地は以前から一度行ってみたかった山形・羽黒山。
 羽黒山には国宝の五重塔がある。国内の屋外にある国宝五重塔が9基あり
 そのうちこの羽黒山五重塔だけは写真でしかお目にかかったことがない。


 それと、都合のいいことに羽黒山への途中で、鳥海山、象潟(きさかた)を
 通る。松尾芭蕉が奥の細道で訪れたところであり、ここも一度行ってみたい
 ところであった。


 
 <角館から象潟へ>
  角館を出て、秋田自動車道の協和ICから高速道に入る。一旦秋田市方向へ
  北上して次の河辺JCTで日本海東北自動車道へ入る。日本海東北自動車道は
  通行車両が少なくほとんど借り切り状態である。全通していないせいか秋田
  空港(正確には岩城IC)から金浦まで約60kmほどが無料らしい。
  金浦で一般道路に出るとすぐに象潟となる。
  象潟は芭蕉が「奥の細道」で訪れた当時は海で、九十九島とよばれる多くの
  小島が浮かんでいて松島と並ぶ景勝地だったという。
  芭蕉が訪れたのは1689年。それから120年ほど後の1804年に起こ
  った象潟地震により2mほど隆起して今は陸地になっている。
  地理好きな身には非常に興味が惹かれる場所である。
  国道沿いに道の駅「象潟ねむの丘」という6階建ての建物があり、最上階が
  無料の展望台になっていてエレベーターで昇ることができる。

  展望台から象潟を望むとかつて多島海だったという地形が良く判る。
  かつての小島は松が残り、海だったところは今は水田になっている。
  遠くに鳥海山が見えるが残念ながら頂上は雲の中であった。山容の大きな
  ゆったりした山である。

  
   左側(北)方面
  

  説明板に芭蕉との謂れが明記されていた。
  
  

  飽きずに眺めていたかったが家人が先を進むよう急かせる。  

  

 <羽黒山>
  吹浦というところで国道7号線を別れ、国道345号線に入る。
  謂れはわからないがここは飛鳥バイパスというらしい。
  しばらくして最上川沿いを走る。ナビを見ていると川向こうに
  余目という地名が目につく。確か10年くらい前、JR特急が橋を通過した
  直後に突風に煽られて脱線し、線路脇の畜舎に突っ込んだ大きな事故
  があったところである。この地帯は季節風が激しいところらしく、国道
  沿いの各所に暴風壁が設置されていた。折りたたみ式の所もあり収納作業
  やっていた。また、遠く海岸沿いに延々と松林の防風林が続いている。
  事故現場も見てみたかったが先を急ぐのでパスすることにする。
  
   五月雨を 集めて速し 最上川

  「奥の細道」で余りに有名な最上川も川幅は意外と狭い。
  最上川にかかる橋を渡り、狩川というところで出羽三山神社方面に
  向かう。田舎道なので迷いやすいところだが、ナビがあるので心強い。
  ほどなくして出羽三山神社に到着。
  
  出羽三山神社
  

  石段を下り、さらに踏み固められた雪道を進むと杉林の中に五重塔が現れた。
  
  
  高さ29.0m、東北地方で最古の塔という。
  杉木立の中に凛として建つ姿がまた美しい。
  国宝の五重塔は屋外のもの9基のほか屋内の小塔が2基、合計11塔あり、
  そのうちまだ見ていないのは奈良・海龍王寺の小塔残すのみとなった。

  参道の大鳥居
  


 <鶴岡>
  羽黒山から高速道へ戻る途中で鶴岡市を通過。鶴岡といえば時代小説で
  有名な藤沢周平の出身地。海坂藩という架空の藩がよく出てくるが、鶴岡城
  がモデルなんだろうと思いながら車を走らせていると、偶然、今は鶴岡公園
  となっている鶴岡城跡そばを通り、丁度鶴岡桜祭りの開催中であった。
  先を急ぐがUターンして立ち寄ってみた。
  
  
  正直なところ桜は3、4分咲きというところだったが、それでも盛大な人出で
  あった。短い春が待ちきれないのだろう。
  桜前線は山形まで来ていた。

  
  帰りは、新潟から関越道に入り、川崎、横浜の次男、三男のところを経て、更に名古屋の長男のところにも
  寄ってきた。その後、京都、岡山と中継しながら無事に帰りついた。
  総走行距離は3,300km。旅の途中でエンジンオイルを交換する予定だったがとうとう変えずじまいとなり交換
  なしで8,000kmも走ってしまった。

  この旅で感じたことは、当たり前のことではあるが”日本中、どこを走っても道は同じ”ということ。それと
  改めて振り返ってみると、この旅では18都府県を通過したことになるが、不思議なことに府や県境を一気に
  走り抜ける高速道でさえ県境を越えるとその県のナンバープレートの車が急に多くなる。人の移動は意外と狭
  いことに気付かされる。
  また、ガソリン単価が県によって大きく差があった。原油先物価格変動の影響が大きいのだろう。

  車で旅行すると地元の人たちと話しをする機会が少ないものの、道の駅での買い物などのちょっとした会話で
  北国の人たちの純朴さが伝わってきて心がほのぼのとする。

  この3300kmを一人で運転したのも凄いと思うが、助手席に乗って大人し<(?)付いてきた家人の方も凄い。/font>




  
  
  


田沢湖を経て角館へ (東北旅行No.4)

2013-05-16 | 旅行
    4月末に行った東北旅行を行き先ごとに分けて書き始めたがなかなか筆が進ま
   ない。キーボード入力なのでタッチが進まないと言った方が妥当かもしれないが
   兎も角、5/2に起稿して既に2週間にもなる。
   遅れるのに従って道中の記憶や現地で感じた事柄などもだんだん不確かになって
   きた。



 4/19盛岡で石割桜と啄木新婚の家を見物したあと、国道46号線を西走し角館に
向かう。盛岡から県境を超えて角館まで65km、岩手から秋田へと県が変わるが
車で1時間半ほどの距離でしかない。意外と近い。

盛岡中心部から国道46号をしばらく西に走って山間部に入ると雫石町の表示がある。
雫石といえば約40年ほど前に全日空機と航空自衛隊の戦闘機が空中衝突して多数
の死者が出たところだ。確か航空自衛隊側はパラシュートで脱出したものの全日空
機は高度8000mの上空であっという間に空中分解して100人以上の乗員、乗客全員
が死亡したはず。
8000mの上空で突然空中に投げ出された人たちの恐怖は如何ばかりだっただろうか。
当時、映像ニュースがあまり流されなかったのか、あるいは忙しくてニュースを見る
暇がなかったのか映像での記憶はまったくないが”雫(しずく)”という文字が余り
に印象的で事故の記憶が鮮明に残っている。
落葉樹の林に雪がうっすらと積もっていていっそう寒々しい。

さらに奥羽山脈を登るにつれて雨がみぞれ模様に変わってきた。峠の下を貫く仙岩
トンネルというトンネルの入口付近では完全に雪になった。

このトンネルが完成するまでは標高が900mもあるつづら折りの峠を超えていたよう
だが今は標高600mほどのトンネルを一気に抜けることができ、あっという間に秋田
県である。

秋田県側はもう仙北市。角館は合併により仙北市角館町となったらしい。もうゴール
の角館まですぐだがここで一旦田沢湖に立ち寄ることにする。山や湖の自然風景が
大好き人間としてはぜひ見ておかなくてはならない。

田沢湖は日本一水深が深いことで有名であり、最深部の標高は海面下になるらしい。
また最近は酸性化で絶滅した田沢湖固有のマスの一種クニマスが以前放流したことが
ある富士五湖の西湖で生き残っていたことがわかったということで話題にもなった。

仙北市役所付近で国道から右手に折れて田沢湖方面に向かう。
田沢湖は思いのほか広い。周囲の山々は雲に隠れているものの対岸はくっきりと
見えた。
日本一深い湖なので真っ青な湖面を想像していたが、意外にもまるで海辺かと
見まがう広い砂浜もある。多分湖水浴場でその先は深淵になっているのだろう、
砂浜から先の湖水の色は急に青みが増している。

湖岸沿いの道路をゆっくりと時計回りに半周すると湖岸に金色の「たつこ像」が
建っているのが見える。十和田湖の「乙女の像」はたびたび目にするがこちらは
当地にきて初めて知った。「たつこ」は田沢湖誕生を神話化した伝説の人のよう
だが余りに現実的な像ではあった。


ここで急にしぐれて一時的に吹雪のようになった。「たつこ像」前の土産店には
中国人と思われる一団が観光バスを仕立ててやって来ていた。多分レッドチャイナ
ではなく台湾系のグループだろうが心なしか寒そうに見えた。

たつこ像が建つ湖岸から田沢湖を離れ旧羽州街道を南に下る。しばらく車を走らせる
とすぐに角館。

桜並木で有名な武家屋敷をそのまま車で通り抜け、角館駅前の観光案内所に。
家人は観光地では必ずと言っていいほど真っ先に観光案内所を探す。観光情報を手に
入れるためだが、今回は”観光パスポート”なるものをくれた。観光スポットでスタ
ンプを貰うとなにやら特典があるらしい。

角館の桜は残念ながらまだ蕾み。東北は南北に長い。どうもこの寒さで桜前線は
宮城、山形で足踏みしている。

昼食は武家屋敷にまた戻り近くの蕎麦屋へ入る。なかなかの有名店であるらしい。
メニューの筆頭に武家蕎麦とありお勧め品のようであるが中味が判らない。
そこで若い女性店員を呼んで確認したら、前掛けのポケットから小冊子のメモ帳
のようなものを取り出してそれを見ながら説明してくれた。聞くと、勤め始めたばかり
で今日が初日だという。初々しさがまたいい。おまけに色白の秋田美人。
あまりに可愛いので顔ばかり見て肝心の説明は頭に入らなかった。でも蕎麦は蕎麦
、やはり武家蕎麦を注文した。


ちょっと早いがホテルにチェックインするとフロントで「樺細工伝承館」と「新潮社
記念文学館」の共通入館券をくれた。ホテルに車を置いて、武家屋敷を散策すること
にする。武家屋敷は南北に1km余り。散策には丁度いい。
両サイドの桜並木は開花0%


まず、樺細工伝承館。桜の樹皮を材料の表面に貼って装飾するもので、細やかな細工
に驚く。

次は武家屋敷のうちの「石黒家住宅」。
財務関係を取り仕切った上級武士ということだが、主家の佐竹北家本体が3000石
というので豪商の大邸宅などと比べるとやはり見劣りする。
亀の彫り物のある欄間


母屋と庭の大木


桜の開花にはまだ程遠く人通りも少ない。早々にホテルに戻る。
徒歩5分ほどのところに角館温泉がありゆっくり足を伸ばした。久しぶりに浴槽に浸
かった。

最後に角館の観光ポスターから

今年はダメだったが、来年の桜のシーズンにもう一度チャレンジしたい。







金髪の女将 ジニーさん

2013-05-16 | 日記
 図書館で偶然目に付いた「ニッポン人には、日本が足りない。」というタイトルの本。

表紙には和服姿で玄関先の生け花を活ける金髪のジニーさんの写真がある。
語学指導教師として来日し、山形県銀山温泉の老舗旅館に嫁いだ米人女性である。

何年か前にTVの特集で見た記憶があるので、本のタイトルにも惹かれて借りてきた。
米国女性が、よりによって山形の山間(あい)にある片田舎(失礼)の温泉旅館の
女将として奮闘しているということで、ものめずらしいこともあって一時大々的に
取り上げられた。日本公共広告機構のCMにも出演した。

本書からは、ジニーさんの生い立ちや、ご主人との馴れ初め、日米の習慣や考え方
の違いからくる苦労などが判った。
しかし、残念ながら肝心の「日本が足りない」ものが何であるのかがわからなかった。

本の最終末尾のページに
「本書のタイトルに、CMコピー『ニッポン人には、日本が足りない。』の使用許可
をいただきました、AC日本広告機構にお礼申し上げます」
とある。
タイトルがCMのコピーなのでタイトルと内容が合わないのは当然なのだろう。


ところで、本を読み終えて銀山温泉の場所や宿のことをネットで調べてみると
 ●ジニーさんが嫁いだ藤屋旅館は経営破綻し民事再生法の適用を受けて再建中
 ●ジニーさんは数年前に子供二人を連れて米国に帰国したままであること
ということが判った。
どうも、ジニーさんは反対したらしいが、著名な建築家に依頼して高級旅館に
鞍替えしたことと一時の秘湯ブームが下火になって客足が遠のいたのが重なった
らしい。
こちらの方がショックである。

 



野良猫バトル part5

2013-05-06 | 日記
昨日5匹目の野良猫が自作の猫ワナに掛かった。
今回は白と黒味がかったトラ模様が半々の比較的美人の野良猫である。

餌の魚肉ソーセージは仕掛けてから6日ほどは経っており完全に干からびてしまって
いたはず。
相当空腹だったのか、それとも干からびた方が猫にとっては食べごろなのか。
前回も前々回も、そろそろ取り替え時期かと思った頃に掛かっているので、あるいは
干からびた方が猫を呼び寄せるような匂いが出るかも知れない。
 捕捉第五号目の野良猫


そして今回は餌を完食している。これまでのケースでほとんど餌は食べられないまま
残っていた。扉が閉まった音に気付いてどうにかして逃げ口を探そうと必死になる
のが通常の野良猫。
この猫は入り口の扉が閉まってもなお食べ続けるとは相当肝が据わっている大物な
のだろうか。

それにしては近づくと口を開けて威嚇する。

この猫も前に捕獲した猫と同様、車のトランクにケージごと積んで自宅から少し
離れた山林で開放してやった。


今回で5匹目となる。最初に仕掛けてから50日足らずの間に5匹である。
そろそろ野良猫仲間の間で「あのうちに入ったらなぜか仲間が忽然と消える。」と
いうふうに噂をしあっているかもしれない。



捉えた猫を放逐するためにわざわざ離れた山林まで車で運ぶのが正直面倒になって
きた。加えてベランダで日干しした布団への被害を怖れていた家人も、最初の頃は
凄いと感心していたのに最近はまたかというふうに変わってきた。

そもそも猫ワナを自作してみようと思ったきっかけは、庭の池で可愛がっていた
金魚を野良猫がヒュッと捕らえて逃げるところを目撃したことだった。それまでも自宅
の庭に闖入し、我が物顔で闊歩するのに閉口して追い立てていたのだがこの一件で
完全に堪忍袋の緒が切れたのである。

しかしもう金魚の恨みは十分に果たせたし、完全オリジナルの自作猫ワナの性能の
よさも立証できたようだ。しばらく野良猫とのバトルは休戦としようかと思っている。



石割桜 & 啄木新婚の家 @盛岡

2013-05-01 | 旅行
4/18は三春町の滝桜、中尊寺を訪ねた後、再び東北道で一路盛岡へ。

盛岡に入って、カーナビは盛岡ICを出るように示しているが広域MAPで見ると一つ前の盛岡南IC
の方が近そうに見える。盛岡南ICを出たあとのルートをチェックしてみようと盛岡南ICの出口付近
で本線との分岐スペースに車を止めてカーナビを操作していると、突然、運転席のウインドガラス
をノックする人が・・・。

何事かと窓を開けると合羽を着た警官がそこに立っている。停車場所は白線の縞々模様で駐停車
禁止の箇所。こちらが何事かと驚く場合ではなく、警官の方が何事かと驚いたに違いない。

ルートを確認していることを告げると南で出てもすぐ行けると教えてくれた。あとはカーナビが
示すとおりに行けばいいとのこと。すぐICから出るようにと告げた後、パトカーの方に無線で
「応援は居らない」と連絡して立ち去った。

分岐部分にある緩衝バッグに近寄りすぎていたのでこれにぶつかったと見えたのかもしれない。
小雨ではあったが雨の中、この警官にはたいへん迷惑をかけた。

4/18は盛岡泊まり。


翌4/19はホテル最上階の展望レストランで盛岡市街を眺望しながらビュッフェスタイルの朝食を摂る。
これがなかなか豪華で美味であった。ツインの朝食付きで7,600円足らず、シーズン直前の格安価格
かも知れないが本当に頭が下がる。

朝食のあと、有名な石割桜と啄木新婚の家を回ることにする。
石割桜は残念ながらまだ開花が始まったばかりで殆ど蕾みの状態であったが、石割りの名前どおり
花崗岩の割れ目に生える姿が猛々しい。



グリーンのベレー帽とネッカチーフをしたボランティアガイドさんの懇切親切な説明を聞きながら一周
する。朴訥とした岩手訛りが柔らかく響く。

続いて700mほど車で移動して啄木新婚の家を訪ねる。
今は住宅街となった一角にひっそりと建っている。我々のほかに観光客はいない。
ここに、渋民村の住職を追われた両親と間借りして住んだとのこと。家人はどうも啄木は自尊心が強く
被害者意識が出すぎて余り好きではないようだが、当方は小学校時代に教科書で読んだいく編かの短歌が
頭をよぎる。
ーその昔 小学校の柾屋根に 我が投げし鞠 いかにかなりけむ
ー石をもて追はるるごとく ふるさとを出でしかなしみ 消ゆる時なし
ーやはらかに柳あをめる 北上の岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに
ーかにかくに渋民村は恋しかり おもひでの山 おもひでの川
ーふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな
ーそのかみの 神童の名のかなしさよ ふるさとに来て泣くはそのこと    
  ーたはむれに母を背負ひて そのあまり軽きに泣きて 三歩あゆまず
ーふるさとの訛なつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく
ーはたらけど はたらけど猶わが暮らし楽にならざり じっと手をみる
ー東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたわむる
等々・・・・

赤貧の中、不遇のまま夭逝した啄木が偲ばれる。それにしてもこの時代の生活の貧しさに
胸が痛む。それに比べて、今は生活程度は上がったがなんと心の貧しいことか。
ふるさとの山、川を振り返る余裕さえないように見える。世の中不満、要求だらけである。


正面玄関の裏側のこちら側が石川家の玄関。こちらは締め切りとなっている。


そんなことを思い馳せながら、次の目的地の田沢湖、角館へ向かう。