忙中閑話

四季の移ろい、花鳥風月を楽しみつつ
趣味はミニチュア木工、電子工作、旅行など

我が家のADHD(注意欠陥多動性障害)の人

2015-11-21 | 随想

 ゴミ部屋と化していた8畳間の和室を一掃したのは丁度2年前になる。

多量の”ゴミ”を処分し、畳が使い物にならないのでDIYでフローリングをして洋室に変えた。
だが一見綺麗になったものの、この2年間一切ものを入れず風通しをやってもカビ臭さが
どうしても抜けない。

どうやら元が和室なので壁が塗り壁となっており、臭い物質がこの塗り壁に吸着されている
ためなかなか抜けないのではないかと思われた。
吸着しているのなら加熱すればいい。ドライヤーで加熱したらどうかと思案しているところに
親類の香典返しで貰ったスチーム洗浄機があるのに気がついた。熱風より蒸気の方が
熱量的に断然いいに決まっている。そこで”ダメ元”で周囲の塗り壁のスチーム洗浄をやって
みた。

約2週間空けて2回スチーム洗浄をやったところ臭いがかなり抜けた気がする。やっと部屋が
使えそうだ。この2年間は一体なんだったのだろうかと思う。

ところで、このゴミ部屋にした張本人は同居している義母(家主)。
この和室を含め3部屋が”ゴミ部屋”となっていたのを一掃した顛末は2年前にこのブログで
書いた。転機になったのは連れ合いのアレルギー性湿疹である。遠慮もあって30年間
看過してきたが看過できなくなったのである。

この人は物を整理するのがまったくできない。最初は単なるモノグサで整理をしないのかと
思っていたが整理しないのではなく整理ができないのであった。いわゆるADHD(注意
欠陥多動性障害)という性格の人のようである。ハッキリ言って病気。

一掃した3部屋のうちこの和室を除く2部屋は2年間でまたゴミ部屋と化している。
折角40日も掛けて整理したのだが元の木阿弥。


1歳の誕生祝い ~ 一升餅担ぎ

2015-11-16 | 歳時

 先月、息子夫婦が子供2人(息子)を連れて愛知から2年ぶりに帰省してきた。

下の子は先月1歳になったばかり。生まれるまでの1年間と、生まれてからの1年間
は遠出ができないということで2年ぶりの帰省になったという訳である。

それはさておき当地では一歳の誕生祝いに「一升餅」を担がせる習わしがある。
「一升」を「一生」にひっかけ「一生食べるのに困らないように」との願いが込められ
ている。

さて、帰省するという日の前日はジジババは餅つきに大忙し。
しばらく使っていない餅つき機を引っぱり出し、餅とり台を用意し餅つき開始。
前日から水に更かしていたもち米を5合づつ2回にわけてつく。
(ババは前々日から大忙し)

始めは何も入れない白もち、二回目はつき始めのときに食紅を水で溶かしたものを
少し加えて紅餅とする。そして紅白の餅が完成。

(我ながら形よくできた……自画自賛)
通常は、三方に二段に重ねて床の間に飾っておくのだが、今回は割愛する。

そして帰省してきた日、誕生会の食事のあと「餅担ぎ」とあいなった。
2段に重ねた「一升餅」をさらしで包んで背中に担がせる。
合せて1.5kgはある。


……で、普通なら厭がって泣くのだがこの子は全く平然としている。
これにはびっくりした。彼の父親(我が息子)も兄(長男)のいずれも泣いている。

よほど足腰が発達しているらしい。体重は既に生まれた時の3倍以上10kg
を超えているという。

20年後、30年後の日本を考えたとき暗澹たる気分になる。
月並みだが幸多かれと願うばかりである。

話が変わるが、先日TVを見ていたら長崎の老舗の栗饅頭屋からの中継を
やっていて、「一升餅」の代わりとして通常サイズの10個分以上もある大きな
栗饅頭があるといって紹介していた。

この地方では、「一升餅(あるいは栗饅頭)」を担ぐのではなく、その上に立つの
だという。親、祖父母の願いはどこも同じだが、願い方は地方によって違うらしい。


運転免許更新 

2015-11-07 | 随想

 誕生日が近づき運転免許更新の案内葉書が届いた。

5年間有効のゴールド免許の更新が2回続いたので10年間無事故・無違反ということになる。その間東北に2回、信州、阿蘇は10回以上行っており、都合10万kmは走っている。

結果的には優秀ではあるが、制限スピードを超過して走ったこともたびたびあれば、一方通行
に入りこみ慌てて転回して出たこともある。「ひやり」としたことも幾度かある。自分でも運がよ
かっただけで決して「優良運転者」と思ってはいない。

今回の更新が何回目の更新になるのか忘れてしまった。が、その何回かの免許更新で
思い出深いのが2回ある。

一つは更新を忘れて失効させてしまったこと。
それはもう30数年前のことになる。義父が急遽手術入院することになり引っ越しやら何やら
でドタバタしていた時期である。入院に義母が付き添い、それも少し長期になりそうだという
ことで、空家となる義実家の管理を依頼され引っ越したのである。
多分更新案内の葉書は旧居に届いていたのであろうと思う。眼にした記憶がまるでない。

期限が切れているのに気がついたのは半年以上過ぎた頃で、帰省の車の中、それも関門橋
の上であったことを今でも鮮明に覚えている。おかしなことに、それまでは悠然と運転してい
たのに急に気が気ではなくなった。道中のこと、引き返してのも同じなのでそのまま帰省した
ものの、気づいてからのふるさとまでの道と岐路の長かったことはいうまでもない。

帰省から戻って早速警察に行ったが、(この間無免許運転なので違反なのだが既に時効)
免許が失効してから6か月以上経っていたので再取得ということになった。
再取得というのは技能試験や学科試験は免除されるものの、新たに免許を取るのと同じ
であり、手数料が余計掛かったばかりでなく、免許取得の履歴も消えてしまったのだ。

高校生のときまず学科試験だけで受かる原付自転車から始め、その数年後知人から
貰い受けたバイクに乗るために自動二輪免許を取得。そしてさらに数年後自動車免許
を取得した。
再取得前の運転免許は確かそれぞれの取得年月日の記載があったが、失効・再取得
となって取得年月日は再交付発行日に統一されてしまった。

特に自動二輪は独りで練習し、実技試験に二度目のチャレンジで合格したしただけに
思い入れがあった。(田舎だったゆえ広い空地があり無免許でも練習がやれた)

二つ目の失敗は運転免許更新案内の葉書の宛名の部分を切り離してしまったこと。
案内葉書は3枚に折りたたまれ見開きになっている。それは10数年前の更新のとき
だったが、深く考えもせずに3枚を切り離して真ん中のページだけを持参したところ
やたら手続きが面倒なグループに回されてしまった。
(申請書をはじめから起こす必要があるというようなことを言っていた記憶がある)

真ん中のページには免許番号などが記載されているのでここだけでいいのだろうと
勝手に思いこんでしまったのだが、よくよく考えれば葉書に記載された住所に確実に
届いたことで本人であることを確認しているのかも知れない。
そういえばパスポートの受取りの時も通知の葉書が必要だった気がする。

あと残り何回更新ができるかわからない。そのうち息子どもが運転免許の返上を
進言してくる時も訪れるだろう。

次もゴールド免許を目指し安全運転!!